第一章―1 第3話 『初めまして、お久しぶり』
「……ぅん?」
目を覚ますと、そこは知らない場所だった。
エミールは自分の最後の記憶と、今いる場所が一致しないことに気が付いた。
「ここ……魔王城じゃ、ない……? どこなんだ? 何が……」
エミールは周囲を見渡す。
先程まで自分が寝ていた場所を見ると、ベッドだった。
他には本棚や机、机の上には石板のようなものが置いてあったり、土器が置いてあったりした。どうやら小さな一室らしく、玉座の間とは打って変わって生活感にあふれている。
部屋の窓から外を眺める。
外には10代くらいの男女が行き交っている。その誰もが揃いの衣装で、ローブのようなものを羽織っている。
「……もっと情報を集めないと」
何が起きているのか、さっぱりわからない。
机の上にあった石板を手に取ってみる。
石板には西デリリント地方の訛りで『この先、女湯!』と汚い字で書かれていた。
「……なんだこれ?」
石板を机に置き、エミールは探索を続行することにした。
次に気になったのはクローゼットだった。中を検めようと手をかけ、それを引く。
その中には女物の――
「わぁああああ!! 何してるんですか!!」
ビクッ、と体を震わせ、エミールはクローゼットを勢いよく閉めた。
声がした方を向くと、そこには眼鏡を掛けた若いローブを着た女が、顔を赤くしてこちらに叫んでいた。
「な……何だ君は」
「それはこっちのセリフ……ってこともないか。わたしが連れてきたわけだし……」
女は赤い顔をしかめながら、頭を抱えてみせる。
「……説明してくれ。まるで状況がつかめない。アヒムたちは? ここは一体どこなんだ?」
「えっと……そうですね、色々説明は必要ですが……まずは、自己紹介からしましょう」
そう言うと女は眼鏡をクイと直し、自分の胸に手を当ててみせ、小さく一礼をした。
「わたしはアグネス・ヴォストマン。考古学の研究している者です」
「……エミール・レークラー。勇者のパーティが一人、職業は……呪術師」
女――アグネスの挨拶に、エミールは名乗り返す。
するとアグネスはパッと顔を明るくし、笑みに顔を綻ばせた。
「よろしくお願いします! 英雄様!」
「……えぁ?」
身に覚えのない称号に、エミールは間抜けな声を上げた。
*
――フリーデン魔術学校。
魔法、魔術、治癒術。それから算術、歴史学、考古学、生物学……様々な学問を一堂に会して学ぶことができる学校。エミールが現在いる建物はその学校の学生寮らしく、アグネスは生徒の一人、ということらしい。
「魔王城に研究調査をしに向かった時に、あなたの石像を見つけたんです」
「はぁ」
「解呪魔法を使ったんですけど、エミールさん全然目を覚まさなくて。仕方ないからわたしの部屋で眠っていてもらったんです」
「……なるほど」
紹介を受けながら、エミールはアグネスに連れられて、部屋から出た廊下を歩いていた。
適当な相槌を打ちながら、エミールは窓の外から空を眺めていた。
(……本当に、空は晴れたんだな)
差し込む光に目を細めながら、エミールは魔王との戦いが終わった実感を覚えた。
「ここは簡単に言えば寮です。学業に専念するために、基本的に学生は全員ここで暮らしています」
エミールは歩きながら、きょろきょろとあたりを見る。
巨大な建物だ。窓から外を見た感じ、大体3階くらいの高さだったが、どうやらまだ上の階層もあるらしい。相当の生徒を収容できる。
「……変わった構造の建物だね」
「そうですねー。ちょっと古臭いですけど、権威のある学校なんで……まあしかたないって感じですかね」
「……?」
微妙な嚙み合わなさを感じながら、エミールはその建物から外へ出た。
敷地は塀によって囲まれており、敷地内には多くの学生が行き交っていた。その学生の行き先は様々で、寮へ入っていくものもいれば、別の建物へ向かっていくもの、庭で談笑しながら昼食をとっているものなど、人によって自由な行動を取っている。
「すいません、まず学長にあなたが目覚めたという報告をしに向かってもいいですか?」
「え? ああ……僕はまだ、よくわかってないから……説明をしてくれるならなんでも」
「そうですか。学長もエミールさんに会いたいって言ってました。もしかしたら学長の方が説明してくれるかもしれません」
アグネスは敷地内のある建物を指差し、そこに向かって歩き出した。
彼女についていくエミールは、向こうから若い男がこちらへ走ってくるのを発見した。
「――――アグネス!」
「うわ……ゲルハルト」
角刈りの黒髪青年は、息を切らしながら必死な形相で、エミールとアグネスの前に立ち塞がった。
「アグネス……お前、その男は何だ? 随分珍妙な格好したやつだな」
「……なんでもいいでしょ。あなたが興味を持つような人じゃないよ」
アグネスの少し無礼な言い方にひっかかりながら、エミールは自分の格好を確認する。魔王との戦いに備え、魔法にも耐性のあるローブを着ていたが……たしかに、平時にこれを着ていると少し仰々しいと、エミールも感じた。
「……彼はゲルハルト・ベーデガー。わたしと同期で、学部が違う男です……どこだっけ?」
「覚えてろよ! 魔術学だ! この学校で一番メジャーな学部だろうが!!」
「らしいです」
エミールはそのやり取りを見ながら、どんな表情をすればいいかわからなくなった。たしかに、ゲルハルトの胸についていたワッペンが、アグネスの胸についているそれと模様が違う。
しかし、エミールにとっては至極どうでもいい話だった。
「あの……悪いけど、あとにしてもらえないかな。まだ僕の中でいろいろ整理がついていないんだ」
「あっ、そうですね。わたしの同期とかどうでもいいですよね。すいません」
アグネスはエミールの気持ちを汲み取り、元々の目的地に向けて歩みを再開した。
エミールもそれに追従し、ゲルハルトに会釈をするとそのまま通り過ぎて行った。
しかし、それをうけたゲルハルトは納得しない。
「随分馬鹿にするじゃねえか……! 名乗ったら名乗り返せや!!」
そう言うとゲルハルトはローブに隠れていた小さな杖をホルダーから抜き、エミールへと標準を合わせた。
「【ケナズ】!」
一言、魔術を唱えると、ゲルハルトの杖先から拳大の火の玉が生まれ、一直線にエミールへと向かっていった。
とはいえ、ゲルハルトは実際に当てようと思っていたわけではなかった。自分の魔術の素早さ、そして強さを見せるために、体スレスレを狙って打っていた。
彼に当てるつもりなんか、さらさらなかった。
それが当たる前、エミールは振り向き、火の玉が顔のスレスレに来ているのを目撃した。
(さあ、驚け! その無様を晒せ!)
――しかし。
「よっ」
ぼふっ。
エミールの振った右手が、その火の玉にあたると、簡単にそれはかき消えてしまった。
「…………は?」
「あれ、全然魔力詰まってなかった……ごめん。ちょっとビックリさせるつもりだっただけだったんだね。ちょっとムキになっちゃったみたいだ」
「……え、あ、いや……」
「僕はエミール・レークラー。たしかに名乗り返さなかったのは無礼だったね」
エミールの返答に唖然とするゲルハルト。
それと同じように、今何が起きたかよくわかっていないアグネス、そして周囲にいる生徒……その誰もが黙ってエミールの方を見ていた。
「……ん? 何?」
「あ、いや……なんでもないです。行きましょう」
そう言ったアグネスと共に、エミールはその場を去っていった。
ゲルハルトはその場に立ち尽くしながら、自分の握った杖を茫然と眺めるばかりだった。
*
「えっと、ここが教員棟です」
エミールは連れられた建物に入り、その二階、最奥にあった大きな扉の前に立った。
アグネスがノックをすると、中から「どうぞ」と声が聞こえる。それに従い、二人はその扉を開け、中へと入っていった。
「失礼します、ファーレンハイト学長。エミールさんが目覚められたので、お連れしました」
「……ええ、ご苦労様。ヴォストマン」
中には豪華な机と、革張りの椅子。そしてそれに座る背筋のピンとした老婆が座っていた。
髪が完全に真っ白になっているその女性は、皺の深いながらもしっかりと見開かれたそのつり目を、エミールに向けて見据えていた。
「…………」
「ど……どうも、エミール・レークラーといいます……」
一応の自己紹介をしながら、エミールは会釈をする。
しかし女性はまだじっとこちらを見つめ続けている。エミールはその女性のその態度に、なんと言えばいいのかわからず困惑を露わにした。
「………………ふふ、さすがにわかるはずもないわね」
「?」
女性ははにかみ、そのきつい印象をもつ目が少しばかりやわらかくなった。
そして立ち上がり、机の前に出てくると、近くの帽子掛けに掛けてあった魔女帽を手に取り、それを被ってエミールに再度向き直った。
「……私はロスヴィータ・ファーレンハイト。この名前は流石に憶えているでしょう? エミール」
「……!?」
衝撃に目を見開き、エミールはぐら、とよろめく。
「そんな……いや……まさか…………そういう、ことか」
「……そういうことって?」
当惑を隠せないエミールに対して、ロスヴィータと名乗った女性は薄く、ごく薄く笑みを浮かべたまま、優しく聞き直す。
「……魔王を倒すためにした旅の中で、フリーデン魔術学校なんてのは聞いた覚えがなかった。その割にこの大きな学校……しかも見たことのない建築様式。だが建ってから年代は経っている……そうか、つまり僕は……」
頭に手を当て、エミールは女性を見た。
記憶の中にあるロスヴィータとその女性を重ね合わせる。
明らかに合致しないそれが、しかし面影を感じてしまい……エミールは目の前にいる年老いた女性が、旅を共にしたあのロスヴィータと同一人物であることを感じ取った。
「ロスヴィータ……君がすっかりそうなるまで、眠り続けていたということなんだね」
エミールは衝撃の事実を口にすることで再認識し、その事実の重さに肩を落とした。
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