仲間と夜のお化け探し

 夕食後、小一時間ほど自室のベッドで体を休めていた鞍馬あんばは、スマホのアラームを合図に上半身を起こす。

 園田の噂話を聞いた現民メンバーはそのままそれぞれ早めに家に帰り、7時半にゴミ屋敷のある地域に改めて集合することになっていた。

 ベッドから足を下ろして前屈みになり、右足に脹脛ふくらはぎから踵、つま先までをL字型に包むように固定する装具を嵌める。

「出掛けるのか兄ちゃ」

 足首を固定するベルトを止めていると、勝手に部屋に入ってきた妹が鞍馬の頭に声を掛けてきた。小さい頃から鞍馬の後ろを「兄ちゃん兄ちゃん」言いながらついて回っていた妹は中二にして「兄ちゃ」と使い過ぎて尻が切れた呼び方をする。

「ああ、菓子なら机の上に置いてあるぞ」

 顔を上げずに装具の上端のベルトを止めながら鞍馬。ここ数日は噂話を持ってきてくれる生徒のために川俣が毎日お菓子を用意しているので、それを妹の土産にするのが日課になっていた。

「おお、それは有難い。一度、お菓子の人には直接お礼を言わせて貰わんとな。よかったら付いてっていいか?」

 つま先のベルトを固定。よし、と鞍馬は顔を上げて立ち上がる。開いたドアの横に、長距離走者らしくすらりと引き締まった体をユニフォームに包んだ妹が立っている。

 やや上気した顔、汗ばんだ肌を見ると軽く外を走ってきたのだろう。

「いいよ。礼なら俺が毎回言ってる」

 自分の影響で長距離走を始めた妹から目を逸らしたくなる自分に嫌気がさしながら、鞍馬はゆっくりと妹の横を通り過ぎた。

「お母さんが心配してる。私も兄ちゃが新しい部活に夢中なのは嬉しいけどな。そんなに目の色変えなきゃいけないものなのか?」

 と、右肩を掴んで引き止めながら妹が鞍馬を見上げてくる。

「時間ないからもう行くわ」

 と、肩に掛かった右手を軽く払いのけようとした鞍馬を妹が強引に振り向かせた。

「別に兄ちゃが悪いことしてるなんて私もお母さんも思ってねーよ。お菓子の人だって悪い奴にあんな美味いもんは作れんだろうしな」

 鞍馬の目を見て真剣そのものの顔でよくわからない理屈を口にした妹は、

「でも、やっぱり最近ちょっとおかしいぜ兄ちゃ。何か悩み事があるなら——ん? どうした兄ちゃ?」

 薄暗い感情が湧いた鞍馬は思わず鼻で笑っていた。なぜそうされたかわからず眉を寄せて首を傾げる妹に自虐と嗜虐の綯交ぜになった歪んだ笑みを向ける。

「今しがた元気に外を走り回ってきたお前になにがわかるんだよ」

 言葉と共に胸に溜まった感情を吐き出す。僅かばかりの後悔と、自分が口から垂れた糞が妹の顔を歪ませた事への倒錯した愉悦が同時に湧いた。

 その感覚に吐きそうになりながら今度こそ妹の手をゆっくりと払いのける。

「悪い。本気で急ぐから」

 なにか言おうと口を小さく開いたり閉じたりして立ち尽くす妹を置いて鞍馬は部屋を出た。


 出掛けのそんな一幕に荒んだものを抱えて鞍馬が集合場所に着くと、他の三人はすでに揃っていた。まさにくだんのゴミ屋敷の側に部活仲間の姿を見付けて鞍馬は僅かに安堵する。

 早くも夜の闇に沈んだ住宅街はぽつりぽつりと街灯が並ぶだけで人通りもない。

「悪い。待たせたか?」

 3人の手前で自転車を停めて鞍馬。なんとなしに右手のゴミ屋敷を見上げる。前情報がなければなんの変哲もない一軒家だ。

 明るければ塀の向こうに汚れた壁などが見えるのかもしれないが、

「いやぁ、俺たちも今来たところさ。鯖戸さばとさんはいつからここに居たのか分からないけれど」

 自転車のハンドルを支えていた右手を軽く挙げて鞍馬を迎えながら川俣かわまた。シャツにジーンズという鞍馬とそう変わらない私服姿だ。

「この子、私が来てみたらそこの家のおばあ様に住所を聞かれていたのよ。見掛けない子がこんな何もない所にじっと立ってるから気になったんですって」

 スタンドを立てた自転車のサドルに手を付くように体を預けて部長。ブラウスの上にニットベスト、下はデニムパンツのコーディネートをラフに着こなしている。

『仕方ねぇだろ。マホ子の奴が早めに出るって聞かねぇんだからよ。俺も帰巣本能があっから帰る分にはいいが、どっかに行くとなるとお手上げなもんでな』

 その二人から数歩分離れた真歩の肩からミヤモリ。

「うちら方向音痴やから迷ったら困る思て」

 それに真歩がウンウンと頷く。着替えずにそのまま来たのか制服のままだった。

「迷ったらって、ここの住所送ったじゃない」

「結局迷ってタクシーできた」

「なら、次からはあなたの家まで迎えにいくわ。あとで住所教えてくれる?」

 部長も真歩のポンコツ加減にはもう慣れたもので、皮肉を言うでもなく世話係に徹している。部長とはいえ自分と同学年とは思えない面倒見の良さだと鞍馬は思うのだ。

「それで、捜索についてなんだけど。このゴミ屋敷を中心に左右二手に分かれるというのでいいかしら?」

 ここからが本題というように自転車のサドルから手を離して提案する。

「うちは一人で大丈夫」

 問題児が力強くなんか言ってすたすたと歩きだした。

 その背中を呼び止める事の無意味さを知る程度にはここ数日で真歩の性格を理解した鞍馬は部長と川俣に向かって、

「どうすんだ? 流石に周りも暗いし、下手すりゃ『5人目』が出てくるかもしれないぜ。誰か付いてかないでいいのか?」

 特に川俣、この発言はお前の役目じゃないのか。そんな含みを持たせた鞍馬の懸念に当の川俣は何とも言えない顔で、

「それなんだけれど、彼女がどうにかなってしまう状況なら少なくとも俺は足手纏いにしかならないさ」

 自信の無さもここまでくれば鼻に付くというものだ。お前が小柄な女子以下なら俺は一体なんなんだ?

「はあ? こん中じゃお前が一番——」

 そう、やや苛立ちを込めた口調で言い掛けた鞍馬に川俣はゆるゆると首を横に振って、

「はっきり言って仮に本気で挑んだとしても、俺は彼女に指一本触れられる気がしないよ。5人目が現れた日、一緒に帰った時のことなんだけど——」

 その道すがらナンパなのかしつこく絡んできた3人の男を真歩があっさりと返り討ちにしたのだという。

「一瞬の出来事で、目の前で見ていた俺にも何が起きたのか分からなかったけれど。合気道とかそういうやつなのかなぁ? 鯖戸さんが相手に触れたようにも思えなかったのに、気付けば3人とも地面に倒れていたんだ」

 その光景を思い出したのかやや興奮気味に語る川俣。俄かに信じがたい話を聞かされて閉口するしかない鞍馬だが、こんな事で川俣が嘘をつく理由もないことくらいは分かる。

「本当、なんなのあの子」

 やや遠のいた真歩の背中を眺めるようにして部長が漏らす。

「それは良いとして、スマホ持ってても道に迷う奴を放っておいていいのか?」

 と、話を戻して鞍馬。川俣が太鼓判を押す我が部の最大戦力が糸の切れた凧のようにふらふらしているのもそれはそれで問題である。

「それもそうだなぁ。そういうことなら今回は部長と俺で組んだ方がいいよねぇ」

「だな。今日は自転車だしすぐ追い付く」

 流れを汲んで請け負う川俣に跨いだままの自転車を漕ぎ出そうと鞍馬はペダルに力を込める。

「待って」

 と、部長がそれを制止し、背負っていたリュックの中から取り出した紙袋を鞍馬に差し出した。

「これ、気休めだけどもしもの時のために一応持ってて」

 受け取って中身を確認すると、護身用グッズが入れられていた。

「おう、ありがとな部長」

 鞍馬は礼を言って口を閉じた紙袋を自転車のカゴに入れ、今度こそペダルを踏み込んで自転車を走らせる。

「みんなの分用意したから鯖戸さんにも渡しておいてね」

 背中に掛けられた部長の声に鞍馬は肩越しに右手を挙げてこたえると、薄暗がりの向こう、遠くに見える真歩の背中を追って自転車をスピードにのせた。


 真歩がゆっくりと歩いていたこともあってすぐに追い付くことができた。真歩は自転車の速度を緩めて近付く鞍馬に気付かずスマホで誰かと話している。

「大丈夫。もう他の人と合流したから————今ねぇ、ゴミ屋敷に出るいうお化け探してるん————うちが一番に見付けたらみんな驚くやろか————わかってる。遅ならんようにするから』

 その会話を聞いて声を掛けづらくなった鞍馬は、自転車から降りるとしばらく離れて歩くことにした。

 ストーカーのように背後で息を潜めて真歩が通話を終えるのを待っていた鞍馬は、真歩がスマホをしまうのを見てから30秒数えて「鯖戸さん」とその背中に声をかけた。

「…………もう見付かったん?」

 振り向いた真歩は思いのほか早く遊びの終わりを告げられたこどもがするように、不満げな顔でやや口を尖らせている。

 この子もこんな顔するんだな——。先ほどの通話の内容も相まって、意外な一面を見せる相手に鞍馬は調子を狂わされる。

「いや、まだだけど。やっぱり二人ずつに分かれた方がいいってことになってさ」

 そのせいか、自分がここに来た理由の説明もどこか言い訳がましくなってしまう。

「ええよ。うちは一人で大丈夫や言うとるやん」

 ここで「いや、だって鯖戸さんポンコツじゃん」と言えれば苦労はない。

「鯖戸さんは怖くないのか?」

 代わりに投げ掛けた疑問に、真歩は無言で首を傾げる。

「だから、過去に俺らと同じことやって消えた生徒がいるかもしれないんだし。いくら腕に自信があるって言ってもさ。これって多分そういうのとは別物だろ」

 再び、同じように首を傾げる真歩。

『言っとくが鞍馬、コイツにんなこと聞いても意味ねぇぞ。死ぬような思いなら言葉憶える前からしてきてんだからよ』

 質問の意味が通じていない真歩に代わって、その右肩に乗ったミヤモリが答えた。

「それってどういう……」

『気になるとさ。この際だマホ子、ちっとだけ見せてやっか?』

 肩から自分を見上げるミヤモリに真歩は軽く首を横に振る。

『そういうこった。ま、その辺は適当に想像してくれや。ともかくコイツにとっちゃ死ぬ可能性があるなんざ日常いつものことでしかねぇんだよ。それよか——』

 ミヤモリはキキキと笑って、

『テメェらにゃ悪いが、この状況が楽しくて仕方ねぇのよ。なんたって、部活仲間と夜に集まってお化け探しだぜ? マホ子との付き合いはそれなりに長いが、こうもご機嫌なコイツはお目に掛かった事がねぇ』

 さも愉快げに内部事情を明かされた真歩は慌てた様子で右肩のミヤモリを左手で捕まえようとする。それをするりと避けたミヤモリはそのまま真歩の背中を回って左肩に現れ、

『だぁら俺はあの一寸崎にだって密かに感謝してんだぜ。嫌々が顔に出てたってよ、なんだかんだでマホ子と向き合ってくれる同年代の人間なんざそうはいねぇからな』

 無機質な眼で遠くを見るように語るミヤモリ。その口を塞ぐのを諦めたのか「もうやめて……」と消え入りそうな声で俯いている。

『ま、なんにしたってコイツはテメェらを憎からず思ってるってこった。それだけは憶えといてやってくれや』

 真歩への親心を見せるミヤモリの言葉を聞きながら、鞍馬は真歩の中に彼が生まれた背景に想像を巡らせて複雑な気分になった。

「そういやこれ、部長から」

 掛ける言葉もなく、鞍馬はふと思い出して自転車のカゴに入れた紙袋に手を伸ばす。

「え? なに?」

 部長、の響きに反応した真歩が足を止めて顔を向けてきたので、鞍馬も立ち止まって自転車を停めて、

「護身用グッズ。5人目に襲われたときにこうやって顔に吹き掛けるんだ。キーホルダーになってるから鞄に付けとけばいいんじゃないか?」

 手の平に収まる小型の催涙スプレーを右手に持って左手に吹き付ける仕草をしてから渡してやると、真歩は受け取ったそれを眺め、

「心配せんでもうちはこんなん要らんのに」

 そう言いながらもニマニマと顔を綻ばせるのだ。少なくとも部長に関していえば、ミヤモリの言っていたことは本当らしいと鞍馬は思う。

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