遠く夢見たもの⑨


 用意された部屋は使っていないというだけあって机、姿見、ベッドしかない簡素なものだった。しかし手入れはされていて埃っぽさは全くない。野宿が当たり前である旅の生活に比べれば天と地の差と言える。


 最も目を奪われたのは壁一面の大窓に映る夜景。久しく見ることのなかった文明の光。乱立する摩天楼の輝きはいつか思い描いた憧憬に似ている。



「これって」



 大窓の脇に魔力素マナ結晶が置かれていることに気づいた。ガラスのショーケースに入れられた大きな結晶。ランクSの魔獣を討ってもこれほどの大きさにはならない。


 あり得るとすれば転生体。



(そっか……ここにいたんだね)



 そこにどのような思いが込められているのかまではわからなかった。ただ懐かしさや哀愁というものが含まれていることだけはわかる。


 輝に渡された服に袖を通しながら、『アルカディア』の夜景を一望した。



(いい眺めだねー)


「そう、ね」



 頭に響く声も、自分の声も、沈んでいた。


 人の営みが作り出した人工的な光の世界。あの光の下では多くの人が笑っているのだろう。


 そこに自分は含まれていない。あれは人の世界で、自分には手の届かない世界。排斥されることはあっても、受け入れられることはない。



(でも、此処は転生体と向き合おうとしてくれてる)



 あのシールという少女は対話を持ちかけてきた。転生体というだけで拒絶する人間が多い中、こちらに歩み寄ろうとしてくれた。


 今までにないことだった。


 此処では叶うのだろうか。


 居場所が欲しい。誰にも脅かされない穏やかな生活がしたい。自分と同じ年頃の少年少女が過ごすようなありふれた暮らしをしてみたい。人目を憚らず街を歩いてみたい。信用できる友人と一緒に思い出を共有してみたい。青春や恋といったものだってしてみたい。


 今まで出来なかったことをいろいろやってみたい。


 それがずっと思い描いてきた願い。


 転生体の自分がその願いを叶えることはできるのだろうか。居場所ができても転生体というだけでまた弾き出されてしまうのではないか。


 守ってくれる人なんて誰もいないこの世界で、果たして手が届くのだろうか。



「そういえば、あたし、あの男に守られたのよね」



 黒神輝。


 ザルツィネルの雷が降り注ぐ中、自らを盾として庇ってくれたのをぼんやりと覚えている。アルフェリカが転生体だと知っても態度を一切変えなかった。


 信じられない。そんな人がいるわけがない。裏切られ拒絶されてきた自分にはとてもじゃないが信じられない。自分の記憶違いだと、そう考えた方がまだ納得できる。


 けれど、ボロボロになりながら自分アルフェリカの無事を見て口元を綻ばせたあの顔は、克明に思い出すことができるのだ。


 一方的だったが、約束もした。



 ――俺はあんたを傷つけない。俺はあんたを裏切らない。あんたを傷つけようとする奴らから、俺はあんたを守る。



 信じてもいいのだろうか。信じられるのだろうか。


 アルフェリカは頭を振ってその考えを追い出す。


 信じたとしてまた裏切られるに決まっている。今まで出会ってきた人たちのように自分を遠ざけようとするに決まっている。今さら誰かを信じることなんてできない。


 だって、もう誰も信じないと決めたのだから。


 地上の光を見遣る。あそこで行き交う人々のように誰かと一緒に笑っている未来。居場所を見つけて心穏やかに日々を過ごしていくささやかな幸せ。



「あたしはきっと、幸せにはなれない」



 どれほど焦がれようと転生体の身では届かない願いなのだから。



(なれるよ!)



 筒抜けだった悲観的な考えをエクセキュアは全力で否定した。頭に響く大音量に無意味に耳を塞いでしまう。



(なれる! 絶対になれる! どこかの誰かと出会って、居場所を作ることは絶対にできる。きっと恋もして、その人の傍にいることを願って、たまに喧嘩して、やっぱり仲直りして、ずっと一緒にいて、結婚して、素敵な家庭を築いて、なんでもない毎日を送って、絶対に幸せになれる!)



 希望に満ちた温かな未来。焦がれ続けたが故に燃え尽き、手に取ることができないと諦めた願い。


 その諦観を必死に否定しようとするエクセキュアに面を食らった。



(あの子だって転生体だったけど、幸せだった! ヒカルと出逢って、居場所ができて、ずっと一緒に居たいと願って……添い遂げることはできなかったけど、あの子はずっと笑顔だった! だからアルフェリカにだって、そーゆー相手が必ず現れる! 幸せになれる! だから――)



 頭に響く声は涙声。



(幸せになれないなんて、ゆわないでよ)



 嗚呼。この神は自分アルフェリカにアルフィーを重ねている。前の宿主だったアルフィーの幸せが途中で終わってしまったから、今の宿主には今度こそ最後まで幸せになって欲しいと願っている。


 アルフェリカはアルフィーの代わりじゃない。そう言い返すことは簡単だが、幸せになって欲しいという想いが本物だとわかってしまうから、何も言えなくなる。


 一つの肉体に二つの魂。お互いの想いや感情まで共有してしまうなんて、転生体とはなんと厄介な生き物なのだろうか。



「善処は、するわ」



 好き好んで不幸になりたい人なんているわけがない。幸せなら幸せであることに越したことはないのだ。


(うん、そーしてね? 私はあなたのことも好きなんだから)


「……そう。あたしは嫌いよ」


(つれないなぁ)



 心がざわつく。


 友好神と言えど所詮は人間に寄生する害悪だと思っていた。宿主を思う言葉は全てこちらに取り入ろうとする奸計かんけいであり、信用ならない欺瞞。


 そう思って目を背けていたのに、神にも心や感情があることを再認識させられる。



「でも、目的は果たすのよね?」


「もちろん」



 抑え切れない憎しみ。エクセキュアのそれが声と共にアルフェリカに波及する。



「二人を引き裂いたあの神だけは許さない。そのときのアルフィーの無念が、今でも私の中に残ってる。もちろんこれが私怨だっていうのはわかってる。でも――」



 飲み込まれそうになるほどの憎悪。



「ウォルシィラの首だけは必ずこの手で斬り落とす」



 普段の言動からは想像もつかない苛烈さに身が竦んだ。


 これだけは絶対に譲らないという昏い覚悟。



「……わかったわ。もともと、そういう約束だし」


(うん、よろしくねっ)



 いつもの雰囲気に戻る。



「もう眠るわ」



 余計なことを考えたくなくてベッドの上で横になった。ふかふかのベッドが暖かい。なんとなく寂しい気持ちになって、膝を抱いて身体を丸めた。



「そっか、誰かに抱きしめられたのって、久しぶりだったっけ……」



 少しずつまどろみに落ちていく中で、借りた服から黒神輝の匂いがした気がした。

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