遠く夢見たもの⑦


 『ティル・ナ・ノーグ』の本部を出て帰路につく輝は天を仰いだ。仄暗い空がもうすぐ夜が明けることを教えてくれている。


 輝の後ろには銀の長髪を揺らしながらついてくるアルフェリカがいる。輝から付かず離れずと距離を取って、警戒と怯えが織り混ざった目でこちらを見ている。


 エクセキュアが落ち着きを取り戻したあと、シールは今後のことを提案した。


 敵性覚醒体ザルツィネルの一件からエクセキュアは友好覚醒体と判断。『アルカディア』での滞在と居住を認める。『ティル・ナ・ノーグ』所属の転生体とし、神の力が暴走しないよう監視をつける。


 その監視役をシールは輝に命じた。


 専属狩人として契約している以上は命令に従う義務があるが、これには異を唱えざるを得なかった。


 いくらエクセキュアとは旧知の仲と言っても、〝断罪の女神〟と自分が一緒にいるのはリスクでしかない。信頼関係のないアルフェリカからすれば耐え難いだろう。


 エクセキュアも別の観点から反対した。


 それをシールはいい笑顔で――



『積もるお話もあるでしょう。大丈夫です。アルフェリカさんにとって輝が監視役につくのが一番良い結果になります。輝がアルフェリカさんに手を出す心配もありません。〝破戒予見者〟オラクルの名において保証します』



 〝破戒予見者〟オラクルの名前まで持ち出されると輝はもう反論できなかった。シールがその名を出したとき、彼女の言ったことは絶対に外れない。


 それを知らないエクセキュアはまだ何か言いたそうだったが、輝が口を噤んだことで渋々承諾した。


 そのようなことがあり、輝とアルフェリカエクセキュアは微妙な距離感を保ちながら夜道を歩くことになったのだ。



「なあアルフェリカ」


「な、なによ黒神輝」



 返ってきた声は敵意を孕んでいたが、震えてもいた。


 エクセキュアが表に出ていると神名が輝きっぱなしになるため、彼女には引っ込んでもらっている。


 見知らぬ土地で、見知らぬ組織に属する男と二人きり。内心は相当に不安なのだろう。虚勢では隠しきれない怯えが滲み出ている。



「そんなに気を張る必要ないぞ。俺はあんたに危害を加えるつもりはないから」


「……信用できない」


「まあそうだろうな」


「あたしが転生体だと知れば、どんな人だって離れていく。転生体だとわかって近づく奴にロクな奴はいなかった。危うく奴隷にされそうになったことだってある」


「俺はそんなことしない」


「信用できない」


「嘘が見抜けるのに?」


「そのときに嘘をついてなくても状況が変われば人は簡単に言葉を覆す。あたしが何度も経験してきたことよ」



 転生体であることを理由に迫害され、幾度となく裏切られてきたということか。


 そんな目に遭ってきた彼女に、出会ったばかりの自分を信じて欲しいと願うのは酷だ。



「じゃあこうしよう」



 立ち止まってアルフェリカに向き直る。



「なによ?」


「俺はあんたを傷つけない。俺はあんたを裏切らない。あんたを傷つけようとする奴らから、俺はあんたを守る。約束する」


「いきなりなに言ってるの?」


「嘘かどうか、わかるんだろ?」



 瑠璃色の瞳から放たれる透明な視線。心の奥底まで見透かすような眼差し。居心地が悪いが目を背けることができない力がそこにはあった。


 アルフェリカの顔色が悪くなる。吐き気を堪えるように口元を押さえた。こちらが何かをする前に、呼吸を整えて何事もないように振る舞う。それを察した輝も気づかないふりをする。



「嘘は、ないわ……でも、信用できない」


「だろうな。だから定期的に俺にこう言えばいい。あの約束を口にしろ、ってな。そのたびに俺は今の言葉を口にする。それが嘘じゃない限りは信用できるだろ」



 アルフェリカの信頼を得るためには、彼女をずっと裏切らないことを示し続けるしかない。


 周囲すべてが敵だと信じて生きていくのはそれだけで磨耗まもうする。せめて自分が彼女にとって信頼に足る存在にならなければ。



「いいわ。でも裏切ったら、あたしはキミの首を落とす」


「物騒だな。でも今はそれで十分だ。俺はあんたを裏切らない。証明してみせるよ」


「ふん、どうだか」



 色良いとはいかなくとも、それなりに満足のいく返答を得ることができたと思う。目を合わせようとしてくれないが、今はこれ以上を望むべくもない。


 再び輝は歩き出した。その後ろをアルフェリカが付いてくる。構図は何も変わらない。


 会話が途切れれば、次に浮かんでくるのは夕姫のことだ。


 アルフェリカのことをどう説明したものか。


 ありのまま話すべきか。だがそうするとアルフェリカが転生体であることにも触れなければならなくなる。アルフェリカはそれを望まないだろう。夕姫だってその話を嫌う。


 狩人仲間ということで一応は説明できる。だが監視のため同居することになった経緯をうまく説明する方法が思いつかない。どう説明しても夕姫は絶対に納得しない。


 それでもなんとかしなければならないというのが辛いところだ。


 あれこれ考えても夕姫が納得しそうな妙案は思いつかない。


 そして答えが出ないまま自宅に到着してしまった。



「ここが、キミの家」



 アルフェリカが見上げているのは螺旋フォルムの独創的なデザインの高層マンション。センター街に近く、都市のどこに行くにも好アクセスの一等地。若者が済むには場違いな高級物件である。


 オートロックのエントランスを抜けてエレベータに乗り込み、自宅のある階に向かう。



「稼いでるのね。覚醒体を相手にできるくらいの狩人なら当然か」


「その度に死にかけてるけどな」



 覚醒体と人間の力で戦うのは生半可なことではない。五体満足で生きて帰ってこられるだけでも御の字というものだ。



「……自分の家があるっていいわね」



 背から聞こえる羨望の声に諦観が込められていた。彼女には帰る場所がないのだということがわかってしまって、ほんの少し気に入らない。



「ただいま」



 アルフェリカに言えることは何もない。納得できない気持ちを強引に切り替え、そっと玄関のドアを開けた。


 夕姫にどう説明をすべきか結局のところ考えはまとまっていない。それでも嘘だけは駄目だと思った。嘘をついたら決定的な亀裂が生まれてしまう予感があった。


 それが答えだ。この先も良い関係を築いていきたいなら、きちんと向き合わなければならない。嘘も誤魔化しもなくつまびらかに話そう。


 恐ろしいのは、それが届かず彼女が離れていってしまうこと。


 輝の覚悟に反して夕姫が姿を見せることはなかった。彼女のことだから帰宅と同時にすぐに駆けつけてくると思っていたが、時間も時間。眠っているのかもしれない。


 ほっとしている自分が情けない。



「とりあえず上がってくれ」



 アルフェリカを招き入れて来客用のスリッパを差し出した。


 当のアルフェリカは先程までと打って変わってキョロキョロしている。そうしながら脱ぎにくそうな編み上げのロングブーツを片足立ちで器用に脱いでいた。



「きゃっ」


「おっと」



 周囲に気を取られていたのか、それともまだ本調子じゃないのか。バランスを崩して転びそうになったアルフェリカを輝はとっさに抱きとめる。



「大丈夫か?」



 返事をしなかった。輝の腕に収まったまま身動ぎひとつしない。


 その様子を見てまずいと思った。自分との接触はアルフェリカにとって相当な負担となってしまう。



「ごっ、ごめんなさい! ありがとうっ」



 礼を告げながら、ほとんど突き飛ばすような形でアルフェリカは輝から離れた。身体ごと目を逸らす彼女の様子にこれといった異変は見受けられない。


 大事には至らなかったことに、内心ほっとした。


 リビングに入ると夕姫がテーブルに伏せて眠っていた。静かな寝息だけがこの部屋の中で聞き取ることができる。



「その子は?」


「友達だ」


「……ひどい人」



 テーブルに並べられたものを見てアルフェリカは輝をなじった。


 色とりどりの料理。全て夕姫が黒神輝のために作ったもの。


 そこに込められている意味も想いもわかっている。



「悪いことをしてるのはわかってる」



 わかってやっているのであればその方が酷い。どんな理由があるにしろ自分はいつも夕姫をないがしろにしている。


 眠っている夕姫の隣に立ってその寝顔を見つめる。眉間にしわが寄っていた。夕姫がこんなにも無防備なのは、それだけ黒神輝を信頼してくれているから。


 そっと夕姫の頬に触れると日向にいる猫のように寝顔が緩んだ。



「輝くん……」



 寝言で名前を呼ばれた。夢でまでこんな男に構っているのか。



「……好き、だよ」



 聞いた瞬間、罪悪感に押し潰されそうになった。


 知っている。知っていた。こんな自分を構う理由が、そんなことであるのはずっと前から知っていた。


 応えられないくせに好意に甘えている。彼女に無駄な時間を使わせてしまっている。



「それで、あたしはどうしたらいいの?」


「そうだな。そこの部屋は使ってないから好きに使ってくれ。寝具は壁の収納に入ってる。着替えが必要なら言ってくれ。シャツとかジャージでよければ出すよ」


「そうね、貸してもらっていいかしら」


「わかった。持ってくるから待っててくれ。それと明日はセンター街に行くか。荷物なくしたなら日用品どころか着替えもないんだろ。一通り揃えとかないと」


「無理よ。手持ちがないもの。傷が癒えるまでは我慢するわ。二、三日も休めば狩りにも行けると思うから」


「金なら心配いらない。あんたを監視する上での必要経費だ。『ティル・ナ・ノーグ』から落ちる」


「……なら、そうする」



 どうやら自分には借りを作りたくないらしい。


 アルフェリカの反応に苦笑を浮かべながら、少し待つように言って自室から持ってきた衣服を手渡した。



「サイズは合わないかもしれないけど、そこは我慢してくれ。紐ついてるから縛っておけばずり落ちてくることはないだろ」


「……ありがとう」



 ぶっきらぼうではあるが信頼していない相手にも礼を口にできる彼女は、根は良い子なのだろう。転生体として生まれなければきっと屈託無く笑えたに違いない。



「買い出しは昼頃に行こうか。それまでゆっくり休んでくれ。あと家にあるものは好きに使ってくれていいからな」


「わかったわよ。それじゃ」



 そそくさと部屋に入っていく。ドアが閉められたかと思うと、少しだけ開いた隙間からジトッとした目を覗かせた。



「寝ているところに押し入ってきたら、斬るから」


「そんなことしないよ」



 嘘が見抜けるのに疑っているような顔で、今度こそドアは閉じられた。



「さて、夕姫もこんなところで寝かせるわけにはいかないよな」



 夕姫は自室のベッドに寝かせておこう。自分はソファで十分だ。


 起こさないようにそっと夕姫を抱き上げる。小さい見た目通りとても軽い。



「一緒にいてくれてありがとな」



 眠っていては返事もあるわけがない。その代わり、小さな手が輝の胸元で服を掴んだ。

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