第三章・機械の神
誘い
「隠れ道っていうからどんなのかと思えば、ようするにただの山道。ですよね?」
亜花の案内する木々の生い茂った山道に、梨里奈は素直に拍子抜けした。
「それはそうだが、私が進む道からそれほど離れるな。見た目にはわからない罠がたくさんあるから」
普通に歩いているようなのに、普通に歩くよりも明らかに早い、先頭の亜花。
「けどそういうものをいつ用意したんだ? これは多分、戦国の時代には普通に使われてた道だろ。今よりずっとたくさんの忍者たちが共有してた」
蓮介のその問いは、半分かまかけみたいなものだった。彼は戦国時代に、伊賀と甲賀、それぞれの里の忍たちが共有する、かなり大規模な秘密の道路網が存在していたということは聞いたことがあるのだが、今自分たちが利用させてもらっている隠れ道というのが、もともとそれであったのかどうか、その辺りのことは全然知らない。
「今でも伊賀忍者が共有している道ではある。ただ、普通はあまり使われることもない。まさに私の今の里の者が、道を独占するため、いくつもの罠で囲ったから」
どのくらい重要な秘密なのか、蓮介たちは知らなかったが、少なくとも亜花はそんなことを話すのに、まったく躊躇もなかった。
「なんでそんなことするの? 忍者同士で派閥争いでもあるとか」
弥空が聞く。
「少し違うな。正確には、信用できない抜け忍があまりにも増えたから」
そう答えた亜花は無表情だが、蓮介にはなんとなく悲しげに見えた。
「ところで、この道が直接蝦夷に続いているわけではないだろ。結局どのくらいに人目を避けれると思う?」
がっかりしてるだけで、特に何も思うことがないような莉里奈と違い、実のところ蓮介は少し不安にもなっていた。隠れ道という名前から勝手に想像していた地下道みたいなのとはかけ離れてるその道に。
「この道に関してはまず心配することはない。蓮介、カラクリ使いの中でも、お前は特に外を知っている方なんだろ。そしてそのお前でも、ここが普通の道にしか見えないなら、なら多分大丈夫だ」
「信頼はしておく。けど警戒もしておくからな。言っておくけど、重要な部分で嘘があったなら、覚悟する暇も与えてやらないから」
亜花の自信はつまり、その隠れ道には、蓮介にも気づけない秘密の守備機能が働いているためなのだろう。ただし、まだ彼を完全に信じきれているわけではない蓮介は、いくつか悪い可能性も想定していることを、特に隠したりもしない。
少し前に、蓮介自身が言った通り、本当に仲間になれたならば、忍者というのはとても信頼できる存在であろう。だが、今はまだ……
ーー
嘉永五年二月二十八日(1852年3月18日)
四日が経った。蝦夷まで順調に近づいていること以外には、ほとんど何もなかったと言ってもいい。確かに普通の山道にしか見えていなかったわけだが、隠れ道というのは、そうだとすれば奇妙にも思えた。
町を通過する事は無かった。もっと人里離れた森の道や、洞窟や川の道を越えて、蓮介たちは、もう江戸よりも北に来ていた。
しかしそのまま、蝦夷に到着する、その最後まで何もなかったというわけではない。
「忍じゃない、カラクリ師の仕掛けたものだ」
最初の頃よりもずいぶん開けているようだが、それでも隠れているものらしい道をまた進んでいた時、唐突に足を止めた蓮介。
「え、どういうこと?」
弥空がすぐ聞いた。
彼だけでない。隠れ道を案内していた亜花も、見習いではあるが同じく"祖カラクリ"を知る者である莉里奈にも気づけなかった。
「考えてみたら不思議なことじゃない。本当にこの隠れ道が隠れてるものなら、この国で活動する調査人カラクリ師にとっても有益だろうから」と一人で勝手に納得して、蓮介は、木に付いていた虫の抜け殻のような機械を、慎重にシシの手で掴みとった。
「だったらいいんだけど」
彼がそう言ったのとほとんど同時、まるで霧か煙が晴れるかのように、別の木々が存在していたはずの方向に現れた細道。
「そ、それは"祖カラクリ"の仕掛けなんですか?」
どうやら原理がわからないようで、驚きを見せる莉里奈。
「そんな」と、当然、亜花の驚きは莉里奈の比ではなかった。
「
弥空だけは、今さらあまり驚きもせず、妙に不安そうに見える蓮介に気づいていた。
「亜花、あまり気にしないでいいと思う、どう考えてもこれは普通じゃないから」
抜け殻機械を元々あった場所に戻したが、道を隠していた偽りの木々は再び現れない。そして莉里奈は、そのことにもまた驚いた。
「なんで、戻らないんですか?」
まず、抜け殻機械が光を上手く操作するとかして、細道を隠していたことはほぼ間違いないだろう。しかし、蓮介は明らかにそれに新たな操作を加えなかった。"祖カラクリ"の技術により作られた機械というのは、ある操作に対する動作の再現性が非常に高いことが普通だ。つまり、もともと存在していた場所にもともと存在していたように戻したのなら、同じ機能が再び発揮されるはずなのだ。
「普通、"祖カラクリ"の再現性は」
莉里奈が、その理由を知らないだろうことを見越して、蓮介はしっかりとそこから説明した。
「ジンギの、普遍的に思える動作の原因を、実のところ、カラクリ師の誰も知らないためのことらしい。だけど几の部分を多くすれば、予測が難しくするような仕掛けを作ることもできるとされてる。普通はあまりそういうものを必要としないだろうけど」
「普通じゃない場合って、どういうのが考えられるわけですか?」
莉里奈がさらに聞く。
「里でじゃない。多分これは外で、つまり、誰か調査人カラクリ師が用意したものだと思う」
そもそも蓮介が簡単に気づくことができたのも、里の者よりも"几カラクリ"の優れた作を見慣れていたからというのもある。脱け殻機械の隠蔽性の高そうな模様は、"几カラクリ"なら珍しくない錯覚を利用する仕掛けとも言える。
「だが、なぜここに?」
さすがと言うべきか、見せた驚きはほとんど一瞬だった亜花。
「二つの可能性が考えられる。一つは、誰かがここをひみつの活動の拠点にしていた。これは十分にありえる。ここはただでさえあまり使われない隠れ道だし」
そしてそうだとするなら、別に大した問題はない。日本で活動している調査人なら、普通に蓮介の知り合いかもしれないし、そうでないとしても、里内部の問題に関しては中立な立場の者が多いだろうから、今の自分たちにとって敵にはなりにくいだろう。
しかし問題はもう一つの可能性。
「もう一つの方だったら最悪だ。隠れ道にカラクリ機構。これを仕掛けた誰かは、俺が忍者が使うことを予測していた誰か。その場合は十中八九俺たちの任務を邪魔しようとしてる誰かが放ってきた刺客だと思う」
それから、不安そうな莉里奈、それぞれに慣れた武器である、クナイと、腰の刀の柄をそれぞれ握りしめる亜花と弥空。三人を順に見て、そして少しの間考える素振りを見せた後、蓮介は、どこか吹っ切れたような笑みすら見せた。
「まだそういうことがあると決まったわけじゃないけど、仮に蝦夷地に着く前に、カラクリ師の邪魔かあったなら」
消して想定外だったわけではないが、しかし実際のところは、たいてい避けれるだろうと、蓮介自身は楽観視していた。だが隠れ道まで知られているとしたら、さすがに余裕は見せられない。
「そして戦うことになったら、敵のカラクリ兵器は俺が止めるから、亜花と弥空はそこはむしろあまり警戒しないでいい。莉里奈、お前は」
一番迷ったのはそこだった。しかし他に適任もいない。
「もし俺が本当に危ないと感じた時は、まず逃げてほしい。それでお前の師のところに行って、あったことを話して」
「は、はい」
莉里奈も、それはむしろ大役なのだとちゃんと理解していた。蓮介が何かあったとして、その最後の任務を知っている自分は、状況によってはそれを引き継がなければならないかもしれない。
「それじゃ奥に行こう。二つの可能性のどちらにしても、直接的に隠れ家を見れたら、すぐに判断つくと思う」
そうして、四人は隠れ道の途中で、さらに隠されていた道の方を進んだ。
ーー
「どうも、杞憂だったな」
少し進んだところにあった、木造りの建物を確認するや、蓮介は一息ついた。
「これは、間違いなく調査人のものだ」
「なんでわかったの?」
弥空がすぐ聞く。
「ただの家だからだ。何のカラクリ仕掛けもないぞ、ただの家だ。こんなものを外に持つのは調査人くらいだから」
それで納得していいのかどうか、弥空と亜花は判断に迷うも、同じカラクリ師である莉里奈は妙に納得したようだった。
「確かに、私の知ってるカラクリ師たちはみんな、普通の家には住んでません」
そもそも彼女の師である竹沢藤治の家も、意味があるのかわからないような、"祖カラクリ"の仕掛けがいくつかあったりする訳であるし。
それから、家主が留守だという確信があったのか、それとも単にどうでもよかったのか、まるでそれが自分の家かのように、蓮介は普通に玄関を開けて、普通に中へと入っていった。
他の者たちも、特に何も言わず彼に続いた。
ーー
実際のところ、家の中には誰もいなかった。"几カラクリ"の玩具とかもなく、ただ、様々な絵や陶芸品などの芸術品の他、綺麗に棚に並べられている、いろいろな書物があった。
「留守っていうよりも、もう家主はいないのかもしれない。そうだとすると、一度取っただけで機能しなくなった隠蔽装置の説明もつくし」
十数点ほどあった、そのほとんどがどこかの海岸と、水上に飛び跳ねる様々な海生生物を描いたみたいな絵を、注意深く見ていきながら、蓮介はさらに続ける。
「一昔前の絵ばかりだ。家主が収集家だったのだとしても、ここは倉庫って感じじゃないし、普通に外国の芸術についての品を持ってきただけだったんだったら、もう少し新しいのがあっていいと思う。ここにあるのは明らかにエウロ、いや、南蛮のものだけど、最近の流行りと違ってる」
「絵も詳しいのか?」と亜花。
「俺は少し前までは、ほとんど向こうで暮らしてたからな。それで、向こうで身分の高い人にも仕えてたから。そういう人たちは、たいていが、とにかく新しい技術に触れることが好きだ」
ヨーロッパの方ではそういう時代だった。ようするに、後の世の中で水槽(アクアリウム)と呼ばれるものが開発され、そしてその影響は、目に見える世界を描く画家たちにまで及んだ。海の生物を、海上を見る目線で、飛び跳ねた瞬間を捉えるのでなく、水中生物を水中で泳いでいる姿を描くのが普通になってきていた。
「俺が世話になってた人も、それを楽しく見てたよ。あれ自体がある種の芸術品だな」
しかし、水槽に関する説明に関しては少し苦労する。莉里奈だけだったら、そのまま、西の方の外国では最近"シズク"、つまりは、水域から水塊を収集できる四角いカラクリ装置みたいなものが開発されたとだけ言えばいいのかもしれないが、亜花や弥空にわかるように説明するのは厄介だ。
「それは透明の箱みたいなので、すいせ」と、少しずつ丁寧に説明しようとした蓮介だったが、急に止まってしまう。
「な、ひっ」
日本では珍しいガラスの窓、すぐ近くのそれが、何かで叩かれたかのように割れたことで、莉里奈は悲鳴を上げる。
「何?」
「何だ?」
身構える弥空と亜花。
「えっと、ごめん、みんな」
ほぼガラスのなくなった窓から、外に手を出そうとしたが、かなり寸前でやめた蓮介
「杞憂、じゃなかったみたいだ。確かにここは、俺たちの邪魔をしそうな誰かとは関係のない隠れ家だったと思う。だけど、俺たちを邪魔しようとする誰かは、その関係のなかった隠れ家を利用した。たぶん閉じ込められた」
まだ推測ではあるが、かなりそうだという自信も蓮介にはあった。ただ彼にも、全然わからないことがあった。
「誰かが外で見張ってるんですか?」
莉里奈が聞いた。
「違う、多分、何かがはられてるんだ」
それが何か推測もできない。ただ何かがあった。よく見てみたら、家を囲むように景色が微妙に霞んでいる。つまりは何か、視覚的に見えにくいものに家は囲まれてしまっているようだったのだ。
「弥空、待て」
彼の剣術は防御に優れている。どのような危険かわからなかった彼が、勢いよく飛び出す可能性は簡単に予想できたから、そうしようと彼が考えたのとほとんど同時くらいに、蓮介は止めることもできた。
「多分誰かがすぐ外にいるとかじゃない。いるんだとしたら、ここに来るまでに気づけてたろうし」
そして蓮介は、棚から本を一冊とって、内容を確認するためか、適当にいくらかの頁を流し読みしてから、それを窓から外に、勢いよく投げた。
「は、い?」とすっとんきょうな声を出したのは莉里奈だけだが、驚きは蓮介も含めて同じようなものだった。
本は、景色を微妙に霞ませている何かに触れるか、あるいは通過した瞬間だろう、投げられた時の勢いを弱めると同時に、勢いよく火に包まれてしまったのだ。
「こんなこと、ありえないけど」
しかし目の前で起きた現象から、ようやく何者かが自分たちに仕掛けた罠の正体を、蓮介は理解することができた。
「あ、
「カラクリなのか? これも、お前たちの」
弥空と亜花の問いに、蓮介が何と答えるか、莉里奈も注目する。彼女にも、それがいったいどのようなテクノロジーの産物なのか、まるでわからなかったから。
「他に考えられないってだけの話だから。これは」
しかしなんと言うべきなのか、自分の国の言語でどのように言うべきなのかはわからなかったから、彼はそのまま、思いついた名称を口にした。
「エネルギーシールド(Energyshield)だと思う」
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