耳なし芳一バリエーションのひとつ(巻第四「耳きれうんいちが事」)

 信濃国は善光寺の寺内に比丘尼寺があった。

 越後国のという座頭は、この比丘尼寺に常日頃から出入りしていた。


 ある時、うんいちは病に臥せた。半年ほどで少し快復したので久しぶりに比丘尼寺を訪れると、主の老尼が出てきて、

「うんいち、久しぶりであるな。どうして突然来なくなったのですか」

と問えば、

「しばらく患いついて、臥せておりまして、お伺いできませんでした」

 そうこうするうち、日も暮れたので、

「うんいちは客殿にお泊りなさい」

 老尼はそのように勧めて、自室へと入っていった。


 この比丘尼寺の弟子たちの中に、三十日ほど前に身罷った慶淳けいしゅんという比丘尼がいた。

 その慶淳が、うんいちの寝室に現れた。

「お久しぶりですね。さあ、我々の寮へお連れいたしましょう」

 うんいちは慶淳が死者とも知らず、連れられるままになっていたが、

「御一人のお部屋に参ることは、さすがに憚られますので、遠慮させていただきます」

「いえいえ、何も遠慮なさることはございませんよ」

 そう云い、ぜひにと、慶淳はうんいちの手を引き、部屋に連れ込むと寮の戸を内側から固く鎖した。

 翌日はそのままうんいちを外にも出さず、そのまま日が暮れた。


 うんいちは心詰まりで、

「どうしようか」

と思いながらも、することも特にない。

 明月のもと、行持の鐘の音が聞こえてくると、

「経師に会って参りますので、私が戻ってくるまで決して外には出ないように。いいですね」

 そう云い含めると慶淳は部屋から出ていった。

 サテ、どうやって外に出ようかと思ったうんいちであったが、周囲を探りまわっても、どこも厳しく鎖してあり、閉じ込められ、出ることはできなかった。

 夜が明けると、慶淳が戻って来た。


 そうこうすること、二夜が過ぎた。

 その間は飲まず食わずだったので、困惑のあまり、三日目の暁、行持のために他の人々が出てきているうちに、部屋の戸を荒々しく叩き、外を呼べば、寺中の者が集まり、戸を蹴破ったので、やっと出られた。

「これまでどこに行っていたのだ」

 そう尋ねられると、

「ずっとこの部屋にいました」

と答えたうんいちは、肉は削げて少しもなく、骨と皮ばかりの、なんとも恐ろしい姿となっていた。

「なんとまあ、どうしたのだ」

「実はしかじかのことがございまして」

 うんいちはいかにも疲れた声で、息を吐き吐き、仔細を語った。

「慶淳は三十日ほど前に身罷ったのだが」

 そう云われてうんいちは、なお一層、背筋の凍る思いがした。


 慶淳の弔いのため、そしてうんいちに憑いた怨念を晴らすため、寺中の人々が寄り集まって、百万遍の念仏を修した。

 各々が鉦を打ち鳴らし、誦経していると、どこからともなく慶淳が姿を現し、うんいちの膝を枕にして寝始めた。

 念仏の功力によって、慶淳はぐっすりと眠り、正体もない様子。

 その隙にうんいちは膝を外して抜け出すと、

「早う、国へお帰りなさい」

 そう云われ、用意された馬に乗せられると国元へ送り返された。


 道中、身の毛がよだち、後から取り付かれているような思いがして、進み続けるのが苦しくなってきたので、近くの寺に立ち寄り、その長老にうんいちは頼み込んだ。

「しかじかの事がありまして、平にお頼み申します」

「さらば」

 そう云って長老は有験の僧を数多集め、うんいちの全身に尊勝陀羅尼を書き込むと、仏壇の間に置いてやった。


 そうしていると、慶淳がいかにも凄まじい姿で寺にやって来た。

「うんいちを出せ、出せ、出せ」

 声高に叫びながら走り回り、うんいちを見つけると、

「あらあ、かわいそうに、うんいちは石になってしまったのね」

 そう云って身体を撫で回す。

「あら、あらあらあらあら、ここにうんいちの切れ端が残っているわ」

 慶淳は、陀羅尼をわずかに書き忘れていたうんいちの耳を引きちぎって、帰っていった。


 サテ、辛くも命が助かったうんいちは本国へ帰ることができたが、『耳きれうんいち』と呼ばれ、年老いるまで越後国に在ったという。

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