No.11 狂い竜エルガディオ討伐作戦 作者:日比野響 さん

 ◆Sequence.01『指令』


 団長室のドアをノックする。

「入れ」という低い声で許可が出たので、「失礼します」と断りをいれてからドアを開けた。

 煙草の臭いが、つんと鼻を突く。

 決して広くはない団長室は、執務用の机だけで部屋のスペースの半分は占領されていた。

 椅子に腰かけるゲオルグ団長の前に立ち、机を挟んで向かい合う。

 団長の背後の窓から差し込む西日が、少し眩しかった。 

「――昨日、正式に我が騎士団に対し、〈狂い竜〉エルガディオの討伐指令が降りてきた」

 ゲオルグ団長は、私に対して、前置きをすることなく、そう切り出した。重々しい口調だった。

 私は頷くと、団長の次の言葉を待った。

「首尾はどうだ」団長が尋ねてくる。

「はい。作戦の調整、物資の調達、特別訓練、すべて順調です」私は答える。「早ければ、三日後にも決行できます」

「そうか」

 団長は、そういうと、座っている椅子にもたれかかり、大きく息を吐き出した。

 エルガディオによる被害が最初に報告されたのが、約三か月前。

 それから、魔剣騎士団はすぐさま対応の調整を進めていた。

 表向きは王命が無ければ動くことはできないが、竜種が暴れ、それによる人的被害が発生したのであれば、対応は騎士団が行うことになるのは目に見えていたからだ。竜種を神格化する議会の人間たちも、流石に無視することのできない段階へ突入している。

 ゆえに、秘密裏にではあるが、以前から団長の命を受け、竜討伐の準備を進めて来ていた。

 準備は、竜殺しの装備の調達や兵器の開発。作戦の立案並びに検討と問題点の修正。臨時討伐隊の編成・訓練など多岐にわたる。

 予想通り、討伐指令の発令までは時間が掛かったが、その分しっかりと対策はできている。誇張ではなく、三日あれば作戦実行は可能であった。

 団長はしばらくの間、じっと、どこか遠くを見つめていた。

 そうしてから、また、何かを押し殺すような声で、喋り出した。

「では、本作戦の実行も、予定通り、ヴィンセント――五番隊の隊長である、君が指揮を取れ」

「はい」

「決行は、本日より一週間後。作戦参加予定の団員には、明後日から三日間、特別休暇を取らせろ。シフトの調整はできるか?」

「問題ありません」

「そうか」

 そこで団長は、机の引き出しを開けた。ケースから、葉巻を取り出す。一本咥えると、手馴れた様子で火を点ける。

「やるか?」

 私にも、葉巻を一本差し出した。丁重に断る。煙草は、騎士団では禁止されている。団長も、現場に居た頃には喫煙の習慣は無かったはずだ。

 彼が管理職になってから変わったのは、煙草だけではない。酒量も、明らかに増えていた。上に行くに従い、縋る物が必要になってくるのだろう。きっと、自身の膂力だけを拠り所にしていられる立場ではないのだから。

「ヴィンセント、いくつだ?」団長が、紫煙と共に質問を吐いた。

「と、いいますと?」

「年齢だよ。何歳になった」

「二十七です」

「家族は――、いないんだったな」

「はい」

 父親も、母親も、物心が付いたときにはいなかった。もちろん、兄弟も。

「恋人もか?」

「言ってませんでしたか。おりません」

 三年前までは、いた。私とはどう考えても吊り合いの取れていない、素敵な女性だった。今後の人生は、ずっと、彼女の為に生きよう。そう思っていた。

 だが、彼女は死んだ。それで私は、ひとりになった。

 だから――、

「てっきり、天涯孤独だから、白羽の矢が立ったのかと思いましたよ」私は言った。

「莫迦な」団長は首を振った。「それだけで、ドラゴン退治の大役を任せるわけがないだろう。お前なら任務を遂行できる。そう判断したから、選んだんだ。実力だよ」

「光栄です」

「友人はいるんだろう」

「それはまあ、そうですが」

「挨拶をして回れ。お前も休暇だ」

「いえ、それは……。通常業務もありますし」

「それくらい副隊長に投げろ。人を管理する仕事も他人に投げられるようになれ」

「通常業務が免除になるのはありがたいですが……。時間ができるのならば、やりたいことがあります」

「やりたいこと?」

「竜退治の確率を、少しでもあげておきたいのです」

「作戦準備以外のことで、か?」

「そうですね。団長も気になっているのではないですか?」

 団長は、そこで葉巻を咥え、さらに一口煙を味わった。

「『動機』か――?」

 私は頷いた。

「そうです。〈慈愛の竜〉がなぜ〈狂い竜〉になったのか。私はそれが、どうしてもひっかかるんです」

 エルガディオはそもそも〈狂い竜〉などと呼ばれてはいなかったし、人に仇を為すこともなかった。

 いや、むしろ逆であった。

 驚くべきことに、エルガディオは人間と友好的ですらあったのだ。

 ドラゴン族――竜種は、その生命としてのあまりの強さからか、群れるということをしない。常に世俗から離れ、超越した存在として、人知れず、静かに暮らしている。

 人間――エルフやドワーフなどの亜人もひっくるめて――とは、関係性を持つことはない。それはもちろん、友好関係を築くという意味合いでもそうだが、敵対することもない。そもそも、そういう対象にならないほど、生命として隔絶しているのである。

 無論、「竜殺し」の名声や、その躰の希少性を求めて、竜を斃そうとする人間に攻撃をされれば話は別だが、そうでなければ、竜が意志を持って人間を攻撃することは――数少ない例外を除いて――無いと言っていい。

 そんな竜種の中でも、エルガディオはかなりの「変わり者」であった。彼は、王国南部のレトゥエ山に棲んでいたが、その山の近くにある村の人間たちと交流があったのだ。

 もう数百年以上、エルガディオはレトゥエ山を棲家とし、人と話し、人を助けてきた。現実に永い間守護られてきたレトゥエ村では、王都とは比べ物にならないほど竜信仰が根付いていたそうだ。

 しかし、今から約半年前、竜は、自らの棲む山への立ち入りを禁止する。理由は不明。誰にも説明されることはなかったが、それでも、村人たちがその禁を犯すことはなかったらしい。

 そして、その三か月後、竜はレトゥエ村を焼き尽くす。

 今まで永い間守ってきた村を、自らの手で滅ぼしたのだ。守り神の凶行に、村の九割が犠牲となった。

 そして、そこからは堰を切ったように、エルガディオは虐殺を繰り返す、破壊の化身と成り果てた。村、街、砦、城。周囲一帯の目に付く集落を、手当たり次第に燃やし始めたのだ。


「いままでずっと人と共に生きていた存在が、なぜ、今、このタイミングで、人を襲うようになったのか。私は、それが気になっているんです」

「そうだな……」団長は、煙を吐いた。「あまりそこにこだわりすぎるのも良くはないと思うがな――所詮は我々人間とは違う生き物だ。言葉が通じるとはいえ、本当のところで理解しあえているとは限らない。仮に直接話を聞けたとしても、我々ではまったく共感できない動機かもしれんぞ」

「仮に、そうであるならば、問題はありません」

「――ならば、何を危惧している?」

「例えば、〈精神汚染〉。何者かが、竜を意図的に『狂わせている』のだとしたら。今回の作戦は、竜が知性を持って対応することを想定してます。思考能力すら奪われていたら、前提が変わってきてしまう」

「竜は軒並み外れた魔術抵抗を持つ神話生物だ。それを打ち破れる魔術師がいるとは思えんが」

「私も、可能性は低いと思います。ですが、今までいなかったことを根拠に、想定から外すのは早計かと。魔術以外の外的要因が絡んでいるケースもあるかもしれません」

「ふむ――」

 団長はしばらく沈黙していたが、やがて、葉巻の火を消すと、椅子の背もたれに背中を預けるようにして、口を開いた。

「わかった。たしかに、あらゆる可能性を検討しておくべきではあるしな。それに、命を賭けているのはお前だ。今回の竜害被害の関係者への事情聴取の申請を、出しておこう」

「ありがとうございます」

 私は、礼を言った。







◆Sequence.02『聴取』


 ○シド・ララギ――レトゥエ村の生き残り

 

 団長からもらった情報によると、レトゥエ村――一番最初にエルガディオによって焼き払われた――永き時代を竜と共に生きてきたあの村――の生き残りの一人が、王都のスラムにいるということだったので、訪ねることにした。

 王都をぐるりと取り囲む、城壁によって日の当たることが無いエリア。木造の住宅が、限られたスペースに幾重にも重なるように建築されている、その一角に、シドの家があった。

 ドアを叩くと、中から一人の老人が顔を出した。

 真っ白な髪。彼の顔は右半分が隠れるほどに、包帯が巻かれていた。

 名乗ると、露骨に不審そうな顔をしたが、魔剣騎士団に所属していることと、エルガディオの討伐指令が出て、その任に私が就いたことを伝えると、目の色を変えた。

 彼の家に案内される。

 一部屋だけの家だ。最低限の家具しか置かれていなかった。

「お茶も用意できませんで、申し訳ありません」シドが言った。

「いえ、気にしないでください」

「ところで、本当なのですか、その、エルガディオ――の討伐に、騎士団が動くというのは」

「事実です。私はその『調査』のために、今回、シドさんにお話を伺いに来ました」

「調査?」

「はい。なぜ、あの竜、エルガディオが人を襲うようになったのか、その原因に心当たりはありませんか?」

 シドは、目を瞑り、腕を組んでうなった。

「ひとつ……、奇妙な事はありました」

「奇妙な事、ですか」

「あの事件が起こる三カ月ほど前、でしょうか。急に、エルガディオ様が、レトゥエ山への立ち入りを禁止したのです」

「その報告は聞いていました。いったいどうして竜がそんなことを言い出したのか、心あたりはありますか?」

「わかりません。理由も教えてはもらえませんでしたし、いままでそんなことは一度もありませんでしたから。もちろん、村の者がその禁を破ったとは思いたくありません。ですが、あの日、村を焼かれたことを考えると、もしかしたら――」

「こっそり山へ侵入した者がいた――かもしれない、と?」

「ええ、そうですね。それくらいの理由がなければ、エルガディオ様が人間に牙を剥くとは……、そんな、……そんな、こと――」

 老人は、静かに涙を流す。私は、彼が落ち着くまで、黙って待っていた。

「すいません。お恥ずかしいところをお見せしました」シドが頭を下げる。

「いえ、こちらこそ、辛い事を思い出させてしまい、申し訳ございません」

「私の孫も、子供も、あの日に死にました。生きながらにして、炎に焼かれたのです。老いぼれだけが生き残ってしまった……」

「その日に、竜は何か『念話』で話しかけてきましたか? 約束を違えたことに関して、怒っている様子はありましたか?」

「いえ……。何も言うことなく、ただ空からずっと、炎に逃げ惑う私たちを見下ろしているだけでした……」

「そうですか……そうすると、最後にエルガディオと話したのは、入山禁止が出る前になりますか」

「ええ――そういえば、村の者ではありませんが、禁止令が出る直前に、エルガディオ様と話した者がおります。その者と面会した翌日ですかね。エルガディオ様が入山禁止を言い出したのは」

「――本当ですか? その方の名前はわかりますか?」

「はい、結構な有名人でしたので。たしか、名前は――」



 ○〈天使の声〉ディース――吟遊詩人


「竜と何を話していたか?」

 王都の大衆酒場に、その男は居た。〈天使の声〉の二つ名を持つ、希代の吟遊詩人。ディースというのが、彼の名前だった。

「話してもいいけど、なんでそんなことに、天下の魔剣騎士団の方が興味を持ったのかな」

 彼の声は、甘い酒のような、蠱惑的な響きを含んでいた。

 私は、経緯を説明する。

 ディースは私の話を、グラスを傾けながら静かに聞いていた。

 肩口まで伸ばされた、金色の髪が、彼が相槌を打つたびに、柔らかく揺れる。酒に酔った男たちの喧騒に支配された酒場の中でも、彼の周囲だけは、まるで音が吸われているように静かに感じられた。

「なるほど」私が話し終えると、ディースは微笑んだ。「つまり貴方は、俺が何か竜を怒らせるようなことを言った、そう疑っているわけだね」

「あるいは、精神を操作する――それに類する魔術を用いたのではないか」

 私の言葉に、ディースはその宝石のような蒼い瞳を、丸くしてみせる。

「まさか。俺に魔法の才はないよ。俺に使える魔法は――」ディースは芝居がかった仕草で、隣の椅子に立てかけたリュートの弦を弾いた。「『これ』だけだ」 

「何を話したか、憶えているか?」

「そうだな……、まあ、まずは普通に演奏かな。そういう話だったから」

「そうなのか?」

「そう。エルガディオって音楽が――というより、芸術作品全般が、かな――好きみたいだよ。そもそも俺がレトゥエ村に行ったのも、そこの村長に依頼されたからだし」

「芸術を好む、竜……」

「意外だよね。言葉を話すっていうのは聞いてたけど、まさかそんな趣味まであるとはさ。俺も、竜に演奏を聴かせた経験はなかったから、面白いなって思って、二つ返事で引き受けたんだけど」

「何を演奏したんだ?」

「あー、『白百合の丘』『シャルム家の騒動』『紅平原』かな」

「――――」

「その反応、さては知らないな?」

「不勉強ですまない」

「一応有名な奴ばっかなんだけどなー、そんなんだとモテないよ?」

「……どんな内容なんだ?」

「んー、簡単に説明すると、『白百合の丘』は敵対する貴族同士の悲恋。『シャルム家の騒動』はある商会を舞台にした喜劇。『紅平原』は名前の通り、百年前の【紅平原の戦い】を題材にした戦記物だよ」

「竜殺しの詩はないんだな」

「さすがに竜の前で竜殺しを歌うほど、命知らずじゃあないなあ」ディースはグラスを空にした。「それにさあ、俺の訪問から、〈慈愛の竜〉が人間に牙を剥くまで、半年ぐらい間が空いてるんでしょ? もし俺が怒らせたんだとしたら、まず最初に俺が殺されてると思うんだけど」

「怒らせたとは思ってないさ――。ただ、そうだな……。何か変な様子はなかったか?」

「そう言われても、俺は普段のエルガディオを知らないしな」

「演奏したら、そのまま帰ったのか?」

「いや、凄い気に入られたっぽくて、お酒を振る舞われたよ。――ああ、先に言っておくけど、酒の席でも特に失礼なことは口走ってない……はず」

「どんなことを話したか、憶えているか?」

「うーん、いや、お酒が凄い美味しくて、ガバガバ飲んじゃったから詳しいところまでは憶えてないけど、……たぶん創作論の話だったと思う」

「創作論? 自分でも曲を作るのか」

「音楽だけじゃなくて、戯曲とか、小説とかも書いてるよ。結構売れてる筈なんだけどなぁ――そう、それで、俺が作品を創るコツとか……。なんだっけな、全体の構成を意識する――とか。非劇や恋愛物が鉄板だ――とか。リアリティを持たせるために、想像じゃなくて体験や取材を重視してる――とか。当たり障りのない話だったと思うんだけどなぁ」

「そうか」

「いや、参考にならなくてごめんね」

「そうでもないさ。邪魔したな」

 私は、情報料として銀貨を一枚テーブルに置いた。ディースは苦笑する。

「お金はいらないや。その代わりさ、今度取材させてくれない」

「取材?」

「そう。『竜殺し』の取材。戦いの様子とか、聞かせてよ」

 私は、肩を竦めた。



 ○コーデリア・フェルドリース――伯爵令嬢


 医師に案内され、病室の扉を開ける。部屋には、彼女しかいない。貴族ともなれば、理術病棟の入院に際しても個室が与えられているのだ。

 一人の少女が、病室のベッドの上に座っていた。

 コーデリア・フェルドリース。

 フェルドリース伯爵家の令嬢。そして、二週間前の竜害事件の、ただひとりの生き残りだった。

 彼女が襲われた事件は、今までに起きたものと比べて、特異な点がいくつもあった。

 まず、コーデリアが襲われたのは、街の中ではない。周囲に集落のない、街道にてエルガディオの襲撃を受けたのだ。これまで、人が多く暮らす場所ばかりを狙っていたエルガディオの行動パターンとは大きく外れる。

 次に奇妙なのは、エルガディオが炎を使わなかったことだ。襲撃の際、コーデリアは父と母、それに弟と馬車に乗っていて、周囲には十五名の護衛が付いていた。彼女を除く十八名は、鏖にされていたが、現場の地面などに焦げた跡は見られなかった。つまり、「わざわざ」爪と、牙によって個別に殺したのである。火を吐けば、あっという間に全員を消し炭にできていたであろうにも関わらず――だ。

 この事実を知っている騎士団員たちの間では、ひとつの仮説が、実しやかに囁かれている。

「コーデリア嬢は、敢えて生かされたのではないか」と。

 だとすれば、いったいなぜ。

 いままで、エルガディオは、ひとりの人間に対して意図的に生き残らせるような振る舞いをしたことはなかった。運よく見過ごされた――というわけではないらしい。現場を発見した者の報告によれば、コーデリアは街道の中心で意識を失っており、周囲には死体が散乱していた。あの状況で、彼女だけを見落とすというのは、考え辛いとのことだった。

 他の人間には見せない対応を、エルガディオがした理由。そこに、もしかしたら今回の一連の竜害の原因――ひいては、エルガディオ攻略の鍵があるかもしれない。その可能性にかけて、以前より、面会申請をしていたのだ。

 コーデリアの前に進み、挨拶と、時間を取ってくれたことに関する感謝の言葉を述べる。彼女の視線は、こちらに向けられていない。ただ、宙を見ていた。反応は鈍い。無理もない。一目で憔悴していることがわかる。

 以前に一度、夜会でコーデリアの事を見かける機会があった。その時は、豊かに伸ばされた鴉の濡れ羽色の髪を揺らし、花の咲いたような笑みを浮かべ、夜会の参加者たちの視線を釘付けにしていた。いま目の前に居る少女に、あの夜の華やかな雰囲気は、ひとかけらも残されていなかった。痩せこけた頬に、目の下の隈。虚ろな瞳。死人のような顔色の悪さが、見ているこちらの不安を掻きたてる。

「あの、竜を」少女は、掠れた声を出した。「あの竜を、倒してくれるんですか」

「その命令を、私は受けています」

「斃して、くれるんですか」質問を繰り返す。

 彼女が、どういった言葉を求めているのか、それがわかった。

「お約束はできません」

「…………」コーデリアの目が、初めてこちらを向いた。

「今回の作戦で討伐できる可能性は、低いです」

「そう、ですか――」

「ですが、それはあくまで、私が竜を斃す確率の話です」

「貴方、が……?」

「はい。仮に私が失敗した場合、その戦いの記録は騎士団に持ち帰られる手筈になっています。そうすれば、私の敗北の原因を分析し、対策が立てられます。そうすれば、今度は別の者が竜へ挑み――そして、その討伐の成功率は、今より高くなっているでしょう」

「…………」

「その者が敗れれば、また次の者が。その者も敗れればその次の者が――そして、いずれ、魔剣騎士団は必ず竜を斃します。それを、信じていただくことはできないでしょうか」

 しばらくの間、コーデリアは黙ったままだった。

 私も、黙って待っていた。

 彼女は、目を閉じ、静かに呼吸をする。そして、やがて、意を決したように口を開いた。

「わかりました」

 その声は、とても小さかった。しかし、確固たる決意を、私に感じさせた。

「お話させていただきます。あの、忌まわしい夜のことを――」

 そうして、コーデリアは、ゆっくりと話し始めた。







◆Sequence.03『開戦』


 遠征開始から七日後、我々討伐隊は、レトゥエ山へ到着した。エルガディオに見つからないようなルート取りをする必要があったため、通常よりも遠回りする必要があった。

 とはいえ、討伐隊が、レトゥエ山に到着した際には、エルガディオはいなかった。というよりも、先遣隊からの情報をもとに、竜が留守のタイミングで山へ侵入できるように調整を図った、といった方が正確だ。

 竜との戦いは、彼の棲む山で行う予定になっていた。いわば相手の本拠地に攻め込むようなものだ。有利とは言い難い。しかし、あえてこの選択をしたのには理由があった。単純に、竜の次の行動が読めないからだ。

 三か月前、レトゥエの村を焼いた竜は、そこから次々に人間の集落に対して襲い掛かった。無差別といってもいい。小さな村から大きな町まで見境なく、だ。傾向分析は行ったが、結局動向は判明しなかった。それこそ手当たり次第襲っているようである、と結論付けるのが精一杯なほどに。

 本来であれば、防衛戦をしかけられれば都合が良い。相手にとって不慣れな土地であるし、罠を仕掛ける時間も十分にある。しかし、それは、どこが襲われるのか分かっているのが大前提だ。襲来の傾向が掴めないならば、罠を張る何もない。せっかく万全の準備を整えていても、いつまでも相手が来ない可能性すらあるのだ。

 なので、危険性や不確定要素は増すが、確実にエルガディオの居場所が分かっている、この山を戦場に選んだ。麓の村を焼いた狂い竜だが、この場所には愛着があるのか――はたまた単なる習慣かは定かではないが――いまだにレトゥエ山を棲家にしている。どこかの村や町を焼いた後に、必ずこの山まで戻ってきて休憩をとるのだ。そこを叩く。

 竜は、どこかの村か、街を焼き、そして――。

「隊長」

 山の中。設営したキャンプ地で作戦の最終調整をしていると、頭上より声がかけられた。見上げると、ひとりの部下が降りてきた。レット・バルグレイ。着地によって、彼の鳶色の髪が、ふわりと舞う。この鉄火場であっても、笑みを絶やすことはない。どこか飄々とした印象を与える男だ。

 彼の持つ〈飛行〉の術式は、限られた者だけが持つ固有魔術だ。その気になれば、レットは重力を無視し、鳥よりも自由に、縦横無尽に空を飛び回ることもできる。もっとも、いまそんなことをすればエルガディオに見取られる懸念があるが。それでも、枝の間を縫うようにして樹上を矢のように飛べる彼は、私の隊のなかでも最も速度の出る斥候だといえる。

「竜の野郎、完全に眠りましたよ」レットが言った。

「たしかか」

「念のため、ちょいとつついてみましたがね。生躰にも霊躰にも反応はありません。完全に眠りこけています」

「そうか。事前に報告のあったパターン通りだな」

 エルガディオは、『遠征』から帰ってくると、睡眠をとる。空を飛び、街を焼き払うという行為は、竜であってもエネルギーを使うのだ。深い休息が必要なほどに。

「ってことは、あとはリザーナの方が終われば、準備完了っすね」

「ああ、時間的に、そろそろだとは思うが」

「――隊長」

 後ろから声が掛けられた。

「うわっ」レットが驚きの声を上げる。

 リザーナ・ベルベット。吃驚したのはレットだけではない。私も、声を掛けられるまで、まったく彼女の気配に気づくことができなかった。固有魔術〈遮蔽〉により、リザーナは自身が干渉しないかぎり、その存在感を限りなく薄くすることができる。究極の隠密だ。

 長い黒髪を、後ろでひとつに束ねている。切れ長の瞳。真一文字に結ばれた唇。彼女の雰囲気は、抜身の刃物を思わせる。

「指定されたポイントへの、爆破晶石の設置が完了いたしました」

「そうか。問題は?」

「ありません」

「ご苦労だった。魔力消費は?」

「〈遮蔽〉は使用しませんでしたので、ほぼ全快です」

 私は頷く。彼女の固有術式も、今回の作戦の肝のひとつだ。

「出撃準備も、完了しているようですね」

 リザーナが、キャンプ地を見渡していった。

 討伐隊七十二名。全員の準備が整っていた。耐火耐刃耐魔の特別製コートに身を包み、専用兵装〈竜穿杭〉の装備も完了している。設置式大型弩も八基、調整できていた。私の腰にある〈呪奪剣・冬枯れ〉も、獲物を待ち望み胎動しているように思えた。

 時間帯は丁度正午。エルガディオの睡眠時間は丸一日ほどになる。しかし、できれば夜は避けたい。竜の夜目は、人間のそれを遙かに凌駕するからだ。

 今を逃す手は、ない。

 それを全員がわかっているからだろう。みな、喋るのをやめて、こちらを見ている。

「まだ準備が完了していない者はいるか?」私は、全員に呼びかけた。

 ――いない。

「では、これより、狂い竜エルガディオ攻略を開始する。まず予定通り観測手のリロイとゲーニッツは――」

「ちょっと、ちょっと、隊長」

 指示を出す私を、レットが遮る。

「どうした、なにか問題があるのか」

「いや、そうじゃなくて――」レットは頭を?いた。「一世一代の大勝負ですよ? なんかこう、普通の作戦みたくぬるっと開始するの、もったいなくないっすか?」

「なんだそれは」

「いや、ほら、こういう時って、隊長がなんか熱く激励したり演説したりして、部隊の指揮をあげたりするもんじゃないですか」

「私はそんなことをしたことはないが」

「そりゃあ、ヴィンセント隊長はそうでしょうけど」

「他の部隊だとするのか」

「いやあ、そういう訳じゃ……」

 しどろもどろになるレット。彼の主張がいまいち掴めないでいると、リザーナが助け船を出してきた。

「レットはおそらく歌劇や小説などの話をしているのではないでしょうか」彼女は、長い髪をかき上げる。「たとえば……、『紅平原』のクライマックスでは、レオル将軍を演じる役者が、五分間にわたり味方の軍を鼓舞するシーンなどがあります」

「そうなのか」

「そう、それが言いたかったのよ!」レットが横手を打つ。「さっすがリザーナちゃん、話がわかる!」

「だが今回の作戦は、別に歌劇じゃない、それはわかるな?」

「はい……」注意され、レットは元気がなくなった。

 しかし、どうやら期待しているのはレットだけではないようだった。周囲を確認すると、レットほどあからさまではないが、少しがっかりした様子の隊員たちが見て取れる。

 私は、大きく溜息を吐き出した。

「……わかった」

「え?」

「最後かもしれないからな、皆に言っておこう。私は役者ではないから、あまり綺麗な科白は期待してくれるなよ」

 そう切り出すと、七十一人全員の視線が、集まるのを感じた。

「まずは、君たちには礼を言いたい。この成功率が低い討伐作戦に志願してくれた者、そして、辞退することも出来たのに、ついて来てくれた者。ここに居る全員に――だ。ありがとう」

 レットが、照れくさそうに頬を掻いた。リザーナの口許が、ほんのわずかに緩んだ。

「我々は、今日、ここで死ぬ」

 私は、そう口にする。部隊の表情が、少しだけ硬くなる。

「それは、おそらく確実だ。竜を、ただ一度の挑戦で、倒せるとは思っていない。それは、皆も、わかっていてくれると思う」

 竜の討伐は、それほど困難だ。

「だが、それは敗北ではない。失敗ではない。私たちの遺志を継ぎ、次の者がより成功率を高める。もし、次の者が敗れても、その次の者が――。次の戦いの為に、その次の戦いの為に。そして、最後はエルガディオを討ち果たす」

 コーデリアにも語った事だ。私はそれを、信じている。嘘偽りのない、私の本心だ。

「その最初の一歩が我々だ。君たちは、たぶん、自分の命よりも大切な、守りたい物があり、守りたい人がいる。だから、この作戦に参加してきてくれたのだろう。その目的は果たされる。エルガディオ討伐の道のりは遠い。距離までは知れない。だが、我々という踏み出した一歩の方位は、絶対に間違いではない。だから、いつかは辿りつく。それを信じて、それを誇りに思って、あと少しだけ、ついて来て欲しい」

 そんなに長く話すつもりはなかった。だが、喋れば喋るほど、伝えたいこと、言っておきたいことが、どんどんと増えていく。

「皆、この作戦に命を賭けてくれるか?」

 私がそう言うと、レットが、リザーナが、リロイが、ゲーニッツが、部隊の全員が、同時に、敬礼をしてみせた。なんだか、出来過ぎているようにも思えたが、悪い気はしなかった。

「ありがとう」

 私は、腰に佩いた魔剣に手を添える。そして、全員の顔を見渡してから、口を開いた。

 

「それでは――、狂い竜エルガディオ討伐作戦を、開始する」







 ◆Sequence.04『動機』


「隊長……あのクソったれは倒せましたか……?」

 私の足元で、レットが呻いている。

 口の端から血の泡を吹き、その全身は――返り血ではない、己自身の赤黒い血汐で――染め上げられていた。

 否。

 全身というのは語弊がある。

 なぜなら、彼の体は、下半身がそっくりそのままなくなってしまっているからだ。ちょうど臍のあたりで、レットの身体は真っ二つになってしまっている。

 主を失った下半身は、少し先の地面に転がっていた。

 それだけの傷を負いながら死んでいない。

 だが、それも、「今はまだ」という話でしかない。

 そう時間は経たず、彼のもとには死が訪れるだろう。修復限界を遥に超えたダメージ。致命傷だ。ここまでの傷は、いかに治癒術師といえど癒すことはできない。

 普通の人間であれば、とっくに死んでしまっている。

 だが、レットの魔法騎士としての優秀さが、死を許さなかった。彼の身体は自分のダメージに反応して反射的に〈自己再生〉の術式を発動してしまっている。それが、かろうじて彼を生につなぎとめているのだ。

 だが、傷が大きすぎる。再生などは望むべくもない。彼の術式は、間近に迫った死神の歩みを鈍らせる程度の効果しかなかった。

 私は、レットの頭のそばに屈みこみ、抱き起こすように、持ち上げてやる。下半身のない彼の身体は、驚くほど軽かった。

「エルガディオは倒した。終わったよ」

「……隊長?」

 良く耳も聞こえていないのか、焦点の合わない眸をさまよわせる。

 私は、もう一度同じ内容を、音量を上げ、叫ぶように彼の耳元で伝えた。

 私の言葉が届いたらしく、レットは穏やかな笑みを、血と泥で汚れた顔に浮かべた。

 荒い呼吸が、徐々に静かになっていく。落ち着いているのではない。息を吸ったり吐いたりするだけの力が、もうないのだ。

「……隊長」

「なんだ」

「――――」

「レット?」

「」

 レットの言葉を待った。

 しかし、彼が唇を動かすことは二度となかった。

 彼の身体から、力が抜けるのがわかった。

 中空をぼんやりと見つめたまま、呼吸が止まった。

 〈自己再生〉の術式が切れたため、彼の腹から血と内臓が零れ落ちた。それが、私の靴を汚した。

 私は、レットの目を閉じさせると、仰向けに地面に横たえた。


 討伐作戦参加人数――七十二名。

 内五十一名――死亡。


 目を閉じる。

 敏感になった嗅覚で感じる、血と、臓腑の香り。

 焼け焦げた肉の臭い。

 怪我をした団員たちの、苦しげな呻き声が聞こえる。

 勝利を喜ぶ声は無い。

 生き残った者たちも、何かから解放されたかのように、呆然としているのがわかった。

 足音。

「ヴィンセント隊長」

 目を開ける。

 私の前に、リザーナが立っていた。彼女には、竜の骸の検分を指示していた。

「どうした」

「来てください。竜はまだ、生きています」


 リザーナに連れられ、エルガディオの前へ向かう。

 大きい。何度見ても、慣れることはない。倒れ伏し、地面に横たわっているいまの状況でも、まるで砦のような存在感を放っている。

 乱食い牙の一本一本が、成人男性の背丈ぐらいはあるだろう。

 暴虐と戮殺の限りを尽くした破壊の化身は――しかし今は死の淵にいた。

 崩れた崖や瓦礫の下敷きになっており、身動きはできない。

 空を飛ぶための翼は、鋼綱の付いた矢が貫いており、動かすことはできない。

 全身に回った壊毒が、生きながらにして内側から腐食させている。

 そして、片目を潰すように突き立てられた〈呪奪剣・冬枯れ〉が、竜の体内の魔素を根こそぎ吸い上げ、空気中へと拡散させている。

 近づくにつれ、酷い腐臭が鼻をついた。

 エルガディオの身体の、穴と言う穴から、どす黒い血液が流れ出ている。

 ぴくりとも動かない。傍目には、もう、死んでいるように見える。

「生きているのか」私は、リザーナに確認する。

「はい。仮死状態とでもいうのでしょうか。ほとんど死んでいますが、まだ少しだけ生きています。検分の際に、『念話』によるコミュニケーションを図ってきました」

「……そうか」

「とはいえ、完全に死滅するのも時間の問題だとは思いますが」

 しかし、生きているのならば危険はあるだろう。万が一、ということもある。私は、〈竜穿杭〉を構え、トドメを刺そうと、エルガディオに歩み寄った。

〈――人間よ〉

 声が、聞こえた。空気の振動ではない、頭の中に直接意味を叩きこまれるような、妙な感覚だった。念話だ。

〈其方が、私を討ち滅ぼした英雄か。名前は、なんという〉

 迷った。答えるべきか、否か。

 しかし、この狂える竜を敬う気持ちが心のどこかにあったらしい。千年の時を生きたドラゴンに対する畏敬の念が、私の口を滑らせた。

「ヴィンセント」

〈良い名だ――〉

 リザーナが、ちらりとこちらを見やる。私は、彼女の視線を感じながら、口を開いた。

「エルガディオよ、狂える竜よ、ひとつ訊いてもいいか」

〈いいだろう。敗者の義務として、偽りなく真実を答えることを約束しよう〉

「いったい、なぜ、人を殺す」

 それは、戦いの前から、ずっと気になっていたことだった。

「いままで永い間、ずっと人と共に過ごしてきたと聞く。その筈だ。だがなぜ、急に、いまになって人間たちを殺すようになったのだ」

〈――――〉

「最初は、精神汚染によって狂わされたのかと疑った。しかし、どうも、そういうわけではないらしいことはわかる。だとしたら、なぜ」

 私の問いに、竜はしばらく沈黙を保っていた。

 余りにも沈黙が長く、答える前に息絶えたのかと思ったが、やがて思念が頭の中に流れ込んできた。

〈いいだろう。恥ずべき理由ゆえ、冥府へ持っていこうかとも思っていたが、約束だ。すべてを話そう。時間が許す限り〉

 

〈きっかけは、いつだったか。いまはもう憶えていないが、たしかに、私は人間たちと永き時を共に暮らしてきた。誤解をしているかもしれないが、私は人間が好きだ。今も変わっていない。人間が、憎くなったり、嫌いになったりして、殺したわけではない。ある種、尊敬の念を抱いているともいえる。そうだ。私は、人間に、憧れていた。たしかに、寿命は短く、力も弱く、魔力も弱い。しかし、その生き方は、一瞬一瞬を生きていくその生きざまは、永遠を生きる私が持ちえることのない輝きがあった。人間を近くで見ているうちに、話をするようになり、いつしか私は、腰を据え、彼らと交流をするようになった。この山に棲み、麓の村の者と語らいをする。彼らは私を敬い、私は彼らに恩寵を与えるようになった。もう、何百年も前のことだ。

 人間たちの創り出すもののなかで、特に私の心を惹いたのは『芸術』と呼ばれるものだ。最初は、素朴なものであった。私に対して敬意を示すために、単純な音の連なりとリズムで舞を踊っていた。今の基準からすると、児戯にも等しい芸術ではあろうが、燃え盛る炎を中心として、喉を震わせ太鼓を叩きながらひょこひょこと身体を動かす様子は、私の心を不思議と揺さぶるものだった。

 それから長い時間をかけて、芸術は進化していった。打楽器以外の道具を使い音を鳴らすようになり、メロディの調和などの技術の発展も進んでいった。音楽だけではない。絵や、物語、そういったものも、凄まじい速度で洗練されていった。人々は私を退屈させぬよう、キャンバスに描いた絵や、楽団、吟遊詩人などを呼び、楽しませてくれた。現に、私は飽きることなく、それらを堪能していた。

 特に好きだったのは、『物語』だ。最初は、口伝によって吟遊詩人たちが音楽に乗せて唄うような、単純な英雄譚が主であった。だが、活版印刷の技術が確立されるにつれ、様々な物語が、正確に伝播してくようになったのだ。分量は増え、奥深い設定に、張り巡らされた伏線、そういったものが使えるようになった。よく王都で出版された本を土産に買ってきた村の者に、読み聞かせをせがんだものだ。

 幾つもの楽器の組み合わせで、聴いた者を陶酔させる音楽。画材や技術の進化により、観た者を釘付けにさせる絵画。さまざまにジャンルを開拓し、読んだ者の想像を掻きたてる物語。そうして人間たちの芸術を楽しむうちに、私のなかに、いつからか、ある『思い』が芽生えてきたのだ。

「私も、何かを創造してみたい」と――。

 始めのうちは、それは、かすかな、寝て起きれば忘れてしまう程度の、気の迷いのようなものだったのかもしれない。だが、人間たちの作る芸術に耽溺し続けるうちに、やがて、その気持ちは、無視できないほど大きくなっていった。自分にも、何か、素晴らしいものが作れるのではないか。いや、作ってみたい。その渇きにも似た衝動は、日に日に強くなっていった。

 だが、少し考えてみれば、それは、叶えることのできない望みであると解る。私には、楽器を操ることもできなければ、歌を唄うこともできない――『念話』は、ただ意味と意志を伝えるだけの道具に過ぎないからだ。そして、筆を握れない私には、絵を描くこともできない。岩にひっかき傷をつけるぐらいがせいぜいだ。本を書くことなど、当然不可能だ。そもそも本を読むことも、誰か別の人間に頼まなくてはならないのだから。

 だから、私は、その気持ちに蓋をすることにした。できないのだから、望まない。皮肉であった。人間に崇められ、空を飛び、誰よりも力を持っているはずの私が、『我慢』をしなければならないのだ。それは、飢えのような感覚だった。地面に枝で落書きをする子供ですら、私の嫉妬の対象になった。そうだ。嗤ってもらってかまわない。私が、あろうことか、竜であるこの私が、「人間になりたい」などと、本気で思ったこともあったのだ。とんだ、笑い話ではあったが――。

 転機が訪れたのは、そう、半年前か。ひとりの吟遊詩人が私の許へ訪ねてきた。ディースという名の、素晴らしい腕を持つ吟遊詩人だった。私が今まで見てきたなかでも、一番の男だった。文句なしの天才だ。その才に惹かれたのか、私は、素晴らしい演奏の後、酒を飲ませながら、いまの自分が抱える悩みを話してみせた。思えば、数百年人とともに過ごしてきた私だが、人間に対して自身の弱みを見せたのは、あれが初めてだったかもしれない。

 ディースは、私の悩みを黙って最後まで聞いた後に、事も無げに言って見せた。「じゃあ、作ってみればいい」と。この男は、私の話を聞いていたのか、酒を飲ませ過ぎたんじゃあないかと不安に思ったが、彼が言うには「紙が普及する前は、人は物語を頭の中で完結させていた」とのことだった。そうだ。物語は今や本に保存されているが、たしかに、昔の吟遊詩人は戯曲を諳んじていたし、教訓を含めた昔話は、口伝により継承されていた。

 盲点だった。私は、創造行為はなにかしらの『かたち』あるものを作ることだと思い込んでいたのだ。言われてみれば、なんて簡単なことだろう。物語そのものは、かたちがあるわけではない。かたちの無い物でも、作り出すことはできる。単純だが、その真実は私にとっての光だった。自分でも、何かを作ることができる。その興奮のあまり、思わず火を噴きそうになったほどだ。

 そのあと、ディースから創作論を訊き出した。『非劇・恋愛・戦記』のウケがいいこと。リアリティが何より重要であること。そして、最後に、もし作品ができあがったら、最初に彼を呼び、物語を披露する――そう約束をして、私たちは別れた。

 その後、私は山に籠り、物語を考え続けた。集中したかったので、麓の村へは山への立ち入りを禁止し、そして、朝も昼も夜も、考え続けたのだ。

 だが――そう。

 そうだ。

 できなかった。

 私には、物語を作ることができなかった。

 完成しなかった。

 ああ、そうだ。

 ひとつたりとも。

 ひとつたりとも、だ。

 それは、『物語』と呼ぶのも憚られるほど稚拙で、退屈で、支離滅裂な、ただの言葉の連なりにしかならなかった。

 衝撃だった。そう、衝撃だ。

 私は自負があった。いままで、長い間、様々な、数えきれないほどの芸術を見てきていたのだ。傑作もあれば、駄作もあった。沢山の芸術作品に触れて来ていた自分が、作品を作れないはずがない、と。根拠の乏しい自信があった。今まで作ったことはないが、できないはずがない、と。漠然とではあるが、そういった気持ちが、心のどこかにあったのだ。だが、できなかった。

 どこかでみた登場人物、どこかでみた舞台設定、どこかでみた展開、どこかでみた言い回し。私が考えついたのは、過去に私が触れてきた創作物の、出来の悪いつぎはぎにしかならなかったのだ。そして、そのことに途中で気付いてしまい、自分の考えた話が酷くつまらないものに思えてならなくなり――結局、ひとつたりとも最後まで作り切ることはなかった。

 笑い話だろう。結局、声が出せないから歌えないとか、身体が大きいから踊れないとか、筆が持てないから絵が描けないとか、そういう問題ではなかったのだ。純粋に、単純に、明白に、明瞭に、純然たる事実として――ただただ私には才能がなかったのである。作ることができないのではなく、作ったものがつまらないのだ。これまで傑作と呼ばれる作品を作ってきた人間たちは、例外なく私より短い時間しか生きていない。彼らより遙かに永い時を生きていながら、まがい物の、ゴミのような物語未満しか生み出すことができなかったのだよ。

 絶望だ。

 いままで生きてきたなかで、一番の絶望が、私の心を満たした――。

 目に見える風景が、色あせて感じるようになった。

 そうだ、そう。

 これで、終わりだ。

 そう思った。

 そして、何もやる気がなくなり、三カ月ほど経ったとき。

 私は、ある天啓を得た。

 ディースの話で、思い出したのだ。

 古い戯曲は、現実にあった出来事をもとに作られていた。戦記だ。実際に行われた戦い――『事実』から、作品が作られている。

 で、あるならば。

 逆説的に。

 現実に行われた振る舞い。

 実在の行為。

 それ自体が、ひとつの芸術として、成立するのではないか。

 いわば、『事実』を創り出すのだ。

 この考えに至った時、私は震えた。

 そうだ。私は竜だ。

 竜であるならば、竜だけの作品のつくり方があるはずだ。

 またもや、私は既存の考え方に捕らわれていた。そう思ったんだ。

 これこそが、私の――本当の創造行為に違いなかった。

 頭が晴れた。

 清らかな気分だった。

 曇天から刺す光の柱のようなものが見えた気がした。

 

 だから、私はまず麓の村を焼いてみた。

 

 思えば、私がこのように人間に対して敵対的ともいえる行動を起こすのは、随分と久しぶりだった。私の命を狙う愚か者を返り討ちにしたことはあったが、私の事を敬い、讃えてくれる人間を理不尽に殺すのは、初めてだった。

 そして私は、その結果に満足した。焼ける人、逃げ惑う人、泣き叫ぶ人、怒れる人、嘆く人、哀しむ人、諦める人。私の吐いた炎により、人間たちは実に「本物」の反応を見せてくれた。そこに、嘘偽りはなかった。全てがリアルだ。誰もが、本気で死に、本気で哭き、本気で嘆いた。私が紡ぐ稚拙な物語とは雲泥の差の『本物』が、そこにあったのだ。

 それは紛れもなく、本物の物語だった。

 だから私は、人を殺すようになった。

 村を焼き、町を焼き、砦を焼き、城を焼いた。

 この世界にはたくさんの人間たちが生きていて、誰一人として同じ者は存在しない。そんな人間たちが集まる集落を炎が包む。すると、それだけでドラマが産まれる。『悲劇』だ。平和に、一生懸命暮らしていた人々が、ある日突然理不尽な暴力により命を断たれる。これ以上の非劇はないだろう。そしてそれは感情を揺さぶる。ディースが言っていた、人気のある物語のジャンルに悲劇があったのも、こういうことなのだと理解できた。私は、多くの非劇を創った。そして、その悲劇を味わった――。

 長くなってしまったが、これが、私が人を殺すようになった理由だ。人の英雄よ。満足したか。


 ……コーデリア?


 ああ、少し前に襲った貴族の娘か。

 そうか、コーデリアという名前だったな。

 いや、憶えている。そうだ、彼女らは今まで襲ってきた村や町とは少し趣向が違う。

 そうだな――。たしかに、人間を襲えば悲劇が産まれる。だが、何回も繰り返して来れば、飽きが生じてくるのだ。そもそも、私は人間の事をほとんど知らない。麓の村の彼らについては、多少の知見があったが、それ以外はただ「人間」という情報しかない。だから空から焼いたとしても、まあ、悲劇ではあるのだが、それ以上が得られない。どこか、他人事というか、そんな感覚が付きまとってくるのだ。

 だから、私は、より、悲劇の主役を詳しく知ろうとした。

 主人公の背景を補強したかったのだ。

 そんな風に考えていたら、偶然、貴族の馬車らしきものが見えたので、襲う事にした。しかも、今回はただ襲うのではなく、『主役』を決めて、だ。

 主役を娘にしたことに、たいした意味はない。親たちでは先が短く、小さな子供は積み重ねてきた歴史がすくない。だから、娘ぐらいの年齢がちょうどよかった。それだけだ。護衛たちを殺した後、私は、娘と家族に、自分たちの事や、過去の思い出を語らせた。

 母親と娘は、時々使用人ではなく、自分たちで菓子を作って、お茶を楽しむらしい。貴族御用達の、たっぷりと砂糖を使った甘いものではなく、素朴な味わいのクッキーなどが多いとのことだ。

 父親は、娘が小さいころに動物の人形を贈ったら喜ばれたことをずっと憶えていて、娘が年頃になったいまでも、子供に買うような人形を贈り続けているのだそうだ。最近は、娘の結婚相手を探してもいるそうだ。娘は美しく、家柄も良い、引く手数多らしいが、父親としてはなかなか複雑な心境だと言っていた。

 弟は、幼いが、すでに将来の夢が決まっていた。魔剣騎士団に憧れていて、いつか自分も強くなり、家族を守れるようになるのが夢だということだ。魔術師としての才能はそれほど突出したものではないが、その夢を姉である娘は応援していた。

 彼女らの語る話を聞いてから、私は、娘の目の前で、母と父と弟を噛み殺して見せた。間近で発せられる娘の悲鳴は、いままで私が聞いたことがないぐらいに悲惨で、痛々しかったよ。

 私は、その悲鳴を聞いて、私のもたらした『非劇』が本物であることを再確認できた。なぜなら、その時私は泣いていたからだ。娘の家族を咀嚼しながら、涙を流していた。比喩表現ではない。竜の涙を流していたのだ。優しく、暖かみに満ちた一家。それが、ある日突然、理不尽に壊される。

 きっと母親は、娘のために裁縫や編み物などの趣味も一緒に楽しんでいくのだろう。父親は、悩みに悩んだ娘の結婚相手を紹介するとき、寂しそうな顔をするに違いない。弟は、もしかしたら本当に騎士団に入団するかもしれない。そういった輝かしい「未来」が、不当に奪われる。永遠に帰ってくることはない。

 それは、とても悲しいことだ。

 人間ではない竜の私ですら、思わず涙してしまうほどの非劇。傑作だった。私は、泣き。そして、満足した。

 ――ヴィンセントよ。人の子の英雄よ。

 これが、真実だ。

 砂漠の砂粒ひとかけらほども偽りのない答えだ。

 私は狂っていない。『狂い竜』などという二つ名がつけられたそうだが、狂気に身をゆだねてなどいない。何者かの精神汚染攻撃を受けて、自我を失ったわけでもない。明確な目的を持ち、殺戮を行なったのだ。

 結果として、お前たちに討たれることになったが、そこに後悔はない。

 私は、私の信じる本物の為に行動したのだ。

 悔いることなどあるはずがない。

 それに――。

 人間に仇なす竜は、最後に斃されるものなのだからな〉


「そうか」

 私は、〈竜穿杭〉の引鉄をひいた。

 飛び出したミスリル銀製の杭が、エルガディオを貫く。瀕死の身体には、もはや、物理攻撃に対する抵抗力がないのだろう。戦闘中と違い、驚くほどすんなりと、それは深く突き刺さり、竜の脳を破壊した。

 死によって、微かに残っていた魔力が完全に消えたことで、身体を蝕む壊毒が一気に猛威を振るう。

 エルガディオの骸は、瞬く間に黒い粘液状の肉塊となって、崩壊した。

「リザーナ」私は、彼女に呼びかける。「竜の動機については、他言をしないようにしてくれ」

「わかりました」

「ああ」

「……大丈夫ですか?」リザーナが言った。私を気遣うような声色だった。

「何がだ」

「酷い顔をしています」

「そうか」

「怖い顔をしています」

「そうか」

 私は、目を閉じると、頭を振った。何かを、追い出すかのように。そして、ひとつ、息を吸って――ゆっくりと吐き出した。

「ありがとう」リザーナに礼を言う。「もう、大丈夫だ」

「そう、ですか」

「――行こう」

 私たちは、竜の骸に背を向け、生き残った騎士たちがいる場所へと歩き出した。

 傷ついた戦士たちの許へ。



 こうして、狂い竜エルガディオの討伐作戦は、終了したのだった――。



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