篠田旭の根性試し 第3話
気が重い。気が重たすぎて、胃が痛い。
頭を過って消えてゆく郷田さんの言葉。
『一発目にキツい現場行かせた方が、この業界向いてるか向いてねぇかすぐ判断つくからな』
騙している訳ではない。れっきとした正しい仕事内容だ。
けれどどうしても思惑的には良心が痛むのだ。
複雑な気持ちを胸に抱きながら、今日は軽トラックの助手席に座る。
運転席に乗るのは、旭君だ。
「初めての現場が志優里さんと一緒なの、凄く嬉しいです……!!」
ああ、とても良心が痛む。
そんな私の心とは裏腹の夢と希望に満ち溢れた眼差しで、旭君はシートベルトを付ける。
旭君の運転する軽トラックは、スムーズに発進した。
手際がいい。運転をする旭君を私は初めて見る。
中学生の時の旭君の姿のイメージがどうしても記憶に残っていたせいか、とても頼もしく見える。
その姿を眺めながら大人になったなぁと沁々とした。
正直運転の所作を眺めながら、頼れるとさえ感じられた。
暫く車を走らせていると、赤信号に引っ掛かる。
白線の手前で綺麗に止まった旭君が、私の方に視線をむけた。
「……志優里さんにそんなに見つめられると、流石に緊張しますね」
ほんの少しだけ複雑な表情を浮かべながら、旭君は呟く。
私は少し笑ってしまって、其処からはなるべく旭君を見ないようにした。
50代男性。糖尿病。ヒートショックにより死亡。
8階建ての鉄筋コンクリートで出来た築35年マンションの6階。1DK。
そして出来れば、特殊清掃を悟られない様に速やかに清掃を終わらせて欲しいという希望付き。
この高さの上にこの案件の場合だと、やむを得ず機器の搬送の為にエレベーターの使用をする事がある。
その場合はどうしても、エレベーターやエントランスの消毒と消臭も必要になるのだ。
幸いにも遺族が遺品整理はゆっくり自分たちでやりたいといっているそうで、今日の仕事は特殊清掃のみだ。
幸い廊下の方に腐敗臭が染み出す様な事はなかった。
「入りますね……」
旭君がそう呟いて速やかに扉を開いて、荷物を運び込む。
玄関は思っていたより広く、十分なスペースがあった。
廊下の様なスペースの先に、ドアが三つ並んでいる。
旭君はドアを閉めるなり、静かに玄関と廊下の消毒を施し防護服とガスマスクの準備を始めた。
「今朝、武市さんが部屋の間取りの図を送ってくれました。
浴室は此処で防護服の準備をすれば近隣の方に気付かれる事はないと思います」
マニュアル通りの完全な作業に、私は圧倒される。
そしてふとある事に気が付いた。
旭君はいつの間に死神と連絡先の交換をしていたのだろうか。
普段の作業中の自分とのコミュニケーション能力の差を感じながら、防護服の準備を始める。
今日の防護服は、念のため二重にした。
旭君の防護服とゴム手袋の隙間をガムテープで塞ごうとした時、旭君がガスマスク越しに呟いた。
「……懐かしいですね、これ」
頭を過って消えてゆく、中学生の旭君に着せた防護服。
あの頃よりも大分背が伸びて逞しくなった旭君。
私もずっと感慨無量の状態だった。
***
「お片付けさせていただきます」
何時もとは違う種類の腐敗臭は、正直此方も気が滅入りそうになる。
この類いの現場は本当に作業員泣かせだと思う。
旭君と二人で肩を並べて手を合わせる。
今では余り見ることがない正方形の風呂釜に、横に並んだ追い焚きをするガスの機械。
その中味は黒ずんで、元々は人であった何かが確認出来た。
正直、業者により浴槽の清掃はやり方が様々である。
薬品を使って流せる様にする場合もあれば薬品で逆に固めてしまう場合、ポンプで汲み上げ処理をする場合など、様々な場合が存在する。
今回の場合は、薬品で流せるようにすることにした。
旭君が風呂桶の中を網で浚い、髪の毛や身体の一部だったものを取り除いてゆく。
細かい骨が出てきた時は綺麗にしてとっておくことがある。
時として遺族が引き取りたいと言い出すからだ。
旭君の作業のサポートをしながら、彼が何処まで動けるのかを見て測る。
旭君はただ、黙々と作業を続けていた。
そして私はなんとなく、この子はこの仕事からは逃げ出さないと感じた。
***
死神からの仕事依頼が無事に完了した。
旭君の働きぶりは正直なんの心配も感じられない。
帰りの運転は私がするつもりで、私は運転席に乗り込む。
すると旭君は大事そうに、とあるものが入った荷物を膝に置いた。
「……荷台に乗せるのは偲びなくて」
浴槽からは割とはっきりとした骨が出てきた。
旭君はそれを綺麗に洗い、消毒し別途で保管する事に決めた。
「この骨、ご遺族に引き取って貰えたらいいな」
旭君はそういって微笑んでいた。
特殊清掃に慣れてゆくと、こういう人間独特の感覚が少し削れてゆく。
日々死に慣れ親しんで当たり前になってしまう。
旭君の死との向き合い方を眺めながら、私は新鮮さを感じていた。
「そういえばさ、今日いきなりあの現場で辛くなかった?」
私が口を開けば、旭君が不思議そうな眼差しを私に向ける。
「え、何がですか?」
「いや、仕事内容的にキツくなかったかなって……」
旭君の問い掛けに対して正直な気持ちをぶつける。
すると旭君は私の言葉に嬉しそうな空気を醸し出し、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「大丈夫でした!
強いて言うなら、母の時以上の辛い現場って俺の中ではもう無いと思ってるんで!」
5年前の泣きじゃくる旭君の姿が甦る。
あの泣きじゃくる少年が、こんなにも逞しく成長した。
それがとても心に響くものがあった。
するとその時、聞き慣れない音楽が鳴り響く。
それに対して旭君が急に慌てたように、自分の身体を触わる。
そしてズボンのポケットから携帯電話を取り出した。
「あ、武市さんだ」
死神、旭君に電話まで掛けてくるの?
思わず心の中で突っ込みを入れると、旭君がなにも気にせずに電話に出る。
「あ、もしもしお疲れ様です!今さっき仕事終わりました!」
淡々と死神と話し始める旭君を横目に、私は軽トラックを走らせる。
最早、連絡の取り方が昨日今日会った人じゃない。
距離が近すぎる。
「現場ですか?
はい!意外と大丈夫でした!間取りありがとうございます!
ちょっと大きめのお骨があったので、確保してあります」
すると旭君が少し静かになり、私の方をみる。
「あの、武市さんが志優里さんとお話したいみたいです!」
そう言われた私は心の其処で、私は全然貴方と話したくないと思ってしまった。
コンビニエンスストアの駐車場に車を置き、旭君の携帯を借りる。
旭君はその間に、コンビニエンスストアで買い物をしていた。
「もしもし。硲です」
「こんばんは武市です。本日は本当にありがとうございました。
残りのお骨も見付けて頂けたみたいで……!!」
この男のキンキン響く声を聞いているだけで、生理的に受け付けないぬめっとした空気感を思い出す。
「あ、いや……こちらこそお仕事ありがとうございました……」
そんな言葉を返しながらも、腹の底では中指を立てる。
「とても良い期待の新人が入ってきたんですねぇ。
私と接触を試みたことがある人なんて、塚本さんと郷田さん位でしたので……。
私、とっても気に入っちゃいましたよ彼」
気に入っているのは正直、もうよくわかっている。
けれど確かに旭君のコミュニケーション能力は、目を見張るものがあった。
それにあの子なら多分、全てに物怖じせずに立ち向かえる。
「因みに良い新人が入ったと感じたのは、貴女以来ですね。とても嬉しいです」
死神の意外な言葉に私は言葉を失う。
呆気にとられた私を余所に、死神はこう言った。
「篠田さん本当に気に入ったので、またステキなお仕事探して連絡致します。
ああそうだ。篠田さんにどうか、今度私のお気に入りの焼き肉やさんと豚骨ラーメン屋さん連れていきますと伝言お願いしますね!それではまた!」
死神は饒舌に話すだけ話し、一方的に電話を切る。
ステキなお仕事という言葉に身震いし、今このタイミングでの、焼き肉と豚骨ラーメンの中々のキラーワード。
「まじ歪みねぇな、あの死神……」
切れた携帯電話越しに思わず呟く。するとコンビニから旭君が出てきた。
「お話おわりましたか?」
旭君の手には甘ったるい缶コーヒー。
私は旭君に携帯を返しながら、一応伝言を伝えた。
「今度焼き肉と豚骨ラーメン屋連れてくってさ」
そういうと旭君はほんの少しだけ苦笑いを浮かべた。
「あっ、今は焼き肉と豚骨ラーメンはちょっとパスしたいですね……」
その言葉を聞いて、私は思わず吹き出してしまった。
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