第35話 ご両親の涙

 そして迎えた日曜日。俺は穴の開いていないジーンズを履き、一番綺麗なTシャツを着て岩橋さんのマンションに向かった。約束の時間は午前十時、ちょっと早く着いてしまうが遅れるよりは良いだろう。オートロックのマンションなんて初めて入るぜ。確か、テンキーで部屋番号を押した後に呼び出しボタンを押せば良いんだよな。

 などと考えながら歩いているうちに岩橋さんのマンションが見えてきた。いつもならエントランスに岩橋さんが……って、居るじゃん!


 岩橋さんは今日も俺が来るのを待っていてくれた。ただ、今日は日曜日なのでいつもの制服姿では無く、薄い水色のワンピースを着てGSJに行った時と同じ白い帽子を被っている。『可憐』という言葉を具現化した様だと言っても過言ではあるまい。


「ありがとう、待っててくれたんだ」


 俺が駆け寄って言うと、岩橋さんは「私がお願いしたんだから」と笑顔で応えた。そうだ、今日は岩橋さんのご両親に会うんだ。失礼の無い様に気を付けないとな。


 岩橋さんは慣れた手つきでオートロックを解除してエントランスホールに入るとエレベーターのボタンを押した。岩橋さんの家って何階なんだろう? 思っていると、エレベーターの扉が開いた。岩橋さんは俺を先に乗せてから自分も乗り、最上階のボタンを押した。


 話によると分譲マンションってのは上の階の方が値段が高いらしい。って事は、やっぱり岩橋さんの家ってお金持ちなんだろうな。それにしてもエレベーターと言う密室で二人っきりか。岩橋さんの髪から良い匂いがしてくるし、気が遠くなりそうだ。


 俺と岩橋さんを乗せたエレベーターは最上階に到着し、静かに扉が開いた。岩橋さんの家は南東の角だそうで、これもまた値段の高い部屋の証だ。それはさて置きいよいよ岩橋さんのご両親とご対面だ。ああ、緊張するぜ。


「おとうさん、お母さん、加藤君が来てくれたわよ」


 岩橋さんは大きな玄関ドアを開けて声をかけると、廊下の奥の部屋からお母さんらしき人が現れた。さあ、ファーストコンタクトだ。ココで良い印象を与えないとな。


「おはようございます、加藤明男です。はじめまして」


 俺は爽やかに挨拶をしたつもりだったんだが、何かおかしかったんだろうか、岩橋さんのお母さんの目から涙が溢れた。


 ――ええええぇぇぇぇーーーーーーーっ――


 俺って、見た目そんなに貧相なのか? 確かに背はちょっと低いけど、それなりに小奇麗な服装はしてきたつもりなんだが……何故会った瞬間泣かれなきゃいけないんだ!?

 頭が真っ白になりかけた時、岩橋さんの声が俺を正気に戻してくれた。


「もう、お母さんったら。加藤君が困ってるじゃない。さあ、加藤君も上がって上がって」


 岩橋さんはお母さんの背中を押し、俺は勧められたスリッパを履いてその後ろを着いてリビングに入った。

 うわっ、広い! テレビがデカい! そしてやっぱりデカいソファにはお父さんらしき人が座っている!


「おはようございます。加藤明男です。はじめまして」


 俺はこの挨拶しか出来無いのかよ……でも、考える余裕なんて全く無いんだから仕方が無いじゃないか。


「おはよう。沙織の父です。娘がいつもお世話になってます」


 岩橋さんのお父さんは立ち上がって俺に挨拶すると深々と頭を下げた。お父さんに頭を下げられるなんて誰が予想出来ただろうか? するとお母さんも涙を拭きながら俺に頭を下げた。

 何だ、コレはドッキリか? いったい何が起こっていると言うんだ?


「あの……お父さん、お母さん、頭を上げてくれませんか。ボクには何が何だかさっぱりわかりませんので」


 俺が困った顔で言うと岩橋さんのご両親は頭を上げ、俺に椅子を勧めるとテーブルを挟んで向かい側に座った。そして俺の隣の椅子には岩橋さんがそっと座った。


「加藤君、いや、明男君と呼んだ方が良いのかな? 私達は君に凄く感謝してるんだよ」


 お父さんが言うと、お母さんも涙を流しながら言った。


「沙織の笑顔がまた見れる様になったなんて、本当に明男君には何とお礼を言えば良いものか……」


 岩橋さんの額の傷を見てしまった時に聞いた岩橋さんの過去をお父さんは親としての立場から見たスタンスで俺に話した。


 明るかった娘が中学校で虐められ、笑顔が消え、学校に行くのが嫌だ、外にも出たく無いと部屋に閉じこもってしまった辛い日々。岩橋さん自身も辛かっただろうけど、ご両親もさぞ苦しかっただろうな。話を聞いているうちに俺まで涙が出そうになってきた。だが、お母さんの顔と声が急に明るくなった。


「でも新しい高校では、始めのうちは今までと変わらなかったけど、梅雨前頃から少しずつ明るくなってきて、学校に行くのが楽しいとまで言い出して……」


 お母さんの目からまた涙が溢れた。それほど嬉しかったのだろう、岩橋さんが変わった事が。


「私が何度言っても絶対に切らなかった前髪も、お友達に整えてもらったとか。全て明男君のおかげなんですってね」


 いや、それは由美ちゃんがした事で、俺は見てただけなんだけど。それにあの時、自分から傷を曝け出して皆に本心を伝えた岩橋さんの勇気を褒めてあげて欲しい。そう思った俺は思わず口に出して言ってしまった。



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