19:アラサー勇者、世界を救う


 ひとしきり泣き続けたヴェネッタが落ち着く頃には、真下にいた印章猫スタンプキャットの頭は涙ですっかり湿っていた。

 それも彼女がひと撫ですることで乾いてしまうのだから、やはり魔法とは便利なものだと思う。

 感情を爆発させたことですっきりしたのか、ヴェネッタはようやく俺の存在を思い出してくれたようだ。

 泣き腫らした目元に負けず劣らず頬を赤くしながら、こちらへと向き直る。

 もちろん、その腕には印章猫スタンプキャットが抱かれたままだ。


「……薬、ちゃんと効いたみたいだ。アリガト」


「どういたしまして。俺もわからなかったから、本当に治って嬉しいよ」


 形として実験台に使うような流れになってしまったが、薬が効いたということは、アルマの猫アレルギーも治すことができるということなのだ。

 それに、これからこの世界で新しく猫アレルギーを発症するかもしれない人もまた、救うことができる。


「痛ッ……!」


 ホッとしたことで、痛みが再びぶり返してきたようだ。

 顔を歪める俺を見たヴェネッタは、印章猫スタンプキャットを地面に下ろすと、俺の太腿に片手を当ててくる。

 じんわりと温もりを感じたかと思うと、太腿にあったはずの傷が綺麗さっぱり消えていた。

 次いで脇腹を押さえていた腕を無理矢理に引き剥がされると、同じように出血している傷口に彼女が手を当てる。

 太腿よりも少し時間は長かったが、ヴェネッタの手が離れる頃には、痛みは嘘のように無くなっていた。もちろん、傷口も見当たらない。


「治してくれたのか」


「薬のお礼だよ。これ以上、キミの血でここを汚されたくないし」


「ありがとな」


 汚されたくないなんて理由をつけてはいるが、本当は最初から傷つけるつもりもなかったのかもしれない。

 自分は触れられない猫に囲まれた俺を見て、人間に対する憎しみが呼び起こされただけなのだろう。

 ここは彼女が自分の身を守るために造られた空間なのであって、人間を傷つけるためのものではない。

 だからこそ、これまで神隠しに遭った人間たちもまた、怪我をすることもなく帰ることができていたのだろう。


「……ボクは、キミのことが嫌いだった」


 嫌いだとはっきり断言されてしまうと傷つくが、やはりそうなのだろうという感想が先に立つ。

 俺にわからなかったのは、その理由だ。


「俺たちって、初対面だよな? なのに、何で嫌われたんだろう」


「……キミをこの世界に転生させたのは、ボクなんだよ」


「えっ……!?」


 予想もしなかった事実を投げ落とされて、俺は思わず声が裏返ってしまう。

 この世界に、ということはつまり、彼女の力によって俺は元の世界からこの世界へ来ることができたのだ。

 けれど、先ほども言ったように俺とヴェネッタは初対面だ。だというのに、なぜ俺を呼ぶことにしたのか、まるで心当たりがない。

 ましてや、俺を嫌いだというのならなおさらだろう。


「ボクはずっと一人だったから、暇潰しに他の世界を覗き見られるような魔法も習得したんだ。そこで偶然見つけたキミは、ボクと同じ呪いにかけられていると思った」


「俺のことを、見てたのか……?」


 まさか、異世界から俺の私生活を覗き見られているなんて、考えたこともなかった。

 恥ずかしいことをしていなければ良いのだが。などと思ったりもしたが、彼女は俺が猫アレルギーだったことも知っていたのだ。


「キミは猫が好きで、でも同じく呪われていて、一人で……ボクと似ていると思ったんだ。だからキミなら、ボクの抱える苦しみを分かち合うことができるって考えた」


「似たような境遇だったから、俺を呼ぶことにしたのか。……ってことは、もしかして俺が死ぬように仕向けて……!?」


「仕向けてないよ。ボクができるのは覗き見ることだけで、他の世界に干渉はできない。だけど、肉体を失った魂をこっちの世界に呼び寄せることくらいはできる」


 苦しみを分かち合いたいあまりに、ヴェネッタが俺を遠隔操作で殺害したのかと焦ったが、どうやらそうではないらしい。

 彼女が俺を転生させていなければ、俺の魂はまたあの世界で、別の人間にでも生まれ変わっていたのだろうか?


「けど、自分で呼び寄せたくらいなのに、どうして俺のことが嫌いなんだ?」


「……キミが、猫アレルギーじゃなくなってたからだよ」


 そう言うヴェネッタは、どこか拗ねたように口先を尖らせている。

 彼女にとって必要だったのは、同じ境遇で同じ呪いを受けたと思われる人物だった。

 けれど、この世界に転生した俺は猫アレルギーではなくなっていた。そのことが、彼女の怒りに触れる原因となったのか。


「呼び寄せたのはボクなのに、キミは日に日に猫たちに囲まれて楽しそうで……裏切られた気分だった。それがムカついて、キミを陥れようとしたんだよ」


「そんな理不尽な理由で、俺は処刑されかけたのか……」


 俺にとっては理不尽極まりないが、彼女にとっては大きな問題だったのもわからなくはない。

 理解者を得られるかもしれないと思っていたのに、自分が望んでも叶わなかったことを、俺がやっていたのだから。

 けれど、彼女本来の気質は人を傷つけるようなものではないはずだ。

 あのまま俺が処刑されかけていたとしても、その前に洗脳を解いてくれていたことだろう。多分。


「ん……? 待てよ。そうなると、何で俺の猫アレルギーは治ったんだ? ヴェネッタも予想外だったってことは、転生したからって治るものじゃないんだよな?」


 転生したとはいっても、正確にいえば俺は新たな世界で人生の続きを歩んでいる状態だ。

 外見も年齢も元の世界と同じ状態のままだし、猫アレルギーだけが治るというのは、あまりにも不自然なのではないだろうか?


「それは、キミの猫の力だよ」


「俺の猫……って、ヨルのことか?」


「ミャア」


 思いがけない相手を挙げられて、俺は目を丸くしたままヨルを見下ろす。

 目が合ったヨルは、俺の身体をよじ登って、いつものように肩の上へと落ち着いた。


「正確にいえば、その猫の願いが叶えられたという方が正しいけどね。キミは、その猫を救って命を落としただろ?」


「確かに、それはそうだけど……誰がヨルの願いを叶えてくれたんだ?」


「人間の世界の認識で言うなら、神ってやつかな。命を救おうとしてくれた礼として、キミの猫アレルギーを治してほしいと願ったんだ」


「ヨルが……俺のために……?」


 それは、思ってもみないことだった。

 俺の猫アレルギーがなぜ治ったのかと、考えてもその答えは出ないままだった。

 けれど、俺がこの世界でカフェを開いて、当たり前のように猫たちと過ごせるようになったのは。


「ミャウ」


「ヨル……っ」


 すぐ傍にある二つの小さな満月が、涙で歪んでしまう。

 俺は腕で目元を乱暴に拭うと、ヨルの顔や身体をわしゃわしゃと撫で回した。



 話を聞き終えた俺は、ヴェネッタに杖を返すことにする。

 魔石を壊すことが目的だったが、もうその必要はないと判断したからだ。

 ヴェネッタもまた、魔女狩りウィッチハントは無効であるとした上で、世界中にかけられた洗脳魔法を解いてくれると約束した。


「広範囲で、かなり強い魔法だからね。完全に解けるまでには時間がかかるけど、人間たちの意識は少しずつ変わっていくはずだよ」


「そうか、良かった」


「キミに関する洗脳は、まだ日が浅いからすぐにでも解けるよ。だから、このまま帰っても処刑される心配はないから」


「それはありがたい」


 一通りの説明を終えると、ヴェネッタは杖の先で俺の目の前の空間を切り裂いていく。

 その向こうには、見慣れたスペリアの町並みが広がっていた。この場所から直接帰ることができるということなのだろう。

 一方のヴェネッタは、役目を終えたとばかりに棲家へ戻ろうとしている。


「ヴェネッタ!」


 俺は、その背中を反射的に呼び止めた。

 彼女はまだ何か用があるのかと言わんばかりに、横目で俺の方を見る。


「あのさ、良かったら俺のカフェに遊びに来ないか? 猫が好きなら、きっと楽しんでもらえると思うんだ」


 声を掛けなければきっと、彼女はまたこの空間に閉じこもってしまう。そうなったら今度こそ、この場所を見つけることはできなくなる。

 直感的にそんな風に思った俺は、ヴェネッタに誘いを投げ掛けていた。

 グレイは怒るかもしれないが、事情を話せばきっと理解してくれるだろう。何より、彼女をこのままずっと、この空白の谷に閉じ込めさせたくはなかった。


「……ボクが行ったら、客が逃げ出すよ」


「俺は勇者らしいから、魔女は悪い奴じゃないってみんなに伝えておくよ」


「そんなの、誰も信じない」


「やってみなきゃわかんないだろ? これでも俺は、伝説だって言われた薬草とか、空想の世界の存在だって言われた場所も見つけてきたんだからな」


「…………」


 彼女の人間に対する不信感は、一朝一夕で拭えるものではないかもしれない。

 それでも俺は、猫と人間を繋ぎたいと思ったように、彼女のこともこの世界と繋いでやりたいと思ったんだ。


「……気が向いたら、行ってあげるよ」


「……! ああ、待ってる」


 そうして約束を交わした俺は、空白の谷を離れてスペリアの町へと戻ったのだった。



  ◆



 見慣れたスペリアの町へ降り立った俺は、少しだけ緊張していた。

 ヴェネッタの言葉を信じていないわけではないが、偽物だと罵られた時のあの光景が脳裏に蘇っている。

 だが、通りを歩き出した俺は、瞬く間に住人たちに囲まれてしまった。


「店長さん……! 帰ってきてくれたんだな!」


「酷いこと言ってごめんなさいね。コシュカちゃんたちからも聞いたんだけど、私たちどうかしていたみたいで……」


「アンタがオレらを騙すはずがないってのに、疑って申し訳なかったよ」


 俺の姿を見た住人たちは、そうして口々に謝罪の言葉を述べてきた。どうやら、本当に洗脳は解かれているようだ。

 その中にはあの自称勇者のセルスの姿もあったのだが、彼もまた洗脳によって動かされていただけなのだと、住人たちには説明されていた。

 所在なさげにしている姿を見ると、彼の洗脳も解けていることがわかる。

 ちなみに、あの時連れていた黒猫はあらゆる猫の姿に変身することのできる、変身猫ドッペルキャットを利用していたとヴェネッタに聞かされていた。


「ヨウさん!」


「店長!」


 人々の中心で揉みくちゃになっていた俺は、聞こえた声に輪の中からどうにか抜け出す。

 解放された俺は、その直後に強い衝撃と共に身体を締め付けられる。

 そこには、俺に抱き着くコシュカとグレイの姿があった。


「二人とも、無事だったんだな」


「店長こそ! 記憶も消えてねえし、こうして帰ってきたってことは、やったんスね!?」


「まあ、うん。少し時間はかかるみたいだけど、ちゃんと洗脳魔法を解いてもらうことができたよ」


「ヨッシャー!!」


 耳元で叫ぶグレイの声に鼓膜がやられるかと思ったが、今日ばかりは甘んじてそれを受けることにする。

 二人がここにいるということは、ルジェとシェーラも無事なのだろう。

 今頃は恐らく、国王と王妃のもとへ戻って、城の人間の様子から状況の把握をしているはずだ。


「ヨウさんなら、やれると思ってました」


「ハハ。運が良かったっていうか、コシュカが俺を叱咤してくれなかったら危なかったかもな」


 魔女狩りウィッチハントの終盤、俺は確かに戦意喪失状態になった瞬間があった。

 あの時コシュカが声を上げてくれなければ、今のこの状況は無かったかもしれないのだ。

 コシュカだけじゃない。仲間たちがいてくれなかったら、絶対に成し遂げられなかったことだろう。


「それでも、最後にやり遂げてくださったのはヨウさんです。やはり、ヨウさんはこの世界を救う勇者様だったのですね」


 ストレートに褒めてくれるコシュカの言葉に照れてしまうが、世界中にかけられた洗脳魔法を解くことができたのだ。

 俺は以前よりも少しだけ、自分のことが誇らしく思えた気がした。

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