11:つり橋効果


 歩き始めたのはいいものの、どこを目指せば良いかわからない。

 ひとまずは川沿いにと進んでいったのだが、しばらく歩いてみても、景色が変わる様子はなかった。

 先が見えない状態でひたすらに歩き続けなければならないというのは、地味に精神的に堪えるものだ。

 三十分程度は歩き続けたように思うのだが、さすがに休憩を挟もうと思い、手頃な岩へと腰掛けた。


「危険が無さそうなのはありがたいけど、危険以外のものも無さそうなんだよなあ」


 先の方へ目を凝らしてみても、ひたすらに川が続いているだけのように見える。

 道が分かれているわけでもなければ、めぼしい建物があるわけでもない。

 ヨルと印章猫スタンプキャットはすっかり仲良くなったようで、二匹で川の水を飲んだり、前足で水を触ったりして遊んでいる。

 その光景は、一瞬目的を忘れてしまいそうになるほど微笑ましいものだった。


 そんな二匹の姿を眺めていると、どこからか人の呼ぶ声が聞こえたような気がして、俺はその声の主を探すように周りを見る。

 始めは気のせいかと思ったのだが、その正体はすぐに判明した。


「コシュカ……!?」


「ヨウさん、ご無事だったんですね……!」


 遠目ではあったが、そこにいたのは確かにコシュカだった。

 足場の悪そうな渓谷の上の方から、身軽な動きでこちらへとやってくる。偽者の可能性もよぎったが、どうやら本物のコシュカらしい。

 人間は俺だけが転移したのかと思っていたので、彼女も一緒にこの場所へ来ていたことに安心感を覚えた。


「ヨルさんたちも一緒だったんですね」


「ああ、コシュカは一人だったのか? 他のみんなは……」


「残念ながら、気がついた時には私一人でした。ですが、私たちがここにいるということは、他の皆さんもこの場所に来ている可能性はあると思います」


 コシュカの言う通り、霧の中で他のメンバーもあの亀裂を見つけていた。

 二人この場所に来られたのであれば、残る三人とも合流することができるかもしれない。

 一気に希望が湧いたような気がして、俺は移動を再開する。

 渓谷の上から先を見渡していたらしいコシュカによれば、その場所からもこの先の様子を見ることはできなかったようだった。


「ずっと同じ景色が続いているようでしたが、魔法によって同じ場所を回り続けている……ということもあるのかもしれません」


「だけど、それならもっと早くにコシュカと合流できてたような気がするんだよな。どちらかというと、突き当りが無い印象の方が強いかもしれない」


「確かに……っ、ヨウさん。あそこ、見てください……!」


 何かを見つけたらしい彼女の声に、俺もその視線の先を見てみる。

 そこには、束ねられた長い銀髪を揺らす人物が歩いている姿があったのだ。その後ろ姿には、よく見覚えがある。


「ルジェさん……!」


「! 無事だったか。やはり、転移したのはオレだけではなかったようだな」


 ルジェの元へ駆け寄っていくと、どうやら彼も俺たちのことを探していたらしい。

 怪我をしている様子もなく、俺たちと同じように、生き物の姿を見たりもしていないようだった。

 神隠しに遭った人たちの話を聞いても、危害を加えられた様子はなかった。

 やはりこの場所には、迷い込んだ人間に何かをしようという悪意は無いと考えて良いのだろう。


「恐らく、シェーラとグレイもどこかにいるはずだ。この渓谷がどれほどの広さのものかはわからんが、探していれば見つけることはできるだろう」


「そうですね。けど、ここは空白の谷なんでしょうか? 結構歩いてきたつもりだけど、魔女がいそうな感じはしなかったんですよね」


「確かに、空白の谷かと問われれば違うように感じられるな。もしかすると、どこかに入り口があるのかもしれん」


「とにかく、探してみるしかなさそうですね」


 ここがどういう場所なのかなど、考えてもわかるはずがない。俺たちはとにかく進んでみることにする。

 歩き疲れてしまったらしいヨルが鳴いて訴えるので、俺の肩の上に乗せてやる。

 それを見た印章猫スタンプキャットも真似をしたかったようなのだが、なぜかルジェの肩の上に乗っていた。

 特に拒絶をすることもなく、気にせずルジェは歩き続けている。

 だが、肩や背中に猫の足跡がついている姿が彼のイメージに反して可愛らしくて、俺は笑いを堪えるのが大変だった。


 そうしながら、どのくらい歩いただろうか?

 途中で休憩を挟んだりもしたのだが、ずっと同じ景色が続いていると思った先に、あるものが見えてきた。

 広い川を跨ぐようにして、大きく真っ赤なつり橋が架かっていたのだ。


「どうしましょう。このまま進むよりも、あの橋を渡ってみた方が良いでしょうか?」


 選択肢は二つあった。あの橋を渡ることと、このまま川沿いに進み続けることだ。

 だが、かなりの距離を歩いてきたにも関わらず、川の終わりが見えてくる気配は無かった。

 だとすれば、おのずと選択肢は絞られてくるだろう。


「あの橋を渡ってみよう。ここまで何も無かったのに、急に現れたんだ。別の場所に続いてる可能性が高いんじゃないかと思う」


「賛成だな。これ以上進み続けても、川の先に何かがあるとは思えん」


 ルジェも同様の考えだったようだ。

 川沿いに進み続けてきた俺たちは、橋を渡るために岩場を登ることにした。

 決して整備された足場ではなかったが、満月の滝に行った時の岩場に比べれば、移動はしやすかったと思う。

 橋のところまで辿り着いた俺たちは、ルジェを先頭に俺とコシュカの順で渡り始めることにした。


「……もろそうだな。オレが渡った通りに続いてこい」


「わかりました」


 指示された通り、俺はルジェが歩いた後をなぞるように橋を渡っていく。

 下から見ていた時には立派な橋だと思ったのだが、近くで見てみると、所々が脆くなっているようだ。

 気をつけなければ、足場を踏み抜いて川に落下してもおかしくはない。

 猫たちも高いところは得意だとはいえ、落ちればスマートに着地というわけにはいかない高さだろう。

 俺は、万が一にもヨルが落ちてしまうことのないよう、慎重に足を進めていった。


「……ニャウ」


 か細い鳴き声に、足元から前方へと視線を持ち上げる。どうやら、ルジェに抱かれている印章猫スタンプキャットが怯えている様子だった。

 目視での高さはもちろんだが、橋が嫌な音を立ててきしみながら揺れるのが、恐怖を煽るのかもしれない。

 印章猫スタンプキャットが怯えていることに気がついているルジェもまた、必要以上に気を張っているように見える。


「動くな、じっとしていろ」


「ニャ、ニャウ」


 なだめるように命令しているのだが、印章猫スタンプキャットはそれを聞き入れようとしない。

 怖がって逃げようとしているのか、ルジェの腕の中で身をよじっている。

 その度にルジェは印章猫スタンプキャットを抱え直したりしていた。


「そう動いても逃げられんぞ。第一、貴様一人でこの橋を渡れると思うのか? オレに従っておけば悪いようにはせん」


「ニャアァ」


 鳴き声が泣き声にも聞こえるが、ルジェは落ち着いた声音で印章猫スタンプキャットに話しかけ続けている。

 言うことを聞かないのであれば好きにしろ、と放り出してしまいそうにも見えるのだが。ルジェは案外、面倒見が良いのかもしれない。


(スアロとも、ああやって喋ってたりするのかな)


 普段の様子はわからないが、以前城に入れてもらった時に、少しだけスアロとのやり取りを目にしたことを思い出す。

 猫に話しかけるようなタイプではないと思っていたのだが、意外と猫という生き物を好いているのではないだろうか?


「ルジェさん、猫とお話するタイプの方だったんですね」


「そうみたいだな。本人はそんなつもりないのかもしれないけど」


 小声で話しかけてくるコシュカも、同じことを考えていたようだ。

 どうにか無事に橋を渡りきる頃には、ルジェの頬や肩は肉球スタンプで埋め尽くされていた。


「まったく、貴様は手のかかる奴だ。スアロ様よりは聞き分けがいいかもしれんがな」


「ニャウ」


 呆れた様子ながらも、ルジェは印章猫スタンプキャットでているように見える。

 あれほど逃げ出そうとしていた印章猫スタンプキャットもまた、すっかりルジェを信頼したのか、その腕に身を預けきっていた。


(もしかしてこれが、つり橋効果ってやつなのか……?)


 などと考えていた俺の前に広がっていたのは、先ほどまでとは異なる景色だった。

 そこにあったのは、樹海と呼ぶに相応しい場所だ。川からはあれほど綺麗に見えていた空も、木々に覆われて見えなくなっている。

 樹海といっても、元の世界にもあったような恐ろしい雰囲気のする樹海ではない。

 ただし、ここに入り込んだら後戻りはできそうにないと思った。


「引き返しても同じだし、行くしかないですよね」


「ここで引き返すのなら、何のために橋を渡ってきたのかわからんからな。それに、こういう場所の方が隠れ家としてはあつらえ向きだろう?」


「確かに、あの開けた川沿いよりは可能性がありそうな気がします」


 引き返すメリットは無いのだから、進むしかない。

 樹海へと足を踏み入れた俺たちは、木の根で歩きづらい道をゆっくりと進んでいく。

 真っ直ぐ進んできたつもりだが、振り返っても橋が見えなくなる頃には、進んできた方向がわからなくなりそうだった。

 とはいえ、目印をつけたところであの場所に戻ることもない。

 俺たちがこの場所を抜け出すためには、空白の谷で魔女を見つけるか、魔女によってこの空間から追い出されるしかないのだ。


「俺たちがここに来てるってこと、魔女には伝わってるんですかね?」


「ここが魔女のテリトリーだというなら、知られていないことはあり得んだろうな。神隠しに遭った者たちは、記憶を消されて追い出されているくらいだ」


「そうですよね……でも、俺たちに接触してこないのはどうしてなんでしょうか?」


 俺たちが侵入していることがわかっているならば、今すぐに追い出されない理由は何なのだろうか?

 単に、さ迷う俺たちの姿をどこかで見ながら楽しんでいるのか、あるいは他に理由があるのか。

 会話だって聞かれているのかもしれないが、目的が知られているとすれば、なおさら姿は隠しておきたいはずだ。


「五人全員がこの場所に転移してきているとして、その全員の記憶を消してこの場から追い出さなければならない。その労力は、迷い込んだ一人に同様の処置をするより大きいはずだ」


「それだけの魔力をくことができない、ということでしょうか?」


「仮定の話だがな。すでに霧に亀裂を生じさせているほどなのだ、五人を一度に排除するだけの魔力の余裕が無い可能性は十分にあるだろう」


 つまり、それだけの余力があれば、俺たちはとっくに記憶を消されて追い出されているということだ。

 そうしないということは、やはりルジェの予想は当たっているのかもしれない。


「それなら、魔女を見つけることさえできれば、勝機はあるかもしれませんね」


「そうだな。とにかく進むことだ、同じ場所を巡り続けていては意味がない」


 勝ち目は無いかもしれないと思っていたが、仲間がいるからこそ、手立てはあるのかもしれない。

 俺たちは先へ先へと進みながら、残る仲間の姿を探し続けた。

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