第三章<空白の谷の魔女編>
01:勇者、脱獄をする
日も当たらないような、薄暗い地下牢獄の内側。
俺は冷たい床に座り込みながら、どうしてこんなことになったのかを考えていた。
◆
猫アレルギーの治療薬を手に入れた俺たちは、フェリエール王国から、猫カフェのあるスペリアの町へと戻ってきていた。
しかし、そこには『本物の勇者だ』と名乗る男が現れていたのだ。
長めの茶髪に軽薄そうな見た目のその男は、腕に黒猫を抱えている。
言い伝えによれば、『暗黒の魔獣を従え、異世界より召喚されし勇者が世界を救う』とされているのだから、この男も条件には当てはまるのだろう。
「勇者を自称する男が、国王様までも騙していると聞いてやってきてみれば……そんな嘘、本物の俺が現れたらすぐにバレるとわかっていただろうになあ?」
「黒き魔獣を従えているというだけで、騙されたアタシたちも悪いのよ。本物の勇者様が来てくださらなかったら、今頃どうなっていたか……」
誰もが、本物の勇者だというその男の言葉を信じきっているらしい。
異世界といっても、何も俺がいた世界のことだけを指すわけではないはずだ。
俺にとっての異世界がこの世界であるように、この世界以外にも、異世界と呼ばれる場所が存在していても不思議ではない。
そう、理屈としてはわかるのだが。
「この男は大嘘つきだ! 勇者を
あれほど好意的だった町の住人たちが、驚くほど攻撃的になっている。
彼が本物の勇者だというのであれば、俺が勇者を名乗り続ける理由はない。けれど、ここまで住人たちの態度が変わってしまったのはなぜなのだろうか?
「待ってください! ヨウさんは何も嘘などついていません、皆さん落ち着いてください!」
「コシュカちゃん、キミも騙されてるんだ。そんな男のところで働かされて、何か弱みでも握られているんだろう?」
「そんなことありません! 皆さんだって、ヨウさんがどんな人かはよくご存じのはずです!」
「店長より、そのポッと出の野郎の方がよっぽど怪しいだろうが! どっちが自称勇者だ!?」
「勇者を名乗るような愚か者の仲間も、程度が知れるといったところかな」
「ッ……お前……!」
二人は俺のことを庇ってくれているが、誰も聞く耳を持ってくれない。
そんなコシュカとグレイのことまでもを馬鹿にするような男の言葉に、俺は頭に血が上るのがわかった。俺のことはどう言われようと構わないが、二人にまでその矛先が向くのなら話は別だ。
その時、町の外から馬に乗った兵士たちがゾロゾロと、列をなしてやってくるのが見えた。
恐らく、誰かが俺たちが町に戻ってきたことを城に報告したのだろう。
(バダード国王なら、きっと話を聞いてくれるはずだ)
あの商人にあらぬ噂を広められた時のように、きっと国王が助けてくれるだろうと思っていたのだ。
けれど、やってきた兵士たちが俺に告げたのは、思いもよらない言葉だった。
「勇者の名を騙るSmile Catの店主・ヨウ。国民だけでは飽き足らず、陛下や王妃様までもを騙した大罪人として、貴様を投獄する。これは国王陛下直々のご命令だ」
「国王陛下の命令って……そんな」
「何かの間違いです、国王陛下がヨウさんにそのようなご命令をするはずが……!」
「逆らうというのであれば、国王陛下の命に
俺が命令に従わなければ、コシュカやグレイまでもが投獄されてしまうという。
二人を投獄などさせるわけにはいかない。まだ信じられなかったが、俺は兵士たちに素直に従うことにした。
「……せめて、アルマに薬を飲ませてくれませんか? これを飲ませれば、猫アレルギーを治すことができるはずなんです」
「嘘つきの大罪人が持ってきた薬など飲ませられるわけがないだろう!」
せめてもと薬の入ったケースを差し出そうとするが、完全に俺を敵のような目で見ている住人たちは、誰もその頼みを聞いてくれない。
無理矢理にでも渡すことはできるかもしれないが、きっと捨てられてしまうだろう。
「グレイ、悪いけどヨルを頼めるか?」
「っ、店長……!」
「大丈夫。きっと、何か誤解が生じたんだ。行ってくるよ」
コシュカは俺に近づかないよう、町長に止められてしまっている。
このままヨルも一緒に城へ連れていくのは、万が一を考えると危険かもしれないと判断して、グレイに預けることにした。
彼は何かを言いたげだったが、俺が素直に従ったことで、それ以上反発することができなかったのだろう。
早く牢に入れろという住人たちの野次を背中に受けながら、俺は縄で拘束されて、兵士たちによって城へと連行されていったのだった。
そうして、俺は今この薄暗い牢獄の中に入れられている。
以前は正門から堂々と入ることができた城だったが、今は完全に罪人扱いだ。
どうにかしてバダード国王と話ができないかと思ったものの、その機会は与えられそうにない。
一国の王が、散歩がてらに足を踏み入れるような場所ではないだろう。
白い息を吐くほどではないが、牢獄の中は肌寒く、俺は自然と身体を縮こまらせる。
一人でいることは、こんなにも孤独を感じさせるものだっただろうか?
(この世界に来るまでは、ずっと一人だったのにな)
この世界に来てからの俺は、カフェの経営や薬草探しに奔走していた。けれど、何をしている時もいつも誰かが一緒だった。
頼れる人間のいなかったはずの世界で、俺は色んな人に支えられながらここまでやってこられていたのだ。
それでも今は、ヨルすらも傍にはいない。
いつも肩の上にあった温もり。頬をくすぐる柔らかな毛並み。俺の言葉に答えてくれる相棒の声。
(……会いたいなあ、ヨル)
大罪人だと言われただけで、詳細な説明もないまま牢に入れられて数時間ほどが経った。
俺はこのまま、話も聞いてもらえずに処刑されてしまうのだろうか? それとも、裁判にでもかけられるのだろうか?
そんな風に思っていた時、牢の前で立ち続けていた兵士が、持ち場を離れていく。見張りが交代の時間になったのだろう。
次の兵士がやってきた時に、何か話を聞けないだろうか。そう考えていた時、この場で聞くには不自然な、コツコツと響くヒールの音が耳に入ってきた。
「え……あなたが、どうしてここに……!?」
「時間が無いわ、兵士が戻ってくる前に移動するわよ」
地下牢には似つかわしくない真っ赤なドレスを身に纏い、
彼女はどこからか拝借してきたらしい鍵で牢の扉を開けると、俺に外に出るよう促す。
状況もわからないまま俺はディアナ王妃に従うと、石段を上がって地下牢の出口へと向かう。
外の様子を
「これを使って、
「え、脱獄って……!? っていうか、そんなことできないですよ! 王妃様を人質にするなんて……!」
「お前に選んでいる時間はありません。このチャンスを逃せば、二度とあのカフェに戻ることはできないと思いなさい」
とても冗談を言っているようには見えない。ディアナ王妃は、本気で自分を人質に俺を脱獄させようとしているのだ。
状況はわからないが、一国の王妃が罪人の脱獄の手引きをしようとしている。それだけで、ただごとではない事態なのだということだけは理解できた。
俺は真剣な王妃の顔を
それを
「お、王妃様……!?」
「ディアナ王妃様!?」
俺と王妃の姿を見た二人の兵士たちは驚き、慌てて武器を手に取る。
けれど、俺に対して攻撃をしようと動く兵士たちを止めたのは、他でもない王妃だった。
「お前たち、手を出さないで。無事に脱獄できれば、この男は
「し、しかし……」
「バダードにこのことを伝えなさい。お前たちに今できることは、それだけです」
王妃に傷をつけたとあっては、それこそ一大事だ。
俺が危害を加える危険もあるが、自分たちが
俺は事前に王妃から聞かされた道順を辿って、兵士たちから距離を取っていく。
包囲されているかもしれないと思ったのだが、誘導された城の裏手には人の気配が無かった。
目撃した兵士が少なかったこともあって、情報の伝達をしきれなかったのかもしれない。
王妃が俺を急かしたのには、そうした理由もあってのことだったのだろうか?
「ひとまず、時間は稼げたわ。兵がやってくる前に、この裏道を抜けきることができるはずよ」
「ありがとうございます。けど、どうして王妃様が脱獄の手伝いなんて……」
「残念だけれど、説明をしてやる時間は無いのよ。今の
確かに、ここで悠長に話をしていては、彼女が人質役を演じてくれた時間が無駄になってしまうだろう。
事情はわからないが、王妃が俺を逃がそうとしてくれたことには何らかの理由がある。俺が捕まってしまえば、それらが水の泡になってしまうのだ。
「……わかりました。助けてくれてありがとうございます、ディアナ王妃様」
「礼など……また、お前に苦労をかけることになって済まないと思っているわ。
「国王陛下も……?」
王妃の言葉を聞き返そうとするが、城の方が騒がしくなってきたのがわかる。兵士たちが俺の後を追いかけてきているのだろう。
彼女もそれを察したようで、城の方へと向き直る。
俺はその背中に一礼すると、草だらけの抜け道を全速力で駆け出した。
こうして俺は、人生で初めての脱獄に成功したのだ。
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