14:死の森-後編-


 青い炎を纏う大樹は、ずっと眺めていることができそうなほど、幻想的な光景だった。

 しかし、現実にはそうはいかない。死の森の中のどの場所よりも暑い大樹の周りは、長時間滞在し続ければ、間違いなく生命に支障をきたすだろう。

 カラカラに渇いた喉を水で潤して、俺は元来た道を振り返る。


「それじゃあ、戻ろうか。またあの道を戻るのは気が引けるけど……」


 この場所よりマシだとはいえ、森の中が異常な暑さであることに変わりはない。

 引き返さなければならないことに、億劫おっくうさを感じたのだが、足を進めなければ森を出ることはできないのだ。

 ここまで無事に辿り着くことができたのだから、後は町まで無事に帰りつかなければならない。


「ニャウ、ニャア」


 そう考えていたのだが、歩き出そうとする俺たちを引き留めるように、火炎猫フレイムキャットが声を上げた。

 彼らが向かおうとしているのは、俺たちが向かおうとしていたのとは、正反対だ。

 つまり、大樹の向こうへ導こうとしている。


「コレ、アイツらに着いてって大丈夫なんスかね?」


「色々助けてくれたけど、さすがにこれ以上暑い場所は無理よ」


 グレイたちの言うように、俺にもこの先へ進むことに対する不安はあった。

 俺たちには火炎猫フレイムキャットのような暑さへの耐性は無い。進むほどに暑さが増していく森なのだから、不安が生じるのは当然だろう。

 けれど、これまで火炎猫フレイムキャットたちが、俺たちを良い方向に導き続けてくれていたのも事実だ。


「……行ってみよう」


 火炎猫フレイムキャットの声を信じる。俺の決定に、異を唱える者はいなかった。

 大樹を越えた先には、もしかするとマグマでも流れているのではないだろうか。

 そんな風に予想していたのだが、辿り着いたのは、驚くことに森の出口だった。


「砂地……これ、森を抜けたってことよね……!?」


「そうみたいですね、暑さもすっかりやわらいでいますし」


「やっぱり、俺たちを案内してくれてたのか」


 始めは引き返すつもりでいたが、正直にいえばあれだけの暑さの中で、行きと同じ距離を歩き続けられる自信はなかった。

 火炎猫フレイムキャットは、俺たちには耐えられない暑さだと理解していたのかもしれない。

 あの大樹に近いこちら側の出口からは、熱気が凄すぎて森の中に入ることはできそうにない。

 けれど、逆の入り口から徐々に暑さに慣れてきていたので、俺たちは森を通り抜けることができたのだろう。


 ここまで着いてきた火炎猫フレイムキャットも、一緒に来るかと思ったのだが。

 出口まで案内すると、役目を終えたとばかりに彼らは森の中へと引き返していく。

 狼猫ウルフキャットと同じく、火炎猫フレイムキャットにとっては、この環境がもっとも生活に適しているのだろう。

 礼にはならないかもしれないが、残りのマタタビ饅頭を渡してやる。それを銜えた火炎猫フレイムキャットは、灼熱の森へと姿を消していった。


「とりあえず、御者を呼ばないとだな。森の中よりは断然マシだが、ここも暑くてたまらねえ」


 ギルドールの言う通り、森での異常な暑さを体験した後なので、体感温度が麻痺しているようにも思う。

 早く町へ戻って、身体を休めた方が良いだろう。


「……けど、また候補が消えた。今度こそ、見つけられると思ったのにな」


 死の森と呼ばれた場所を、無事に抜けられたのは幸いだ。しかし、本当に実在するのかもわからない薬草を探すというのは、想像以上に大変なことなのだと実感した。

 諦めるつもりは毛頭もうとうないが、途方もない絶望感に襲われそうになる。


「次は、きっと見つかります。死の森を生還したんですから、もう怖いものもないですよ」


「そうっスよ、ここまできて諦める方が気持ちワリィし。絶対見つけて帰んねえと」


「ああ……そうだな、諦めるなんてできるはずない」


 二人の励ましの言葉に、俺は歪んでいた視界がクリアになったような気がした。

 そうだ、途方に暮れている暇などないのだ。


「町に戻ったら、次の目的地を決めないとな」


「おおっとォ、町に戻る前にちょっとツラ貸してもらおうかァ?」


 気持ちが前向きになったところで、新たな行き先を考えなければと思った時だった。

 俺たちの周りを取り囲むように、十人ほどの怪しげな集団が現れる。その手には武器を持っていて、明らかに友好的な様子ではない。


「ンだ、テメエら?」


「別にり合おうってわけじゃねえさ。お前ら死の森を抜けてきたってことは、何か金目のモン手に入れてきたんだろ? 全部まとめて置いていきな」


 薬草探しに出る前に、治安の悪い場所には盗賊が出ると言っていた。あれは本当だったのか。

 そいつらに真っ先に反応を示したのはグレイだが、そこに割って入ったのはギルドールだ。


「悪いが、見ての通り全員ボロボロでな。金目のモンは持っちゃいねえよ。なんせ死の森だぜ? 命があっただけでも儲けモンってな状態だ」


 口調は穏やかだが、腰元に添えた手は短剣のの部分に掛かっているのがわかる。


「ハッ! そんな嘘信じるとでも思ってんのか? まさか間違って死の森に迷い込んだなんて奴がいるはずがねえ、希少価値のあるモンを持って帰ってるはずだ」


 盗賊団のリーダーらしき男は、どうやら簡単には騙されてくれないようだ。

 伝説の薬草を手に入れることはできなかったが、希少価値の高い薬草を手に入れることはできた。

 目的外の成果なのだから素直に渡せば良いのかもしれないが、それを渡したところで、彼らが本当に俺たちを無傷で解放してくれる保証はない。

 そう判断したからこそ、ギルドールは何も見つけられなかったと嘘をついたのだろう。


「しつこいねえ。財宝でも見つけたってんなら、もっとテンション高く出てくるよ」


「テメエの言うことが事実かどうかは、身体検査すりゃわかることだ。お前ら、丁重に検査してやれ!」


 その言葉を合図に、俺たちを囲んでいた盗賊団が、一斉に襲い掛かってくる。

 しかし、一番近くにいた男の一人は、武器すら使わないグレイの右ストレートで呆気なく吹き飛ばされていく。喧嘩が強いことは知っていたが、その動きには無駄がない。

 面倒だという顔をしながらもギルドールも腕が立つようで、攻撃をかわしては確実な一撃を食らわせていく。

 頼もしい二人は、地獄のような暑さからようやく抜け出せたこともあって、気が立っているのだろう。多数を相手に、あっという間に盗賊団をのしていく。


 獲物からこんな風に反撃を食らうことは、恐らく予想外だったのだろう。

 指示を出していたリーダーの男は、次々と倒れていく仲間たちを前に顔色が変わっていくのがわかる。

 このまま諦めてくれたらと思ったのだが、男は俺の後ろへ視線をると、ニヤリと口角を持ち上げた。


(まさか……!)


 反射的に振り向いた先。そこには、盗賊団から遠ざけるようにしていたコシュカとシアがいる。

 その背後で起き上がった盗賊団の一人が、なたのような武器を振り上げているのが見えた。

 俺は咄嗟に、二人を抱き締めるようにして庇う。次の瞬間、二の腕の辺りに熱が走ったような感覚が襲った。


「ぐっ……!」


「ヨウさん……!」


「ヨウ!!」


 攻撃を受けたのだとわかるが、今は痛みよりも反撃しなければならないという思いが先行する。

 がむしゃらに振り回した短剣は、運よく男の胸の辺りを切り裂いて、怯ませることに成功した。しかし、それが男の怒りに火をつけてしまったようだ。


「テメエ、ぶっ殺してやる……!!」


 俺は、グレイやギルドールのような戦い方は知らない。だって少し前までは普通のサラリーマンだったんだ、当然だろう?

 相手の武器と俺の短剣では、そもそもリーチの差もありすぎる。

 それでも、二人が戦ってくれている今、彼女たちを守らなければいけないと思った。


「ニャアッ!」


 その時、森から赤い塊が飛び出してきた。それは男の横っ面に当たり、意図しない方向からの衝撃に足元がふらついたのがわかる。

 さらに追い打ちをかけるように、その赤い塊が男に向かって炎を噴き出したのだ。

 それも一匹だけではない。十数匹もの火炎猫フレイムキャットが、男や他の盗賊たちに炎で攻撃をしている。


「ま、魔獣だ! 本物の魔獣だ……!!」


「うわああああッ!!」


 魔獣に襲われたことに怯えた男たちは、情けないほど散り散りになって逃げ出していく。

 人間相手から金品を盗もうとは思っても、魔獣と真っ向から戦おうと考えるような男たちではなかったらしい。


「ヨウさん、血が出てます……!」


「ああ、大丈夫。そんなに痛くないよ……っ」


「見せてみろ」


 指摘されて、思い出したように腕が痛みを訴え始めるのだが。俺はコシュカに大したことはないと腕を回して見せる。

 ギルドールは傷口を確認すると、大したことはなさそうだと一蹴いっしゅうして水筒の中身をぶちまけてきた。心の準備もなく襲う痛みに、思わず叫ばなかった自分を褒めたい。

 それからひとまずの応急処置として、傷口に綺麗な布を巻いてもらう。


 肩の上のヨルはもちろん、火炎猫フレイムキャットも心配するように傍に寄ってきてくれた。

 本来、猫に人間を傷つけさせてはいけないと思うのだが。

 俺たちのことを守ってくれたのだ。今回ばかりは、礼を言ってはダメだということもないだろう。


「また助けられちゃったな。ありがとう」


「ニャウ」


 もしかすると、マタタビ饅頭の礼なのかもしれない。

 そんなことを考えながら、今度こそ森へと戻っていく火炎猫フレイムキャットたちの背中を見送る。


 そうして呼び出した馬車に乗って、俺たちは死の森を離れたのだった。

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