06:噂の医者
フェリエール王国に転移した俺たちは、シアと別れてから再び同じ場所で野宿をする。
本来なら、カフェで身体を休めてから転移すべきなのだが、未成年であるシアを勝手に連れ出したままというわけにもいかなかった。
連日の野宿に付き合わせるのは忍びないと思ったのだが、コシュカもグレイも今更だといって聞かない。寝袋のお陰で、昨晩よりは快適な寝心地だ。
せめて腕輪がもうひとつあればと思うものの、貴重な品なのだからそう何個も入手できるはずがなかった。
翌朝になって、
シアに教えられたのは、町の中心部にあるという、とある店だった。
『町の一番真ん中で、目立つ大きな金色の看板があるからすぐにわかるわ』
不安はあったのだが、そう言っていたシアの言葉通り、一目ですぐにわかる看板を見つけることができた。
扉を開けて中に入ってみると、まだ昼前であるというのに酒臭さが充満している。そこは、町の中でも一番大きくて人気のあるという酒場だった。
店内は多くの客で賑わっており、際どい露出をした服装のウェイトレスたちが、酒や料理を運んでいるのが見える。
(なるほど……確かに、ここはシアが入れる店じゃないな)
本来なら、18歳であるコシュカも足を踏み入れるべき店ではないのかもしれない。俺とグレイだけで入ることにして、彼女には外で待っていてもらうべきだろうか?
「いらっしゃいませぇ~。お客さんたち、初めて見る顔ですねぇ」
そんなことを考えていると、客が来たことに気がついた栗毛のウェイトレスがやってくる。胸元を大胆に開けた衣装は、目のやり場に困ってしまう。
まるで媚びるように甘ったるい喋り方は、普通の飲食店の接客とは異なる気がする。
よく見れば客は男性ばかりのようだし、彼女たちの格好を見ても、普通の酒場ではないのかもしれない。グレイもどこか気まずそうに、明後日の方向を見ている。
「あの、すみません。俺たち飲みに来たわけじゃなくて、人を捜してて……」
「なぁんだ、お客さんじゃないんですね」
俺たちが客ではないとわかると、ウェイトレスはあっさりと店内へ引き返してしまう。金にならない人間の相手をするつもりはないということだろう。
改めて酒場の中を見回すと、団体客の方が多いようだ。一人で席に座っている客は、数名ほどしかいない。
シアから聞いた話によれば、その医者は30代半ばくらいで、無精ひげを生やしているという。いつもこの酒場で一人酒を楽しんでおり、髪色はダークブラウンの男だ。
始めはその情報だけで見つけられるだろうかと思ったのだが、一人客でそれらしい人物は三人だ。
一人は条件に当てはまる見た目をしているが、左目に眼帯をしている。こんな目立つ特徴があるのなら、真っ先に挙げられているだろうから別人なのだろう。
もう一人は
奥まった窓際の席に座っているその男は、ダークブラウンのゆるい癖毛を結んでおり、無精ひげを生やしている。年齢も該当しているだろう。
「パムちゃ~ん、追加のオーダーしたいんだけど」
「もぉ、ギルさんってばお触り禁止ぃ! 勝手にドリンクも追加しちゃうから」
「いーよぉ、今日はうんと弾んじゃう」
その男は、通りすがりのウェイトレスの腰を撫でて、鼻の下を伸ばしている。
本当にこの男が医者なのだろうかと疑問を抱いたが、シアに聞いた特徴と照らし合わせても、残念ながらこの男が一番当てはまってしまうのだ。
何より、彼は『ギルさん』と呼ばれていた。シアに教わった男の名前は、ギルドールという。まず間違いないだろう。
なんだか気が進まないが、突っ立っていても仕方がない。俺は、彼に声をかけてみることにした。
「あの……すみません。失礼ですが、ギルドールさんですか?」
「あ? なに、オレ男には興味無いんだよね」
俺の方を見た男は、先ほどまでとは打って変わって、不愉快だと言わんばかりの表情を浮かべる。
ウェイトレスに対してはあんなにデレデレだったのに、男に振りまく愛想は無いということなのだろうか。
「あなたが医者だと聞いて、話があって隣国からやってきました。少しだけ、お時間をいただけないでしょうか?」
「あ~、無理無理。オレとっても忙しいんだよ、お前らみたいなのに構ってる暇ねえの」
どんな話なのかも聞いてくれるつもりはないようで、片手で追い払うような仕草を見せる。
医者だというので話せる人間なのかと思っていたのだが、どうやら見当違いだったようだ。
(この人以外に医者がいるとして、俺たちにはその人を捜す手段もない……)
医者だとはいえ、見ず知らずの人間の話を聞く義理はないこともわかる。酒を飲んでいるということは休みなのだろうし、そんな日くらい仕事から離れたい気持ちだってわかる。
けれど、ここで引き下がれない理由なら、俺にもある。
「お願いします、少しでいいんです。話を聞いてもらえませんか?」
「こんなトコにいんだからどう見ても暇人だろうが。それともオッサンだから、まともに人の話も聞けねえほど耳が遠くなっちまってんのか?」
「こら、グレイ……!」
交渉の余地すらなく拒否を貫かれてしまう姿勢に、俺だって不満は募る。けれど、俺よりも先に膨らんだ苛立ちを破裂させたのはグレイだった。
男の機嫌を損ねないようグレイを止めようとしたが、手遅れだったかもしれない。
「なんだ、
「そうだったか? ワリィな、
「グレイ、やめろって……! 喧嘩しに来たわけじゃないんだぞ!」
見えない火花を散らし始める二人の間に、慌てて割って入る。このままでは、話を聞いてもらうどころか、店から追い出されてしまいかねない。
せっかく見つけた手がかりかもしれないのだから、入手できる可能性のある情報を失うことだけは避けたかった。
「あの……五分だけでも、お時間をいただくのは難しいのでしょうか?」
そんな時、意外にも会話に割って入ったのはコシュカだった。
それまでは、男の方からは俺とグレイの後ろに隠れて見えなかったのだろう。彼女が姿を現した途端、怒りを見せていた男の表情が目に見えて変化する。
ウェイトレスに手を出していたことといい、態度の変化といい、彼は恐らく女性が好きなのだろう。それも、見た目の良い女性が。
「…………まあ、五分くらいなら、聞いてやらんこともないが」
予想通り、コシュカを見た男の態度は
なんにせよ、コシュカのお陰で話を聞いてもらう時間ができたのだ。このチャンスを無駄にすることはできない。
「あの、俺たち猫アレルギーの治療法を探してるんです。あ、猫っていうのは魔獣のことで、魔獣に近づくとアレルギー反応が出るようになってしまった子供がいて……」
「この国に、どんな病でも治すことのできるお医者様がいると聞いて、やってきたんです。私たちの力だけでは、どうしても治療法を見つけることができなくて……そのお医者様は、ギルドールさんなのではないでしょうか?」
できる限り手短に話したつもりだが、男・ギルドールは複雑そうな顔をしている。
手元のグラスを軽く回してから口をつけると、気だるげな茶色の瞳が俺を見た。
「……魔獣になんか、近寄らなければ済む話だろうが」
解決策を期待したのだが、彼の口から出た言葉は、俺たちの事情を一蹴するものだった。
ルカディエン王国とは異なり、フェリエール王国では魔獣に対する認識は変わっていない。健康に害があるのなら、離れるべきという考えはもっともなのだろう。
「そういうわけにはいかないんです。信じられないかもしれませんが、俺たちの国では魔獣と人間が共に暮らしています。どうしても、治療法を見つける必要があるんです……!」
「私からもお願いします。何か有益な情報をお持ちなら、教えていただけないでしょうか?」
俺もコシュカも、どうにか情報を引き出すことができないかと食い下がる。けれど、ギルドールの態度が変わることはない。
むしろ、話は終わりだとばかりにそっぽを向かれてしまった。
「情報なんか何もねえよ、残念だったな。話は聞いてやったんだ、さっさと消えてくれ」
彼の態度を見て、それ以上粘っても無駄だということがわかる。悔しいが、これ以上はどうすることもできない。
仕方なく俺たちは店を出ることにしたのだが、振り返った先でグレイがギルドールの方を、じっと見ていることに気がつく。
「……グレイ、どうかしたのか?」
「いや……何でもねえっス」
「?」
睨んで威嚇しているというわけでもないようなのだが、グレイが何を考えているのか、俺にはわからなかった。
俺たちは今日こそ野宿ではなく、宿に泊まることにする。
外套で顔は隠していたし、ヨルの姿も見えないようにした。お陰で俺たちが魔獣連れの騒動を起こした一行だとは気づかれることなく、部屋を取ることができた。
「お前がいることがバレたら大変なんだ、今日は大人しくしてろよ?」
「ミャア」
二部屋確保できたので、男女で分かれることにしたのだが。自分だけ一人きりなのは不公平なのではないかということで、ヨルはコシュカの部屋で寝ることとなった。
「そもそも、ヨルさんは女の子なので。男女で分けるというのであれば、当然の部屋割りだと思います」
そう、ヨルはメスなのだ。性別で分かれるというのなら、コシュカの言う通りヨルは俺とは別の部屋になる。
ただ、もっともらしいことを言ってはいたが、単にコシュカがヨルと一緒に寝たいだけなのではないかとも思った。
いつも一緒に寝ていたので、ヨルがいないのは寂しいのだが仕方がない。
両手で頬をもしゃもしゃと撫でてやると、ヨルは満足そうな顔をしていた。
「店長、どうするんスか? あのオッサン、情報落としてくれそうになかったですけど」
明かりを消してベッドに横になるものの、なかなか寝付けずに寝返りを打つ。
すると、グレイも同じく眠れなかったのか、いつもより少しだけトーンを落とした声で尋ねてきた。
「そうだな、まともに相手もしてもらえなかったけど……このまま諦めるのだけはできないな」
魔獣に近づかなければいい。
それはもっともな意見なのかもしれないが、俺はそれを素直に受け入れるわけにはいかなかった。
猫といる幸せを知ってしまった以上、そんなことはできないのだ。
そして、それをアルマたちに教えたのは、ほかでもない俺自身だ。彼らに対する責任がある。
「明日、もう一度あの人の所に会いに行ってみるよ。また追い返されるかもしれないけど、やれるだけやってみないと」
「……そうっスね」
グレイとギルドールは相性が悪そうだったが、他に手段がないのだ。
彼に協力してもらうために、何か良い方法はないだろうか。そんなことを考えながら、俺はいつの間にか眠りの中へと落ちていた。
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