24:店長と従業員の裏話


 馴染みとなった客の中には、猫と遊んだり、その姿を眺めるだけではない人間も増えてきた。

 というのも、俺がいつものようにフロアで仕事をしていた時のことだ。


「店長さん、アンタは猫のどこが好きなんだい?」


 そう問いかけてきたのは、常連の一人である60代くらいのオッサンだ。浮気が原因で妻と離婚をしたらしく、初めてカフェにやってきた時はひどく落ち込んでいたのを覚えている。

 それが今ではすっかり猫に夢中になり、傷心も癒えつつあるようだった。

 カフェに通う常連同士は意気投合して、楽しそうに話をしている姿も見かけている。

 時に白熱する姿を目にすることもあったのだが、そんな彼らが繰り広げていたのが、猫に関するフェチ談義だったのだ。


 ある者はひたすらに肉球を眺め、ある者は尻尾をで、ある者は眠る時に覗く舌先が可愛いなどと言い始める。

 俺にはその気持ちがよく理解できたし、どの意見も肯定したくなるものばかりだった。

 同じ猫好き同士であっても、好むポイントには細かな違いがあり、話を聞くとまた新たなフェチポイントを見つけることもあるものだ。


「二人はさ、猫のどんなところが好き?」


 客とそんな話をした今日。閉店後の店の中で、従業員二人にもその話題を持ちかけてみることにした。

 面接の時点で、すでに大の猫好きであることがバレているグレイはもちろん、コシュカも猫が好きであることは間違いない。

 けれど、そんな二人にもフェチと呼べるものはあるのだろうかと、純粋に気になったのだ。


「どんなところ……といいますと、具体的にはどのような意図の質問なのでしょうか?」


「意図っていうか、こういうところが可愛い! みたいなさ。たとえば、俺の場合はやっぱり腹毛が好きなんだよね。バンの腹毛に埋もれるのはもちろんだけど、ヨルの腹毛もふかふかだし。急所でもあるから、触らせてくれることがまず特別っていうか」


 俺は猫のすべてを愛しているし、愛されるために誕生した完璧な存在だと思っている。

 だが、その中でも特に腹毛は格別なのだ。眠る前にヨルの腹を顔に乗せる瞬間は、何にも代えがたい至福のひとときといえる。

 猫アレルギーだった俺は、いわゆる『猫吸い』というものに憧れていた。それが今では、猫を吸わなければ発作を起こしてしまうのではないか、と思うほどの中毒だ。


「そういうことでしたら、私は……後頭部が好きかもしれません。どう言えばいいかわかりませんが、あの後頭部を見ていると、堪らない気持ちが湧き上がってくるんです」


「わかる……いいよな、猫の後頭部。見つめてるだけで幸せになれるフォルムをしてると思うよ」


 猫を見つめることしかできなかった頃、猫の背中を見ていて何が楽しいのかと問われたことがある。けれど、あの後頭部からしか得られない幸福があると俺は思っている。

 目に見えない『幸せ』というものが、形となってこの世に現れたのが、猫の後頭部なのではないだろうか?


「後頭部もいいっスけど、オレは敢えて挙げるなら胸毛かな。スゲーふかふかしてるし、触り心地が最高だと思うんで」


「ああ、胸毛もいいよなあ。長毛種と短毛種でまた触り心地が変わってくるし、腹毛と同じく顔を埋めたくなる」


「店長すぐ猫に顔埋めるんスよね、あれ客にも見られてますよ」


「ウッ……これは習性みたいなものだから仕方がないんだ……」


 店内を見渡せる造りになっているので、見られている可能性もあるだろうとは思っていた。それを指摘されると恥ずかしいが、やめられる気がしないので開き直るしかない。


「そういうグレイさんも、たまに店長の真似をしてますよね」


「なっ、何で見てんだよ!? コシュカだって、猫の後頭部いでんの見たことあんぞ!」


「……嗅いでません。言いがかりはやめてください、そして勝手に見ないでください」


「お前だってオレのこと見てたんだろーが!!」


 ぎゃあぎゃあと言い合いをしている二人だが──声を荒げているのはグレイだけだが──従業員同士、何だかんだと仲良くなってきている。

 性格が真逆で相性が悪いのではないかと思ったこともあったが、思いのほか噛み合っているのかもしれない。


 その後も猫についてを語り合っていたものの、結局はそれぞれに魅力があり、どの部位も捨てがたいという結論に至った。

 気紛れな性格も、クリームパンのような前足も、愛らしい口元も。どれひとつとして欠けてはならない魅力が詰め込まれているのだ。


 話は尽きないまま、その日はコシュカも夕食を共にすることになった。いつもはグレイとヨルと囲む食卓だが、コシュカがいるだけで華やかさが添えられたように感じる。

 今日の夕食は、グレイ特製のビーフシチューだ。大きめに切られた具材がゴロゴロとしていて食べ応えがあり、おかわりまでしてしまった。


「はー、ご馳走様。グレイが来てから俺、確実に太ったと思う」


「そりゃ褒め言葉っスね」


「ヨウさん、以前は食事は二の次になってましたからね。いいことだと思います」


 確かに、カフェを始めたばかりの頃の俺は、猫のことばかり優先にしていてコシュカにも怒られていた。その時に比べれば、今は自分の管理もできている方かもしれない。


「いつもより遅い時間になっちゃったけど、ご両親心配してないかな。俺、町まで送っていこうか?」


「大丈夫です。そもそも両親はいないので」


「え……あ、そうなんだ。ごめん、俺知らなくて……」


「構いません。むしろ、私もお話ししたつもりでいましたし」


 さらりと返された言葉に驚くが、コシュカは特に気にした様子もない。それに対して、グレイも特別反応をするようなこともなかった。


「あー、オレも両親いないっスよ。店長のいた世界のことはわかんねえけど、オレらの世界じゃ、そういう奴って割と多いんじゃねーかな」


「そうですね、なのでヨウさんが気にすることではないです」


 俺も早くに両親を亡くしてはいるが、二人とはそもそも年齢が違うし事情も異なるだろう。だが、二人の言い方を聞くに、この世界ではそれが珍しいことではないようだ。

 これまでカフェに来た子供たちは、それぞれ両親がいたのでそんな発想すら湧いてこなかった。けれど、産まれた地域などによっても違いがあるのかもしれない。

 この世界での生活に馴染んできたように思えても、俺はまだまだ知らないことの方が多いのだ。


「じゃあ、コシュカはおばあさんたちと暮らしてるんだ? 前に、弁当持って来てくれたし」


 あれは祖母の手作りだと言っていたので、少なくとも祖母と一緒に暮らしてはいるのだろう。

 そう思っての問いだったのだが、またしても思いがけない言葉が返ってくる。


「はい……といっても養母のようなものですが。町長とその奥さんが一応、私の祖父母にあたります」


「え、じゃあ町長の家で暮らしてるのか……!? そんな気配ちっとも……」


 町長がコシュカの祖父だなんて、今まで一言も聞いたことがなかった。

 彼女が町に帰って行っているのは知っていたが、この世界には履歴書なんてものはない。帰宅する家の所在地までは知らされていなかったのだ。

 俺がこの世界にやってきたばかりの頃、カフェが完成するまでの数日を、町長の家で過ごさせてもらったことを思い出す。

 しかし、その時にコシュカとは顔を合わせていなかったので、同じ家の中にいたとは思いもしなかった。

 次々と明かされていく家庭事情に、俺の頭は混乱していく。


「町長も特に話す必要はないと判断したのでしょう。そのくらい、この世界では普通のことだということです」


「そういうものなのか……」


 世界が変われば事情も変わる。

 それはそうなのかもしれないが、驚くことくらいはさせてほしい。


「オレも料理人始めたのも、ガキの頃は腹空かしてばっかで食うモンに執着があったからだし。生い立ちが特殊な奴なんて、探せばそこら中にいるもんスよ」


「それを言うなら、ヨウさんだって十分特殊な事例だと思いますが」


「フハッ、そりゃそーだ! 店長は異世界から来てんスもんね」


 言われてみれば、確かに俺が一番特殊な人間なのだろうか?

 言い伝えがあったとはいえ、この世界の人たちが俺をすんなりと受け入れてくれたのは、そうした背景もあってのことなのかもしれないと思った。


「店長、異世界ってどんなトコだったんスか?」


「それは私も興味があります」


 そんなことを考えているうちに、気づけば二人の関心はすっかり俺の方へと向けられていた。元の世界といわれても、何か聞かせて楽しいようなことがあっただろうか?


「う~ん……そうだな、こっちの世界と違うのは、自動で動く乗り物があったり、遠くにいても顔を見ながら話ができる機械があったり……?」


「自動でって、馬車とかじゃなくてっスか?」


「うん。電車っていって、鉄でできた大きい箱が凄いスピードで走るイメージかな。あとは自動車っていう、馬のいらない馬車みたいな乗り物とか」


「顔を見ながら話すというのは、魔法を使うわけではないんですか?」


「俺のいた世界に魔法は無かったよ。スマホっていう小さい機械を使って話をしたり、瞬時に文章を送ったりするんだ」


 俺にとっては生活の一部で、当たり前の話ではあるのだが。二人は想像以上に食いついてくれて、映画や遊園地といった娯楽の話や、この世界には無いものの話で盛り上がった。

 元の世界の話をしながら、そこでの生活に懐かしさを感じる。

 けれど、元の生活に戻りたいと思わないのは、今の生活が充実しているからなのかもしれない。


 楽しい時間はあっという間で、俺たちはヨルが就寝の催促をしに来るまで、話し続けていたのだった。

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