16:猫は戦を失くす?
猫カフェSmile Catは、今日も繁盛している。
足繁く通ってくれる客は、早ければスタンプカードが二枚目に突入していた。
コレクションとしても楽しむことができるように、枚数が増えるごとにカードのデザインを変えることで、それを集めるという目的もできたようだ。
新しく増えた人間用のカフェメニューも好評で、猫だけでなく食事を目当てにやってくる客も現れるようになっていた。
どうせ外で食事を済ませるのなら、猫が見られるあのカフェで。
そんな人も増えたのだと、教えてくれたのはコシュカだった。町に戻ると、住人からカフェについての話題を振られることが増えたらしい。
「ヨウさんが頑張っているからですね」
コシュカはそんな風に言ってくれたが、俺だけの力でここまで来られたわけではない。
これまで支えてくれたコシュカの力はもちろん、今はグレイという頼もしい戦力も増えたのだ。
グレイは、想像以上に働き者だった。当初は厨房担当をメインとしての採用だったのだが、気がつけば閉店後の店の掃除や、猫たちの世話なども手伝ってくれている。
俺がこうして好きなようにカフェを運営できているのも、従業員に恵まれているからにほかならない。
当初は猫たちを一番に考えていたカフェだったが、今は従業員にとっても働きやすい環境にできていたらと思っている。
そんなある日、店にやってきていた客の一人の様子がおかしいことに気がついた。
浅葱色のロングヘアーが印象的な女性客だったが、連れはおらず一人での来店だ。その表情がどこか不機嫌そうに見え始めたのは、席について少し経ってからだっただろうか。
猫に危害を加えるような様子もないので、こちらから声を掛けることはしない。けれど、彼女はしきりに時計を気にしているようだった。
この店にやってくる客は、たとえ来店時には不満げな様子であっても、大抵は猫と触れ合ううちに表情が綻んでくるものだ。──客だけでなく、従業員も同様なのだが。
それでも、その女性は来店から一時間以上が経った今、不機嫌さが増しているようにも思えるのだ。猫たちが粗相をした様子もないので、原因がわからない。
その女性を気に掛けていた時、栗色で短髪の男性客が店に駆け込んでくる。当然驚いて逃げ出す猫たちもいたので、注意しなければならないとそちらに足を向けかけた時だった。
「信じられない! いつまで待たせるつもりよ!? そんなにアタシのことがどうでもいいっていうなら、アンタなんかとはもう別れてやるわ!!」
「ま、待ってくれキーラ……! 僕の話を……ッ」
「アンタの話なんか聞いて何になるっていうの!? アタシを馬鹿にするのもいい加減にして頂戴!!」
俺が注意するよりも先に、男性客の姿を見つけた女性が烈火のごとく怒りだした。
そのとんでもない勢いに唖然としてしまうが、突如として響く怒鳴り声に、他の客はもちろん猫たちも驚いている。
このままフロアのど真ん中で言い合いをさせるわけにはいかず、俺は咄嗟に二人の間に割って入った。
「あの……! 申し訳ございません。猫たちが驚いてしまいますので、あちらの部屋にご移動願えますか?」
「す、すみません……」
女性の方はすぐにでも帰りたそうにしていたが、第三者が割って入ったことで少しだけ冷静さを取り戻したのかもしれない。
男性の方は相当走ってきたのか、よく見れば汗だくで、まだ呼吸が整わないようだった。
今日はお忍びでやってきている国王陛下もいなかったので、二人をVIPルームへと案内する。
テーブルを挟むようにして向かい合った二人は、ソファーに腰を下ろしたまま、先ほどまでとは打って変わって沈黙していた。
「それでは、私はこれで失礼……」
「待ってください、店長さん。私、今この人と二人きりにされたら、また感情的になってしまうかもしれないので……少しだけ、ここにいてくれませんか?」
二人で話し合いができるよう個室に誘導をしたつもりだったのだが、部屋を出ようとする俺を引き留めたのは、女性の方だった。
他にも仕事はあったし、何より他人の揉め事に巻き込まれたくはない。
そう思いはしたのだが、また怒鳴り声が響き始める方が問題は大きくなってしまうかもしれないと判断して、結局この場に残ることにした。
「この人……フェインは、アタシの恋人なんです。もう別れるつもりだけど」
「待ってくれキーラ……! 頼むから、僕の話を聞いてくれよ」
「聞いてどうなるっていうの? いつもいつも遅刻ばかりで、何回注意したって直らないじゃない」
どうやら、フェインという男性客は、遅刻常習犯のようだ。彼女が時計を見て不機嫌そうにしていたのも、彼が遅刻をしたからだったのだろう。
キーラという女性客が来店してから、少なくとも一時間以上だ。そんなにも遅刻をしていたというのであれば、彼女の怒りにも頷ける。
「猫たちを怯えさせてしまってごめんなさい、店長さん。でもね、アタシにとって今日は特別な日だったの。この人はきっと覚えてもいないんだろうけど、今日くらいはって、期待なんかしたからいけなかったのね」
(ずっと我慢をしてきて、大事な日にまで裏切られたら……そりゃあ、怒りも爆発するだろうな)
口には出さないが、彼女の怒りは至極当然のものだと思えた。
フェインの方は顔面蒼白になっており、キーラの様子がこれまでとは違うと察したのだろう。今回ばかりは、謝罪をしたところで許されるものではないと、第三者の俺でもわかる。
「そういうことだから、話し合いなんてするだけ無駄なんです。この人が遅刻をしてきた時点で、アタシたちは終わりだったの。だから……」
「「ニャア」」
ほんの僅かでも、話し合いに応じる気などない。そう感じさせるキーラが立ち上がろうとした時、どこからか猫の鳴き声が聞こえてきた。
それを確認するよりも早く、彼女の膝の上に二匹の猫が飛び乗ったのだ。
「え、ちょっと何……!?」
キーラの膝の上にいたのは、
二匹の猫を膝から落とすわけにもいかず、キーラはそのまま動けなくなってしまった。
「急にどうしたっていうのよ? 悪いけど、アタシはもう帰るの。退いてくれない?」
「「ニャオ」」
困ったように猫たちに語り掛けるキーラだが、二匹は聞き入れる様子もなく、我が物顔で膝の上を陣取っている。彼女は助けを求めるように、俺の方を見た。
フェインに対して怒っているとはいえ、待ち合わせ場所にこの店を選んだのだ。彼女も猫のことが好きなのだろう。
だからこそ、膝に乗ってきてくれた猫を、無理に退かすことができずにいるのかもしれない。
今キーラの膝の上に乗っている
「っ……キーラ」
それを目にしたフェインは、立ち上がると唐突にキーラの足元に跪いた。
始めは土下座でもするのかと驚いたのだが、どうやらそうではないらしい。キーラも突然のことに目を丸くしているが、逃げ出すことができないので彼の行動を見守らざるを得ない状況だ。
「な、何よ……もうアンタと話すことなんか……」
せめてもの拒絶を示そうとしたキーラだが、紡がれた言葉は半端なところで途切れてしまう。
ポケットから小さなケースを取り出したフェインが、彼女に向けてそれを開いて見せたからだ。
そのケースの中にあったのは、彼女の髪と同じ浅葱色をした、綺麗な宝石の嵌まった指輪だった。
「怒らせてばっかりで、本当にごめん。今日は絶対に遅刻しないって決めて、ちゃんと早い時間に家を出たんだよ。信じてもらえないかもしれないけど、嘘じゃないんだ」
ケースを差し出す腕が、緊張で震えているのがわかる。
キーラは戸惑っている様子だが、彼の言うことが信用に足るものか、判断に迷っているようにも見えた。
「隣町にいる腕のいい職人に、特注でこの指輪を作ってもらってたんだ。だけど、急な材料不足で加工が少し遅れてるって言われて……店で完成を待っていたら、結局こんな時間になっちゃってた」
「そんなの、アンタの今までの行動見てたら信じられるわけ……大体、何で指輪なんか……」
「だって今日は、僕らが付き合って三周年の記念日だろ?」
「……!」
明らかに、彼女の表情が変化したのがわかる。
キーラにとって特別な今日を、彼は覚えていないだろうと言っていた。けれど、フェインはちゃんと覚えていたのだ。
「こんな時まで格好がつかない男だけど、僕はキーラじゃないとダメなんだ。これからは遅刻もしない。キミを悲しませるようなことは全部しない。だから……僕をキミの夫にしてくれませんか」
「…………バッカじゃないの」
彼女の口からこぼれ落ちたのは、冷たい一言だった。
けれど、その瞳からは大粒の涙がとめどなく溢れている。その雫が猫たちの背中に落ちると、伸び上がった二匹の猫が涙をペロリと舐め取った。
「約束、これ以上破ったら承知しないんだから」
そう言って思わず口元を綻ばせたキーラは、フェインから指輪を受け取ったのだった。
本来なら、約束を破られた時点で彼女は店を出ていてもおかしくなかったはずだ。
しかし、一時間以上も待ち続けていたのは、キーラ自身もまだ彼のことを信じたいと思っていたからなのかもしれない。
「キミたちも、ありがとう。アタシのこと、引き留めてくれたんだよね」
「あの……」
「あ、店長さん……! すみません、お仕事中なのに僕らのいざこざに付き合わせてしまって……!」
「いえいえ、無事に解決したようで良かったです。ご結婚おめでとうございます。……それからこれは、お二人にとっては余計なことかもしれないご提案なんですが」
先ほどまでとは異なり、隣に並んだ二人は照れたように顔を見合わせて笑い合う。
そんな二人に提案したのは、
本来、自ら希望していない客にそのような提案をすることはないのだが。
俺をこの場に引き留めたキーラもまた、心のどこかでは、フェインとの話し合いに応じる口実となる存在を求めていたのかもしれない。
始めは悩んでいた二人だが、自分たちのために行動してくれた
式を挙げて新居が決まったら迎えに来るということで、誓約書にサインを貰うこととなった。
「今日はお手柄だったな。お前たち、二人の本心に気付いてたのか?」
「「ニャア?」」
二匹の猫は、揃ってとぼけたように鳴く。
けれど、猫が繋ぎ止めた縁であることは間違いないように思えた。
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