06:one for cat, all for cat.


 猫たちの世話というものは、一筋縄ではいかない。

 ブラッシングを好む猫もいれば、簡単には触らせてくれない気難しい猫もいる。猫にもそれぞれ性格があって、そこは人間と同じようなものだろう。

 情報屋を営むクルールの親の口コミもあって、あれから店には絶え間なく客が訪れていた。

 始めは様子見ということで昼だけの営業にしていたカフェだが、徐々に時間を延ばして、猫たちの夕食の時間まで営業を続けることにしている。


 初めてカフェを訪れる客のために、わかりやすいルールブックを作ることにした。

 そこには主に、「猫を驚かさないこと」「嫌がる猫に無理矢理触れないこと」といった、基本的な項目を記載してある。

 さらに、客層によっても案内する部屋を分けるシステムをとっていた。

 子連れの客や猫にまだ恐怖心がある客には、人懐っこくて大人しい猫がいる部屋を。

 ルールを守れる大人の客には、それ以外の猫もいる部屋を。


 壁がガラスで仕切られていることによって、別室にいる猫を眺めることもできる。天井の一部もガラス造りになっているので、そこに座る猫の肉球などを堪能できる仕組みだ。

 こんな場所なら自分が嬉しいだろうと想像して設計してもらったのだが、すっかり猫という存在を受け入れてくれた客からも、これらは好評だった。

 始めは冷やかし半分で覗きに来た客もいたのだが、今ではすっかり猫の魅力の虜になっている。オープンからまだ半月ほどではあるが、早くも常連になりつつある人もいた。

 その中には、あの三人の子供たちもいる。

 あれから親の許可を得られたこともあって、よく三人で遊びに来るようになったのだ。親から持たされたというので、今度はきちんとお金も貰っている。


 店の中でも一番人気を得ているのは、やはり人懐っこくてサイズ感が愛おしい掌猫カップキャットだ。子供から大人まで多くの層から支持を得ており、連れ帰りたいとまで言われたこともある。

 元の世界では、生まれたての子猫のサイズだ。子猫はあっという間に成長してしまうので、その小ささを堪能できる時期は短い。

 それが掌猫カップキャットの場合には、ずっと子猫のサイズ感を堪能できるのだ。あんなに小さな生き物がてこてこと動き回る愛らしさは、俺にもよく理解できる。


 次に人気が高いのが、風船猫バルーンキャットのバンだった。

 始めは意外だと思ったのだが、猫カフェには思いのほか癒しを求めてくる客が多い。その癒しの代表格ともいえるのが、人間が全身を埋められるほどの体躯を持つバンだった。

 ヨルのような通常サイズの猫の腹に顔を埋める時間も至福だが、あのふかふかに全身を埋もれさせられるなんて夢のようだ。究極の癒しともいえるのかもしれない。

 店のオープン前に、バンに合わせた特注サイズのブラシを制作してもらった。お陰で、バンの毛並みは最高のものに仕上がっている。

 とはいえ、看板猫であるバンもいつも店の横にいるわけではない。バンに限ったことではないが、カフェの猫たちは首輪で繋いでいないし、閉じ込めてもいない。

 常に自由にさせているので、彼らの気分次第で会えない日もあるのだ。


 この猫カフェの主役はあくまで猫たちであり、猫たちの気分によって営業されているといっても過言ではない。

 そんなフリースタイルでの営業だったのだが、運次第で会える猫が変わるというのが、客からしてみると面白いものに映ったらしい。

 お目当ての猫がいる客も、たとえその猫に会えなかったとしても次の機会に賭けよう、と肩を落とすことなく帰っていくのだ。


「ヨウさん、ちょっといいですか」


 今日も多くの客を迎え入れたカフェも、あっという間に閉店の時間になる。最後の客を見送って片づけをしていると、コシュカが声をかけてきた。


「どうかした?」


「最近忙しくて、あまり食べていないんじゃないですか?」


 歩み寄ってきたコシュカは、俺の瞳を覗き込みながらそんな問いを投げ掛ける。宝石のような碧眼が間近に迫ってたじろぐが、その指摘には心当たりがあって思わず視線を泳がせてしまう。


「いや、まあ確かにお客さんがたくさん来てくれて忙しくはしてたけど……ちゃんと食べてる、つもりダヨ」


 嘘だ。実際は、営業している時間は常に何かしらの仕事をしているし、閉店した後には店の掃除や猫たちの世話をしている。

 接客業なので汗臭さのする従業員など論外だし、シャワーはしっかりと浴びるようにしている。

 早朝には客に提供する食材や、猫たちの食事の材料の仕入れにも出掛けている。

 夜は倒れ込むように眠ることもあるのだが、そうなってくると自分の食事を作ることは、どうにも後回しになってしまうのだ。


 そんな俺の生活スタイルを、彼女は見抜いているらしい。

 ひとつ大きな溜め息を吐き出したコシュカは、帰り支度を済ませたバッグの中から、ひとつの包みを差し出してきた。


「……えっと、これは?」


 可愛らしい花柄の布地に包まれた箱のような何かは、受け取ってみるとそれなりに重みがある。けれど、中身がわからずに俺は彼女を見た。


「お弁当です。そんなことだろうと思ったので、持ってきました」


「え!? お弁当って、まさかコシュカが……!?」


 俺の健康を気遣って、手作り弁当を持って来てくれていたというのか。普段は表情の読めない彼女だが、俺のためにこんなことをしてくれるとは思ってもみなかった。

 感動している俺の様子を尻目に、コシュカは家に帰るべく出口へと向かっていく。


「ヨウさんが倒れたりしたら猫たちが困りますので。それと、お弁当は私ではなく祖母の手作りです」


「ああ、おばあさんの……ありがたくご馳走になるよ、お礼を伝えておいてくれるかな」


「わかりました。それでは、お疲れさまでした」


「うん、お疲れ様」


 落胆しなかったといえば嘘になるかもしれないが、彼女が気遣ってくれたことに変わりはない。それに、コシュカの言う通り、俺が倒れてしまったら猫たちが困るのだ。

 つい疎かにしてしまっていたが、これからはもう少し自分のことにも気を配るようにしようと思えた。


 残る仕事を済ませてシャワーを浴びてから、俺はコシュカがくれた弁当を開封する。

 この世界の食べ物も、元の世界と大きな違いがあるわけではない。そこにはトマトベースの煮込み料理や、肉団子が詰め込まれていた。


(……そういえば、誰かの手料理なんて久しぶりに食べるな)


 そんなことを考えながら、俺は弁当に手をつけ始める。味付けはしっかりとしているが濃すぎず、野菜もたくさん入っていて栄養のバランスも良さそうだ。

 元の世界で生活をしていた時も、自分で料理を作ることなどほとんど無かった。もっぱらコンビニに頼りきりで、栄養は偏りまくっていたことだろう。

 両親は早くに亡くしていたし、仕事の忙しさを理由に友人たちとも疎遠になっていた。俺が行方不明扱いになっていたとして、悲しむ人間を残してきていないことは幸いなのかもしれない。

 無断欠勤で、職場には迷惑をかけているかもしれないが。


「ミャア」


「ん? どうしたヨル、お前は食べられないぞ。自分のがあるだろ」


「ミャウ」


 弁当の中身を覗き込んでヨルが鳴くので、話しかけると返事が返ってくる。言葉は通じていないはずなのに、会話をしているようで少しおかしかった。

 肉団子に黒い前足を伸ばしてくるので、俺は慌てて弁当箱を取り上げる。不満げに鳴かれても、人間の食べ物を与えるのは良くないだろうから仕方がない。

 やがて諦めたヨルは、食べかけの魚が残った自分の皿へと戻っていく。


 この世界で暮らし始めて、わかったことがある。

 猫のほかにも、動物は存在している。野生の生き物たちはもちろん、家畜として飼われている動物もいるのだ。

 だからこそ、食卓には様々な肉や魚が並ぶし、卵や牛乳だって扱う。

 ただ猫だけが、元の世界との扱いが異なっているのだ。どうやら、ペットとして動物を飼うという概念が存在しないらしい。

 それは、猫が魔獣であり、魔獣は危険な存在であるという共通認識のせいでもあるのだろう。俺だって、産まれた時からそうやって教え込まれていたら、猫を危険な生き物として扱っていたかもしれない。


(だけど、少しずつ認識は変わってきてる)


 見切り発車と言われても仕方のない猫カフェの営業だったが、少なくとも店を訪れてくれた人たちは、もう猫に対して恐れという感情を抱いてはいないだろう。

 これがもっと広く認知されていけば、いつかは猫たちが魔獣として扱われない日が来るかもしれない。

 途方もない目標かもしれないが、もしも俺が本当に勇者という存在であるのなら、猫たちにとっての勇者になりたいと思った。

 そして、このカフェを通じてそれが実現できるのではないかとも考えている。


 まだ開店したばかりのこの店で、多くの人の笑顔を見てきた。猫たちもまた、人間から拒絶の視線を向けられて、洞窟で暮らしていた時よりものびのびとして見える。

 恐れるべきものだと思い込んでいるだけで、この町以外の人間だって、猫と分かり合うことができるはずだ。俺は、そう確信していた。


 皿の中の魚を綺麗に平らげたヨルは、満足そうに舌なめずりをしている。

 同じく食事を終えた俺は、空になった弁当箱を洗ってから猫たちの最終チェックをする。

 猫は夜行性だというが、昼間に客にたくさん遊んでもらうからか、猫たちのほとんどは夜は疲れきって眠るようになっていた。

 いつものようにベッドに横になると、呼ぶよりも早くヨルが隣に飛び乗ってくる。


「また明日も頑張らなきゃな、ヨル」


「ニャ」


 短く返事をしたヨルの背中を撫でながら、俺は満たされた気持ちで眠りに就いた。

 明日が、いつも通りでは済まないとも知らずに。

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