第22話 帰還

 重たい瞼を押し開くと、明るい日差しが真っ先に目に飛び込んできた。頭上には仮ごしらえのテントのように薄い布が広げられ、その向こうから日差しが零れ落ちている。それから遠くのざわめきと、すぐ側からの声。

 「ロードさん!」

 「……あれ」

ヒルデだ。眩しさに手を翳しながら、ロードは手を翳しながら、ぼんやりとした頭で尋ねた。

 「何でここに?」

 「何で、じゃないですよ…」

涙ぐみながら、彼女は起き上がろうとしたロードの胸元にぎゅっと顔を押しつけてきた。

 「え? え?」

混乱している間もなく、後ろからさらに激しい衝撃が襲ってくる。

 「やっと起きたー!」

 「うわっ、ちょ」

両腕をロードの肩に回して、ハルが全力で抱きついてくる。

 「昨日からずっと眼を覚まさなかったんだ、身体が冷たくて…よかった!」

 「このまま目を覚まさなかったらどうしようかって! 心配したんですよ? どうして一人だけ死に掛けてるんですか!」

 「そうだよ! どうしてあそこで行方不明になったりするかな?!」

 「いや、それ、おれのせいじゃ…」

前と後ろから二人に責められ、しかも二人とも涙目になっているのを見て、ロードは、諦めてひとつ溜息をついた。

 「…ごめん。」

 「おーおー、派手にやってると思ったら」

レヴィの嬉しそうな声が近づいて来る。顔を上げると、珍しく上着を脱いで、腕まくりまでした黒髪の魔法使いの姿があった。

 「意外と元気そうだな、気分はどうだ?」

 「暑くて苦しいのを除けば問題ない…けど、ここは? 一日寝てた、って、あのあとどうなったんだ?」

 「んーまあ、大して進展はない。今は被害状況の確認と<影>の残りの始末…あとは、国境を越えて来た連中の送還くらいか。


 彼は、ちらりと視線を遠くにやった。

 「ここはエベリアの町のすぐ側。アステリア軍の駐屯地とは別だよ。あのあとすぐ、ヒルデとリスティが援軍に来てくれた。リスティは今、炊き出しに行ってる」

周囲に注意を向ける余裕が出てくると、ざわめきの多くが聞き覚えのある声だと気が付いた。

 リドワンやヤズミンたちも、まだ、この周辺にいるらしい。あれから一日だけしか経っていないのなら当然だ。けれどロードの中は、ずいぶん時間が経過しているような気分になっていた。

 「おれは…どうやって戻ってこられたんだ」

 「さあな。分からない」

 「分からない、って。」

 「こっちに飛ぶとき、リューナスに干渉されたのまでは分かった。お前だけ向こうの世界に取り残されたらしいって気がついて…けどその時にはもう、世界の境界が出来上がってた。こっちからはどうしようもなくて、どうやって連れ戻すかあれこれ言い合ってた最中に、お前は突然現われた」

 「現われた?」

 「エベリアの隠し部屋の真ん中に落ちてきたんだよ」

と、ハル。まだロードの身体を抱えたままだ。

 「ふーん。」

 「ふーんって…何やったんだよ、お前。目印もなしに、世界の外側をどうやって戻ってこられたんだ」

 「目印ならあったよ、沢山。」

 「沢山?」

 「それはまあ、いいとして、だ…」

ロードは、前後二人の人間の重しを手で押しやった。

 「…そろそろ離してくれると嬉しいんだけど。」

 「あーっ、ロード!」

天幕の下にフィオが駆け込んでくる。

 「おっ、お目覚めだね」

ヤズミンとシエラも一緒だ。

 「ヒルデ!」

その後ろから、大柄なノルデンの騎士がのっしのっしと近づいて来る。後ろでユルヴィが慌てて何か言おうとしているが、彼は邪険にそれを腕で押しのけた。

 「人前で何というはしたないことを。離れろ! ここへ来たのは、お前を連れ戻すためでもあるのだぞ」

むっとして、ヒルデはロードの腕を掴んだまま、後ろに隠れるように身体をずらした。

 「嫌です。帰りません。」

 「何を言っている! 母上がどれほど心配しているか。お前は由緒正しい…」

ヴァーデが一歩踏み出そうとしたとき、行く手を阻むように白い腕が延びた。

 ハルだ。

 「残念だけど、ヒルデはもう、うちの子だからね。返さないよ?」

 「なっ」

 「だいたいさ、君、まえにロードのこと殺そうとしたよね? あれまだ許してないからね? 今回手伝ってくれたから少しは許してあげてもいいかなって思ってたけど、邪魔するなら容赦しないからね」

まくし立てるハルに威圧されて一歩後退りながら、ヴァーデは慌てて隣にいたレヴィのほうを見た。

 「おい、昨日と全然違うぞ。本当に同一人物か」

 「残念ながら、こっちの親バカのほうが本性だ。」

頭の後ろで腕を組みながら、もう一人の"鴉"は苦笑いしている。

 「けどハル、いいのか? ヒルデにロードを取られることになるんだけどさ」

 「何で?」

 「何でって…」

 「僕、娘も欲しかったんだよね」

 「なっ」

 「諦めろ、ヴァーデ」

いつの間に現われたのか、後ろでリドワンがくっくっと笑っている。

 「力づくで取り戻せる相手でもなかろう。それに、またとない縁だ。損にはなるまい」

 「…くっ」

騎士は、小さく呻いて片手で顔を覆いながら仮ごしらえのテントの下を後にする。ちょうどやって来た、スウェンやシャロットたちと入れ替わりだ。

 「じゃ、そろそろあたし帰るね」

と、フィオ。

 「ロードも起きたし、怪我してる人の治療も終わったし。シグマに任せっきりだから森のことが心配なの。レヴィ、お願いしてもいい?」

 「ああ、送っていく。…そっちの連中は? どうする」

視線を向けられたスウェンは、ちょっと肩をすくめた。

 「どうせ国内だ、こちらは自分で帰るよ。ついでに、ノルデンの物騒な皆さんも国境まで確実にお届けしないといけないからな。開発中の機密情報も色々と知られてしまったことだし、口止めも兼ねて」

 「まさか、あの不恰好な魔道具とやらのことを言っているのなら見当違いだ。興味を抱く価値もない」

黒ローブの魔法使いが、わざとらしくふんと鼻を鳴らす。

 「そちらこそ、我が国の技術を流用する気ではあるまいな」

 一見、仲が悪そうに見えるが、これはもう儀式のようなものだ。

 対立を装った、お互いの立場の確認。群れの長同士がナワバリを確認しあっているだけの形式的なもの。

 「ついでだから新婚旅行も兼ねて、ノルデンまで行ってみない? どう、シエラ」 

 「いえ、あの…」

シエラは困ったように微笑んでいる。

 向こうの方から、数台の馬車が土埃を蹴立てながら近づいて来るのが見えた。一行の目の前で止まった馬車から、飛び降りてきたのは、リリアだ。

 「準備は整いました、皆様を国境までお送りできます」

 「では」

スウェンは優雅にお辞儀をし、ちらとロードのほうに視線を投げかけたあと、馬車の中に消えていった。

 「はあ…。」

ヴァーデは、その場に残るつもりの弟妹たちをそれぞれに眺めると、溜息まじりに背を向ける。

 「ロードくーん、フィオちゃーん、まったねー!」

馬車の窓から、頭に派手なリボンを結んだシャロットが大きく手を振っている。

 「レヴィ、もう出発?」

リスティが戻って来た。

 「ああ、フィオを送ってったら塔に戻るとしよう。じゃな、ロード。また後で家に行くから。」

去って行くのはあっという間だ。


 レヴィたちが扉の向こうに消えると、辺りは途端に静かになった。昼の日差しの下、エベリアの町はあっというまに空っぽになっていた。残りは、遠くの方でアステリアの陸軍が動いているのが見えるくらいだ。

 黒こげのままの町の風景を除けば、平和そのもの。

 「…西からここに向かっていた、”鴉”に騙されてた人たちは?」

 「ほぼ全員、途中で補足されて国境に送り返されたよ」

と、ハル。

 「納得していない人も沢山いた。楽園なんてまやかしだと説明しても…彼らにとっては、希望だったんだ。たとえそれが、空虚な希望であっても」

そう言って、小さく首を振った。

 「家族を亡くすのがどれだけ辛いかは、僕だって判ってる。でも、いつかは過去と向き合って前を向いて歩いていかければならないんだ。…それが、生き残った者の勤めだから」

 「……。」

 天幕の下から一歩踏みだすと、明るい日差しが足元に影を落とし、代わりに全身を包み込む。

 今は辛くて下を向いたままだったとしても、それでも、生きていればいつかは顔を上げて歩き出すのだろう。

 リューナスの創りあげた、閉ざされたあの世界には無かった青い空を見上げて、ロードはそう思った。


 この世界は、俯いているには勿体無いくらい、とても――美しい場所だから。


 「さて。おれたちも帰ろうか」

そう言って、ロードは、ヒルデの腕を取った。

 「あ」

 「何?」

 「あ、いえ…」

少女は言葉を詰まらせて俯いた。ハルが、にやにやしながら二人の間に入って来る。

 「ロードはすぐ危ないことするから、ヒルデがいてくれないと困るんだよね。」

 「今回のは違うだろ。最深部への突破口を開けって言ったの、ハルじゃないか」

 「一人で突っ込めとまでは言ってないし、リューナスと一対一で戦うなんて思わないよ。視てて心臓が止まるかと思った」

 「時間稼ぎにはなったじゃないか。ギリギリだったんだし」

 「そんなの結果論だ。」

口調だけは怒っている風を装いながら、楽しそうに笑っている。

 その笑顔の向こうに、一瞬だけ、最初に会った時の泣き出しそうな表情が、過去の世界での無表情だった姿が重なる。


 あの時、笑っていて欲しい、と思った。

 彼だけではなく、周囲にいる、関わったことの在る、全ての人たちに。視える範囲の人たちに。


 それはきっと、この先、今よりずっと広い範囲になる。全ての人たちの笑顔は見られないかもしれない。世界中をたった一人でどうにかすることなんか無理だ。

 でも、もし一人ではなかったとしたら――?

 「…ハル」

 「ん?」

 「今回、沢山の人たちに協力してもらったよな。アステリアや、ノルデンや、ソランの…」

 「そうだね」

闇の中で見た、星々の輝きの間にあった光の線。

 自分と繋がる星の周囲にあったあれは、ハルやヒルデ、レヴィやフィオ、…自分を心配してくれた人たちの輝きだった。


 空にある、人と繋がる星の輝きは、それぞれが独立しているわけではなかった。無とも呼べる闇の中で、互いに繋がり、呼応しあい、一つとして独立して輝いているものは無いように思えた。

 「ランドルフさんが言ってたんだ。賢者が三人いるのは、三者トライアッドが共に影響しあう時、最も効率的に相乗効果を発揮するからだって。けど、思ったんだ。もしかしたら三人よりも、三人が三倍いたほうが――」

 「ロード」

ハルが微笑む。

 「それは僕には答えられないよ。君が答えを見つけたなら、それが正解だ」

 「……。」

並んで歩きながら、ロードは、視線を遠い海の方角に向けた。

 たとえ不完全だとしても、世界は少しずつ変わってゆく。

 それとともに、世界を形作る魔法も、少しずつ変化してゆく。


 きっと、今から続く道は、今までの"賢者"たちの誰も知らない、新しい世界なのだ。

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