リュミエンヌ

真砂 郭

街道で出会うモノ

 誰も知らないその建物は謎めいている。


 見知らぬ荒野の果て

 見通せぬ樹海の奥

 見果てぬ頂の上に虚空を見る


 それが建築されたものだと

 誰が言い出したのか

 その男は何者なのか

 或いは女であったかもしれない


 いずれにせよ誰が語ったものであるかは

 定かには非ず、されど軽んずべからず。


 いにしえの語り部は天幕のうちに語る


「あなたは知っていたな、その名を」


 尋ねたその少女の名は今に伝わっていない

 怜悧な眉に瞳は青く、黒髪に涼やかな声で

 ひどく大人びた視線は”それ”を問う。


「出会ったのであろう、この世界のどこかで」


 老いた語り部はそらした視線で白状した。

 語らずとも分かった、沈黙に勝る雄弁はこれに無しとは

 このことだった。


 語らぬはずの語り部の視線を追っている少女。


 彼女もまた謎めいていた。隙間から除く桜色の舌先が

 品よく整った上唇をチロリと舐める、その口元は

 微かに笑っていた、後年「怖い女」の二つ名で今日知られる

 彼女はその由来である歪んだ微笑みで問い直す。


 それは女であろう、男であったやも知れぬがそれは問わぬ、と。


 そう言い残すと少女は座敷からすっと立ち上がり、懐の少なからぬ”銭”を老いた語り部に握らせてその場を去った。


 見送る老人には安堵の表情は浮かばない、この”はした金”のために

 売り渡してしまったもの価値に今更ながら彼は思いを馳せる。


 渡したものだからもはや”責任”は持てないなど愚かな言い訳だ。

 齢を重ねた最後にこのざまとは…。自嘲の笑いが無数の深いしわを刻んだ顔に滲んでゆく。少女に握らされた銭の重さが恨めしい。


 老人の愚痴を知る者はいない、と彼は信じたい。今や本気で語り部は考え始めた、訪ねた時に少女は一人。周りには誰もいないはず。そのはずだったと疑念を打ち消す、無理でもそう信じたいと彼は念じた。


 その語り部は翌朝には天幕を畳み、ひとり夜明けの街はずれを何処かへと歩み去っていたと噂は伝えている。そして今日、彼の行方は誰も知らない。そして忘却の彼方で老人は人知れず余命をつないだ。


 天幕の外はほの暗く燃えがらの炭のような雲が流されてゆく。

 陰鬱な夕景に少女の影が浮かび上がる。小柄にも見えるがそれは錯覚でもあった。上背があっても細身の彼女は小さく見えた。


 黒い外套で全身を覆い、丸腰にも見えたが傍目には”見えない武器”の「存在」をその細身なたたずまいからは否応もなく感じさせている。


 荒くれた戦士のような露骨な挑発はしないが、あたかも見えない”警戒色”で”周囲の注意”を促し、端整だが幼さを残す顔立ちに似合わない”危なさ”がそのたたずまいからも匂い立っている。


 その印象が一致しないアンバランスさに得も言われぬ「年齢不詳」さが容姿の上にも際立っていた”少女”であった。


 冷ややかでいて、その快活な足取りは年齢不相応な落ち着きを漂わす一方、今は手練れの使い手でもある”油断のならぬ”気配を全身から醸している。


「聞いているな?」


 歩きながら彼女は空に向かって上目遣いにささやいた。

 暗がりに”うなずく”気配。独り言のように少女は続ける。

 あの爺の言うことに嘘はない、噂は本当だろう。


「爺には気の毒だが…これも身のため」と言葉を区切って視線を落とし、あたかもその身上をいたわるかと思いきや、彼女は不意に見開く目で、ニッと歯を見せるように酷薄な「笑い顔」を作って言った。


「欲ボケもほどほどにとかねてから言っておいたのだが、やはり無理か」


 これは嘘だった。そんなことは彼女は彼に言ったことはない。出会ったのも今日が初めてだ。あえて矛盾する”うそ”を言ったのは彼女なりのユーモア精神の発露だった。


 意味のない皮肉で自分を笑わせたいという乾いたユーモアは歪んだ欲求。誰にも理解されないその瞳には孤独が陰る。


「従者」の”それ”にはすぐに分かった。誰にともなく独白する癖が少女にはあって、辛辣な皮肉を芝居じみた調子で言い放つとしばしば相反する自身の心情に折り合いをつけているのだった。


 そう解釈するからこそ”それ”はやたらと相槌などは打たない、それが主の孤独を理解した「従者」の心遣いであり、また”相棒”としての必須な条件でもあった。


 時に無視してやることも彼女には必要だ。人間との付き合いの中で”それ”は学んだ。少女は決して仕えやすい存在ではなかったが、そうした「従者」の心情には必ず応え、その意味ではよくできた主(あるじ)だった。


「従者」はヒトではない。不可視・不読の存在、”契約”の「約定」を取り交わした少女といつも共にあり、常在の戦場にあっては最も頼りになる相棒だった。少女は”それ”を「ノワール」と呼ぶ。


 少女の知るところではその建物は正四面体のサイコロのような形をした、”完璧”な精度で構成されている人工物でちょっとした宮殿並みの大きさをした巨大なモノだという。


 あえて”モノ”と言ったのは、正面(と思しき)面には門があったが入り口ではなく、まして出口でもないらしい。出入口らしいものはそこだけで、窓もなく中には人影も見えない。滑らかな表面には四角い無機的な凹凸が幾つか存在するが、窓というわけでもないらしいことは先に述べた。


 内部に空洞があるかすらも外からでは確認できなかったと少女は聞いていた。実測はおろか魔法でも精査できないそれ。


「ノワール」は疑問を少女に尋ねた。少女もすぐに最初、思いついていた。いったい誰が見て何故それを「建築物」だと思ったのかということだ?


 それを建築物だと”知って”いたのは誰なのか?という根源的な疑問。そして本当にそうなのかという疑問。そしてなぜそれが”ここ”にあるのかという疑問。全く分からないことだらけだという。


 そこも含めて調査だと「依頼人」からの要望だ。


「なぜ、それを私たちに依頼したかということも含めてね」


 声なき声でノワールは少女の心に直接に呼びかける。依頼人こそが本件で一番怪しいです。ちょっと考え直しませんか?


「そういうお前が一番まともよ」


 少女はわざと屈託なく素直に笑う。だけど私はそうじゃないから請け負ったの。


「ご愁傷様」


 ノワールの気配が変わった。少女もノワールそのもの自体をその目で見たことはない。気配を感じるだけで声音すらも彼女は知らない。自分自身の異なる声が頭の中に響いてくる。そんな感じ。


 少女は先ほどの街から半日ほどばかり街道を東へと歩くと、道の傍らに”それ”はあった。巨大な乳白色の立方体が。それが当たり前のように…。


 あっけなさ過ぎてシュールすぎる。捜索など必要なかったしすぐに見つかったのはいいのだけれど…これはちょっとねぇ。


 少女はいぶかしむ、頭を抱えるしぐさで苦笑いしながら。


 こういうのがアリですか?ノワールもあっけにとられて素っ頓狂に答えを返す。


 少女の目の前にあるそれは明らかに常軌を逸していた。これでは国王の軍勢で包囲して、街道を閉鎖して周辺を立ち入り禁止にしたのも無理はない。国境ならすかさず「国際問題」に発展だろう。(「国境警備隊」ぐらいで対処できるような代物ではないし、そもそも「国定(宮廷付)魔術師」らが総動員されていないのが不思議だ、というレベルの事象だ。なぜここにいない?)


 しばしその場に立ち尽くした少女は(おそらくはノワールも)その周囲を歩き回りながら丹念に対象を観察する。


 きっと、こちらが観察してるのを向こうも監視しているのかも知れないが、こうして見ているだけではらちが明かないことでノワールと意見は一致した。


 正面と思しき街道に面した一面に戻ってくると、例の”門”がそこにあった。門扉らしき凹凸が表面に浮かび上がっていて、そこだけを見れば建物にも見えないことはない。しかしドアノブはおろか鍵穴もなし、足元にかろうじて階段状の段差を設けて入り口らしい体裁を整えている。


 フン!と鼻を鳴らして堂々とした足取りで階段状の正面を登っていく。まるでこれでは取り立てに来た”借金取り”のようだわと少女は”しかめ面”で気色ばんだ。一方のノワールはよりシリアスな対応に終始した。その緊張が少女にも伝わっている。


「分かっているのよ」


 あえて少女は静かな口調で、声に出して言う。誰に対してだろうか?と。


 わずか数段の簡素な作りで、すぐに(建物ならば)玄関らしき場所についた。ドアノッカーなど気の利いたものなどあるまいと思っていたが、それは以外にもそれらしい位置にあった。手を伸ばしかけてはみたが、やはり”良識”を利かせてすぐに止めた。ここが家ならさしずめトラップハウスだ。見るもの触れるものすべて危険、ということ。賢明ですとノワール。馬鹿にしたなと少女。


 緊張はしてもまだ余裕はある。(いちおうは)が、それもここで吹き飛んだ。そして理性はかろうじて踏みとどまる。


 目の前の扉には目線の位置にプレート上の膨らみがあってそこには文字が刻まれていた。主に庶民の間で一般的に使われているこの国の常用文字だ。間違っても「神聖文字」の類じゃない。だからすぐに読めた。そして刻まれた文字はこう書いてあった。


「リュミエンヌの家」


 少女は見開いた眼で絶句した。リュミエンヌとは少女の本名だ。

 ノワールの緊張は頂点に達したが不条理の極みに言葉が出ない。

 それでもリュミエンヌはとっさに呪式を展開して呪術障壁を一瞬で立ち上げる。七層五十六式の多層呪壁による暗号化防壁。これを抜いた奴は宮廷魔術師にもいない。彼女が咄嗟に出来たのはこれだけだったが、ノワールは攻撃用の呪式を前面に展開して彼女を支援する「従者」の体制に入った。


 だが、これは一体、なに?吹き上げる疑問符の嵐を無理やり押さえつけながら、リュミエンヌは事態を把握しようと懸命だ。


 私をこの”家”は知っている、そしてここで待っていた。そして、そして!リュミエンヌは膨大な記憶の中から該当しそうな事象を呪法の支援を用い脳内に超高速でピックアップするが、思いつかない!


 下がって!ノワールが警告する。が、ほぼ同時に門は彼女に対し語り掛けた。


「おかえりなさいまし、お嬢様」


 静かに厳かな口調で柔らかな男の声。


「お待ちしておりました、リュミエンヌお嬢様」


 今度は女の声、上品で落ち着きのある美しい響き。


 正面に一文字の亀裂が入ってゆく、それはまるで開いてゆく扉。

 左右に開いてそれはリュミエンヌを誘う様に?

 何処かでこれは?記憶の断片が呼び起こす何か

 彼女は一歩を踏み出した。何も聞こえないがノワールは叫んでいる!もうその「意味」が分からないリュミエンヌ。


 両腕を差し出すように広げ、伸ばしながら彼女は答えた。


「ただいま」


 歌うような夢見る心地で、ささやくと…。

 そこから…

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