第51話 シェアハウスに夏が来た⑤

 検査は苦しいものだった。麻酔薬だと飲まされた薬は喉の神経を麻痺させてはくれたが、管が入っている感覚がなくなるわけではない。吐き気と闘いながら、カメラという異物を飲み込む。肩に置かれた光さんの手の感触だけを心のよりどころにじっと耐える。


 何がいけなかったんだ。僕のどこがいけなかったんだ! 早く原因を教えてくれ!


 機械を操作し、画面を覗き込みながら医師が言う。


「ふ~む、おっ、胃が荒れていますねえ」


 言葉を発することができず、横になっている僕はさらに不安になる。


「ああ、ここかあ」


 どこだよ。もしかして、命にかかわるような病気では!


「ああ、そうかあ。フムフム」


 光さんも画面をのぞき込むが、何も言わない。光さん、何か言ってほしい……。大丈夫よって……。


 するとようやく医師がこちらを見ていった。


「胃潰瘍ですね。一応組織を採りましょう」


 組織を採るって、どうやって! 胃の中をつままれるのか。そんな、痛いよお! きっと。


「はい、終わりましたよ」


 その言葉にどれだけ救われたか。組織を撮るのはあっという間だった。今度は、管が喉の奥を通り抜ける。入れるときよりはましだったが、気持ちが悪い。


「もう安心して、終わったから」


 ようやく光さんが声をかけてくれた。口の中は痺れたままだ。横になったまま医師の説明を聞く。


「胃潰瘍ですね。若い人はあまりならないけど、なる人もいますよ」

 

痺れた口で質問する。


「どうして、なったんでしょうか」

「ストレスや、食事が原因でしょう」

「悪いものは食べていないと思うんですが」

「それは、何とも言えませんよ」


 休みに入りストレスのない生活をしていたはずなのに、胃潰瘍になってしまったとは。情けない……。


「一週間ほど入院してください。慢性だと治療を続けなければなりませんが、急性だったら早くきれいになるかもしれませので」

「ということは……」


 一週間後にまたこの胃カメラをする、ということ! 再び、頭をがんと殴りつけられたような気持になった。聞きたくなかった……。


「食事は……一日はやめておきましょう。点滴をしましょうね」

「はあ、そうですか」


 言い返す言葉はない。こっちはピンチなのに、医師は軽い感じで話すのが気に入らない。


「じゃあ、秋沢さん。彼を部屋へ案内してさしあげて。えっと……」

「308号室が空いてました!」

「そう、308号室ね。車椅子を使って」

「はい」

「同じ家の人だったんだよね。じゃ、入院手続きもやってもらおう」

「そのつもりでした!」

「担当も君にしてもらうよ。彼も知ってる人の方が心強いでしょうから」

「はい、助かります」


 最後の一言だけが僕の言葉だった。

 

 


 車いすに乗せられて三階へ移動する。


「さあ、この部屋よ。四人部屋だけど、カーテンもついてるからね」


 カーテンを引くと一部屋が四つのパーツに仕切られる。彼女はいったん僕を部屋に残し手続きをして戻ってきた。


「手続しておいたから心配しないで休んで。それと、このパジャマに着替えて」

「はい。こんなことになるなんて……情けないです」

「まあ、こういうこともあるわよ。夕希君が悪いわけじゃない。自分を責めないでゆっくりして。私がお世話するから」

「あの……」

「あっ、そうね。ナイスボディを見るつもりはないわよ。着替える間、向こうにいるから終わったら声をかけて」


 光さんはカーテンをシャッと引き、個室を作ってくれた。着替えをして、合図する。


「これから点滴をするからね」

「はい」


 スマホで親に連絡した。今まで大きな病気をしたことがないので、かなり心配していたが、大したことないから来なくてもいいと言っておいた。


 点滴をしている間うつらうつら眠くなり、気が付いたら暗くなっていた。おお、六時! 夕食の時間、と思ったががっかりだ。今日は食事抜きだった……。目を閉じていると誰かが入ってきた。


「あら、まだ眠ってたのね」

「いいえ、起きてます」


 光さんが巡回してきたのだ。体温計を受け取り脇に挟む。


「食事はまだないんですよね」

「食いしん坊ね。まだ食べたら戻しちゃうから、やめた方がいいのよ」

「今日はひょっとして?」

「そう、当直なの」


 うおっ、やった! 


「あれ、嬉しそうじゃないわねえ」

「嬉しいですよ。連れてきてもらって、一晩中いてくれるんだから。元気がないだけです」

「そっかあ、家の人は来てくれるの」

「そんなすぐ来られないみたいだから、検査の結果次第です」

「ああ、それも心配だよね。若いから大丈夫よきっと」


 看護師としては不確かなことを言ってはいけないんだろうけど、僕を励ますために無理して言ってくれてる。


 悪性腫瘍だったらどうしよう! ああ、まだ二十年も生きていないのに、やり残したことがたくさんある。こんなに短い人生だと知っていたら、もっと楽に好きなことだけをやって生きたのに!


「なんか、深刻そうな顔してる」

「わかりますか。だって、まだ検査の結果がわからないし……」

「どんなことがあっても、私が付いてるから!」


 励まされれば励まされるほど、事態を重く受け止めてしまうよ。


 そんなことを考えていると、涙がこぼれそうになる。


「あれ、どうしちゃったのかな」

「だって……」


 光さんは僕の肩を抱いてくれた。涙を見られた。夕日の中で僕は彼女の胸に顔をうずめる。涙が光さんの白衣に涙がこぼれて染みになった。


 普通の患者じゃ、こんなことは許されないんだろうけど、僕は特別。


「子供みたいになっちゃった」

「だって……」

「夜も巡回するから、休んでてね。私が回ってくるからって、起きてなくていいからね」

 

 彼女は優しく頭をなで、にっこり笑った。白衣の天使だ! その時の光さんが天使に見えた。

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