幕間1 ドグの章:How you remind me
#1:見習い神官の朝
神学校の朝は早い。
基本的に朝寝坊の少女、ドグにとっては特に。
「ふわぁ…………」
寮の一室、二つある二段ベッドのひとつ、その上段で毛布に包まり丸くなりながら、ドグはあくびをした。
窓からは朝日が差し込み、そろそろ起きる時間なのを知らせている。だが、ドグは寝足りない。昨晩も昨晩とて、寮の人間に隠れてこっそり酒を拝借したところだったからだ。アルコールが抜けていない、というやつだ。
「…………ん」
一方、ドグの寝るベッドの下ではごそごそと何か蠢いている。
ドグは少し起き上がり、こっそり下を除く。
二段ベッドの下段はカーテンで覆われていて、中を覗くことはできない。元々、カーテンなんてものはなかったのだが、彼女の同居人は何を気にしたのか、いつの間にかこんなものを取り付けていたのだ。
そういえば、とドグは思い出す。同居人と初めて顔を合わせた日、そいつはやたらに着替えを覗かれるのを嫌がっていた。女同士で気にすることもないだろうとドグは思うのだが、その辺、同居人の感性は分からない。
そして。
カーテンを開き、するりとベッドからひとりの少女が現われる。
背中を覆うほどの長さの、絹のようになめらかな黒髪。赤い瞳はやや眠そうだったが、それでもしっかりと見開かれている。肌は白磁のようになめらかで、髪を弄ぶ指は細い。およそ神学校という厳格で静粛な場に不釣り合いなほど、その少女は見目美しかった。
だが、表面上の美醜は同居人を語る上ではさして、重要な要素ではない。少なくともドグはそう思っている。
特徴的なのは、彼女の格好。
一般的には白と決まっている根源教の神官服。しかし、同居人のそれは黒い。足に履くものも、サンダルや革靴ではなく頑丈な旅人向けのブーツ。そこに埃除けと防寒のためにあしらわれた白いファーが特徴的な黒のマントを羽織っている。
そしてなにより。
「よいしょ」
少女がベルトに取りつけた、一本の剣。
刃渡りは一般的な片手剣程度。しかし、柄は両手で持つことを想定した長さがある。鞘の形状からも分かるのは、その剣の切っ先が丸く、刺突機能を捨てていることだった。加えて、悪趣味とも言える、黒い髑髏の形をした石が柄頭に嵌っている。
由来を聞くところによると、この都市の領主である一族がかつて所有していた、処刑用の剣だという。そんなものを腰に帯びてどうする気なのか、ドグにはさっぱり分からない。
「……………………」
シスター・リザ。
ドグの同居人であり、神学校同期の見習い神官。
彼女は扉に取り付けられた鏡で身だしなみを整えると、そっと扉を開いて部屋の外に出ていく。
朝寝坊のドグと違い、リザの朝は早い。いつもこうして、寮が寝静まっているころに起きている。
「…………起きるか」
リザの早起きに触発された、というわけでもないが。
ドグも体を起こして欠伸をしながらも、のっそりと動き出す。
寝間着から白い神官服に着替え、革靴を履き、寝癖だらけの赤茶けた髪を梳かしながら、身だしなみを整える。
「今日は当番ないのに、なんでこんな早よ起きとるねん、まったく」
そんなことをぶつくさ言いながら。
ドグが身だしなみを整えたころ、ようやく、寮のあちこちでがさごそと、人々が起き出す音がした。
「はあ……。今日も一日、頑張るか」
そうして、見習い神官の一日が始まるのだ。
自由都市グランエル。
王都東に位置する辺境のこの都市は、急激な神官不足に悩まされた。
すべてのはじまりは勇者を名乗る男、ハッタローの跳梁跋扈により各地のドラゴンが殺されたことに発する。ドラゴヘイムにとって、ドラゴンは神聖な生き物であり殺すことは断じて許されない。それは根源教――ドラゴヘイムに根付く宗教が龍を神のようにあがめているから……ではなく。もっと即物的な理由によってだ。
いわく、龍はあらゆるものとつながっている。根源教があがめる神……根源の龍はあらゆるものを生んだ。土地、炎、水、植物……そして人間と、数多の龍。それがこの国における国生みの神話であり、ゆえに根源の龍はあらゆるものとつながっていると言われている。そして根源の龍から産まれた多くの龍もまた、あらゆるものとつながっているとされる。そして龍を殺せば、つながっているものもまた死ぬと。
炎につながる龍を殺せば炎が弱る。水につながる龍を殺せば水が濁る。そして、土地とつながる龍を殺せば土地は死に、人とつながる龍を殺せば人が消える。
根源教が龍をあがめるからこそ龍が神聖な生き物とされるのではなく、順序は逆。こうした神話がドラゴヘイムにあり、龍が神聖視されるからこそ根源の龍をあがめる根源教が生まれたのだ。
そして話は戻り、ハッタローの跳梁跋扈である。
六年前、突如として現れた男。青く燃える炎、永遠の命、すべてを切り裂く斬撃、空を歩く足……あらゆる力を持つと噂される謎の人物。彼はドラゴヘイムに住むドラゴンを殺している。
その目的は判然としない。だが、ドラゴヘイムの先王が根源教の信心深い信徒だったこともあり、先王に対し強いコンプレックスを持つ現王ボードルはドラゴンをないがしろにするハッタローをむしろ後押しする。現王の後援を得たハッタローは一派を結成し、各地でドラゴンを殺し、そして根源教への攻撃を始めた。
その結果、いくつかの村が焼き払われた。そしてドラゴンが殺されたことで、土地が死んだ。
グランエルの東にある、臆病な穴ゴブリンたちの巣が点在していたゴブリン平野も死の土地となったひとつである。平野の中ほどに位置していたニルス村は人の住める場所ではなくなり、村人たちはグランエルへの避難を余儀なくされた。
それがおおよそ一年前のこと。ニルス村の住人も、今ではグランエルの生活に馴染んでいることだろう。
「さ、朝飯や」
当番のないドグは気楽に食堂へ降りてくる。
「あ……ぁ、ドグお姉さま」
食堂ではクリーム色の髪と目をした、小柄な少女が配膳をしていた。
「えへへ……おはようございます」
「よう、おはようさん」
彼女はカスタードという名前の、グランエル西にあるリリーファ村からやってきた少女だった。人見知りが激しく、いつも目をせわしなくきょろきょろとさせている。神官としてやっていけるのか心配になる性格だが、少なくとも彼女が作る料理は美味しい。当番をする見習い神官たちの中では料理が一番上手だ。
ちなみに一番下手なのはリザだと、ドグは思っている。
パンとスープを受け取って、ドグは席に着く。そのころ、食堂には他の見習い神官たちも降りてくる。
「しっかし、増えたなあ」
ドグはひとりごちる。一年前は自分とリザしかいない寂しい空間だった神学校も、今ではカスタードを含め五人の見習いが増えた。
「ドグ姉ぇ、おはよう」
その中のひとり、巻き髪の少女コロネがドグの隣に座る。
「あーもう、今朝もユニコーンの世話が大変でさあ。今の季節、水も冷たいし……」
「文句言うなや。大変なのはみんな同じや」
「それはそうだけどー」
口をとがらせるコロネ。そこで何かを思い出したようだ。
「そういえばユニコーンの世話をしてるとき、隣の厩舎で鳴き声がやかましかったなあ」
「ほーん?」
「ほら、バイコーンの……」
「ツヴァイな」
「そうそれ。お腹空いてたのかな?」
「リザはんが世話しとるやろ。空腹ってことはないと思うが……」
などと、話をしていると。
当のリザが黒いマントをなびかせて食堂に現れた。
「おはようございます。みなさん」
リザは赤い瞳を柔らかく緩ませて、みんなに微笑みかけた。
「今日も寒いですね」
「お姉さま!」
食堂にいた見習い神官の少女たちはにわかに騒がしくなる。
「おはようございます!」
「おはようございます、お姉さま」
明らかにドグにするのとは違う、敬意のこもった挨拶が響く。いつものことなのでドグは肩をすくめた。
(一応同期やし……というよりウチの方が一か月先輩なんやけど)
とは思ったが言いっこなしだ。
なにせ……。
「お、おはようございますお姉さま」
「やあカスタード。今朝の食事当番はあなたですか。あなたの食事は美味しいですからね」
「えへへ……」
カスタードは顔を赤くして下を向いた。
食事を受け取ったリザは、ドグの正面に座る。
「そういやリザはん」
「なんですか?」
「……………………」
ドグは呆れた顔をしたが、すぐに話題に入る。
「ツヴァイが今朝はやけに鳴いてたらしいけど、なんかあったか?」
「ああ」
リザは隣のコロネを見る。
「今朝の厩舎当番はコロネたちでしたか。すみません、不安がらせてしまって」
「い、いえ……」
コロネはおどおどとした。
「そういうわけでは……」
「バイコーンは災いを呼ぶ獣と呼ばれていますから、不安に思うのも当然ですよ。ツヴァイは大人しいですが、それでもわたし以外には慣れていないので」
「そんで、なんかあったんか?」
ドグが手を振って話を戻す。
「ええ。実は角が尖ってきたので少し削って手入れを。万が一人を突いてしまうと危ないので。しかしツヴァイは角を削られるのが嫌みたいなのでそれで少し騒がしくしてしまいましたね」
「ふうん。ま、ツヴァイの世話はリザはんしかできんし、大変やろな」
「その代わり、他の当番は免除されていますからね、文句は言えません。わたしが飼うと言い出したのですし」
「ほんとに、あのときは何考えとるんやと思ったで」
ドグは当時のことを思い出して少し震える。一年前に、ニルス村で飼われていたユニコーンが出産したのが、バイコーンのツヴァイである。そのときドグはお産に立ち会い、バイコーンと知らずに手に取ってしまった。
リザは土地の死がユニコーンに影響をもたらして産まれたのではと推測しているが、バイコーン自体が酷く珍しい存在であるため、詳しいことは分からない。ただバイコーンは不浄の獣と呼ばれ、その出産は災いを予期するとされている。
一年ほどツヴァイを見てきたドグからすれば、まあ、なぜかリザにしか懐かない動物、くらいのもので今はさほど恐怖心もないのだが。しかし他の見習い神官からすれば、不安の種でもある。
(そら、あんな厄タネがすぐそばにおったらな)
「みなさん、起きていますか?」
食堂に、神学校の校長でありグランエル教会の神官長でもある中年の女性、シスター・メロウが入ってくる。自然と見習い神官たちは居住まいを正した。
「すみませんが、少し急いでください」
「なんやあったんか?」
ドグが尋ねる。
「ここ最近の寒さに悪天候でしょう? そろそろ雪が降りそうなのです。備えをしなければなりません。手伝ってもらえますか」
はーいと見習い神官たちは答えて、ちゃっちゃと食事を腹に収め始める。
「わたしとドグは……」
「うちらは朝のお祈りや。食堂の片づけしたら教会に行くで」
「そうか」
やがて、食堂を見習い神官たちが出ていき、残ったのはドグとリザだけになる。
「それにしても雪か……」
リザが誰に話すとでもなく呟く。その口調はいつの間にか、かなり砕けたものになっていた。
「グランエルにも雪が降るんだな。この寒さだから降るかもとは思ったが」
「そうみたいやな」
「どれくらい降るかな」
「さてな。ウチもここの出身やないし」
「そうだったな」
適当にパンとスープを片づけているリザを横目に、ドグは少しため息をついた。
「なあ、リザはん」
「なんだ?」
「前々から思っとったけど、あの口調なんや?」
「……口調?」
「ウチ以外の連中がいるときは、ずいぶん慇懃やないか。見習い神官だけやない、町の連中相手にも似たようなもんやろ」
「…………そうだったか?」
リザはその赤い瞳をきょとんとさせた。
「わたし、いつもこんなもんだろ」
「その一人称もや。ウチと会った頃は俺言うとったで」
「そうだったかな……。まあ、なんだ……。神官っぽくした方がいいかなとは思ってるからな。そのせいかもな」
「さすが、聖女様言うわけか」
「聖女? なんだそりゃ」
「いや、こっちの話や」
ドグは呆れ混じれに言って、この奇妙な同期を見やった。
「それにしても今朝は静かだな。まあ雪の備えに騒がしくはしてるんだが、呪いは出てない」
「そやな。願わくば今日は出んことを祈るで」
「祈るのは、根源の龍に対してだけで十分だな」
食事を終わらせて、二人は立ち上がる。
呪い。
それが、グランエルが神官不足に悩まされる、大きな理由であった。
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