レジェンド・オブ・スノウ 寓話編
オダ 暁
第1話
何百年も昔のことである。
氷と雪に閉ざされた北の国から、楽園を求めて出発した幾隻かの船があった。
一行の長は、比類なき勇者と誉れ高い、美青年テグリウスだった。彼は荒々しく無骨な気性の大男だったが、褐色の髪はつややかに波打ち、伏し目がちの濃い瞳と蜂蜜色をした肌はエキゾチックな魅力を彼に与えていた。
「南西に進路を取れ」
それが彼らの故郷を出発して以来の合い言葉だった。
生まれ育った極限の地は、太陽の恩恵の乏しい氷雪の世界で、その広大な凍土からは豊かな作物は望むべくもなかった。一年を通して、ほんの短い時期だが奇跡のごとく、緑色の植物が氷の隙間から顔を見せることがあった。人々は狂喜乱舞して、その緑の生命体を祭壇に捧げ、大地がよみがえり陽のさざめくことを大いに期待した。が、氷魂はがんとしてとけることなく、ますます厚く硬く地に張りつき、吹き荒ぶ雪に閉ざされたあげく、彼らの希望は何度も繰り返し打ち砕かれるのであった。
テグリウスの国には不思議な言い伝えがある。遠い昔、はるか南方の大陸から五人の若い男たちを乗せた一隻の船が海を渡りやってきたという。褐色の皮膚と同色の縮れた髪を持つ異人の姿は、極寒の人間の目には異形にしか映らなかった。それは異人らにとっても同じことで、身体中の色素が漂白したかのような土着の人間の風貌に彼らはただ啞然とするばかりだった。
言葉も通じず、最初は互いに牽制しあい、けっして打ち解けることはなかった。暑さに耐えうる頑丈な肌をした異人は、しかし、寒さというものには慣れていなかった。燃料も食糧も尽き、雪と氷に身動きのとれないまま、あとは死を待つだけという段になって彼らに手を差し伸べる者が現われた。テグリウスの祖先の、敏腕な女傑としてその名をはせたサムラだった。彼女は恐れを知らぬ猛女だったが、同時に博愛主義者でもあった。
無駄な殺傷をしないというのが彼女の持論で、彼女自身その考えに忠実に従って生きてきた。周囲の反対を押し切り、乏しい物資を異人たちに分け与え彼らの命を救い、自国の言葉を教えた。異人の男たちは若く瑞々しかったが、その中でも、とりわけ人目をひく美丈夫がいた。きらきらと輝く大きな瞳が印象的な男だった。すらりとした体躯はカモシカを彷彿させたが、筋肉はたくましく隆々としており、サムラはその男にたちまち夢中になった。それからほどなく彼女は身篭もり、ひっそりと父親の知れぬ子供を生んだ。髪も肌も瞳さえも色素の濃い、その赤ん坊は、他の誰よりも勇敢な若者に成長したという。テグリウスは信じていた。己の身体にまだ足を踏み入れたことのない異国の血が混じっていることを。彼の外見が、何よりもそれを裏付けていた。あたかも目には見えぬが確固たる何かに手操り寄せられるように、彼は自分を慕う大勢の仲間と故郷をあとにし、楽園を求めて旅立ったのだった。自分と同じ血を持つ人間が棲んでいるであろう、遥か彼方にある、暖かな南の大陸へと。
だが、船の扱いに精通している彼らにも、経験のない長期の航海は順風満帆というわけにはいかなかった。朝に夕に襲ってくる嵐に立ち向かい逃げ場のない船酔いに耐え、どうにか航行を続けていったが、ついに方位を失い、おまけに三隻ある船のひとつが度重なる暴風雨でついに沈没してしまい、長たるテグリウスは絶対絶命の状況にさらされた。
このまま全員どこにも到達することなく死んでしまうのか・・・目前で仲間の船が海に沈んでしまったのだ。自分の船の舵取りが精一杯で、どうすることもできなかったのだ。残りの二隻はかろうじて無事だったが、海のもくずと消えた仲間たちを思うと無念のくやし涙がこぼれてならなかった。出航して以来、周囲は見渡すかぎり茫洋とした海原だけだった。海は穏やかかと思うと突然うって変わって荒れ狂う。とてつもなく不気味で気紛れな、巨大な生きもののような海水に取り囲まれ、束の間も気が休まらず、船員たちは憔悴しきっていた。
「どこか陸地があれば、ひとまず船から上がりたい」
彼らはいつしかそう切望していた。その願いが絶望に変わる寸前に、夢にまで見た茶色の陸が海洋の果てに出現した。喜び抱き合う彼らの前に、だんだんと、なだらかな陸地が迫ってくる。点在する樹木の緑がまばゆいほど鮮やかに目に映る。
もしかしたら我々は南国に辿り着いたのだろうか、それとも・・・どこであろうとも、とりあえずこの地に漂着しようとテグリウスは決めた。凍土に覆い尽くされた故郷よりは、よほど快適な暮らしにちがいない。テグリウスを先頭にして船員約二十名は、暖かな陽射しを浴びながら意気揚揚と浜辺に上陸した。仲間は船の沈没で減っていたが、死んでいった奴らの分もがんばろうと皆、新たな希望を胸に抱いていた。ただ不安なのは先住民が受け入れてくれるかどうかだった。彼らが自分たちを歓迎してくれればいいのだが。テグリウスは秘かに、褐色の皮膚をした人間がいるのではと期待し、緊張した面持ちで砂浜を踏みしめて歩きだした。
松林を抜けると、軒を並べた木造家屋があちらこちらに出現し、魚干しをしたり桶で洗濯をする人間の姿が視野に飛び込んでくる。しかし驚くことに、奇妙な衣装に身をつつんだ先住民は自分たちよりずっと小柄で、変な形に結った黒髪と黄色い皮膚という予想外の姿をしていた。上陸してきたテグリウスたちを確認するや、ある者は一目散に逃げ出し、ある者は遠巻きにこわごわと眺めるばかりで、けっして接近してこようとはしない。意を決して近づこうとすると何やら奇声を上げて走り去り、全然とりつくしまもなかった。
しかたなくテグリウスの一行は船に戻り、その日はそこで夜を明かすことにした。とにかく疲れきっているのだ。のんびりと休養したい。当分は近海の魚を捕ってなんとか食いつないでいこう、おいおい先住民とも打ち解けていけるだろうと、番もつけずに全員ぐっすりと寝入ってしまった。
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