第24話 友達になりたい!


 綴琉と再び歩むことを決意した日から二日後、わたしはあの公園である人を待っていた。


 この至らぬ気持ちを、感情の情けなさを、利己的な吐露を、恣意的に伝えるために。そして、彼女の意志に応えるために。

 わたしは逃げない。

 逃げることは許されない。

 後悔をして、でも心のどこかでは後悔だと思っていなく、それでも気づい彼女の気持ちに向き合わずして、どうしてみんなにわたしの音楽を届けることができるのか。

 わたしの生涯はわたしのもの。

 あの日の気持ちもわたしのもので、気づいたそれもわたしのもの。

 だから————


「お待たせ」


 銀鈴の声音は澄んでわたしの聴覚を盗んだ。

 砂金のような優雅な髪がゆれ、慧眼の碧がわたしをどこか優し気に見つめる。

 異国の血を流す彼女は細く白い肌の腕をわたしに伸ばした。


「聞かせてくれる?貴方の答えを」


 これは一つの決断。わたしが貫く意志の問題。

 これは一つの抗い。未来を生き抜く関係という名の繋がり。

 これは一つの求め。彼女がわたしが、それとも誰かが、傍にいることを、もしくは忘れないで歌を歌い、生き抜くことの示し。


 彼女——レイナは静かに瞼を閉じて、わたしの声に身を委ねる。


 知っている。それがレイナの証。

 わかっている。レイナの気持ちはレイナ自身が教えてくれた。

 だから……叫ぼう。このどうしようもなく汚く醜く独り善がりの感情だけでも。


 無風の夕焼けは眩しい。星の隠れた夜はまだ来ることを知らない。

 それでも、在るべき場所で、在るべき者と、また在るべき存在として輝きを忘れず、わたしたちに届けてくれている。

 だから、告げよう。こんなわたしと一緒に音楽をしてくれる君と生きていくために。

 こんなわたしと友達でいたいと叫んでくれた彼女を殺さないために。

 マジックブルーの空は眩しかった。


「わたしは…………レイナとは違う。レイナのように希望を抱けない。レイナのように未来を信じられない。レイナのように、かっこよく生きることは、出来ないの」


 レイナは細く開けた瞳でわたしを見つめる。


「でも……そんなのは関係なくて……わたしはわたしの勝手で、レイナを蔑ろにした。レイナを侮辱した。レイナを見ていなかったのは、わたしの方だったんだね」


 瞳が歪む、声が軋む、感覚が冷却する。どうしようもない幻滅が己を襲う。


「わたしは弱い。誰も信じられないの。……レイナに対して後悔はしているよ。でも、これがわたしの生き様なんだって、後悔はしてない。

 レイナの気持ちを何も考えなかったことも傷つけたことも、手を取らなかったことも後悔しているの。でも…………レイナの手を取らなかったことは後悔していない」


 そんな事を真摯な瞳で言い放つのだ。二つの矛盾的な考え、それは歪にして異端。

 意志だと問えばいいのか、弱さだと訓えればいいのか、恐怖だと笑えばいいのか。

 わからない。わたし自身も知らない。きっと、誰にもわからない。


「レイナの手は、取れない。わたしはわたしの道を進む。わたしの世界を歌にして、蒼い世界で生きる全ての人に、泥臭く醜く情けなくても、それでも生きるために抗う歌を示したいの‼

 だから、希望はいらない。奇跡もいらない。欲しいのは証だけ」


 変わらない言葉ではきっと望まれない。

 消えない思いだけじゃ、助けられない。

 信じる勇気に軌跡はない。

 証だけが唯一なんだ。

 わたしの意思を示し、わたしの想いを叫び、わたしたちの抗いを誇らせる。


 わたしは醜悪な人間なんだ。


 だから、もう迷うな。権利なんて嫌いだ、普通なんて知らない、資格は存在として掲げればいい。

 剣を天へ貫く騎士のように、世界に彩を与える影響者のように、声を荒げて泣き叫ぶ学生のように。


 わたしはルナとして、そして七歌として歌を歌う。


 強く挫けることを拒む決意の眼光で、表情で、声音で、レイナの慧眼の奧を見つめ見初めた。


 ああ、レイナは初めてルナの心の奥底を垣間見た。

 ああ、レイナは初めてルナの音楽に賭ける情熱に肌を焦がした。

 ああ、レイナは初めてルナの瞳が見据える未来を知ることができた。


 どこまでも、私とは違いながらも激情に生きる生き難い泥臭さに憧れを抱いた。

 特別になんとなく彼女に本心から焦がれた。

 今までよりも遥かずっと淡く、でも何よりも綺麗に光を燦爛してみえた。


 ルナと出会ったとき、最初に抱いた印象は胡散臭いだったのを覚えている。周りに合わせた笑みだったり、どうにも違和感を拭えない動向だったり、不明な点の多さだったり。

 これまでの嫌な経験から人を見る目は優れていると自負している。


 だから、ルナとは本気で仲良くなれないと諦めていた。


 ……なのに、知っていく彼女は不思議な人で魅力的な人で、音楽に忠実で音楽が大好きな女の子だった。


 きっと、誰よりも音楽に全身全霊を賭けているんだって、わかって、ルナ自身にどんどん惹かれていった。

 彼女が創った『夜明けより蒼』は、私には共鳴も納得も出来なかったけど、美しくて息を忘れたのを覚えている。

 響いてきたメロディーが、震わしてくる歌詞が、それを世界に変化させる音色が、知らない美しさで考えたこともない叫喚で、誰かに届けるための歌なんだって、寂しく思えても私の真髄に刻まれた。


 そして、心から希望を届けたいと、ルナと本当の友達になりたい、私の世界は再び煌きだした。

 夕焼けよりも眩しく、月光よりも強烈に、それでも太陽よりも淡く鱗粉のように。


 そして、彼に出逢った。


 それもこれもきっと運命で宿命で、未知なんだ。だから、負けなくない。

 だから、レイナはルナの手を掴んだ。


「……っ⁉」

「それでもいいわ!ルナがどれだけ醜くても、どれだけ弱くても別にいいの!私は貴女の美しさに憧れた。貴女の音楽に心が震えた。それだけなの!ルナと友達になりたいの‼」


 ルナという人間に、一人戦う少女に惹かれただけ。ただそれだけのこと。

 だから、本心から本当の『友達』という関係で宣ってみる。


「確かにルナは私の事を決めつけて、憐れんで、拒絶したわ。自分の事は何も話してくれないのに、私の本心にも踏み込まないのに、『レイナ』を貴女が名付けた。それ全部が酷く身勝手で冒涜染みていて、とても悲しくて痛くて怒りたくて、でも哀しいのよ」


 レイナの声音は微かに震えていた。

 悔むとは違う、恐れるとも違う、迷うようで彷徨うようで苦しむようで、独りぼっちのよう。

 とても小さくみえた。とても昏く映った。とても、泣いているように、わたしの瞳から見える彩を青く閑静に雨が降っているように、わたしを染めた。

 心が青い雨に打たれ隔てられる。在るべき世界と求める世界を。


「だから、今度は私を見て。私の声を聴いて。私の心を知って……!貴女と関わり続けたいの!友達になりたいのっ!」


 激情からなる熱だった。思いの丈から発する情熱だった。

 一度「馬鹿にしないで」と憤慨したレイナは、それでも再びわたしに向き合う。

 ただわたしのような身勝手な独り善がりにならないように、言葉にして感情を吐露して、掴みにくる。

 それが途轍もなく眩しかった。だから、言葉が零れていく。落ちていく。


「……わたしの音楽とレイナの音楽は相容れないんだよ」

「わかってるわ。だから私たちはライバルになれる」


「話したくないことがあって、もう自分の生き方しかできないんだよ」

「それでいいわよ。話せなくても、貴女でいてくれるなら私たちは友達になれる」


「わたしはっ!……きっとレイナを傷つける。誰も信じられないわたしは、誰かに心は許せないの。また、レイナを裏切るかも、しれないんだよっ!」

「っ!……そうかもしれないわね」

「だから——っ」


 わたしの叫びは、彼女の綺麗な声音に遮られた。


「——けれど、それが私たち」


 そこに確かな熱があった。


「――私たちはそうやって生きていくのでしょ?私は希望を届けるために歌を歌う。ルナは意志を示すために歌を歌う。

 そのために、生きているのよね。

 生きて生きて生きて生きて、生き抜くの。私とルナはやっぱり違う。

 私は私でしかないわ。ルナは……ルナでしかないもの」


 きっと、そこだけが二人の間で通じている確かな糸だったのだ。

 自己というものであり、意志と掲げるものであり、心と叫ぶものであり、もしくは——世界という音でもある。

 たったそれだけの証が印が標が臓腑の奥、壁の向こう側から硝子を割り、深海から足掻いて水面に揺蕩う微かな月光に手を伸ばし浮上していくように、『わたし』は蒼の色を瞳に焼いた。


「私たちは対曲線で生きているだと思うわ」

「…………」

「太陽か月か、光か闇か、朝か夜か——夜明け後の朱か、それとも夜明けより前の蒼か」

「ぁっぁ…………っ」

「こんな在り来たりで陳腐な表現しかできないけれど、私たちがお互いにお互いを見ているのは……そうなんじゃないかしら?

 理解できない、わからないとしても、私はルナを美しいと思っているわ」


 在り来たりで陳腐な表現なわけがなかった。

 それこそがわたしとレイナを表す最大限の言葉だった。

 太陽も光も朝も朱も、わたしにはない彼女のもの。対曲線で生きていると言われて、初めて知る。

 レイナに抱いた心の一部を。


 それは今更で、遅すぎる感情で、認められない眩しさだ。

 ずっと早く気づいていたのならレイナと激突することも、彼女が裏切られることも、道が別れることもなかったかもしれない。

 そんなことを考えた所で今更なんだと失笑してしまう。

 だから隠すべき答えで、捨てるべき心音で、切り離すべき関係なんだろう。

 けれど、目の前の強く逞しい彼女に、これ以上偽り続けることに心臓が死神の鎌で脅かされる。いや、もっと抽象的で殺伐的で醜悪的な血みどろの糸に絡められ、一つ弾けば心臓ははち切れる。

 それはわたしを縛るもの。

 それはわたしを殺すもの。

 それは、わたしが抱いた残留概念。

 偽ることで殺しにくる。けれど、このままに偽らないことは意志を持たないことになる。

 だから、だから、だから——こんな選択はもうやめにしないと、わたしの音楽は誰にも届かない。


 息を大きく吸って深く吐き出すように、心臓を絡める数多な糸を揺れるか細い、それでもたった一つの決意をもって、抗うように糸を鋏で切り離した。


 チョキン。


 血みどろの糸が解れていく。わたしを縛り付けていた、いや、わたしの固定観念が闇の深淵に沈んでいく。そして、全ての糸が消えた。

 なのに、心臓なんかとはずっと違う場所。心臓のはずなのに、ずっと深くて遠くて、でもすぐそばにある確かなその場所に、幾つかの透明な何ものにもなりきれていない糸がずっと遠くまで伸びていた。

 たった一本に過ぎない糸は絡まらず、互いがお互いの目指す先へ琴線のように、真っ暗な夜空を走る音のない列車のように銀河を駆けていく。伸びていく。繋いで離さない。


(これが…………わたしの『気持ち』?……この糸の先に繋がっているのが、求めているもの?…………そうなんだ。そうなんだね。わたしはみんなに居てほしいだね)


 その糸の先には、小百合がいて綴琉がいて母や妹もいて、小学校で出会ったお兄さんもいて、そしてレイナもいた。


(あんなに散々に拒絶したのに、否定したのに、逃げたのに…………こんなの、意味ないじゃん……。この気持ちが、こんに熱いなんて知らないよ……。レイナのことが、こんなにも眩しいくて輝かしくて、見惚れてしまうなんて——知るわけないよ!

 ……だって!わたしは省かれ者なんだよ。異端者なんだよっ。レイナと違う生き方しかできない人間なんだよ!

 なのに……なんで、あんなに眩しいだろ…………。どうして、そこにいるの……っ)



「——それはね————七歌あなたレイナかのじょに憧れているからよ」



「は——っ⁉」


 真空の静謐から音を取り戻した心音と同時に俯いていた顔を上げて、わたしの瞳に微笑むレイナが映りこんだ。

 わたしの手は彼女の手と混じり合っている。重なり合っている。解けなどいない。


「もう一度始めからやり直そう。音楽性が違っても、想いの熱が違っても、叫ぶ言葉が違っても、性格が学校が年齢が性別が好きなものが嫌いなものが違っても、きっと——私と貴女は友達になれる」


 キミの言葉にわたしは涙を一つ。


「だって、こんなにすれ違って言い合っていても、まだ繋がっているんだから」


 手をぎゅっと力強く握りしめるキミに息の声を一つ。


「何度でも言うわよ。私はルナと友達になりたいっ‼」


 わたしはもう耐えられなかった。レイナの激情に涙するしかなかった。

 指先が固くなった手をぎゅっと握り返し、涙を拭ったきっと赤く腫れた瞳で糸を辿る。


「こんなに醜いわたしでいいの?」

「いいわよ」

「レイナの……音楽に共感できなくても、いいの?」

「ええ。ルナはルナでいればいいのよ」

「…………綴琉と、音楽をしていてもいいの?」

「うぐっ!痛いところを突いてくるわね。……いいわよ。これは私と綴琉の問題だから」

「…………好きなんだね」

「…………ええそうね。好きなのよ。今も多分これからも」


 恋焦がれながらも明日を見つめるその顔が綺麗だった。レイナが何を想いどうするのかはわからない。

 けれど、好きを抱ける彼女に憧れを抱いてしまう。だから、今更ながら受け入れてしまう。


「わたしは、きっとレイナに憧れていたんだ」


 そんなわたしの独白に、レイナは嬉しそうに微笑んで、「私もよ」と言葉にした。

 だから、二人で笑う。笑い合った。

 夕暮れ時、風に踊るようにわたしたちの笑い声が飛んでいく。だんだんと建物に隠れて見えなくなる夕陽は確かな夜を運んでくる。群青に染まり出す淡い夜の訪れの中、レイナのようで、でも儚い黄昏空が交じり合って幻想的に彩る。

 そんな世界は美しく、そんな世界で笑い合いたいと、心から強く強く求めた。


「レイナ」

「うん?」


 二人して見上げる世界の変わり刻は嘘偽りのない宝物のような、今日だけの瞬間だった。

 ルナの桃色の髪とレイナの金色の髪が靡く。

 やがて夏が来る。もう、そこに夏が来ている。

 全てが変わり、それでも歩き続ける新しい夏がやって来る。

 ルナの息遣いもレイナの心音も布の擦れる音も草木が躍る舞いも猫の歩みも鳥の帰りもスカートの靡きも、その全部が新しく彩って見えた。


「わたしと友達に、なってください……!」


 そんなルナの答えに。


「うん!ありがとう、ルナっ!」


 レイナも答えるのだ。


 そして穏やかに微笑む。

 混じり合うことのなかった二人が求めた関係性に笑みを絶やすことはない。


「わたしの名前は七歌なのか。——月森七歌」

「七歌ね。私は日向レイナ。これからよろしくね七歌!」


 こうして二人は出会った。

 微かな糸を手繰り寄せて、自分の本当の想いに気付き、対曲線で生きると分かりながらそれでも結び合わした。

 きっと、夕暮れなんかよりも眩しい一幕であったことだろう。

 だからこう綴るしかない。


「ねえ、レイナ」

「なに?」

「いつか、レイナと海にいきたい」

「いいけれど……どうして?」

「行ったことないからかな。……好きなんだ海の青が」

「そうなの。じゃあ、この夏に行くわよ!新しい水着買わなくちゃね」

「あっ。わたし水着持ってない……」

「なら一緒に買いにいこ」

「いいの?」

「いいに決まってるじゃない。私と七歌は友達なんだから」

「……うん!わたしやりたいこと沢山あるんだ。一人じゃできないことなんだけど…………」

「ふーいいわよ。二人で沢山の想い出をつくるわよ」

「——っ!うん!ありがとうレイナ‼」


 ここに生まれた笑顔はかけがえのない宝物になるだろう。


 夜明けより蒼の世界で生きる者と朝焼けに眼を覚ます者。

 こうして世界は変わり始めた。

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