第14話 私は私

 小さい頃から憧れている夢があった。


 初めてそれに出逢ったのは、まだ、小学生にも満たない幼馴時だったと思う。はっきりと自分の年齢や出来事なんかは覚えていないけど、瞳を焦がして魅了したその勇士の歌声だけは覚えている。


 その日偶然にテレビでやっていた音楽番組に今月デビューしたばかりのバンドグループの始めてのテレビライブがやっていた。

 背の高いボーカル兼ギターの女の人とベースをかっこよく鳴らした男の人。キーボードを叩く派手な女性とドラムの大男。まるで統一性のないチームでありながら、キーボードの一音と共に流れだしたボーカルの音色が私の真髄を魅了した。

 ハスキーで大海原のようで透明な声音が流れ込んでくる。おままごとや鬼ごっこ、お絵かきに興じるような考える事も少ない小さな私の世界全てを彼女の歌声が、彼女たちの演奏が塗り替えた。数多の彩を私に流し込んできた。


 極彩色で多彩にしてグラデーションの千里。

 音にして言葉にして情熱にして、希望。


 ベースの低音の旋律にキーボードが上乗りをし、サビへのアップへとエッジを効かせて一気にギターとドラムが爆発する。

 そして、彼女の歌が大洪水、いや大波となった。キラキラに光るマリンブルーのよう。蛍のように全身を光で纏う魚の群れが私を囲み込む。小さいのから大きいのまで。

 まるでそれらが人々の感情や野望、心情や願望であるように、その歌はどんなアーティストよりも強く綺麗に世界を見せてくれた。

 希望が募った湧かせる大海のマリンブルーは、私の全てを魅了した。ドキドキと鳴り響く鼓動の熱。キラキラと逸らすことのできないテレビの向こう側のスターたち。


 周囲から他の音を無に返し、耳朶の奥、鼓膜の全て、聴覚の神経を痺れさせて奪ってくる、希望の言葉に伝える歌声。完成させられた希望の音色。その希望を届ける歌詞と声音。創り出す音色と感情。


 ああ、彼女たちが見せてくれる世界が何よりも輝いていた。


 私はこの日、この時、この瞬間、彼女に、彼女たちに情景を抱いた。彼女たちのように生きてみたいと、心の底から灯魂と激情に進化した。


「わたしも……やってみたい!お姉さんみたいな歌を歌いたい‼」


 これが私の音楽のきっかけ。誰かに希望を届けられる存在に、元気を与えられる存在に憧れて突き進む私の根源。

 それからの行動は早かった。キラキラとした眼差しで一生懸命に頼み込む私をお父さんは笑顔で頭を撫でて言った。


「夢を持つのはいいことだ!やるからには、その夢を叶えるんだぞ!」

「うん!わたしお姉さんみたいにみんなの前で歌う!元気になってくれる歌を歌う!」


 お父さんに買ってもらった今も使い続けている当時にしては大きなエレキギターを、私は年がら年中弾き続けた。友達との関係を保ちながら勉強も精一杯に、ギターを練習できる時間をいっぱいにするために、私は毎日を精一杯に楽しく忙しく笑いながら過ごした。


 そう、私は希望を届けるために歌う人種。


 ルナや綴琉のような異端者として藻掻き足掻く歌を歌うのは私じゃない。そんな人たちも笑顔にして、元気にして、希望を与える。



 それが私の目指す世界だ。



 ————



 理解できるわけがなかったんだ。だって、私たちは違う道で音楽に取り組んでいるのだから。対照的な雄叫びで音楽に生きるのだから。


 私も嘘は嫌い。

 偽る姿もどうしようもなく社会や誰かに負けている気になるわ。

 周りの忖度が理解できなくて、でも、いじめられたあの頃とは違う。


 私は死にたくないし、消えたくもない。

 荒んだ心じゃない。火照る心だ。

 やめた心じゃない。強がる心だ。

 反逆の心じゃない。希望を信じる心だ。


 たとえ、彼に『恋』してようと、『彼女』を友達と思っていようと、彼らの『音楽』に駆ける叫びの全部を理解などできない。

 きっとこれから先もずっと。どれだけ考えても、思考しても、読み取ろうとしても完全には絶対に理解できない。分かり合えない。


 でも、手を伸ばすことはできる。


 夜明けより蒼い世界なら、私が朝焼けへと導く。

 そうだ。この心を踏み躙られたくらいで止まっているなんて私じゃないわ。

 後悔させてやる。吠えずらかかせてやる。私を認めさせてやる。

 綴琉もルナも嫌いだ。私を裏切ったもの。……私との関係を、縁を切ったんだから。だから、私が歪めてやるのよ。私が歌う希望の光で、夜明けなんて吹き飛ばしてみせる。

 大っ嫌いで大好き。

 綴琉たちが想像する私じゃないんだって、私の歌で証明してみせる。



 私は学校を放りだして走った。

 風を裂いて、熱を払って、音を遮って、視界を前と未来だけに。

 疾しる疾しる疾しる。

 路上で昼寝する猫を飛び起こし、子供の奇異な視線を背後に、雑多する駅前をぶつかる勢いで搔い潜るように脇を抜けていく。隘路を突っ切り、裏通りからストリート街へと走った。

 芸術の街にして自由の意義。平日の昼まなのに、数多の人が熱射を浴びて汗を垂らしながら、歌を歌い、絵を描き、大道芸で笑顔を増やし、神輿を担いでいたり、ダンスのパフォーマンスを披露して声援を沸かせていたり。

 この街は幾千たる彩で溢れている。


 そう、ここが私の生きる道だ。


 私たちがよく利用している楽屋のあるライブバーに入ると、冷房とまとめて熱気が押し寄せる。バーというなのカフェ店の奥、ステージで踊って歌うグループが喝采を浴びていた。息を切らして膝に腰を置くを私はその姿に笑みが浮かぶ。


「あら?レイナちゃんじゃない!」


 一人のバー店員が私の入店に気付き、笑顔で手を振って来る。息を整えて軽く会釈をした。


「ご無沙汰してます、絵理奈さん」


 このバーの店長兼店員の紫雨野絵理奈しぐれのえりなは嬉しそうに私の傍まで近寄って来る。三十代とは思えない若々しさに女性として羨ましいほどの綺麗な縊りや、細長いくも程よくついた肉付きのある揉み足。そして、豊満な双丘がエプロン越しからでも圧倒する。いつもならその差に歴然としてしまうが、今はそれどころじゃない。

 このぐしゃぐしゃでも威勢を張った心構えで音楽をしたい。

 今じゃないと私は消えてしまう気がする。


「今日っ……えっと、今からってステージ……使えますかっ!」


 あまりの焦燥や威勢に眼をパチクリする絵理奈さんだが、何かを察したように私の頭を撫でる。どうにもこちらの心情をいつも掴まれてしまって、どうにも隠し通すことも、誤魔化すこともできず、何かあれば相談することも少なくない。

 私が中学でいじめられた時も、彼女の存在があったから今があるといって何ら過言でない。少しばかり赤らめてしまう私を可愛げに見つめた。


「……次のグループまでの三十分は使えるわ」

「!じゃあ、お願いしますっ!」

「ええ。楽しみにしてるわね」


 頭を下げてすぐさまこれから共に演奏をするメンバーのいる楽屋に脚を向けて。


「あーそれと、ちゃんと話をしなきゃダメよ」


 パチリとウインクした絵理奈さんには、どうやら全て見透かされていたようで、私は苦笑いじゃなく、元気に頷いた。


「ありがとう!」


 そして、楽屋の扉を開けると、やはりと言うべきか私のチームメイトが待っていた。


「おっはレイナ」

「おはようレイナ」


 わたしに気付いたクレナとヒロは変わりなく気軽な挨拶をする。


「おはよう二人とも」


 何ら変わりない空気感。それでも足りない穴に顔を顰めてしまって、クレナとヒロに気を遣わせてしまった。


「レイナの演奏のせいとかじゃない。ルナが自分自身で選んで決めたことだ。仕方のないことだ」

「ええ。わかってるわ。……それは本当に大丈夫なのよ。——だから、今は歌いたい」


 そんな私の威勢に二人は頼もしいとばかりに頷いてくれる。そこには私の求める人々がいる。そして、それはクレナたちも同じで、故にチームメイトの私に問いて来る。


「……弟のことはいいのか?」


 クレナの指摘に胸に激しく苦い棘が抉りに来る。それでも、彼の顔を思い出しても、言葉をリフレインしても、私は私の信条を曲げるなんてダメだ。この出来事が私を確実に希望へと頂かせる。だから、私は歌うのだ。

 迷いはあった。けれど、残りはなかった。これは正しく間違えではない。私が望むための物語の始まりなんだ。


 息を吸うと喉が潤う。少し充血しているかもしれない瞳に、滲む残り物は生まれない。踏み込んでいる脚の感覚が膨大に世界を見渡す。握りしめた拳が爪で抉った傷口から再び血を流すが、それが自分の戒めだと激情に赤くなる。捉えた音となる世界は以外にも鮮やかだった。


「私は負けない。憧れたあの日の彼女たちのように、私も希望と届けられる音楽家になる!演奏家になって性根の腐った綴琉を引っ張り出しってやるわ!だからっ!この糧もぜんぶ礎に変えて歌って見せるの!絶対に後悔させて、その瞳に私を映しこんでやるの‼」


 息巻いてやる。この情熱を意志たる願望を。瞠目する二人を見下ろして、私は言ってやった。これは私の物語の一頁目だ。


「——私の……ううん。私たちの歌でみんなを幸せにするわよ‼だから——私と一緒に音楽をやりましょ‼」


 本気で、本音で、本心で、誰にも負けない全身全霊でプロになろうと息巻くのだ。誰もが注目して誰もが息を呑んで、誰もが言葉を漏らして誰もが元気に、明るく、未来を見つめられる、希望に輝く音楽家になろう。

 私のそれは単純明快。実にパフォーマーとしての境地にして憧れの未来。だから、二人も笑う。クレナは紅の髪を掻き揚げ、ヒロはスティックを重ねて音を鳴らし、私の正面に立ち上がった。絆創膏の入った箱を投げつけられ、それと同時にステージから盛大な喝采と歓声が轟かした。


「いいよ。僕はレイナと一緒にバンドをやりたい」


 ヒロのなけなしが私の心を靡かせる。


「アタシもいいわよ。あんたの言う希望を届ける歌。乗った。それくらい意気込まないと締まらないわね」


 クレナの豪快さが私を沸騰させる。


 ああ、そうだ。この感覚だ。この激情に似た緊張感のと高鳴りが私は好きだ。


「じゃあ、先にいってるからさっさと来なさい。その傷もなんとかしといてよね」

「あはは……うん。待ってるよ」


 出て行く二人に私は叫んだ。


「はい‼」


 急いで練習着に着替えて、絆創膏で傷口を塞ぎ、初めて買ってもらった始まりの愛用たるエレキギターを腕に、ピックで弦を弾いた。六弦の解放音。私は気合を入れてステージへと向かった。


「今日もやるわよっ!」


 今までも、今日の全ても糧にしよう。そして歩き出そう。理解できることのない彼らに見せつけるために。そして、全ての人に希望の歌を届けるために。


 私——日向レイナの本当の音楽人生がここにプロローグを歌った。

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