エピローグ  繋がっている道

 暖かな海風が吹いていた。風にそよそよと草が揺れている。砂浜は暖かそうで、散策には良い季節であり場所だ。私はアルステイン様に抱えられるようにして馬上にいた。乗馬は自分の馬を乗れるように頑張って覚えているのだが、流石にまだ一人で遠乗り出来るレベルに無い。なのでアルステイン様の馬に乗せて貰っているのだ。


 たしか、この辺の筈だが。私は見まわすが、辺りはもうただの草原になっていた。ここは私の故郷だ。その筈だった。私の生家の場所は全然分からなくなっていた。跡形も無いのだ。


 この辺りに母屋があり、親戚の住んでいる家が数件並んでいて、牛小屋、豚小屋、道具小屋なんかがあり、それなりに建物が並んでいたし、畑や放牧地を囲む柵などもあった筈なのだが、本当に何の痕跡も無い。飢饉の年からもう8年以上が過ぎている。恐らく飢饉の年の冬か、あるいはその次の年辺りで実家の生計は破たんして一家離散したか、単純に冬に呑まれて全滅したのだろう。それにしてもたった8年で人間の営みというのは跡形もなくなるものなのだな、と私は少し驚いた。


 別に、分かっていた事だからショックは無かった。ただ、確認出来て良かったな、とは思った。ペリーヌであった過去はとっくに捨てた事だし、親兄弟にも会いたいとも思ってはいないが、自分が間違い無くここで人の子として産まれたのは事実だから、その事は忘れないようにしたかったのだ。だからアルステイン様のワクラ巡行に付いて来て、幾つか見たいといった地域の中にここの海岸地帯を混ぜておいた。


 アルステイン様には一言も言っていないし、彼も一言も問わなかったが、この地方の視察の時に限って騎馬で見ようと言い出したので、多分全て分かっているのだと思う。護衛の騎士から離れ、草原をポコポコと馬は歩く。アルステイン様は呟いた。


「良い所だな」


「そうですね。今の季節は、ですけど。もっと海風が強くなり、雲が垂れ込める季節になると、外に出るのも大変になりますよ」


 そういう日は家にこもってひたすら羊の毛から糸を紡いだり、それで布を織る母親を手伝ったりしたものだ。風が弱い日は海岸に出て流木を拾って薪にしたり、波に煽られて打ち上がっている魚を拾ったりした。今では遠い記憶だ。家も何もかも消えてしまった今では幻とさえ思える。


 この辺りはあまりに貧しいため、帝国の再開発計画に入っていないらしい。海も荒れるために漁師町にも貿易港にも向いていない。投資の割に報われない土地であるから、恐らくこのまま草原のままという事になるのだろう。たまに羊飼いが訪れる程度の。


「君が良ければ、ここに別荘でも建てようか?」


「いいですわ、そんなの。こんな遠くまで何度も来れません。多分、もう二度と来ないでしょう」


 アルステイン様のお気持ちは嬉しいが、どうでも良いのだこんな土地は。ただ単にここは私が生まれた記憶だけがある土地。それだけだ。何の価値も無い。


 アルステイン様は頷くと言った。


「では馬車に戻るか。お腹が冷えたら困るからな」


 私のお腹には第二子がいるのだ。巡行中に発覚した。ちなみにヴェルサリアは帝都でミリアムとお留守番だ。アルステイン様は連れて来たがったのだが、幼児に無理をさせて良い事など無い。そうしたら代わりに私の懐妊発覚だ。おかげで予定を繰り上げて帰る事になっている。世の中ままならない。


 私は最後に辺りを見回す。海が眩しい。故郷の海を見るのもこれが最後だろう。故郷の事を思い出すことはほとんど無かったけど、この海の景色はたまに夢に見たものだ。再び見る事が出来て良かった、と素直に思う。


 アルステイン様は馬を歩かせる。ふと見ると、馬は薄く残った道に沿って歩いているようだった。ああ、この道は・・・。私はふふふ、っと思わず笑みを漏らす。


「どうした」


「いえ、何でも。この道も、アルステイン様と一緒なら安心だなぁ、と思っただけです」


 アルステイン様は怪訝な顔をなさったけど、直ぐに笑顔になって私の頬を撫でてくれた。


 この道は、故郷を出た日に一人で歩いた道だ。朝早くに出て、不安で一杯な胸を抱えて歩いて行った道だった。そこをアルステイン様と、お腹の子供の三人で行くことが出来る。私はなんだかそれがとても幸せで、嬉しくて、不思議な気分だった。やっぱりヴェルサリアも連れて来て、一緒にここを歩けば良かったな。そうすればもっと幸せな気分になれたかもしれない。


「早く帝都に帰ってヴェルサリアに会いたくなってきました」


「そうだな。帰ろうか。我が家に」


 この道は確かに今日に繋がっていた。あの日歩き出したペリーヌの道は、今の皇妃イルミーレとなった自分と繋がっている。一人が二人になり、三人になり、そしてまたもう一人。親兄弟はもういないけれど、これからもまだ私の家族は、大事な人は増えていくのだ。それは物凄く幸せな事だった。


 私はアルステイン様の胸に頬を寄せた。


「何だか私、今、アルステイン様のお嫁に行くような気分がします」


「そうか。歓迎するよ。私の花嫁」


 アルステイン様は私の頬にキスをしてキラキラとした顔で笑った。


「何だか私も君を故郷から奪って行くような気分になってきたな。遊牧民にでもなった気分だ」


 私も微笑む。


「是非奪って行って下さいませ」


「君がどこにいても、どこへでも何度でも奪いに行くよ。私の可愛いイルミーレ」


「何度でもですか?その度にプロポーズして頂けますか?」


 アルステイン様は少し驚いた顔をしながらそれでも笑って言った。


「君が求めるなら何度でも。私と結婚して頂けますか?イルミーレ」


 私は満面の笑みでアルステイン様を見上げながら即答した。


「はい。喜んで。何度でも何時までもあなたとなら喜んで」


 私達はそんな幸せなお話をして笑い合いながら、その道を進んで行ったのだった。




                                終わり


 


 



 


 

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