34.エリミアスの戦い(中) 公爵視点

 『帝宮と公爵邸に賊が侵入し立て籠もっている』。


 帝都の守りを任せたスティーズ将軍からの凶報に私は思わず立ち上がった。途端にブレンにガシッと羽交い締めにされた。


「離せ!」


「どこへ行く気ですか!落ち着いて下さい!」


「落ち着いてなどいられるか!イルミーレが!兄上が!」


 私はブレンを引きずって外へ向かおうとして、今度は参謀連中に総出で止められる。


「ダメです!閣下!あなたはこの遠征軍の総司令官なのですぞ!」


「敵がこちらの動揺を誘う為の偽情報かも知れません!落ち着かれよ!」


 うぐぐ・・・。私は無理やり止められ、座らされた。私は凶悪な形相で書簡を睨み付ける。


 スティーズ将軍の送って来た書簡には簡単に、帝宮と公爵邸に皇国の兵士が侵入して占拠した事、現在対処を検討中である事だけが書かれていた。大至急で記したのだろう。大分文字が乱れていた。


 どういう事なのか?何がどうなって皇国の兵士が帝都に現れたのか。どうやってスティーズ将軍が防衛している帝都の城壁を乗り越えたのか。そこだけでもかなりの防衛力を持つ帝宮と公爵邸の城壁をどうやってくぐり抜けたのか。


 イルミーレはどうなったのか。帝宮や公爵邸には皇族しか知らない緊急時の脱出装置があるが、イルミーレはそれで逃げられたのだろうか?兄上はどうなったのか。兄上に、皇帝陛下にもしもの事があったら帝都がどうなるか分からない。そこまで行かなくても、宰相がここぞとばかりに暴走して私を罷免するなり、我々への支援が滞るなりするような事があればどうなる。


 くっ!やはりどうしても私が急ぎ帝都に戻り帝都を掌握する必要がありそうだ。けして、イルミーレが心配だからとか、イルミーレにもしもの事があったら生きていけないからだとか、それだけが理由では無い。一応。私はブレンと参謀連中に言った。


「私は急ぎ帝都に戻る。あまり大人数だと敵に気付かれる可能性がある。500人程の部隊を用意せよ」


 ブレンが顔色を変えて反対する。


「危険過ぎます!」


「しかし、帝都の事態を放置は出来ぬ!私は戻る!」


「閣下で無くとも良うございましょう。私が情報を集めてまいります」


「ダメだ。もしも皇帝陛下にもしもの事があった場合、私の不在の間に宰相が遠縁の皇族を新帝に擁立するかもしれない。その新帝の命だと私を罷免するかもしれない。そんな事になったらとんでもないことになる。私が行くしかない!」


 私が強い口調で言うと、ブレンがぐっと詰まった。ブレンとて帝都の危機が即ちここにいる帝国軍の危機に直結しかねないと分かっているからだろう。軍隊とは指揮官と兵隊だけで完結する組織ではない。国家全体の組織構造を根として枝葉に軍隊は存在するのである。根が枯れたら枝葉も枯れるしかない。今回の帝都の危機が最悪の方向へ進めばその可能性まであるのである。


 しかしブレンは、それでも首を横に振って妥協案を出してみせた。


「帝都からの第二報を待った方がよろしゅうございます。あまりにも情報が不確定です」


「・・・分かった。だが、帰還部隊の編成は急がせよ。あと、敵の動きを注視せよ。もしかしたら、敵は帝都の動きと連動してくるかも知れん」


 私は口に出してからあり得る話だと思った。この1ヶ月に及ぶ長い沈黙は帝都のこの事態を待っていたのだとすれば納得出来るからだ。


 私はジリジリとしながら第二報を待ったが、その日の内には来なかった。まんじりともせず夜を明かし、次の日になっても伝令は来ない。おかしい。スティーズ将軍なら状況に変化があればその度に逐一報告をくれる筈。それが来ないのは、伝令が妨害を受けたか、・・・あるいは伝令を出せない程帝都の状況が悪いかのどちらかだろう。悪い方向にはいくらでも想像力が働く。


 あっという間に夕方だ。ダメだ。もう待てない。時間が過ぎれば状況は悪くなるばかりだろう。


「敵に動きは無いのだな?」


「はい。ほとんどの軍勢は野営地にいるようです」


 偵察隊の報告では敵は野営地から出る気配を見せてはいないようだ。ならば夜闇に紛れてこっそり少人数で出て帝都へ行き、事態を鎮めたらこっそり帰ってくれば間に合うかも知れない。


「ならば、私はやはり帝都に一時戻り、事態を解決する、もしくは状況を把握したら直ぐに戻る。留守はファブロンに任せる。敵が動いたら応戦して良いが、私が戻るまで決戦は避けよ」


「・・・分かりました」


 ファブロンが納得しかねるという顔で頷いた。私だってこんな中途半端な指示はしたくない。しかし、私はどうしても帝都に行かねばならないのだ。私は他の細かな指示を参謀逹に出すと、鎧の上からマントを纏った。


「急ぐぞ、ブレン!」


「ハイ!」


 私が執務室を出ようとしたその瞬間だった。


 開けようとしたドアが反対側から開いて、私は思わず飛び退いた。飛び込んで来たのは従卒だった。彼は勢い余って転びつつ叫んだ。


「た、たった今、帝都から使者が!」


「何だと!」


「外に来ています!通してもよろしいでしょうか!?」


「私が行く!」


 私は従卒を跨いでドアから飛び出すと、階下に駆け降りた。それ程広くない司令部の屋敷のエントランスに飛び出し、従卒が開けたドアから出ると、そこに馬と人がひっくり返っていた。馬は泡を吹いている。


「帝都からから来たというのは貴様か!」


 私が怒鳴ると、仰向けに倒れていた若い男性がビクッと動いた。私は男を助け起こすと、肩を揺らして再び怒鳴る。


「しっかりしろ!何があったのだ!」


 そこで私は気が付いた。軍服ではない。男は軍人では無かった。良く見れば見覚えがある。屋敷の者だ。イルミーレとの手紙のやり取りに使っている早馬を勤めていた者の一人だ。


 屋敷の者が来たということは、イルミーレは無事なのか?私は思わず喜びに包まれそうになったが、喜ぶのはまだ早いと思い直す。男が半死半生になってまで急いだ事を考えても尋常では無い事が起こったのは間違い無いのだから。


「しっかりしろ!おい!水を持って来い!」


 私は従卒にコップで水を持って来させ、男に水を飲ませた。それで男はようやく目の焦点が合って来た。


「だ、旦那様・・・」


「ああ、そうだ!私だ!何があった!」


 男は震える手を自分の胸ポケットに持っていき、そこから一枚の紙を取り出した。


「お、奥様から、旦那様に・・・」


「イルミーレから!?」


 私はその紙をひったくるようにして受け取った。紙。そう、紙だ。単純に二つ折りにされただけの紙。男がポケットに突っ込んでいたからだろう、皺だらけになってもいる。


 しかし、安否不明のイルミーレからの手紙であり、事変が起こっている帝都からの数少ない情報だ。私は震える手で折られている紙を開いた。


「・・・」


 皺だらけの紙にはたった一言だけが記されていた。大慌てで記したのだろう。ただでさえ下手な字が大変な事になっている。私は慎重に解読しなければならなかった。


『こちらは任せて』


 ・・・それを読み取った瞬間、私はスーっと冷静になった。上っていた血が頭から抜けたせいで眩暈がしたほどだ。


 それから私は男に水を飲ませつつ、状況を聞く。


 男は血相変えたトマスから「奥様からの手紙だ。一刻も速く旦那様に届けるように」と命ぜられ、慌てて馬に飛び乗り屋敷を飛び出した。すると、男が出るか否かくらいのタイミングで公爵邸の城門が閉められた。そして何やら数百人の兵士が迫って来るのが見えたそうだ。


 それでこれはただ事では無いと、ろくな休養も取らずに馬を駆けさせたらしい。リレー早馬に僅か1日しか遅れ無かったのだからかなり無理をしたのだろう。帝都の城門を抜ける時には何も異常は無かったようなので、その時点ではまだスティーズ将軍が状況を掴んでいなかったと考えられる。


 情報を聞き終えると、私は従卒に男と馬の手当てを命じ、立ち上がった。心配そうに見ているブレンに、私は言った。


「ブレン。帰還は中止だ」


「い、良いのですか?」


「私とした事が、冷静さを欠いた。帝都の状況を皇国が引き起こしたなら、私が慌てて帰還する事まで計画の内だと考えるべきだろう」


 私は階段を上り、執務室に戻って椅子にドカっと腰掛けた。ブレン、ファブロン、参謀逹が私の前に集まる。私は執務机に近辺の地図を広げ、考えた。


「フリッツ大佐。偵察隊を普段の三倍だせ。敵は帝都の状況と連動して必ず動く。恐らく一隊を帝都へ戻る街道を塞ぐ位置に出している筈だ。正確な位置を掴むように」


「ハッ!」


「スラッグ大佐。各部隊に出撃準備を命ぜよ。全軍上げてここを出る。携帯する兵糧は半日分で良い。一気に決着を着けるぞ」


「ハイ!」


 二人が駆け出して行く。ファブロンが恐る恐る聞いて来た。


「帝都はどうなったのですか?」


 私はイルミーレの手紙を見せた。ファブロンが目を丸くする。


「イルミーレは多分、誰よりも早く状況を掴んだ。その上で『任せて』と言うのだ。任せて大丈夫だろう。私はこちらに集中する事にした」


 ブレンが苦笑する。


「随分、信頼なさっておいでですね」


「イルミーレを疑うくらいなら、私は豚が空を飛べる事を信じるさ」


 私は肩をすくめた。イルミーレのおかげでこちらに集中出来るのだから、私がすべき事はここで勝つ事だ。私は地図と状況を思い浮かべながら何度も展開をシミュレートしてみる。


 敵がここまでジッと我慢していたのは、帝都でこの事変が起こる事を知っていたからだ。事変に動揺した帝国軍が取ると予想される行動は2つ。


 一つは私が少人数の部隊で密かに急いで帝都に帰還する事。それを予想しているなら敵は帰還ルートに軍を展開して待ち構えているだろう。スティーズ将軍からの伝令が来ない事を考えれば、既に街道は塞がれていると考えるべきだろう。


 もう一つは帝国軍が全軍上げて帝都に帰還する事だ。こちらなら皇国はいくらでもやりようがある。帝国軍を追撃しても良いし、放置して略奪しても良い。特にこのエミリアスには我々が溜め込んだ兵糧がまだ沢山ある。絶好の獲物である。


 そこまで読めていれば、私のすべき事はそれを逆手に取る事だ。簡単なお仕事だ。私はファブロンに言った。


「ファブロン。そなたは騎兵1万を率いて帝都への街道を戻り、街道を封鎖している敵を撃ち破れ。そしてそのまま迂回して敵の野営地を襲え」


「ハイ」


「私は残りを率いてエリミアスを出る。輜重部隊が軽く、物資を残して帰還する様を見せれば、敵はエリミアスに殺到するだろう」


 敵、特に遊牧民逹は冬が深まって切羽詰まっている。とりあえず家族を救う為の物資が欲しい筈だ。エリミアスを略奪し、その後で帝国軍を追撃しようと考えるだろう。


「エミリアスはあえて空ける」


 私が言うと、ブレンが目を剥いた。


「エリミアスを捨てると?」


「確実に食いつかせる為の餌だ。夢中で食い付いている所を料理する」


 遊牧民の強さはその機動力だ。逆に言えば機動力を失った遊牧民なぞ恐るに足りない。


「一気に決着を着けるぞ。連中に浅知恵を後悔させてやろう」


 ファブロンとブレンが敬礼で応えた。




 日が沈んでから、ファブロンが率いる騎兵1万がエリミアスを勢い良く出撃した。その後、帝国軍11万がゾロゾロと城門を出る。そして、帝都への道を進み始めた。実はこの中にはエリミアスの住民約1万も含まれている。


 エリミアスは城壁外の野営天幕も何もかもそのままだ。城門まで開けてある。夜闇に紛れて慌てて帰還する帝国軍といったところだ。


 城壁を出てすぐ、輜重部隊とエリミアス住民を分離して先行させる。本隊はむしろノロノロと続く。私は馬上に姿を晒し、遠くからも見えるように軍旗をもはためかせていた。


 次々と情報が届く。ファブロンは一気に前進し、街道にいた5千程の敵を追い払ったようだ。私が500の兵で戻ったら待ち伏せにあい、危ないところであった。そのまま迂回して国境を越え、敵の野営地を襲い、敵の退路を絶つ。


 その敵は帝国軍が動き出すと同時に全軍上げて野営地を出て、エリミアスに向かったらしい。上手く餌に食い付いたな。まぁ、こちらに向かって来てもこちらは準備万端だから勝てただろうが。エリミアスには忍者を何人か潜ませてある。頃合いで合図が来る筈だ。私はゆっくりと軍を進ませながら、その合図を待った。軍を進ませている内に夜が明けてきた。兵に小休止を取らせ、食事をさせる。徹夜になったわけだが、兵士たちの表情は興奮でギラギラしている。これなら戦意は大丈夫だろう。


 再びノロノロと行軍を開始する、と、エリミアスの方向に一筋の煙が立ち上るのが見えた。狼煙だ。合図だ!私は右手を高く上げた。


 その合図だけで全軍がザァっと音を立てて反転した。肩に担がれていた槍は前に倒され。弩弓兵は弦を引いて初矢を込める。私が手を前に振ると、帝国軍は陣形を整えつつ駆け足で今来た道を戻り始める。一晩掛けて来たとはいえわざとノロノロと行軍してきたのだ。僅かに1時間で我が軍はエリミアスが望める場所まで来た。


 皇国の遊牧民たちは略奪の真っ最中らしい。私がわざと開きっぱなしにしていた城門から都市の内部になだれ込み、思うままに振舞っているのだろう。ただ、一応は警戒しているのか2万程の部隊がエリミアスの前に整列しているのが見える。我が軍を認めたのだろう、慌てて馬に乗ったり陣形を整えようとしている。こちらはその数9万の大軍勢だ。向こうからは銀色の壁のように見えているだろう。


 しかも遊牧民の軽装騎兵の強さは平原で機動性を保ってこそ発揮される。都市の前に貼りつけられていては実力はほとんど発揮出来まい。都市の中で馬を降りていればなおさらだ。よし!私は自分の兜の庇を下ろし、剣を抜いた。


「皇国の乞食どもに思い知らせてやれ!大女神の加護は我らにある!全軍突撃!」


 私の号令に大軍勢が怒号で応えた。帝国軍は特に何の工夫も無く歩兵は槍先を揃えて真っ直ぐに。騎兵は敵の動きに対応すべく左右から。一気に突撃した。9万の兵馬の突撃である。地面が震え空気は鳴動した。


 皇国軍も警戒していなかったわけでは無いのだろうが、まさか行ってしまった筈の帝国軍が全軍上げてあっという間に帰って来ただけではなく、一部の隙も無い陣形で一斉に襲い掛かって来るとまでは考えていなかったのだろう。馬の上で武器は構えたものの身動きも出来ずにいる。そこへ帝国軍は容赦無く殺到した。


 エリミアスの城壁と帝国軍に挟み撃ちになった格好になった皇国軍の守備兵2万は刷り潰されるようにあっという間に壊滅した。帝国の歩兵は陣形を保ちつつ、そのまま城門からなだれ込んだ。楽しく略奪中だった皇国軍は慌てて街路に出て繋いでいた馬に飛び乗ろうとしたようだが、そんな余裕は勿論与えない。帝国軍歩兵は街路を突撃して街路にいた皇国軍を血祭りに上げつつエリミアスを貫通。そしてそこから掃討戦に入った。


 その間に私は騎兵部隊2万を率いてエリミアス城壁沿いを駆ける。偵察隊の情報で我々が突入したのと反対側の城門近くにまだ無傷の3万の軍勢がいる事が分かっていたからである。おそらくはエリミアス城内でやられている味方を救援しようとしているだろうその軍勢に向けて、私は騎兵を率いて一気に近付くと、自ら雄たけびを上げつつ先頭に立って斬り込んだ。


 槍と剣を縦横に振るい敵の中に乗り込む。意識が都市の中に行っていた皇国軍にとって側面からの完全な奇襲になった。何回も言うようだが遊牧民は機動性を発揮してこそその強さを発揮する。動かなければ単に軽装な騎馬隊に過ぎない。鎧兜にしっかり身を固め、威力のある槍や剣で武装した帝国騎兵の敵ではないのである。


 私は敵の陣を斬り抜けると、そのまま敵の後方部隊を包囲して猛然と攻撃を加えた。大混乱に陥る敵は同士討ちさえ発生して程無く壊滅。私は更に残った敵を攻撃し、そのほとんどを討ち取った。


 こうしてエリミアスの戦いは、双方合わせて20万人近い軍勢がぶつかり合った大会戦でありながら、開始からわずか4時間という記録的な速さで帝国軍圧勝の内に幕を閉じたのである。


 


 戦闘が終わり、程無く敵によって止められていた帝都からの伝令がやって来た。エミリアス城壁内は荒らされてしまったので、急遽城壁の外に張った天幕に置いた司令部で私はスティーズ将軍からの書簡を受け取った。


 なんと事態が僅か一日で解決したという知らせだった。皇帝陛下夫妻もイルミーレも無事。首謀者も捕えたという。私は拍子抜けした。なんだ。大した事は無かったのか?公爵邸と帝宮が占拠されたという知らせは何だったのか?


 しかし、同時に届いた(記された日付は次の日)詳細を記したスティーズ将軍の書簡を読んで私は驚き、呆れ、頭を抱えた。


 それはイルミーレが大活躍をしたという報告だった。なんと公爵邸を脱出して、どうしたわけか帝宮に潜り込んで皇帝陛下夫妻を救出したらしい。何がどうしてそうなった?しかしおかげでスティーズ将軍は帝宮を安心して攻める事が出来、皇国の兵士数百人を討ち取り、首謀者である皇国大使と、宰相を捕えたらしい。首謀者が宰相だと?宰相が皇国と手を組んで帝都に皇国の兵を引き入れたのか?そうであれば大問題である。


 イルミーレも皇帝夫妻も無事で、公爵邸で療養中らしい。スティーズ将軍は書簡でしきりに「イルミーレ様のおかげにより」と書いているが、これを読んだだけではイルミーレが何をしでかしたのか全く分からない。私は考え、考えるのを止めた。イルミーレが無事ならそれ以上考える事は無い。


 帝都の事ばかり気にしているわけにも行かない。戦後処理もしなければいけない。私は捕えた敵の中で一番高位の者である遊牧民の族長だという男を引見した。


 頬に髭を生やした黒目黒髪の男である。体格は良いが痩せている。本来はもう少し太っていたのかもしれない。額にケガをしたらしく布を巻いていて血がにじんでいる。彼は後ろ手に縛られており、連れて来た兵によって跪かされていた。


「そなたが族長か」


 遊牧民族には王の概念が無いが、血族の中から長を選んで族長とし、その族長同士が結びついて大きなグループを形成するのだと聞いた。この男は今回侵攻に参加した中では一番有力な部族の族長なのだ。


「そうだ」


「ふむ。今回の戦いでは多くの血が流れた。そなたの一族もたくさん死んだろう。何もかもそなたが無用な戦いを企んだせいだ。愚かな事だったな」


 私が言うと族長の表情が屈辱と悲痛に歪んだ。


「何とでも言うが良い『銀色の悪魔』め。この冬を乗り切るには他から奪うしか無かった。戦うしか無かったのだ」


「だから愚かだというのだ。食料が無いならなぜ購入する事を考えなかった」


「我々にそなたたちが望む金など無い。金が無ければ売るのは家畜か人か?それを売らば今度は夏が過ごせぬ。我らに出来る事は奪う事だけだ」


「そして命を失うのか?本当に愚かな事だ」


 私は言って、族長の後ろに回った。族長は首を落とされると思ったのだろう。頭を下げ言った。


「我が命と引き換えに一族の者には慈悲を。敵の王よ」


「もう命はたくさん奪われたろう」


 私は自分の剣の先で族長の縛めを切ってやった。族長は突然自由を回復した手を信じられないようなものを見る目で見ている。


「戦いは終わった。あれほど数を失ってはもうそなた等に戦闘能力はあるまい。帰るが良い」


 族長は呆然としていたが、やがて自嘲するような笑みを浮かべた。


「無用な情けだ。敵の王よ。戻っても我々はどうせ冬は越せぬ。ひと思いに今殺すが良い」


「ならば、我々は兵糧が余っている故、持って行くが良い」


 私が言うと族長は口を大きく開けて惚けてしまった。


「な、なんだと?」


「食料をくれてやるから持って行けというのだ。敵として我が国土を侵したそなた等は兎も角、そなた等の子供らに飢えて死なれるのは目覚めが悪い。故にくれてやる」


 族長は今度は警戒したような表情になった。


「何を企んでおる。『銀色の悪魔』よ」


「ふん、私ではない。私の妻は『緋色の聖女』と呼ばれている。彼女の慈悲に感謝する事だ」


「『緋色の聖女』・・・?」


 呆然と呟く族長の顔を見ながら私は内心笑いを嚙み殺した。イルミーレはその異名が皇国商人の間で流れていると聞いて随分恥ずかしがっていた。遊牧民の間でも広まったなら何と言うだろうか。


 族長は立ち上がりつつ、私を睨んだ。


「我が一族が再起したらまた帝国を襲うかも知れぬぞ?」


「そうしたら何度でも撃ち破ってやるからいつでも来い。この『帝国の銀色の悪魔』が相手をしてやる」


 族長は私の事ぐっと睨んでいたが、不意に私の足下に跪いた。


「敵の王よ。感謝する。大女神と七つ柱の大神の名に誓う。我々はこの恩義をけして忘れない」


 私は捕虜とした皇国の遊牧民は全て解放した。そして、用意していた兵糧の残りを全て与えた。もっとも、10万近くいた遊牧民は2万にまで減っていて、馬もかなり減ってしまったようだ。故郷に帰っても一族を維持出来るかは分かるまい。恐らく10年以上はこの方面に遊牧民からなる侵攻軍は現れないだろう。弱体化しているうちに遊牧民を取り込めるように策を練らねばなるまい。


 捕虜の内、遊牧民ではない皇国軍兵士が数百人いた。中に皇国の軍監だという男が含まれており、族長曰く全ての作戦はこの軍監により皇国からもたらされたという事だった。この軍監と皇国の大使を尋問すれば事態の計画の全容が明らかになるだろう。この捕虜たちは厳重に縛めた上で帝都に後送した。


 作戦に使用したせいで荒れてしまったエリミアスの住民に対する賠償や、清掃修理の手伝いを兵士たちにさせる手配をし、国境地帯の砦やのろし台の整備の手配を終えて、私は帝都への帰路に就いた。年が明けて半月が過ぎていた。


 


 


 


 


 



 

 

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