29.事件

 アルステイン様が出征なさってから、私は私なりに頑張った。アルステイン様は帝都の事を頼むとおっしゃったのだ。期待に応えなければならない。


 アルステイン様は情報を重視される方だから、色んな所に諜報員を送り込んで情報収集をしていた。流石に私には諜報員を動かす事は出来ないから、代わりを使った。


 私は屋敷の下働きを何人か呼んで言った。


「皆様が街に出た時に聞いた噂話を教えて下さい」


 下働き達は首を傾げていたが、私がどうでもいい噂話に銀貨一枚を払って見せると、先を争って街に流れる噂話を教えてくれた。


「他の皆様にも私が噂話を買い取ると教えて下さい」


 それから私は毎日下働き達を集めて情報収集をした。ほとんどがどうでも良い噂話だったけど、しっかり褒美は与えた。アルステイン様は「情報は量が大事」と言ってたし。


 そして勿論、お茶会を開催したり出席したりして自ら情報収集もする。ご婦人方の話すゴシップほど貴族社会を映し出すものは無い。馬鹿に出来ないのだ。皇国商人を招いたお茶会も開催し、商人の商売と皇国の政治は関係無いよね、という雰囲気を作り、商人が不利益を被らないよう図った。当然、皇国商人からも情報収集をする。


 そうやって収集した情報をまとめて、アルステイン様に書簡でお伝えする。これには屋敷の警備兵を何人か持ち回りで当てた。北西部国境まで早馬で片道8日掛かる。往復で16日以上。アルステイン様からも前線の状況を記した書簡が届く。そうやって情報をやり取りして帝都と前線の動きを繋げていくのだ。え?書簡に事務的な事しか書いて無いのかって?そんなわけないじゃない。お互い愛の言葉も満載ですわよ。だから公的な早馬が使え無いのだ。


 ただ、私の熱心な情報収集は、ほぼ徒労に終わった。帝都は平和そのものだし、社交界のゴシップも男女関係の噂がほとんど。アルステイン様が気にしていた宰相様も動きが無い。皇国商人の話では大使も特に動いていないようだ。


 前線では皇国側に動きがあり、遊牧民を主体とした皇国の大軍が国境付近に移動しているらしい。かなりの大軍で油断出来ないと書かれていた。アルステイン様が負ける筈は無いが、お怪我などしませんように。


 そうしてアルステイン様が出征なさって1ヶ月が経った。国境では睨み合いが続いているが、帝都は戦争中だとは思え無いほど平和だった。何も起こらないまま年の瀬だ。因みに私は18歳になった。アルステイン様に誕生日を祝って欲しかったな。




 しかし、その事の兆しは思えば年末に近い頃にあったのだ。その時は気が付かなかったけど。


 皇国商人の組合長の夫人が公爵邸にご機嫌伺いに来た時の事だ。私はお茶を出してもてなし、お話しをしていた。戦争中に敵国の商人と接触しているわけだが、皇国の商人とはこれまでのお付き合いで信頼関係が出来ているからあまり心配していない。


「そういえば、大使館に大規模な隊商が到着しまして」


 夫人が思い出したように言った。


「大使館が大量の物資を購入したようですね。500名程の隊商が皇国から直接来ました」


「500名とは大きな隊商ですね」


「皇国から直接来る隊商としては普通の規模でございますよ。ただ、大使館に直接納品するというのが少し変わっておりますか。夫は戦争が長引いて、国境が封鎖された時の備えだろうと言っておりました」


 夫人はチラッと私を見た。私はニッコリ笑った。


「今のところ国境封鎖の予定はございませんよ」


「ご配慮に感謝致します。イルミーレ様」


 確かに戦争が長引いて、戦線が北西部国境に限らなくなれば、国境を完全封鎖して商人の出入りも禁じる可能性もあるだろうから、それに備えるのも当然なのかしら?ただ、何かが引っ掛かる。


「大使様は大使館から出てはいらっしゃらないのですよね?」


「そのようでございますよ。私達には何の連絡もございません」


 私は知らないけど、当然大使は帝国の諜報員に見張られているだろう。アルステイン様に帝都の防衛を任されて帝都の外城壁を守るスティーズ将軍に逐一報告されているはずだ。何か変な動きがあれば将軍が動くだろう。スティーズ将軍が軍を動かしたという話は聞いていないし、大使も特に動いてはいないようだし。うーん。考え過ぎかな・・・?


 私の失敗は、スティーズ将軍と緊密に連絡を取り合い、情報を共有するという事をしていなかった事だ。だってスティーズ将軍はアルステイン様には敵わないまでもイケメンの未婚の男性だ。そんな男性と書簡を頻繁に交わしたりしたら一発で社交界の噂になってしまう。アルステイン様が不在の現在そんな事になったら私の評判が大変な事になってしまうだろう。何かあったら連絡を取ろうとは思っていたが、何も起こらなかったから機会が無かったのだ。


 なのでスティーズ将軍が私の得た情報を知らなかった事に、気が付いていなかったのだ。後で分かった事だが、隊商は城門を潜ってから大使館に納品する前に人員のほとんどを分散して宿に泊まらせてしまい、大使館に来て諜報員が確認した時には少人数しかいなかったらしいのだ。皇国大使の姑息な偽装工作にまんまと嵌ってしまったのだった。もしも私が皇国商人からの情報をスティーズ将軍に伝え、スティーズ将軍が500人もの人員が皇国大使館に加わった可能性がある事を事前に知ったなら、恐らく事が起こる前に皇国大使の計画は看破され、未然に塞がれていたのではなかろうか。私は所詮、軍事や謀略は専門外だしね・・・。


 そのため、結局その日の朝まで私もスティーズ将軍も、ペグスタン皇国大使と宰相様の計画に気が付けなかったのだ。まったく面目無い。

 



 その日の朝、私が支度をしていると、侍女が一人、困惑した顔でやってきた。


「奥様。トマスがお話したい事があると。何やら、下働きの一人が妙な話を持って来たとか」


 ?トマスとは食事の後に毎日打ち合わせの時間を設けている。それを待たないのだから緊急の案件だろう。


「分かりました。すぐ行きます


 私は着替えだけ済ませ、化粧は後回しにして、急いで私室を出た。トマスは私室の控えの間に既に待っていた。


「おはようございます。申し訳ございません。奥様」


「大丈夫です」


「廊下に下働きを待たせております。直接聞いて頂いた方がよろしいでしょう」


 廊下に出ると男性の下働きが跪いて待っていた。私は前置き無しで話し掛けた。


「何のお話でしょう。話して下さいませ」


 私は下働きに結構気軽に話し掛けるし、最近は噂話収集で下働きを集めて報告を受けるようにもしているから、下働きもあまり緊張しないで話し出す。


「はい。私は通いなのですが、早朝、家を出た時に妙なものを見たのでございます」


 その男性下働きが言うには、彼は帝都の下町に家があり、遠いため、相当に早朝に家を出て公爵邸に出勤して来るのだそうだ。今日も早朝に家を出て、下町を歩いていたら妙なものに遭遇したのだという。


「兵士を見たのです」


「兵士?」


「はい。数百人の兵士が武装して歩いてました」


 私は首を傾げた。


「私は帝都の下町に詳しくありませんが、兵士が歩いているのは妙なのですか?警備の為の巡回などは無いのですか?」


「警備兵の巡回ならせいぜい数人です。あんな人数が帝都の内部、しかも下町付近にいる事はまず無いでございます」


 なるほど。私は頷いて先を促した。


「それと、風体が妙でした」


「どのように妙だったのですか?」


「武装は帝国軍の装備でしたが、何人か黒髪で頬髭を生やした者がいました。あと、帝都ではあまり見ない、髪が縮れた者もいました」


 黒髪頬髭は皇国人に多い特徴だ。髪が縮れた人種も皇国南西部に多い人種である。皇国人が帝国軍の武装をして帝都を歩いていた?それは確かに妙な話だった。


「どこに向かっていたのかは分かりますか?」


「そこまでは・・・」


「ありがとう。良く知らせてくれました。これは褒美です」


 私はトマスから銀貨を貰い、それを下働きの男性に渡した。下働きが満足そうな顔で下がり、私室に戻りながら私は考え込む。


 皇国人に多い人種で、帝国軍の格好をした兵士が数百人。一体何者か。そこですぐに思い出したのは先日皇国商人から聞いた隊商の話だ。500人の大規模な隊商。タイミングと人数は合うわね。隊商が実は兵士で皇国大使館が調達した帝国軍の装備を着けているとすれば辻褄は合う。


 帝都に皇国軍が潜入したとなればそれだけで大問題だけど、私は更に思考を推し進める。その皇国兵士の狙いについてだ。


 現在、帝都には外城壁を守るスティーズ将軍率いる兵士が3千名いる他、帝都郊外の基地に1万人の兵士がいる。何れも精鋭でアルステイン様曰わく10万の大軍に帝都が包囲されても何年かは持ちこたえる事が出来るだろうとの事だ。


 そして、帝宮とこの公爵邸を含む離宮にそれぞれ500人程度の守備兵がいる。普段は交代勤務だが、有事には全員で守備に就く。帝宮にも離宮にも強固な城壁があるから攻められても簡単には陥ちない。


 現在、帝都の外に敵が迫っているわけでは無い。故に潜入した兵士が外の軍と呼応して何かする事は出来ない。帝都で騒乱を起こしても、帝都にかなりの被害は出るかも知れないが、すぐスティーズ将軍に鎮圧されてしまうだろう。帝宮や離宮を占領するには明らかに人数が足りない。


 帝都で騒ぎを起こしても大勢に影響は無い上に、帝国国民の皇国への心証は悪化し、多分皇国大使は殺される。あの如何にも自己中心的な大使がその程度の策謀に自分の命を懸けるだろうか?


 あの大使が自分の身を懸けるような事を企んでいるとすれば、恐らくもっと皇国にとって利益になる事だ。今、皇国にとって一番の利益とは何だろう?それは勿論、皇国軍が勝つ事だ。国境で睨み合っている皇国軍とアルステイン様。皇国軍がアルステイン様に勝つなど普通なら天地がひっくり返っても有り得ないが、それを帝都からの策謀で達成しようとしているのだとすれば・・・。


 皇国の大使と、帝国軍の格好をした兵士。皇国の大使は宰相様と組んで帝国と皇国の和平を推進しようとしていた。でも、あの大使は本気で帝国と融和しようとしているように見えなかった。つまり宰相様は騙されている。宰相様は政界で孤立しつつあった。皇帝陛下も政府閣僚も賛成しているアルステイン様への譲位を一人で反対している。しかし、もしも今回アルステイン様がまたも皇国軍を撃退したなら、もはやアルステイン様への譲位は宰相が何を言っても止められ無いだろう。そういえば、宰相様は皇国の侵攻の意図自体を否定していたわね。もしもその情報が大使からの直接の情報だったのだとすれば・・・。


 私の頭の中で最悪の結論が導き出された。


 考え過ぎなら良い。だが、もしも最悪の想像が当たっていたなら、帝国は下手すると滅んでしまう!


 一刻の猶予も無い。私は慌てて私室のテーブルの、アルステイン様に手紙を書くために置いてあった紙にペンを走らせた。目が悪い私は字が下手なので何時もは慎重に丁寧に書くのだが急いでいるから殴り書きだ。


「これをスティーズ将軍に届けさせなさい!急いで!」


 私の剣幕に侍女が飛び上がって驚き、紙を持って走り出す。続けてもう一枚。ペンが止まる。どうしよう。何と書こう。私は考えと溢れんばかりの思いで逆に何も書けなくなる。時間が惜しい。私はえぇい!と思い切って一言だけを漸く記すと、紙を折り畳んで言った。


「これはアルステイン様に!可能な限り速く届けさせなさい!」


 そして私室を出るとトマスを呼び、命じた。


「今出した手紙の使者が出たら、屋敷の城門を閉じなさい」


「じ、城門でございますか?」


「そうです。誰も入れてはなりません。相手が宰相様でも追い返しなさい!」


 そして、エルグリアに言う。


「着替えます。散策用のブーツと裾の短いドレスに。髪は全て上げて下さい」


 私の勢いに単なる散歩の為の準備では無いと分かったのだろう。他の侍女達と共に慌てて用意しながらエルグリアは私に尋ねた。


「奥様。何が起こっているのですか?」


 私はエルグリアをしっかり見て笑わずに言った。


「何も起こらなければ良いと思っております」


 エルグリアが息を呑む。しかしそれでも手早く私を着替えさせ、髪を固めに結って上げてくれた。化粧をしてくれようとするのを止めて、私は立ち上がる。後、準備出来る事は・・・。


「エルグリア。私がお屋敷に到着した時に着ていた服はとってありますか?」


「あの服ですか?!い、一応、とってはありますが・・・」


 さすがエルグリアだ。出してくれるよう頼むと、引き出し箪笥の中から懐かしいボロ服、兵部省支給のお仕着せが出てきた。一応きれいに洗濯はされている。ついでに、貴族商人時代に帝都で買った安物の髪飾りまで出てきた。懐かしくて思わず和むが、今は懐かしんでいる場合では無い。お仕着せを袋に入れてもらい、それを持って支度部屋から出た所に侍女が飛んで来た。


「トマスがご報告したい事があると!」


 私は駆け出すように私室を出た。先程と同じように私室の控えの間に来ていたトマスは珍しく固い表情で私に言った。


「屋敷の門前に勅使と、200人程の兵士が来ています」


「勅使?」


「はい。宰相閣下の家令の男爵が、勅書を持ってきたので入れろと」


 宰相様の家令が勅使?最悪だ。多分、最悪の想像が当たってしまった。


「城門は閉めたのですよね?」


「はい。間違い無く」


「ならば絶対に開けないように。私が許可を出すまで何があっても開けてはなりません」


「しかし、勅使の入門を拒否しては・・・」


「構いません。私が責任を取ります。誰も入れてはなりません!城壁の守備兵に最大限の警戒を命じて下さい。急いで!」


 私の命にトマスが駆け出して行った。ただならぬ雰囲気にエルグリアが顔を青くしている。私はエルグリアの側にグッと寄った。エルグリアの耳元に口を寄せる。


「奥様?」


 驚くエルグリアに構わず私は声を潜めて早口で言った。


「エルグリア。教えて下さい。この離宮の脱出用の抜け道はどこですか?」


 エルグリアがギョッとした顔をする。私は更に言う。


「離宮なのですもの。緊急時に皇帝陛下を脱出させるための抜け道がある筈です。教えて下さい」


「お、奥様はこのお屋敷から脱出するおつもりですか?」


「お屋敷の外でやらなければならない事があるのです。私は行かなければなりません」


 エルグリアは私を見て目を丸くしながら、それでも首を横に振った。


「いけません。私は旦那様から奥様を何があっても守るよう仰せつかっております。奥様を危険な場所に行かせるわけには参りません」


「そのアルステイン様が危険なのです。エルグリア。アルステイン様をお助けするために、私がどうしても行かなければなりません」


 私の言葉にエルグリアの顔色が真っ青になる。震える声で言う。


「坊ちゃまが!?」


「そうです。一刻を争います。エルグリア」


 私は目に力を入れる。


「中央館の小さな謁見室だという事までは見当が付いています」


 私が言うとエルグリアが驚愕する。


「何故それを・・・」


 毎日お屋敷を探検していて、何だか構造がおかしいな?と思って色々調べた結果、どうもそうなんじゃないかと推測していたのだが、当たっていたようだ。


「後は使い方です。エルグリア。お願いします」


 視線を間近で合わせる事数秒。遂にエルグリアは陥落した。彼女の手首に嵌まっていたブレスレットを抜く。


「本来は、奥様が正式に結婚したらお渡しする筈のものです」


 特に特徴の無い、黒いブレスレットだ。確かにエルグリアが常に着けているな?とは思っていたものだ。エルグリアはブレスレットを左右から強く引っ張った。すると輪が広がり輪に複雑な隙間が出来た。そしてそれを捻り8の字にする。


「この8の字のこっちが謁見室の扉の鍵です。反対側を玉座の裏にある同じような鍵穴に入れて玉座を押すとズレて脱出路が開きます」


 私は元のブレスレットに戻された鍵を受け取ると自分の腕に嵌めた。


「ありがとう。エルグリア」


 私が走り出そうとするとエルグリアが私の腕をぐっと掴んだ。真剣な不安気な青い瞳が揺れている。本気で私を案じている表情だ。私は自分の心が温かくなるのを感じた。


「必ず無事にお戻りくださいませ。奥様」


「当たり前です。私はアルステイン様の御子を産んでエルグリアに育てて貰わなければなりません。それまで死ぬ気はありません」


 エルグリアは苦笑して、私の腕を離すと、自分の胸に手を当てて頭を下げた。


「奥様に大女神ジュバールと七柱の大神のご加護があります様に」


「感謝を。ありがとうエルグリア」


 私は今度こそ駆け出した。礼儀作法も何もかも気にせず走るのは久しぶりだった。




 

 

 


 

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