21.会えない日々 公爵サイド
イルミーレを帝都に送り出して数時間後。
私は既に激しく後悔していた。
「イルミーレを呼び戻そう」
私が真顔で呟くと、グレンが冷たく言った。
「馬鹿なのか」
私は逆切れした。
「だってお前!私たちはさっき婚約したばかりなんだぞ!その愛し合う二人がいきなりなんで離れ離れにならなければならないのだ!」
「だからもう少し再会を待てと言ったろう」
「これ以上待てるわけが無いだろう!それにイルミーレがいつ危険な目に遭うか気が気ではなかったんだ!」
ブレンは処置無し、というように首を振って私から視線を外した。それから私が何言っても返事をしない。くそう、上官を無視しやがって。
もっとも、私だってイルミーレを呼び戻すなんて不可能だと分かっている。イルミーレに言った通り、イルミーレを先に帝都に返すより他に方法が無いのが事実だからだ。王宮を無人にしたのすらかなり強引な事なのだ。私が何を企んだのか怪しんでいる部下もいるだろう。この状況でイルミーレを王都に残し、二度三度と逢瀬を楽しむのはリスクが高過ぎる。
しかし兎に角寂しい。辛い。分かれ際に切なそうに笑ったイルミーレの顔がひたすらフラッシュバックする。私は屋敷のトマスにイルミーレの事をくれぐれも頼む手紙を書き、早馬に持たせた。トマスとエルグリアなら、私が選んだ女性なら例え自分より身分の低い男爵令嬢であっても粗略には扱うまい。
ちなみにトマス達には「イルミーレはワクラ王国で戦火に巻き込まれ、下働きに身をやつしていた所を発見して救出した」と説明した。これなら今のイルミーレの格好も、痩せている事や手の荒れ方も説明が付くだろう。彼らなら私がそう説明した以上、イルミーレ本人に事情は求めまいとの計算もある。
しかし、辛い。せっかく再会したのに一瞬でお別れとかどういう罰ゲームだ?くそう。ダメだ。辛過ぎて仕事する気が無くなって来た・・・。
「とっとと仕事終わらせ無いと永遠に帰れないぞ」
私の思考を読んだらしいブレンがボソッと呟いた。くそう。的確な指摘だ。仕事が出来る奴め。私は仕方無く書類を手に取った。
私は猛然と仕事に取り組んだのだが、仕事は兎に角湧いてくるかのように押し寄せて来た。流石に小なりとは言え王国を滅ぼした後始末だ。私はつくづく帝国がこれまでワクラ王国を滅ぼさなかった理由を理解した。
ワクラ王国は封建制国家からジワジワ中央集権に以降しつつあった国で、各地にまだ大小様々な領地領主が存在した。彼らは送り込んだファブロン率いる帝国軍に降伏し恭順を誓ったのだが、当然自分達の領地は安堵されると思っていたらしい。
しかし、帝国は完全に中央集権国家だ。貴族は領地を持たず、位と職責に応じた家禄と歳費を皇帝から下賜される。ワクラの領主達も帝国貴族になるわけだから領地は没収される事になる。まぁ、その領地との地縁は大事だから、当面は彼らがその領地を代官として皇帝の代理として治める事になるだろう。
しかし、何人かの領主はこれに強い難色を示した。彼らは既に持っている爵位をもってそのまま帝国貴族として遇される事になるのだが、それでは今得ている収入と歳費が釣り合わず割に合わないらしいのだ。
調べてみると彼らはその領地で好き勝手にやっており、ワクラ王国に税の上納すらしておらず、子爵や伯爵あたりの爵位なのに実情はその地域の王であった。確かにそれでは予定されていた歳費では割に合うまい。ワクラ王国の王家は一応広大な直轄地を支配していたのだが、肥沃な土地や重要な貿易港は地方領主に押さえられており、経済的には地方領主に負けている面もあった。ワクラ王国が潜在能力の割に栄えていないわけだ。
しかしながら、彼らに例外的な地方領有を認める訳にはいかない。帝国が苦労して中央集権化した事が無駄になる。私が彼らの要求を突っぱねると、彼らは交流のあるフレブラント王国やバイス王国に密使を送り、支援を依頼したらしい。他国への介入の要請は反乱と同義だ。愚かな奴らめ。
私はファブロンに命じて1万の軍勢をもって反抗的な領主達を叩き潰させた。豊かだと言っても保有兵力はせいぜい1千。相手にならない。他国と通じた領主は捕らえて領地は没収した。
するとその没収した領地を治める必要がある。領地の事情に通じた旧領主を代官にできないとなると、別の者に代官を命じなければならない。しかも幾つもの地域のだ。これが大変に厄介で、適当な人材を地方領主以外から見繕うのは非常に大変だった。私は自らワクラ王国中を回って地方の実情を把握して、適切な人材を探して面接する羽目になった。結局は地方領主の嫡男、家臣の長などに忠誠を誓わせ代官に任じ、領主本人を帝都で人質にした上で任せる事が多かった。無論、官僚団を送り込み、次代からは代官をいらなくする予定である。
街道が舗装されていないワクラ王国を巡るのは一苦労だった。その過程でここ数年の冷害で荒廃した地域を視察し支援を行い、投資し甲斐のありそうな地域に目を付け、貿易港を視察してついでに趣味の陶磁器をいくつか買い込んだ。ワクラは地域によって貧困の差が激しいようだ。地方領主が独占していた富をいかに配分するかがこの先のワクラの課題になりそうだ。
王都に戻れば戻ったで大量の仕事が私を待っていた。王都に置く予定の駐留軍の編成、人事、装備をどうするのか。本国との連絡体制。街道の整備。王国貴族に帝国貴族の爵位を与え、その職務と歳費を決めなければならない。それには人材を把握しなければならない。下位貴族は兎も角、上位貴族のそれは私が決める必要があった。少なくない数の貴族と面接し、過去の経緯まで調べて割り振りをしなければならない。王国貴族の中には領地経営は家令などに任せ、自分は遊んでいるだけの奴もいたから、そういう奴に出来そうな仕事を選んでやるのも大変だった。帝国貴族は働かなければ歳費が貰えないのだ。
私は本当に忙しく、日々が飛ぶように過ぎて行く。勘弁してくれ。いつになったら帝都に帰れるのか見当も付かなくなってきた。皇帝陛下からは「お前が滅ぼしたんだからキッチリ後始末を終えるまで帰ってくるなよ」的な勅語が届き、宰相からは「ワクラに出す無駄な予算は無い。そちらで何とかするように」という書簡が届いた。おのれどうしてくれよう。
そんな日々を癒やしてくれるのは、イルミーレとやり取りする手紙だった。これは公的な早馬とは別に私個人の家来を使い早馬で往復させた。だから公私混同では無い。公的な早馬を使うと書簡を覗き見される心配があるから使えなかったというのが本当のところだが。
最初の手紙はトマスに文面を考えて貰ったものを丸写しにしたらしい。たどたどしい文字が微笑ましいものだった。私は自重せずイルミーレへの愛の言葉を書き連ねた手紙を送る。イルミーレが読めなくてもトマスかエルグリアが読んでくれるだろう。トマスは嫌がるかも知れないが。
同時に、トマスからの報告も受け取っていた。予定通りイルミーレに宮廷儀礼と帝国の歴史や地理の勉強をしてもらっているらしい。イルミーレの記憶力なら大した苦労もあるまい。同時に、イルミーレの希望により読み書きもトマスから習っているそうだ。これもイルミーレならすぐ覚えるだろう。
ところが、宮廷儀礼や歴史地理は兎も角、読み書きに苦戦しているらしい。あの記憶力で?私は不思議に思ったのだが、トマスの手紙に訳が書かれていた。
「お嬢様は目がよろしくない模様です」
は?目が悪い?私は驚いたが、考えてみると、書面を見る時にかなり目を近付けていたな・・・。
トマス曰わく、イルミーレは普段生活する分にはほとんど支障が無いくらいだが、字を読み書きする時や細かい作業に不便な程度に目が悪いらしい。そのため、字を読むのに難儀し、書くのも上手く書けないのだとか。確かに手紙のやり取りを重ねても字が上手くならない。そして同じ理由で裁縫が苦手で、貴族女性の趣味の定番である刺繍が上手くいかず凹んでいるらしい。
その後、トマスが手を尽くして拡大鏡を手に入れたので、読む分には不便が無くなって、急速に読みは進歩しているが、字はどうしても上手く書けないようだ。拡大鏡では書く時に使えないからな。拡大鏡は帝国には作成技術が無く全て輸入で、価格も高いが入手が非常に困難だ。目に装着する拡大鏡もあると聞くので、探させてみようか。
トマスの手紙にはイルミーレの普段の生活の様子も書かれていた。イルミーレは基本、早寝早起きで、宵っ張りが常識の貴族の侍女が困っているとか、食が細過ぎてもう少しイルミーレに肉を付けたいエルグリアが困っている等。
一番笑ったのは、屋敷の畑や豚小屋に異常に興味を示し、毎日のように子豚を愛でに出向いている、という話だった。付き合わされるエルグリアが面食らっている様子が目に浮かぶようだ。畑や豚に興味があるというのは、もしかしたらイルミーレは元は農民なのかも知れないな。
しかし、私が知らないイルミーレを屋敷の者が先に知っていくというのは複雑な気分だった。私が先に知るべきであろうに。
そう思うと一刻も早く帰りたくなった。私は一層猛然と仕事に取り組んだのだが、仕事の山は増えこそすれ減りはしなかった。どういう事なのか。
理由は簡単であった。しかし、迂闊にも私がそれに気が付いたのは事態が手遅れになり掛かった頃だった。
私は王国を滅ぼし国王を追放した今、事実上ワクラの王になってしまっているのだ。その状態でする職務は言ってみれば国の経営その物だ。国の経営というのは課題を処理すれば終わるという性質のものではない。次々と生じる問題を延々と解決し続けるのが国家経営というものなのだ。ならば私がいくら職務に邁進しても仕事が終わる筈が無い。
課題を解決すればそれが新たな課題を生み出し、問題を改善すればそれが新たな問題を引き起こす。エンドレスだ。当たり前だ。国家は滅びるまでそうやって転がり続けるものなのだ。私がそれに気が付いた時には、私という存在はワクラの政治体制に組み込まれ、抜け出せなくなりつつあった。有り体に言って、私は暫定的なワクラの主にしては熱心に仕事をしすぎてしまったのだ。私は戦後処理の域を超えて国家の改善にまで手を付けてしまっていた。
本格的にマズい。このままでは帝国に帰れない。私は慌てた。そしてそんな私の焦りを増幅したのが、イルミーレからの手紙だった。
イルミーレは急速に語彙が増え、長文も書けるようになっていた。相変わらず字は下手であったが。彼女が「愛しています」と書いてきてくれると愛しさに頬が緩んだし「愛の女神ヴィキュールの息吹をあなたに」などと詩的な表現を使うようになってくると彼女の成長を感じた。普段の生活や社交について楽しそうに書き「お早いお帰りをお待ちしています」などと書いてきている内はまだ良かった。
しかし、離れて3ヶ月も経った頃からイルミーレの手紙が不安なものになり始めた。
だんだん「私は凍りついてしまいそうです」「あなたがいない日々は虚しい」などと寂しさを訴える文面が増え「夜空の月」とか「北風に揺れる草のように」などという孤独を訴える婉曲表現も頻繁するようになった。楽しそうな文面は減り、そもそも文量も減り始めた。
「私は疑いの神ランジュに支配されてしまいそうです」など婉曲に私の不実を疑う文面や「私が夏の暖炉であると思われているならば」など私が彼女を必要としていないのでは無いかと疑う表現もあった。トマスからの報告でもイルミーレがしきりに寂しがり、ただでさえ細い食が更に細くなり、社交にも出たがらなくなったと書いてある。
私は焦った。早く帰らないとイルミーレが消えてしまう気がした。手紙で彼女への変わらぬ愛を強調し、私にはイルミーレが必要なのだと訴えた。
私はこの状況を打開するには、最早底無しの仕事量を片付けるのではなく、他人に押し付ける必要があると理解した。私の代わりにワクラの地に残す人員を決め、仕事を引き継ぐのだ。私が抱えている仕事を一人に押し付けるのは無理だろうから、行政官、駐留軍司令官、官僚団に分散して引き継がせる。
建て前として、帝国軍の最高司令官である私がこれ以上帝都を離れているわけにはいかないと周囲に強調した。帝都の皇帝陛下にもある程度後始末が済んだから帰還すると伝える。しかし、引き継ぎは次々と出てくる問題に妨害されて中々進まず、私の焦りをよそに、イルミーレと離れてから4ヶ月も経ってしまった。
イルミーレの手紙にはもう「会いたいです。寂しいです」以外の事は書かれておらず、トマスの報告にはイルミーレが毎日ベッドで泣いているらしいと書かれている。私の焦りは頂点に達した。しかしまだ帰れない。私が断腸の思いでその旨を書いた手紙を送ると、何故かエルグリアから火の出るような怒りの手紙が送りつけられて来たのである。
エルグリアは私の不実と無情をなじり、イルミーレが如何に健気に気丈に私を待ち続けたかを語り、見事に社交をこなし勉強も頑張り、屋敷の秩序を守り使用人を慈しみ、親しみ易いのに毅然として上品で美しいイルミーレは理想のお嬢様だと絶賛し、そのイルミーレが思わず人前で涙を流すほど絶望させた私は人でなしだと痛罵した。
その上で私がこれ以上イルミーレを蔑ろにするなら、自分達は私では無くイルミーレを盛り立てて公爵邸を守っていくので私はもう帰って来なくて良い。ワクラにでもどこにでも行ってしまえと書いてある。私は戦慄した。エルグリアの本気を読み取ったからである。
エルグリアは私の乳姉弟で私の姉代わりだ。私は幼少の頃から彼女に頭が上がらない。彼女は私を溺愛していて、けして裏切らないと信じられる忠臣だが、まったく甘くはない。子供の頃に私が我が儘を言ったら屋敷から叩き出して雨の中で一晩放置した程度には厳しいのだ。
そんなエルグリアがイルミーレをこれほど認め、愛してくれているのは嬉しい反面、これほど彼女を怒らせてしまうと、本気で屋敷から閉め出されてもおかしくない。これはマズい。洒落にならない。もう一刻の猶予も無い。私は無理矢理引き継ぎを終わらせ、それでも足りない部分は書簡を送れば対応するからと各方面に拝み倒した。そして何とか体裁を整えると帰還の馬車に飛び乗ったのである。
騎乗では無く馬車を選んだのは昼夜兼行で進むためである。なるべくスピードの出る小さな馬車を使い、途中に設置させておいた駅で次々と馬と御者と護衛騎士を入れ替え、私と、どうしても同乗すると言い張ったブレンは小休止を入れる以外は馬車から降りない。睡眠も走行中の馬車で取った。ブレンは呆れていたが構ってはいられない。
帝国に入ってからは舗装路面でスピードが上がったが、それでも私はジリジリと焦る気持ちを抑えられなかった。
そしてワクラ旧王都を出て5日後、久しぶりの帝都の城壁を見たのである。
馬車は帝都の中をなるべく早く進み、漸く公爵邸の城壁をくぐった。坂道を上がり、本館の車寄せに馬車が入る。私はもう待っていられず、止まり切らない馬車から飛び降りた。
イルミーレはどこだ?私は大股で歩いて館のドアをくぐった。すると正面。侍女の紺色のお仕着せに囲まれ一際華やかに、緑のドレスに身を包んだ彼女が立っていた。4ヶ月前に見た時はボロボロの服だったイルミーレが美しく着飾り立っている。しかし、そのシルエットは痛々しいほど細かった。
私は声も出せずに彼女に駆け寄り、思い切り抱きしめた。嬉しいより済まない気持ちで一杯になり、自分を責めてしまう。エルグリアが取りなす声が聞こえ、ようやくイルミーレから身体を離す。イルミーレは心労からだろう、疲れた様子だった。
「すまない!イルミーレ。・・・もっと早く帰るべきだった。本当にすまなかった」
私が謝罪すると、イルミーレはフワッとした、無防備な笑顔を見せた。
「お帰りなさいませ。アルステイン様」
そう言って私を抱擁してくれた。おお、私を初めて名前で呼んでくれた!手紙ですら公爵様呼びだったのに。
「ああ、ただいま。イルミーレ」
私が返すと彼女はニコニコ笑いながら私を間近から見詰める。前回再会した時は泣きじゃくったイルミーレが笑っているのが嬉しかった。私は彼女の頬にキスをして、もう一度抱き締める。彼女が間違い無くここにいることを確認するように。
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