14.再会とプロポーズの続き 公爵サイド

 ワクラ王国はあまり起伏が無い土地で、気候は乾いて寒冷だ。広さ的には帝国の5分の一程度と結構広いのだが、人口は少ない。農地に森が点在し、小さな町や村がちらほらある感じである。長閑な風景が広がる中を帝国軍は進撃した。当たり前だが略奪暴行は厳禁で、物資も輜重部隊がちゃんと運んでいるから現地調達の必要は無い。


 ワクラ王国の王都は帝国の国境に近く、普通に進撃して7日も掛からない位置にある。未舗装の街道なのでこれでもスピードは帝国内の半分くらいなのだが。そんな感じで私達本隊はのんびり進撃していたが、別動隊は敵の残存軍を追い詰めつつあった。あまりに早く捉えてしまうとそこで戦争が終わってしまうので、大分引っ張らせたが、王都近くまで来たのでもう良かろうと許可を出した。


 別動隊は急進して敵の残存軍、おそらく数少ない常備軍を捉え、一方的に撃ち破った。疲れ果てていた敵軍は降伏。敵の総司令官であるワクラ王国の王太子を捕えて捕虜にした。王太子は私との交渉を要求したそうだが、私は一顧だにしなかった。私は全軍に指令を発し、進撃してワクラ王国の王都を包囲した。


 ワクラ王国の王都は丘の上の王宮を囲んで城壁を巡らせてある、人口10万程の街らしい。地方都市としては中々の規模だが、一国の首都であると考えるとしょぼい。ちなみに帝都は100万人を超えている筈だ。王都には5つの門があったが、全て閉ざされていた。籠城するつもりらしい。


 我が軍の兵員は3万人。大した規模では無い。補給ルートは確保してあるし、国境に溜めておいた物資は潤沢だ。1年くらいなら余裕で包囲を続ける事が可能だろう。一方、王都の方はどう見ても物資を全市民の一年分を溜め込めるようには見えない。長期戦になれば我が軍が明らかに有利だ。逆に力推しで陥落させるには兵が少し足りないが、私に最初からその気は無かった。イルミーレが戦火に巻き込まれたらどうするのだ。


 この城壁の向こうにイルミーレがいるのだと思うと心が躍り、一刻も早く会いたくなったが我慢した。何もかもイルミーレと無事に会うためだ。私は王都にほど近い所に陣を構え長期戦に備えると、王都に使者を送り込んで敵の王に開城と降伏を迫った。


 途中、帝国からは何度か使者が書簡を持ってやってきた。皇帝陛下からは侵攻の意図を問う勅書が届いたが、私は「以前にお話した通りです」と返答した。返事は来なかった。分かってくれて何よりだ。代わりに宰相からは何度も独断専行の責を問う書簡が届いたが、私は黙殺した。部下も何か言いたげであったが、私が上機嫌で王都の城壁を眺めてイルミーレに想いをはせているのを見て結局何も言わなかった。


 そんなこんなで一か月。ずいぶんと粘ったものだが、遂にワクラ王国国王ガルベス一世は開城と降伏を受け入れた。


 私は兵を率いて王都に入城した。大声でイルミーレの名前を呼びたかったがそんな事をしても無駄なのでしなかった。イルミーレの身柄は忍者が守っているのでいる場所も何もかも分かってる。今すぐ向かいたいがさすがにそういう訳にも行かない。王都の市民は不安げに我が軍を見ている。私は今一度軍律の徹底と、物資を王都の市場に放出するよう命じた。


 私は軍を率いて王宮に入った。私の屋敷よりは小さいが(私の屋敷は元離宮なので無理も無い)、瀟洒で良い宮殿だった。王宮の庭園を進み、正面玄関の広い前庭へ進む。閲兵にも使うのだろうそこに出ると、20人程の人がいた。何れも身形が良い。特に中央の人物は豪奢なマントを羽織り、王冠を被っている。あれが国王、ガルベス一世だろう。


 ガルベス一世は年の頃50歳くらいか。黒に近い髪をして同じ色の口髭を蓄えている。それなりに威厳はあるが、この時は如何にも疲れ果てており、私は少し同情した。


 私は騎乗したままガルベス一世の前に進み出た。ガルベス一世の周りの者たち、恐らく重臣たちが不快気に睨んで来るが、私は無視する。これは相手の降伏を受け入れる時の伝統なのだ。下馬すると降伏でなく講和になる。


 私が馬上から傲然と見下ろしていると、ガルベス一世は進み出て私の前に跪いた。


「大いなる女神ジュバールの名の元に我は宣誓する」


 ガルベス一世は王冠を外し、地に置いた。


「いにしえより女神の恩寵と保護の下に我が預かりしこの地の大権を貴殿に譲る。ワクラの名はこの時よりこの地を表す名では無くなる事になる。女神が大地と海と大空とあまねく民の為にこれからもこの地に大いなるご加護を下さる事を、我は最後に祈る。神に祈りを」


 ガルベス一世は最後の祈りを捧げた後、王冠を私に差し出した。私は馬上から手を伸ばしてそれを受け取る。その瞬間、ワクラ王国の長い歴史が終了した。


「ガルベス殿には帝都に向かってもらう事になる。何、帝都は良い所だ。直ぐに気に入るであろう」


 私を恨みがましい目で見詰めるガルベス氏に私はあえて軽く言った。ワクラ王国の王室はこの地を離れ、帝都において帝国貴族として遇される事になる。ちょっと昔ならば滅ぼされた王国の王室は凱旋式で見世物にされた後処刑だったのだから随分良い待遇になったものなのだ。


 私は王宮に入り、王太子が使っていたという住居と執務室を接収した。王国の主要な役所と城門に兵を送る。特にイルミーレがいるという兵部省は閉鎖させて出入りを禁じさせる。これはイルミーレの為では無く、国防の為の重要情報を保護する為だ。


 ワクラ王国の遠征軍はあれで王国の全力であったから、王国に残存兵力というものは殆ど残っていない。ただ、封建的な王国だったので各地の領主はまだ兵力を残している。私はファブロンに兵力1万を与え、各地の領主の降伏の受け入れと武装解除を命じた。


 他にも王国内の主要都市を抑える為の部隊の派遣、帝都に対して占領統治に詳しい官僚の派遣の要請を行い、ワクラ王国の南に隣接するバイス王国と海を越えて関係が深いフレブラント王国に対してワクラ王国降伏の事情と経緯の説明をする使者を派遣するなどの対応に追われた。


 帝国はこれまで幾多の国を滅ぼして来たから敵国を滅ぼした時の定形の手順があるため難しい事は無かったが、何せやる事が多い。私は仕事に忙殺されてしまい、なかなかイルミーレを迎えに行く事が出来なかった。


 私は流石に今回の侵攻が私の独断専行であり、侵攻された仕返しでワクラ王国を滅ぼしたのはやり過ぎであると認識していた。イルミーレを私自ら迎えに行くにはこれしか無かったという意味で後悔はしていなかったが、まさか女を手に入れるためだけに国を滅ぼしたなどと知れ渡れば私の株は暴落し求心力低下は底無しになり、軍から支持を失って軍権を手放す羽目になるだろう。皇帝陛下の権威にまで影響を及ぼしかねない。


 それを防ぐには建て前が重要だった。私は帝国本国にはワクラ王国には今は開発されていないが帝国の技術を使えば豊かな農地になる可能性が高い土地がある事や、海沿いには天然の良港が多く、ちょっと投資すれば貿易港や漁港として幾らでも発展の余地がある事を報告し、侵攻の正当化を計った。ちなみにこれらの情報はシュトラウス男爵から得た情報である。


 その建て前を押し出す為にはきちんとした根拠やデータを示して帝国政府の面々を納得させる必要があった。私は各役所から資料を集めさせ、参謀達と共に分析し纏めた。参謀達はその過程で建て前に騙されてくれたようだった。まぁ、嘘では無いからな。


 私も資料を分析してみて、ワクラの地が意外に高いポテンシャルを持っていた事に驚いた。単に投資が足りずに発展出来なかっただけのようだ。これならたった3万の軍勢でしかも大した損害も出さずに手に入れたのだから安い買い物だったろう。嬉しい誤算だ。


 それにしてもむちゃくちゃに忙しく、とてもではないがイルミーレを秘密裏に会いに行くなど出来たものでは無い。私はブレンに嘆いた。


「何とかならんのか?直ぐそこにいるのに会えないなんて酷いではないか!」


「馬鹿たれが。自業自得だろうが。諦めて我慢しろ!」


 ブレンは冷たく言い放ったが、何だかんだ言っても奴は私の意思を最優先で実現してくれる男だ。それから10日程後、スケジュールと人払いの都合が付き、遂にイルミーレとの対面が実現した。




 イルミーレを兵部省から連れて来る役目はシュトラウス男爵(本当はモラード大尉というらしい)に任せた。シュトラウス男爵は前日に来てもらい、幾つかの依頼と同時にこの地に置く帝国軍ワクラ駐留部隊での任官を約束した。もちろん機密厳守は誓わせたし、監視も付けるが。

 

 私はソワソワしながら待つ。今日は王宮の省庁役場の事務所などは休日にして無人にし、王宮の使用人も休ませてある。帝国軍にも休暇を与えて王宮には近付かないよう厳命してある。つまり王宮は門や周囲を守る警備兵を除いてほぼ無人だ。例外はイルミーレ含む私を護衛する忍者たちと、私の後ろに立つブレンだ。


「お前もいなくて良いのだがな」


「そういう訳には参りません」


 ブレンは厳めしい表情で言った。まぁ、ブレンはイルミーレの秘密を知っているしな。仕方がないか。


 やがて扉がノックされた。


「モラード大尉参りました」


「入れ」


 ブレンが許可を出すとシュトラウス男爵が入って来た。少し遅れて、背の高い女性がそそくさと入って来た。私は彼女を凝視した。本当にイルミーレか?あれ。俯いているので顔が良く見えない。


 シュトラウス男爵が出て行き、1人残された女性は慌てたように部屋を見回していた。私はそれを見て更に怪しむ。帝国にいた時の彼女は何時も余裕のある、美しい所作をしていた。あんな風に忙しない動きはした事が無かったのである。


 おまけに彼女の格好は酷かった。あちこちが白く汚れた茶色のワンピース。腰から下にはやはり汚れたエプロン。緋色の髪は乱雑に束ねられているだけだ。彼女はキョロキョロ見回していた視線をようやくこちらに向けた。


 ブルーダイヤモンドの瞳。その理知的な怜悧な輝きを見て、私は彼女がイルミーレ本人であると漸く確信した。視線が合うとイルミーレは小さく悲鳴を上げた。


「イルミーレ・・・」


 私は確認するように彼女に声を掛ける。呆然としていたイルミーレだが、不意に微笑を浮かべると、優雅にスカートを摘まんで一礼する。その瞬間、薄汚れたワンピースが突然豪奢なドレスに変わったように見えた。間違い無い。彼女こそイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス。私の最愛の人だ。


 私はデスクを周り込んで彼女の前に立った。


 顔を上げたイルミーレは何だか呆けたような顔をしている。頬が少し赤い。私は心配になって言った。


「どうした?具合でも悪いのか?」


 するとイルミーレは熱っぽい溜め息をほうと吐きながら言った。


「いえ、その、夢では無いかと思いまして」


 私も全くの同感だった。


「私もそうだ。まだ信じられない」


 私は自分の目が潤んでくるのを感じた。


「やっと、君に会えた」


 私がそう言った瞬間、イルミーレの瞳から涙が溢れ出した。最初は一滴、すぐに一筋、やがて瞳全体から溢れるように涙が流れ始める。


 手で顔を覆う事もせず、私の事を呼びながらイルミーレは盛大に泣き始めた。まるで小さい子供のようだ。私は焦った。私には目の前で女性にこんな風に泣かれた経験が無い。一体どうしたら良いか分からない。何とか慰めなければならないが、プロポーズの返事を得てない私にはイルミーレに触って慰める事が出来ない。しかし放置は出来ない。誰にも見られなきゃ良いだろう!私は決断し、目撃者になってしまうブレンを追い出すと、イルミーレを抱き寄せた。


 驚いて泣き止むイルミーレ。その頼りない細い身体にドキリとする。私は言い訳するように言った。


「本当はプロポーズの返事をしてくれていない女性に男性が触ってはならないのだぞ?強奪婚になってしまうからな。・・・まぁ、強奪婚でも良いか。ここには君を奪いに来たのだからな」


 私が言うとイルミーレはまた泣き始めた。実は私も喜びと幸せのあまり少し泣いた。ブレンを追い出しておいて良かった。




 漸く泣き止んだイルミーレとソファーに座ると私はイルミーレになかなか迎えに来られる無かった事を詫びた。その瞬間、イルミーレは顔色を変えた。な、なんだ?戸惑う私の前にイルミーレは頭を垂れて跪いた。理由が分からず私は慌てた。


「何を・・・」


「わ、私は、公爵様に謝罪をしなければなりません」


「謝罪?」


 イルミーレに謝罪されるような事に心当たりが全く無い。私は不安で胸が騒いだ。イルミーレは震える声で俯いたまま言う。


「私は、男爵令嬢ではありません。私はイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウスなどでは無く、ペリーヌ、ただのペリーヌです。平民なのです。身分を偽り、情報収集のため帝国に潜入しておりました」


 ああ、何だ。その事か。私は脱力感に見まわれた。しかしイルミーレは震えている。彼女にとっては重要な事なのだろう。私にとってはとっくに納得していた事であったのに。私は一刻も早く安心させたくて彼女に言った。


「なんだ。そんな事か。そんな事、とっくに気が付いていたよ」


 イルミーレが驚愕の表情を浮かべる。私は彼女の手を取ると立ち上がらせ、安心させたくて優しく頬を撫でた。


「あんまり真剣だから、もしかして本当は私の事など嫌いなのだと言うのかと思って心配したではないか」


 私が軽口を叩くと、イルミーレはむしろ怒ったように叫んだ。


「そんな事!絶対にありません!こんなに公爵様が大好きなのに!」


 自分で叫んだくせに真っ赤になってしまい俯くイルミーレ。貴族らしく微笑んでいるところしかほぼ見た事が無かったが、こういう素のイルミーレも堪らなく愛らしい。そして初めて私への愛を言葉にしてくれた。プロポーズに返事が出来なかった理由も分かった。こうなればもう怖い物は無い。彼女を抱きしめながら私は決断する。


「では、今なら私のプロポーズを受けてくれるか?」


「え?」


 私はデスクからグラスを取り、水差しで水を入れると、半分を飲んでイルミーレに差し出した。意味を悟ってイルミーレの目が丸くなる。私は彼女の前に跪くと、プロポーズの台詞を朗々と暗唱した。


「大いなる女神ジュバールの名の元に私は宣誓する。何時いかなる時も君を愛し、守り、慈しむと誓う。嵐吹き荒れる海も吹雪に凍える荒野も君となら渡ってみせよう」


 このプロポーズは中断していたあのプロポーズの続きだ。だから前回と完全に同じ台詞でなければならない。やり直しでは無く続きなのだ!


「結婚して頂きたい!」


 私は肌身離さず持っていた、彼女へ贈るエメラルドの指輪を差し出した。


 イルミーレの身体がふらっと揺れた。そして、ゆっくりと左手を差し出してくれた。ゆったりと微笑みながらイルミーレが、あの時言えなかった台詞を言う。


「あなたが荒海を渡るなら灯火になり、荒野を歩むならあなたを包む外套になりましょう。生涯をあなたと共に歩むと私も女神に誓います」


 水を飲んで私をブルーダイヤモンドの瞳で真っ直ぐ見ながらはっきりと言った。


「私をあなたの妻に」


 イルミーレの瞳から涙が一筋流れた。


 ああ、遂に私はイルミーレを手に入れた。イルミーレを抱きしめながら、自分が世界で一番幸せな男であると確信していた。












 


 

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