12.再会と返答
使用人頭に呼び出されたのはその年も大詰め、普段の年なら年越し準備で大忙しの頃だった。今年は年越しの大騒ぎは無しになるだろうな。占領されてるし。ちなみに私はつい先日満17歳になっていた。お母さんが最初の子供を産んだ歳だ。
帝国軍が来てから兵部省の忙しさは大分緩和されていた。というか暇だった。だから私は呼ばれて直ぐに洗濯の手を止め、他の人に後を頼んで立ち上がった。
使用人頭の所に行くと兵部省の玄関脇の面会室に行けと言われた。えー?表玄関にこの格好で行くの?私は洗濯中だった為に洗剤があちこち付いて濡れているお仕着せを見下ろした。表玄関はお貴族様が出入りするので下働きは掃除以外では行かないし、お貴族が出入りする時間は出てはならないと言われている。やむを得ず出る時にはなるべくきれいな格好に着替える事になってもいる。
しかし、使用人頭は「急げとの事だからそのまま行って良い」と許可を出した。許可が出ては仕方が無い。私はその格好のまま表玄関へと向かった。
帝国貴族の屋敷には及びもつかないが、それなりに豪華な装飾を施された玄関ホールを横断して、私は面会室のドアをノックした。応答があったので「失礼します」と言いながらドアを開けると、そこに以外な人物が待っていた。
「男爵様?」
何だか固い表情でソファーに腰掛けていたのはお父様、もとい、シュトラウス男爵、でもなくモラード男爵だった。男爵は私を見て、恐らく汚い格好に眉をしかめたが、何も言わなかった。
「お久しぶりでございます。男爵様」
私が何となく汚いスカートを摘まんで淑女の礼をすると、男爵は何故かホッとしたような表情を見せた。
「礼儀作法は忘れていないようだな」
「はい?」
「では、行くぞ」
男爵は立ち上がった。有無を言える雰囲気ではない。私は仕方無く彼の後ろを追った。
男爵は玄関を出ると待たせていた馬車に乗り込んだ。え?私も乗るの?この格好で?
「早く乗りなさい」
急かされて私は奇異な顔をする御者に頭を下げて馬車に乗り込んだ。
狭い馬車に二人になると何となく帝国へ行っていた頃を思い出す。男爵邸にでも行くのかな?もしかして就職のお誘いかしら?そんな呑気な事を思いながら私は男爵に尋ねた。
「どこへ行くのでしょう」
「・・・王宮だ」
は?なんですと?私は目を見開いた。
「お、王宮って何事ですか?私、こんな格好ですけど大丈夫なんですか?」
「知らん」
男爵は固い表情をしたまま答えを渋った。
兵部省から王宮まではそう遠く無い。流石に立派な門を潜り走る事しばし、馬車は王宮の車寄せにたどり着いた。見た感じ、正面玄関では無いようで、どうやら王宮にお勤めのお貴族が出入りする玄関のようだった。
男爵のエスコートで馬車を降りる。まあ、この格好では様にならないが。玄関ホールには誰も居なかった。ガランとしている。占領下だからなのか、あるいは単に皆様仕事中だからなのか。私は男爵の後ろをただ付いて歩いて行った。
結構な距離を歩いた。そういえば公爵様のお屋敷に行った時もかなり歩かされたっけ。そんな事を思い出しながら規模は小さいけど美しい中庭の回廊を歩く。階段を上がり、やがて私たちは大きな扉に辿り着いた。豪華な装飾が施されていてあちこちに金細工すらはめ込まれている。明らかにお偉いさんのお部屋だ。私は慄いた。明らかに場違いだ。
しかし男爵は固い表情のまま扉をノッカーでノックした。
「モラード大尉参りました」
「入れ」
若い男性の声がした。男爵はドアを開けて入って行く。えっと、当然私も入るんだよね。私がまごまごしていると、ドアを支えていた男爵がチラッと私を見た。はいはい。入ります。
「失礼します」
私はささっとドアを潜って中に入ると、畏まって目を伏せた。
「モラード大尉、ご苦労だった。下がって良い」
さっきの声が言った。へ?もう出るの?何しに来たのかしら?思わず男爵を見ると男爵は私を気遣わしげに見ていた。首を傾げると、男爵は中に一礼してさっさと出て行ってしまう。ドアが閉まって気が付いた。あれ?もしかして私、置いていかれた?
目をパチクリしながら私は顔を上げて初めて部屋の中を見た。かなり広い部屋には大きなデスクと応接セット。壁には大小様々な絵が掛かっている。
人は二人いた。デスクに座っている人とそのすぐ横に立っている人。部屋が大きいだけにデスクの向こうまで距離があり、人相までは良く分からない・・・。
・・・あれ?
ドキンと心臓が跳ねた。何だろう。ドキドキする。えっと、立っている人は黒い頭。座っている人は・・・。なんだかキラキラした銀髪・・・。
「ひうっ!」
喉が引きつったような声が出てしまう。え?え?ウソ?まさか?そんな事って?
私はこの時この瞬間まで、まさかそんな事があろうとは全く予測していなかったのである。良く考えれば、他ならぬモラード男爵に突然呼び出され、帝国軍に占拠されている王宮へ向かい、お偉いさんの部屋確定の場所に連れて行かれたのだ。少しは気が付くべきだったろう。鈍すぎる。
デスクの向こうでゆらりと立ち上がった長身の男性。銀髪、そしてエメラルドグリーンの瞳。あんなイケメンこの世に二人と居ないだろう。
「イルミーレ・・・」
呟くように呼び掛けられる。イルミーレって誰だっけ?え?私?
私の頭の中はショッキングピンクに染まり、何も考えられなくなる。半自動的に身体が動いて両手がスカートの端を摘まむ。
「ごきげん麗しゅう存じます。大いなる女神の恩寵により尊き方への再会が叶いました。神に感謝を」
本来は目を伏せるだけの淑女の礼だが、遥かに目上の方に対しては腰を折って頭を下げる。そのまま、床の絨毯の模様を見たまま動けずにいると、ガタっと椅子が動く音がした。
近づいて来る。私は全身を震わせながら、顔を上げた。
「本当にイルミーレだ・・・」
アルステイン・サザーム・イリシオ公爵様が、満面に麗しい笑みを浮かべながら私の前に立っていた。
優しい笑顔だった。全く以前と変わらない。キラキラしている。現実とは思え無い。あれ?夢?確かに何度も夢で公爵様を見たわね。でも、夢で見る公爵様よりずっと素敵だから、やっぱり夢じゃないのかしら?
ぼんやり公爵様のお顔を見ていると、公爵様は少し心配気な表情に変わった。
「どうした?具合でも悪いのか?」
「いえ、その、夢では無いかと思いまして」
正直に言うと、公爵様はクスクスと笑った。
「私もそうだ。まだ信じられない」
そしてジッと私を見詰めた。真摯な瞳だった。公爵様の目だった。
「やっとまた、君に会えた」
万感の思いがこもった公爵様の言葉に私の涙腺が決壊した。頬を滝のように涙が流れ落ちる。ああ、お化粧して無くてよかったわ。どうでも良い事を考える。
「こ、こうしゃくさまあぁぁぁ~!」
情けなくもうわ~んと声を上げて泣いてしまう。貴族令嬢が声を出して泣く事なんて無いだろうな。というか私だってこんな風に子供みたいに泣いたのは何年振りか。両親と別れて故郷を旅立つ時にも泣かなかったのに。
ぎゃ~んと泣きに泣いている私に公爵様は何だかオロオロしていたが、キッと振り返ると怒鳴った。
「ブレン!貴様も外に出ていろ!」
あ、あの黒髪の人ブレン・ワイバーさんだったのね。
「は?いや、しかし」
「良いから!早く!」
公爵様の有無を言わせぬ勢いに、ワイバーさんが渋々扉を開けて外に出る。扉が閉まるのが早いか、公爵様がいきなり私を、それでも優しく抱き寄せた。
帝国にいた頃は色々ラブラブな接触をしたけれど、流石に抱き締められた事は無かった。ビックリして一瞬涙が止まってしまう。
公爵様がはー、と溜め息を吐いた。
「本当はプロポーズの返事をしてくれていない女性に男性が触ってはならないのだぞ?強奪婚になってしまうからな」
優しく頭を撫でてくれる。
「まぁ、強奪婚でも良いか。ここには君を奪いに来たのだからな」
公爵様の暖かさにまた涙が出てきてしまい。私は、全身が涙に変わってしまったかのように泣き続けた。
ようやく泣き止んだ私の手を引いて、公爵様と私はソファーに並んで腰を下ろした。公爵様はハンカチを出して私の目の周りを拭ってくれた。
「酷い顔だ。美人が台無しだぞ」
公爵様の軽口にやっと私も笑顔を浮かべる事が出来た。
「迎えに来るのが遅れて済まなかったな。色々準備があって遅れてしまった。許して欲しい」
何故か公爵様が謝った。それで私は、とんでもない事に気が付いた。思い出した!私、公爵様に甘えてる場合じゃ無いじゃん!
「あ、あの、公爵様?」
「なんだ?」
優しい公爵様の声に挫けそうになる。だが、ダメだ。これだけは言わなきゃダメだ。私は震える足を叱咤してソファーから立ち上がり、公爵様の前に跪いた。
「何を・・・」
「わ、私は、公爵様に謝罪をしなければなりません」
「謝罪?」
私は胸に両手を当て大女神ジュバールに告解するのと同時に公爵様に謝罪する。
「私は公爵様に嘘を吐いておりました」
「嘘?」
「私は、男爵令嬢ではありません」
声が震える。何もかもがこれで終わりになってしまうだろう。でも、もう自分の愛しい人に嘘を吐き続けるわけにはいかない。失望されても蔑まれても、真実を告げ許しを請わなければ、私は自分が公爵様を愛する事が許せない。
「私はイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウスなどでは無く、ペリーヌ、ただのペリーヌです。平民なのです。身分を偽り、情報収集のため帝国に潜入しておりました」
公爵様は黙って聞いてくれている。私はより深く頭を下げる。
「公爵様のご愛情を賜った事に甘え、言い出せずにおりました。公爵様を騙した事、誠に申し訳ございませんでした。どんな処罰をも受ける覚悟でございます」
私は頭を下げたまま、待った。あの優しい公爵様が怒り、私の嘘を責めるのを、叱責するのを、罵詈雑言を投げつけて来るのを、待った。
やがて公爵様の気が抜けたような声が聞こえた。
「なんだ。そんな事か」
は?私は思わず顔を上げた。公爵様がホッとしたように笑っている。
「そんな事、とっくに気が付いていたよ」
え?気が付いてた?公爵様の衝撃発言に私は呆然とする。公爵様は私の手を取り、立ち上がらせると私の目を見ながら軽く頬を撫でた。
「あんまり真剣だから、もしかして本当は私の事など嫌いなのだと言うのかと思って心配したではないか」
苦笑する公爵様。私は思わず叫んだ。
「そんな事!絶対にありません!こんなに公爵様が大好きなのに!」
叫び終えてから、なんかとんでもない事を叫んだ事に気が付いて顔が真っ赤になる。
「あ、あうあう・・・」
呻きながら悶える私に対して公爵様は余裕たっぷりだ。軽く私を抱き寄せ頭を撫でてくれる。
「それを聞いて安心した。じゃあ、私のプロポーズに返事をくれなかったのは私の事を嫌っていたからという訳では無いのだな」
「も、もちろんです。平民でスパイの私が、公爵様の求婚を受け入れるなんて、とても無理でした・・・」
私が言うと何故か公爵様はうなだれた。
「その程度の事なら君があの時受けてくれればなんとでもなったのだがな・・・」
その程度の事って。そんな事言われても私には分からなかったのだから無理だったのだ。公爵様は私を見詰めながら優しく言う。
「では、今なら私のプロポーズを受けてくれるか?」
「え?」
公爵様はふいっと私を離し、デスクの方へ行ってしまった。いきなり公爵様の温もりが無くなって、私は寒い荒野に置き去りにされたような心地になった。
公爵様はデスクにあった水差しからコップに水を入れ、直ぐに戻って来た。そしてそれを半分飲み、私にコップを渡した。え?これって・・・?
公爵様は静かに私の前に跪いた。
「大いなる女神ジュバールの名の元に私は宣誓する。何時いかなる時も君を愛し、守り、慈しむと誓う。嵐吹き荒れる海も吹雪に凍える荒野も君となら渡ってみせよう」
公爵様は微笑みながら優雅に右手を伸ばした。手にはエメラルドの指輪が輝いている。
「結婚して頂きたい」
頭がぼーっとしてしまうくらいの喜びに、何もかもが吹き飛んだ。身分とか国がとか、評判とか、今の自分の格好とか。公爵様のキラキラに隠されてこの時ばかりは見えなくなった。私の今までの人生は、今この時の為にあったのだ。
私は公爵様に左手を差し伸べながら宣誓する。
「あなたが荒海を渡るなら灯火になり、荒野を歩むならあなたを包む外套になりましょう。生涯をあなたと共に歩むと私も女神に誓います」
私はコップの水を飲み干した。さっき尽きたと思った涙が流れる。
「私をあなたの妻に」
公爵様は私の左手を取ると薬指にキスし、エメラルドの指輪を差し込んだ。その瞬間、私と公爵様の婚約は大女神ジュバールの名の下に成立した。
「イルミーレ!」
公爵様は大きな声で私の名を呼ぶと、私をさっきよりも強く抱き締めた。ぎゅー。ちょっと苦しい。でも嬉しい。私も公爵様の背中に手を回す。
「長かった・・・。やっと君を手に入れた」
手に入れられました。私はクスクスと笑いながら、ふと気が付いて言った。
「それにしても、あの長いプロポーズの台詞を、よく一字一句違い無く言えましたね?」
「練習したのだ」
公爵様は拗ねたような口調で言った。
「あのプロポーズは断られた訳では無く、保留だった。という事にするにはやり直すのではダメだったからな。続きをやるには正確にやらねば」
うぐっ、ごめんなさい。あんな凄い注目を集めたプロポーズに返事を貰え無かった事は公爵様に少なからぬトラウマを与えたらしい。
「しかし、これで何もかも上手くいった。全て良しだ」
公爵様は私を抱き締めたまま満足げに言った。私もこの時だけは私達は世界の中心にいて、この先はありとあらゆる事が上手く行くのだと信じられた。
・・・まぁ、世の中はそう簡単には出来ていないなんて知ってたけどね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます