3.麗しの公爵様
アルステイン・サザール・イリシオ公爵。私は当然その名前を叩き込まれたカストラール帝国基礎知識で知っていた。
年齢は20歳。先のカストラール帝国皇帝の次男。兄である現帝の即位に従って臣籍降下し、イリシオ公爵家を興す。
若くして帝国の重鎮として主に軍務に付き、幾度も軍を率いて戦いその度に勝利した。常勝将軍、帝国の剣、銀色の英雄とか多数の二つ名がある。
と、丸暗記している。意味は半分も分からないけど。男爵が幾度も「イリシオ将軍の情報は最優先で!」と言っていたので、戦争に関わってくる重要人物なのだろう。何が重要なのかも分からないし、情報を取れと言われても何聞けば良いか分からないけど。
公爵様は男爵とお母様に挨拶を受け、何だか真っ青な顔して大汗をかいている男爵と少しだけ言葉を交わすと、何故か私の方に戻って来た。私の周りにいる令嬢達の目がハートになり、商品が目に入らなくなる。ちょっとちょっと、商売の邪魔ですよ。などとは言えないのでニッコリ微笑む。
「何かお気に召した商品はございまして?」
「ふむ、その布は面白いな」
「ああ、それはフレブラント王国名産の毛織物の中でも特に暖かいものです。コートなど作るのに向いていまして、固く織ってあるので雨風を通しません」
「こちらのパイプは?」
「それは珊瑚で出来ております。公爵様はパイプを嗜まれるのですか?ならこちらのタバコセットはいかがでしょう?」
「いや、私は吸わない」
ふむふむ。公爵様はタバコは吸わない。一つ情報ゲットね。
そんな商品トークを繰り広げていると、まだ顔色は良くないが意を決したように男爵がやってきた。重要人物の情報取り、私に任せてはおけないと思ったのだろう。私はニッコリ笑って場所を譲る。
「公爵閣下、何かお気に召したものはございましたかな?」
「ふむ、今、ご令嬢からも説明を受けていたところだ。その宝石はどういうものなのか?」
「は?宝石?え~、何でしたか、あ!そうだ、それはフレブラントで採れるダイヤモンドですよ。ワハハハ!」
ちょっと待て、私は慌てて口を挟んだ。
「違います。お父様。それは宝石に見えますがガラス細工です。中に液体が入っておりまして、光の加減で色んな色になるのです」
ちょっとお父様。貴方も一緒に商人からレクチャー受けたでしょ。覚えてないんですか?
「あ?そうだったかな?ガハハハ」
笑ってる場合じゃありませんよ。ガラス細工をダイヤモンドだなんて嘘ついて売りつけたら大変な事になっちゃうじゃないですか。しかも公爵様に。
しかし公爵様は気にする様子は無く、複雑な色に輝くガラス細工を興味深そうに光に翳していた。
「面白いが使いどころが無さそうだな」
「そうですね。女性のアクセサリー向けですから。どなたか女性へのプレゼントになさってはいかがですか?」
公爵様は肩をすくめて次の商品に移った。その途端公爵様が戻したガラス細工は令嬢達が奪い合うようにしてお買い上げになった。・・・公爵様に宝石類は全部触って貰おうかしら。
それからも危なっかしいお父様の商品トークを訂正したり補足したりする。お父様はなんとか商品から他の話題に移して情報を得ようと焦っており、商品解説がいい加減なのだ。私は冷や汗をかく。商品を売り込むより帝国の軍編成?を尋ねるのに熱心な商人など居るものか。私は「お父様はお金の算段がお仕事で、商品の売り込みは私が主に担当していますのよ」とかなんとか言いながら不自然にならないようにと祈った。
ふと、公爵様が足を止めた。そこには陶磁器類が陳列してあった。公爵様はその中の一つ、真っ白な皿をジッと見ている。
「どうしましたかな?ああ、それはフレブラントの磁器ですな」
またいい加減な事を。私は慌てて訂正する。
「違いますわお父様。それはフレブラントのものではありません。東の海を越えた先にあるという国から渡来したものです。とても貴重なものですのよ」
私が言うとお父様は「そうだったなガハハハ」と笑ったが、公爵様は目を丸くして私を見下ろしていた。あれ?私何か失敗した?
「どうかいたしまして?」
「よく知っているな」
え?まぁ、レクチャー受けましたし。
「他にもあるのか?」
「いえ、大変貴重なものなので今回はこの一つだけです」
私が言うと、公爵様は私をジッと見つめて何やら考え込んでいる。こんな美形に見詰められると落ち着かないんですけどね。目を逸らす訳にもいかず、私は微笑みを保ったまま麗しい公爵様のお顔とオーラを堪能する。目がチカチカしてきたわ。
「・・・分かった。これを貰おう」
公爵様が言うと周囲がどよめいた。毎度ありがとうございます。とは言わずに私は頭を下げた。会計のために近づいて来た公爵様の家来の方に値段を言うと家来の方の頬が引きつった。そうよね。こんな皿が家が買えそうな値段だとは普通思わないわよね。
そういえば公爵様、値段聞かなかったな。これが何だか知ってるようだから値段知って怒り出す心配は無いと思うんだけど。と、そこまで考えて、あっとなる。
ダメじゃん。何であの貴重で高い皿がここにあるのよ。ここは普通の陶磁器並べるコーナーじゃない。もっと高級品ばかり並べて騎士が警戒してるあっちのテーブルに置かなきゃ。良かったわ盗まれ無いで。もう売れたから良いけど。
一通り見て回られた公爵様は男爵に連れて行かれた。これから本格的に情報収集が始まるのだろう。ふう、あんな重要人物の相手はにわかお嬢様には荷が重いですよ。公爵様が去ると遠巻きにしていたご令嬢方があっという間に私を取り囲んだ。
「アルステイン様がご覧になっていた商品はどれ?」
「アルステイン様は何をおっしゃってらしたの!」
私が情報収集受けてしまった。
「皆様、公爵様をお名前でお呼びになるのですね?」
「アルステイン様は一昨年まで王子でいらしたから」
なるほど。王子だと名前呼びなんだな。なら私は知り合った時から公爵様だし他国人だし公爵様呼びで問題無いでしょ。
「羨ましいわシュトラウス男爵令嬢。アルステイン様とあんなにお言葉を交わせるなんて」
「しかもあんなに自然に。私なんか視線が合っただけで緊張で動けなくなってしまうわ」
公爵様ご令嬢に大人気だな。分かるけど。私はニッコリ笑って言った。
「公爵様は素晴らしい方ですものね。私も商売のお話で無ければ緊張して喋れなくなったことでしょう。公爵様はこちらの宝石にも興味を示していらっしゃいましたわ」
と話をさり気なく商品説明に戻す。これは、あれだ。羨ましいとか言いながらご令嬢方は長い時間公爵様とお話していた私を警戒しているのだ。別に他国人かつ貴族の中では身分は低いらしい男爵令嬢(本当は庶民だし)のこんな痩せっぽちの貧相な女なぞ警戒する必要無かろうと思うけどね。お話と言っても商品の説明しかしてないし。
まぁ、女の嫉妬は理屈じゃ無いからね。ご令嬢にはこれからも仲良くして貰って、商品を沢山お買い物頂かなきゃならないのだもの。公爵様にはあんまり近付かない方が良さそうね。
と、思っていたのだが。
「男爵令嬢、一曲お相手願えるかな?」
とキラキラしたイケメンが私に手を差し伸べている。こんなイケメン二人と居ないでしょ。公爵様ですよ。フワッとした微笑みに浄化されてしまいそうだわ。
ちょ、周りのご令嬢方が驚愕して目を三角にしてるじゃないの。空気読んで下さい。じゃなくて、えーと。・・・これ、断れないよね。
当たり前だ。公爵様からの直々のお誘いだ。断るなど不敬極まりない。だがしかし、公爵様はこれまで一曲も踊って無い筈。つまりこの場にいるご令嬢方の誰の手も取っていないという事だ。確か最初の一曲を踊る相手には特別な意味があったよね。
逡巡する私に公爵様は微笑み掛けた。
「男爵令嬢は今日の主賓。君と踊らないと他のご令嬢と踊れないではないか」
あ、そういう事でしたか。確かに私はこの舞踏会の主催を代行して貰っているとはいえ、形式的は主賓扱いのシュトラウス男爵家の令嬢だ。最初に踊る相手としては適当なのかも知れない。
「・・・そういう事なら、喜んで」
私は右手をそっと差し伸べて、公爵様に預けた。
公爵様は騒がれるのを避ける為に普段は既婚女性としか踊らないし、男爵家女性代表はお母様なので普通ならお母様と踊った筈。最初に私と踊ったというのはちょっと異例な事だった、ということを知ったのはかなり後になってからだった。
私は公爵様に手を引かれて人々がダンスをしているエリアに出て行く。公爵様はゆったりと歩いて当然のように中央、シャンデリアの真下で足を止めた。一等地だ。物凄い注目が集まっている。
「ダンスは?」
公爵様が私と向かい合いながら聞いてくる。嘘を吐いても仕方が無い。私は正直に言った。
「あまり経験がありません」
正確には5回ほどレッスンを受けただけです。基本的な部分は教えてくれたと信じたいけど。
「ではリードしよう」
「光栄です」
静かに曲が始まると公爵様が私の腰を引き寄せ悠然と踊り始める。ちょっと、近い近い。覚悟はしていたが公爵様の素敵なお顔が物凄く近い。私は内心焦りつつ微笑みを崩さないよう顔面を引き締める。少し踊っていると公爵様が不満にも聞こえる口調で言った。
「踊れるではないか」
「知っているステップでしたし、公爵様が合わせて下さったからですわ」
「では、このステップは?」
公爵様が足の運びを変えてきた。知らないステップだったが、公爵様が小声で教えてくれながら上手くリードしてくれたのですぐに覚えられた。
「器用だな」
「そうでしょうか?」
まぁ、モノ覚えは良い方だとは思うけど。しかしながら初めて踊る舞踏会のダンスなのだから余裕など一切無い。私は無駄な会話をする事も間近の公爵様のお顔に見とれる事も無く何とか一曲踊り終えた。安堵のあまりため息が出そうになる。
「ありがとうございました。公爵様・・・」
「もう一曲付き合ってもらえるかな?」
なんですと?ニコニコと微笑む公爵様はシャンデリアの光に包まれて天使のよう。そんな幻想世界の住人みたいな美形に頼まれたら断れない。私は結局、公爵様に求められるままに三曲も踊った。公爵様のリードは確かで余裕もあり、この三曲で私のダンスレベルはかなり上がったと思う。精神力はガリガリ削られたけど。
公爵様と踊り終えた後は求められるままに貴族令息や貴族当主さまと思しき殿方と立て続けに踊った。正直、ダンスの連鎖から抜け出す方法が分からず、踊りに踊らされた。最終的には終わった瞬間に背中を向けて小走りに逃げてしまった。
下働き仕事で体力はあるとは言ってもダンスは使う筋肉が違う。私は疲れ果て、椅子を見つけると座り込んだ。思わずため息が出てしまう。すると小さな笑い声が聞こえた。
「疲れたようだな」
声まで麗しい。何と公爵様だった。私が慌てて立ち上がろうとすると手で制される。
「おとなしく座っていろ」
そして近くの給仕に言って一つグラスを受け取り、私に差し出した。
「あんなに踊ったら喉が渇いただろう。飲むがいい」
う、公爵様に給仕の真似させてしまって良いのだろうか。良いわけないよね。
「いえ、その、そちらは公爵様がお飲みください。私は他の・・・」
「良いから。気にするな」
そうまで言われたら断るのも不敬になる。私は両手でグラスを包むようにして頂くと、口を付けた。喉は乾いていたので一息に飲んでしまった。いささか無作法だったかしら。だが公爵様は特に気にした様子も無く私の事を何だか面白そうに笑いながら見ている。
「・・・あの?何か?」
「うむ、私はもう引き上げるが、シュトラウス男爵令嬢は楽しんでいかれると良い。また違う夜会で会おう」
あ、お帰りですか。公爵様がいると商売が進まないからお帰り頂けるとありがたいです。などとは言えない。私は立ち上がって淑女の礼をした。
「本日はありがとうございました。再びお会い出来る日を楽しみにしております」
「ああ、またな」
公爵様はニコっと笑顔を残し、去って行った。
は~、凄い美形で、気遣いも細やかで素敵な人だったなぁ。と本人がいなくなってようやく安心して公爵様の事を考える事が出来た。目の前にいると緊張するしオーラに当てられるせいでドキドキしてしまってそれどころでは無かったのだ。実際、公爵様がホールを出ると急に雑談のざわめきが大きくなった。令嬢たちもアルステイン様のここが良かったあそこが素敵だったと大騒ぎしている。みんな公爵様の存在に緊張していたのだろう。
まぁ、もう会う事も無いでしょ。このレベルの夜会に顔を出すのは珍しいってさっき誰かが言っていたし。男爵家を装っている私たちが開けるもしくは招かれる夜会は同じレベルの会になるだろうから。あんな素敵な公爵様とお会いして親しくお話して、あまつさえダンスまでご一緒出来たなんて一生の自慢になるわね。使用人仲間に話してあげても誰も信じないでしょう。
そんな事を考えながら何となく公爵様が出て行ったホールの出口を見てしまう。いや、その、出来ればもう一回くらい、お目に掛かれる機会があれば良いな、と思ったのだった。
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