六話 駆ける
『どういうことだ、これは!?』
「えっ」
俺の身体が洞窟の壁を通り抜けたことに驚いた。風や魔力、振動などから壁があるだろうと半ば確信していたからこそ、壁にぶつかった時の痛みをこらえる為に身体を強張らせたからこそ、俺は驚きを隠せない。
自分の感覚が半信半疑だったライゼも驚き目を見張っている。と思う。背中にいるので分からないのだ。
ただ、ライゼは驚く様に身体を少し震わせたのに、レーラーは微動だにしていない。驚いた様子もない。
というか、さっきから黙ったままである。
『ライゼ、進むか?』
しかし、レーラーが何も言ってこない以上、レーラーに何か聞くべきではない。いつもそうだし、キチンと理由があってレーラーは黙っている。筈だ。
だから、俺はライゼに聞く。ライゼがこの探検の先導者だからだ。
『……うん。お願い、ヘルメス』
『分かった』
俺はまっすぐ伸びる暗闇を見つめ、頷く。
隠し通路というべきか、そこはとても細い道だ。横幅はライゼたちを乗せた俺がギリギリ通れるくらい。
高さもあまりなく、背の低いライゼとレーラーだからこそ屈まなくて住んでいるが、通常の人族の成人男性程度ならば、頭を低くする程には低い。
俺は慎重に歩く。ゆっくりと小石が転がる地面を踏みしめる。
俺の感覚全てがさっきので信じられなくなった。魔力も空気の流れも、匂いも振動も偽装されているかもしれない。
もしかしたら、特別な魔物でもいるかもしれない。
ゆっくり、ゆっくり、細い隠し洞窟を進んでいく。
俺が小石を踏む音と、俺達の息遣いしか聞こえない。
俺はトカゲらしく出ているのかいないのか分からない掠れた音。レーラーはとても安定している小さな気遣い。
そして、ライゼの息遣いは荒い。俺が一歩一歩前へ進めば進むほど、苦悶が伴った息遣いが漏れ、時折、舌を噛むように唸る。
『ライゼ』
「大丈夫……ヘルメス。進んでッ」
大丈夫なわけがない。魔物との戦闘においてどんな傷を負っても俺と会話するときは使っていた〝
それだけ余裕がないのだ。
『……分かった』
だが、苦悶に喘ぎ、身体を強張らせ、俺の鱗を強く握りしめているライゼが進んでと言ったのだ。
ならば、進む。ライゼが進んでほしいと願っているのが、苦痛に混じっていたからだ。
それにしても、ライゼがこんな調子なのにレーラーはまだ黙っている。
というか、さっきよりも気配が薄い。背中に乗っているはずなのに体温すら感じず、全てが凪いでいるようだ。暗闇の洞窟がそれを更に加速させ、レーラーは闇に融けてしまうのではないかと思ってしまう。
けれど、何故か俺の頭を優しくゆっくり規則的に撫でているレーラーの手だけが、レーラーの存在を強く感じる。
ライゼの主張を鑑みても何故がその撫でる手だけで強い意思を感じる。
だから、真っ直ぐ進む。
そして、少しだけ道が広くなった。
『……ぅ』
俺に違和感が襲い掛かる。それでも、ライゼの苦衷に満ちた息遣いとレーラーのやけに存在感を感じる手が俺を前へと突き動かす。
進まなければならない。そう感じる。
誰かが呼んでいる。
誰かが背中を押している。
段々と足が早く動き出す。己の感覚を信じられなくなって、極度の警戒でゆっくり進んでいたのに、それすらも突き破る衝動みたいな激情が俺の身体を動かし始める。
俺はそれに逆らうことはしない。そのエネルギーに身を任せ、されどライゼやレーラーが落ちないように気を配る。
そうした方がいい気がする。
『ッ』
そして、俺は駆ける。
狭い洞窟をいつも以上のスピードで駆ける。
暗視能力を持っていても、ハッキリとは洞窟を見通せているわけではない。遠くが見えているわけではない。
だけど、流れるような暗闇の視界で俺は確かにうねりくねる細い隠し洞窟を、止まることなく疾走する。
己の身体が考えるよりも先に動き、動き、駆けるのだ。
精神と身体が別離したように、俺は俺を見下ろしている。
「ぁあっ」
ライゼが苦痛に満ちた呻き声を上げるが、俺は止まることはできない。というか、さっきからライゼが俺の鱗を思いっきり掴み、進め、進めと命じているのだ。
痛いが、それ以上の感情が俺を襲っている。
だが、けれど、俺とライゼがおかしな世界へと流されているのに、レーラーは未だに凪いでいる。全てが止まっている。
そんなレーラーの手だけが俺の心の拠り所となる。ライゼもたぶんそうなっている。俺の撫でていない手でレーラーはライゼの手を握っている。
そして。
『ッッッッッゥッッウッウゥゥッ』
「ァツッッァッゥッァッッッッ」
身体と心が引き裂かれる。
強い激情のうねりが身体という器をぶち壊すように暴れ狂い、身体が悲鳴を上げる。痛みはない。けれど、悲鳴にも近い苦しみがそこにある。
ライゼからもそれを感じる。
俺以上に苦しんでいるのが、唯一真面な痛みである鱗を強く握り潰すライゼの手から伝わる。伝わってしまうほどに魔力と思念が流れてくる。
だが。
「落ち着いて」
レーラーが小さいけれど、凛と響く声を鳴らした時、激情が消え去り。
『はぁ?』
「えっ」
世界が銀に満ちていた。
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