第68話

***



 どれくらい時間が経ったのか、火の気のない室内は真っ暗で、レイチェルはうずくまったままじっと顔を伏せていた。

 誰も来ないということは、真っ暗闇の中で一晩過ごせということだろう。


(それぐらいで泣き言を言うと思ったら大間違いよ)


 明日の朝、扉を開けられた時には何事もなかったかのような顔で睨みつけてやろう。こんなことをしたって、レイチェルの心はびくともしないと見せつけてやるのだ。

 そう考えて、レイチェルはふっと短く息を吐いて笑った。


(こういう状況で、そういう可愛くないことを考えるから、私は愛されなかったのよね)


 泣いて喚いて助けを呼んで、すんすんとすすり泣けば両親は満足するのかもしれない。

 でも、レイチェルは両親を満足させるために生きている訳じゃない。


(私も、貴族の令嬢には向いていなかったのかもしれないわ)


 リネットは自分のことを「貴族に向いていない」と評したが、レイチェルもまたリネットとは違う意味で貴族に向いていなかったのかもしれない。敬して従うべき親に反発ばかりしてきたのだから。


(でも、ヴェンディグ様はそんな私でも、好ましいと言ってくださったわ)


 ヴェンディグのことを想って微笑みを浮かべたその時、扉ががちゃがちゃと音を立てた。

 顔を上げたレイチェルの前で、鍵が音を立て扉が開いた。


「やったぁ、開いたわ」

「リネット?」


 鍵束をがちゃがちゃ言わせて顔を覗かせたリネットを見て、レイチェルは目を丸くした。足元に置かれたランタンの灯りが室内に差し込む。


「何してるの?」

「しー。静かにして、お姉様」


 リネットはランタンを持ち上げてレイチェルを手招いた。レイチェルは戸惑いつつも、妹に駆け寄った。


「それ、どうしたの?」


 執事が常に管理しているはずの鍵束をどうして持っているのか、問いただすとリネットはちょっと舌を出した。


「ジョージはもう年寄りだから、お姉様を閉じ込めたりしたら公爵様が怒らないかしら?不安だわぁって怖がる私の前でうっかり鍵束を置き忘れてしまったのよ」


 レイチェルは唖然とした。


「……駄目よ。こんなことしたら、あなたは叱られるし、ジョージはどんな目に遭うか……」

「大丈夫よ。バレないように鍵は戻すし、皆が誤魔化すの手伝ってくれるから」


 そう言って廊下を歩くリネットを追いかけて、レイチェルは足を立てないように歩いた。


「皆って……」

「メアリもジュナもヒルダもサマンサも」


 レイチェルも良く知る侍女達の名前を挙げて、リネットは辿り着いた玄関の扉を開けた。

 門の向こうに、一台の馬車が停まっているのが見えた。


「——レイチェル!」

「パーシバル?」


 御者台で手を振る幼馴染の姿に、レイチェルは思わず立ち尽くした。その背中を、リネットが強く押す。


「行って、お姉様。いつだって、お姉様が選ぶ物は素敵な物ばかりなんだから」


 リネットはそう言って笑った。


「だから、きっと公爵様も素敵なのよ。会ったことないけど、絶対そうだから」

「リネット……」


 レイチェルはリネットに押されて屋敷の外に出た。振り向くと、リネットはにっこり笑って手を振り、扉を閉めた。

 閉ざされた扉を見て、レイチェルはぐっと唇を噛んだ。そして、身を翻して走り出した。


「レイチェル、乗ってくれ」

「パーシバル! どうして……」

「話は後だ」


 元婚約者である青年は、レイチェルが乗り込むのを待って馬車を走らせた。

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