第64話



 レイチェルの友人だというその令嬢を、リネットは知らない。

 姉が親しくしている令嬢なら、リネットだって顔を合わせたことぐらいあるはずだ。

 自慢ではないが、それぐらい姉にべったりだった自覚はある。


——それに、なんだろう。あの令嬢からは嫌な感じがする。


 上手く言葉には出来ないが、両親の前に座る彼女の声を聞いていると、足元がじりじりと焼けていくような焦燥を感じる。

 部屋の中に駆け込んで、頭を抱えて叫びたいような気分になる。両親はあんな嫌な声を聞いていて平気なのだろうか。


 話の内容は気になるが、得体の知れない令嬢の声ははっきり聞き取れない。両親は相槌しか打っていないようだ。


 やがて、話が終わったのか、令嬢が席を立った。

 リネットは盗み聞きしていたのがバレないように物陰に隠れた。

 令嬢だけが部屋から出てきて、悠然と笑みを浮かべて身を翻そうとする。

 リネットは思わず飛び出て、彼女を呼び止めていた。

 振り向いた令嬢は、リネットを見るとつまらなそうに目を細めた。


「何か?」


 リネットは貴族の令嬢が苦手だ。自分から話しかけるだなんて、リネット自身が驚いた。

 目の前の令嬢はパメラ・クレメラ子爵令嬢。侯爵令嬢であるリネットが臆する必要などない相手のはずだが、パメラからははっきりと見下すような視線を注がれてリネットは怯んだ。緊張で声が上ずる。


「お、お姉様の友達なんて嘘よ」


 リネットが言うと、パメラはすっと笑みを消した。

 リネットとパメラはそのまま睨み合った。

 パメラの緑の瞳をじっと見ていると、何か思い出しそうな気がした。どこかで、こんな瞳を見たことがある。


「どうして私がそんな嘘を?」


 パメラの口がゆっくり動いた。警戒するような口調、こちらを威圧してくる態度。美しいドレスで隙なく身を包み、堂々と人前に立つパメラだが、その目はまるで何も映していないように濁っていた。


 リネットは思い出した。昔、ある茶会で一人の令嬢がリネットに言った。「まるでお人形ね。中身は空っぽだわ」


 当時は意味がわからなかったが、後々になってその言葉を思い返した。あれは、両親の言いなりな上に社交では姉にくっついていることしか出来ないリネットの、いつまで経っても自我を形成できない幼さを指摘されたのだと気付いた。綺麗で可愛い、でも何も出来ないお人形。


 ああ、そうだ。あの瞳は、人形の目に似ている。綺麗だけど、何も映していない、何も考えていない虚ろなガラス玉の眼に。

 きっと、リネットもそういう目をしていたのだろう。


「……私と同じだわ」


 思わず、そう呟いていた。


「綺麗に着飾っていても、中身は空っぽ」


 姉が持っていた素敵な物で身を飾っても、リネットが空っぽだったから誰もリネットを相手しなかったのだ。


「他人を羨んで駄々をこねて、労せず奪った物で身を飾っているだけの空っぽなお人形なんだわ」


 パメラのことをリネットは知らない。だけど、リネットの直感はパメラもまた何かの言いなりのお人形のようだと告げていた。


 リネットの呟く言葉を聞いたパメラの顔色がざっと変わった。一瞬、その肌が赤い鱗に覆われたように見えてリネットははっとした。


「お前などに何がわかる……」


 眦をつり上げたパメラの顔には、赤い鱗などどこにも見えない。だが、ぎらぎら光る眼に睨み据えられて、リネットは後ずさった。恐怖が胸にこみ上げて、身が竦んだ。


「お前なんかに、奪われる者の苦しみがわかるものですかっ……奪われる者の苦しみを、わかってくれた、救ってくれたのはあの方だけ!」


 パメラの声がぎんぎんと響く。耳障りな音に頭が痛くなる。耳を塞ぎたいと思ったが、リネットは金縛りにあったように動けなかった。まるで、蛇に睨まれた蛙みたいに。


「あの方だけが私の味方……そうよ、パメラ。私だけはあなたの味方よ」


 パメラが呟いて「うふふ」と笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る