第54話

***



「パメラ・クレメラ?」


 報告を聞いて、ヴェンディグは眉をひそめた。


「はい。クレメラ子爵家の令嬢ですが……つい最近になって王都へ出てきて、モルガン侯爵所有の別宅を譲渡され、そこに住んでいます」


 ヴェンディグは眉間の皺を深くした。嫌な名前が出てきたものだ、と、レイチェルの顔を頭に思い浮かべる。


「単に別宅に住まわされているだけなら新しい愛人を囲ったのかと思うが、譲渡だと?」

「ええ。使用人付きでそっくりそのまま」


 報告書から顔を上げたライリーが腑に落ちない顔をした。


「ヴェンディグ様、ナドガルーティオ様。探している蛇はいちどきに大勢の人間を操ることは出来ないと聞いておりましたが、この別宅の使用人達は操られていないということですか? それにしては、妙では。誰一人として屋敷の主人が侯爵から子爵令嬢に変わることに異を唱えなかったのでしょうか?」


 ライリーの疑問はもっともだ。いくらシャリージャーラが男を惑わせるとはいえ、使用人の中には女性もいるはずだ。


「確かにそうだな」


 ヴェンディグも首を捻った。後でナドガに確かめておこうと決め、ライリーから報告書を受け取った。先日、レイチェルが部屋に飛び込んできて茶会で聞いた子爵令嬢の話をまくしたてた時は半信半疑だったが、ライリーに少し調べてもらったところ疑いが濃厚になった。少し聞き込んだだけでも、最近の夜会などで突然現れた男性を虜にする令嬢の噂はあちこちで囁かれていた。


 しかし、シャリージャーラが貴族令嬢に取り憑くとは信じがたい。

 シャリージャーラはヴェンディグの元にナドガがいると知っている。国中の人間が生贄公爵の名を知っているのだから、知らない訳がない。


 だからこそ、これまでのシャリージャーラは王都から離れた場所で平民に取り憑くことが多かった。貴族令嬢に取り憑いたのは初めてのことだ。


 ナドガに気づかれる前に逃げる算段なのか。しかし、カーライルにまで手を伸ばすとは無謀だとは思わないのか。今回に限って、シャリージャーラがナドガに接近するような行動を見せていることが少し引っかかった。


「……まあいい。今夜、決着をつけてやる」


 十二年間夢見たその瞬間が近いことを感じ、ヴェンディグの背筋に震えが走った。



***



 その夜、いつもより早い時間に、ヴェンディグはナドガを呼び出した。


「悪い。少し待っていてくれるか」


 一刻も早くシャリージャーラを捕まえに行きたい気持ちは当然強い。だが、ヴェンディグはその前にどうしてもやっておきたいことがあった。


「もちろんだ。遠慮することはない」


 ヴェンディグがしようとしていることを理解しているのだろう。ナドガは鷹揚に頷いた。

 少し照れくさい気分で、ヴェンディグは部屋を出た。

 自分から訪ねるのは初めてだ。緊張を抑えて廊下を渡り、ヴェンディグはレイチェルの部屋の扉を叩いた。


「え! 閣下?」


 扉を開けたレイチェルはヴェンディグの姿を見て目を白黒させた。


「あ、と……ちょっといいか」

「はっ、はい!」


 レイチェルは慌ててヴェンディグを部屋に招き入れた。彼女はナイトドレスにガウンを羽織っていて、ヴェンディグは何か後ろめたい気分になって目を逸らした。

 レイチェルはレイチェルで、蛇の痣がないヴェンディグ本来の白い肌に目を奪われてどぎまぎしていた。


「……今から、例の子爵令嬢の元に行く」

「……はい!」


 レイチェルは胸の前でぎゅっと手を組んだ。


「十二年間、俺とナドガはシャリージャーラを探し続けていた。けれど、離宮で人を遠ざけている俺達やライリーでは、社交界の出来事や令嬢達の噂から手がかりを得ることは難しかった。見つけられたのは、お前のおかげだ」


 ヴェンディグの静かな声に胸を打たれて、レイチェルは鼻の奥がじん、と痛んだ。


「そんな……閣下、私は」

「お前は自分が役立たずだとか自分に呆れるとか言ってたけどなぁ、俺とナドガにとっては、お前がここに来てから、いいことしかなかったよ」


 レイチェルの目からほろりと涙がこぼれた。ヴェンディグが手を伸ばしてレイチェルの頰に流れた涙をそっと指で拭った。


「……全部終わったら、もう少しまともな礼を言う。待っていてくれ」


 それだけ告げると、ヴェンディグは部屋を出ていった。

 残されたレイチェルは、頰に残る感触を手で押さえ、激しく鳴り出した心臓に戸惑っていた。


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