36. 自前のポエムでも書いていたのですか?


 脊髄反射で僕が後ろを振り返ると、小柄な一人の女生徒――、薄紫色でウェーブかかった髪をたゆませている柴崎さんが、僕のすぐ背後ろに立っていた。表情の読めないジト目でぼくの顔をまじまじ見つめている。


「……し、柴崎、さん――」


 僕は彼女の名前を呼んで――、開いていたノートを慌てて閉じた。

 しかし僕の奇行を、彼女は見逃してくれないようだ。


「ノート、なんで急に閉じたんですか? 自前のポエムでも書いていたのですか?」

「い、いや、違うけど……、っていうか柴崎さん、こんなところで、何やっているの?」

「その質問、先にしていたのは私なんですけど。……私は、水泳部のマネージャーの仕事の引継ぎがあったので学校に残っていて、終わったので教室に戻ったら、月代さんが何やらおかしな様子で廊下に飛び出していったので、後を追ってみたんです」

「えっ……、僕、この教室の扉、閉めたはずなんだけど、現に、今も閉まっているし」

「月代さんって、もしかしてバカなんですか? 反対側の入り口のドアが開いていたので、そっちから入ったんですよ。……さて、今度こそ質問に答えてもらいましょう。月代さん、誰もいない空き教室で、一人で何をやっているんですか?」


 僕は戦慄した。柴崎さんは、『僕が人に見られてはまずい行動』をとっていると確信して、それを知ろうと僕を追及してきている。

 何故なら、彼女は僕が入ってきた方の『閉じられた扉』ではなく、反対側の、『開いている扉』からやってきたからだ。それって、扉の音で僕が気づかないように、彼女が『あえてそうした』ってコトだ。僕が何をしているのか、こっそり見ようとしていたってコトだ。

 ……ノートの中、見られてないよな。


 僕は彼女の顔をジッと見ていた。能面のような無表情。僕もたいがい、小太刀さんから「何を考えているかわからない」とよく言われるが、柴崎さんのソレは僕の比じゃない。陶器のように白い肌もあいまって、彼女はまるで和人形のように感情が読めない。


 ……全力で、はぐらかそう。ノートさえ見られてなければ、僕の力がバレることはない――

 僕は彼女から目を逸らして、覇気のない声で彼女に返事をした。


「……別に、夏休みの課題で、まだ終わってないやつがあったから、一人でやっていただけだよ。教室にはまだ他のクラスメートがいたから、集中できなくて」

「へぇ、じゃあそのノート、私に見られてもさしつかえないですよね? 見せてくれませんか?」

「えっ……、や、やだよ。僕、超絶に字が下手なんだ。象形文字の方がまだ読めるレベル」

「ふーん、それは残念……。そこまで言うなら、逆に見てみたいですけどね」


 存外、彼女はすぐに引き下がってくれた。でも、能面のような無表情が少しだけ歪んで、柴崎さんの口角がニマリと嫌らしく吊り上がって――

 僕はゾっとした。この子は底が見えない。……本当に、引き下がってくれたのだろうか?

 スッと真顔に直った柴崎さんが、淡々とした口調で、やや低めのトーンで鋭い声を出した。


「時に月代さん、最近、アカネの元気がないみたいなんですが、何かご存じですか?」

「えっ……」


 僕の心臓がゴトリと動いて、心拍数があがっていくのをありありと感じる。僕は、焦りが顔に出ないようにポーカーフェイスを保つのに必死だった。


「いや、知らないけど……、ぶ、部活引退して、寂しかったりするんじゃないの?」


 我ながら、下手すぎる言い訳だなと思った。柴崎さんは「なるほど」と全く納得していないトーンで呟くやいなや、づかづかと無遠慮に僕に詰め寄ってきた。彼女はドカリと、僕の後ろの席の机に腰を乗せ、ググッと前のめりの姿勢で僕を見下ろす。彼女の挑発的な態度に、僕は思わずたじろぐように身を引いてしまった。

 柴崎さんが、少しだけ語気を強めた口調で流暢に言葉を紡ぐ。


「――って、んなワケないじゃないですか。あなたたち、夏休みの前半は二人でよく遊びに行っていたんですよね? ある日を境に、アカネ、あなたの名前を全く出さなくなったんですよ。前は、ウザいくらいに、月代くん、月代くん、って、あなたの話ばかりしていたのに。……誰がどの頭で考えたって、二人に何かあったと考えるのが当然でしょう。でも彼女、何も答えてくれないし――」


 柴崎さんの追求は続く。僕はというと、言い訳という名の返しが全く思いつかない。「それは、その……」ともごもご口をごもらせるくらいしか、僕はやりようがなかった。

 彼女から目を背けていた僕は視線を地面に落とし、ひたすらにダンマリを決め込む。やがて柴崎さんの口から、ハァッと心底呆れたようなタメ息が漏れて、彼女がボソッと、「あなたも、何も教えてくれないんですね」とこぼす。


 しばらく沈黙が続いた。僕も柴崎さんも黙っていて、柴崎さんがその場から動く気配はない。静寂という名の折檻に耐えられなくなった僕は、恐る恐る彼女の顔を窺ってみた。柴崎さんは、僕でもなく、どこというワケでもなく、虚空を見つめながらボーッと、無色透明の顔をただ晒していた。

 ……何か、様子がおかしい?


「柴崎、さん?」


 僕は彼女の名前を呼んでみた。しかし返事は返ってこない。彼女の意識が彼女の肉体に宿っている気配がまるでなく、柴崎さんは、本当に和人形になってしまったのだろうか。……って、んなワケあるか。

 僕がこわごわと、彼女の眼前で両手を振ってみると、彼女は熟睡を中断された猫のようにハッとした表情を見せ、そのまま僕の方に視線を向けた。そして。


「えっ……、月代さん、あなた、まさか……、えっ?」


 さっきまで能面ヅラを貫いていた柴崎さんが、明らかに困惑した表情を見せはじめた。

 僕もまた、彼女の豹変に混乱しており、柴崎さんは後ろ髪を指でくるくる弄びながら、ブツブツと念仏のような独り言を洩らしている。「いや、でも、確かに、そう考えると、もし、そうだとすると――」。彼女は、まるで僕なんかココに存在していないかのように、自分の世界に没頭していた。そういえば小太刀さんが、「ヤエってたまに探偵モード入るんだよね」とか言っていたけど、……もしかしてコレがそうなのだろうか。


 柴崎さんがやや斜めに首を傾けたまま、ゆっくりとその視線を僕に移した。

 そのまま、何か考え込むような表情のまま、僕に淡々とした声を浴びせる。


「月代さんってもしかして、予知能力を持っているんですか? たまに片耳だけでイヤホンつけているのって、予言を聞いているからですか?」


 視線を動かせない。身体を動かせない。声を、出せない。

 一瞬の間、僕の意識が、柴崎さんのジトっとした目つきに支配されていた。

 僕は緊張して、焦燥して、恐怖して、唖然としていた。

 何故なら、彼女が言ったその言葉が、まごうことない『事実』だったから。

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