31. そのたとえは、絶対に違う


「――やべぇ、やべぇよ月代くん。バク、超キモかったね。そしてずっと寝てたね」

「……バクって夜行性なんじゃないの? 夢食べるっていうくらいだしさ」

「ああ、そういやそんな設定あったっけ。私はバクにならどんな幸せな夢を食べられても構わないよ。バクを生で見れた私としては、もういつ死んでも本望だわ」

「そんなモチベーションで小太刀さん死んじゃうと、バクの方が夢見悪いと思うから、バクのためにもキミは強く生きた方がいいと思うよ。……それより、上野動物園に来たのに、パンダ見なくてよかったの?」

「ああ、うん。パンダなんてテレビで観れるじゃん。わざわざ動物園で見なくっても」

「それ言い出したら、ネット社会において、この世の全ての動物がそうだと思うけど」

「っていうか月代くん、今更だけどゴメンね。なんか私が見たいマイナーな動物がいるところばっか行っちゃって。ハシビロコウ一時間くらい観てたのにあいつら全く動かなかったし。……月代くんは、どの動物が印象に残ってる?」

「なんだろう。爬虫類園にいたヤドクガエルとかかな。なんか、あんなエグい色の生き物がいるんだなって、不思議でさ」

「ああ、なんかそのチョイス、月代くんっぽいわ」

「……えっ、それは、良い意味で言ってる? 悪い意味で言ってる?」

「良いも悪いもないよ。戦争している国がお互い、どっちも自分たちが正義だと思ってるのと一緒だよ」

「絶対違うよね。そのたとえは、絶対に違う」



 やたら広い動物園内を、ろくすっぽ休むコトもせずに歩き回っていた私たちの足が悲鳴をあげるのは必然だった。上野公園(※上野動物園は、上野恩賜公園というやたらでかい公園の内部に存在するのである)内にあるオープンカフェに緊急避難した私と月代くんは、小洒落たテラス席で小洒落た名前のお茶をたしなみ、しかし洒落気のかけらもない会話で景観をぶち壊しにしている。


 月代くんが、何味がするかもよくわからない紅色のハーブティーをテーブルの上に置いた。彼が唐突に、「なんか、意外だな」とかボソッと呟いたもんだから、少し辛い自家製ジンジャーエールをゆるゆる吸引していた私は唇からストローをはがし、「何が?」と返す。


「いやさ、全然悪い意味とかじゃないんだけどさ、小太刀さんってどちらかというと、大人っぽいっていうか、サバサバして見えるというか、付き合ってみるまでそういう印象あったんだよね」


 月代くんがあさっての方向に目を向けた。何かを思い返すように言葉を紡ぐ。


「でも、こないだのお笑いライブでは、五分間の漫才の中で二十回くらい爆笑してたし、毎朝の登校のとき、僕のコトをことあるごとにからかおうとするし、今日だって、動かないハシビロコウにずっと何か話しかけてたし――、だから、ギャップがあったというか、小太刀さん、そういう無邪気な一面もあるんだなって、今日改めてそう思ったんだよね」


 虚空に目をやっていた月代くんが窺うような上目遣いをチラリ、私に視線を戻した。男の子にしては長い前髪から覗き見える瞳からは、どこか恐々している印象を受ける。たぶん彼は、私に対して踏み込んでいいラインを測りかねているんだと思う。

 私は、「ああ……」、と腑が落ちるような声をこぼして、背もたれに全身を預けてそのまま視線を空に逃がした。少しだけ逡巡しながら、でもちょっと早口で彼に言葉を投げる。


「たぶん私ね。月代くんと付き合うようになってから、浮かれてるんだと思う」


 幾ばくかの間があって、あさっての方向に目をやっている私の耳に、「えっ?」と間の抜けた声が届けられた。月代くんが今どんな表情を晒しているのか、私には大体は察しがつく。

 私は遠くの木々に目をやったまま、ボソボソと歯切れ悪く言葉を放った。


「いや、さ。私、『恋愛しない宣言』とかしてたじゃん。まぁ、私には恋愛なんて縁がないんだろうなって、ずっとそう思って生きてきたワケよ。だから、周りにいる同い年の女の子たちみたいに、何かに期待して胸をときめかせるとか、そういう感覚、なかったワケ。……普段の私が冷めたように見えるのって、別に私が大人っぽいからじゃなくて、言っちゃえば、私が青春ってやつを諦めていたから、なんだよね」


 そこまで言って、私は一度言葉を切った。首を少し斜め上に傾けながら流し見るように月代くんに視線を向ける。彼は相変わらずう窺うような上目遣いで、でもグッと口元をつぐんで、真剣な顔つきで私を見てくれていた。安心した私は椅子の背もたれから身体を離し、丸テーブルに両肘をついて、月代くんに自分の顔を近づけた。


「だから、さ。最近私、楽しいんだよ。キミのコト好きになろうって、そう思った日から、毎日ワクワクしっぱなしでさ。月代くんと一緒にいると、ヘンにはしゃいじゃうんだよね。……ああ、私もこういう、青春っぽいこと、高校生っぽいこと、していいんだなって。嬉しくてさ、キミと一緒にいると自分が自分でなくなるっつーか、……って、何言ってんだろ私、ゴメン、この数分で私が言ったコト、全部ナシにして」


 言いながら、途中で妙に気恥ずかしくなってしまった私は思わず両掌を口元にあてて、顔の下半分を覆い隠した。

 月代くんは黙っている。沈黙の時間が私の恥じらいに拍車をかける。

 ……なんだよ月代蒼汰、何か言ってくれよ――

 心の中で、文句という名の願いを込めたのは私。

 そしてそれは早々に叶う運びとなった。


 「あのさぁ」と、やけにハッキリとした発音で月代くんが口を開いて、私が彼の顔をチラリと窺い見ると、彼は、ちょっとびびっちゃうくらいに神妙な顔をしていた。ギョッと身体が硬直してしまった私は、月代くんから目を離すことができない。まるで答辞を読み上げるように凛とした月代くんの声が、耳の奥で無性に響いた。


「小太刀さんって、なんで『恋愛しない宣言』なんて、してたの?」

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