29. もうそれって、そういうコト


 ヒマリはたぶん、例のヤジ馬女子たちとは違い、何か明確な意図があって、強い意志をもって私に質問をぶつけてきている。……その理由はわからないけど、彼が真剣であるなら、私も真剣を以て彼に回答するのが誠意と呼ばれる行為なのだろう。

 しかし本件に関しては、杓子定規に真実を告げるワケにはいかない。何故なら、説明の過程で『私が超能力を持っている』コトをヒマリに伝えなければならないからだ。お母さんとの約束がある以上それはできないし、お母さんとの約束がなくったって、この秘密は人においそれと話すべきではない。……だから私は困っていた。


 ヒマリに対してウソはつきたくない。でも、ホントウのことを言うワケにはいかない。

 ――まぁでも、であるならこの場合、とるべき選択肢は一つなんだろう。

 私は目に力を込めて、改めてまっすぐに、ヒマリの顔を見つめた。


「ゴメン、ヒマリ。私が『恋愛しない宣言』していたのにも関わらず月代くんと付き合ったのには、色々と理由とか、経緯があるんだけど。……言えないんだよね。ホント、ごめん」


 言えないのであれば、『言えません』というしかない。

 我ながら、あまりにも納得のいかない回答だと思う。私は、「えっ? どういうコトだよ?」と、顔をしかめたヒマリが質問を追随してくる未来を勝手に想像していた。私はいくら何を訊かれようとも、「言えません」の一点張りで逃げ切る算段だった。

 でも、現実のヒマリは私が予想していた行動をとらなかった。彼は茶髪のくせっ毛頭をくしゃりと手で握りながら、ポカンと呆気にとられた顔を晒していたものの、やがて空気がしぼんだように顔をたゆませ、腕をだらんと降ろして、「そっか、わかった」と短く言葉を切った。


 逆に私の方が「えっ?」と漏らして、思わず、「いや、こんなんで納得できないでしょ?」と墓穴を掘るような返事を返してしまう。ヒマリは少し照れたような表情で、細い目を優しそうにたゆませていた。「アカネがさ、」と私はヒマリに名前を呼ばれて、彼はすぐにまた口を閉じて、何か言い淀んでいる様子のまま、下唇をギュッと噛んでいた。


 六月のサツキ晴れ、湿り気を帯びた空気が私の素肌にまとい、なんだか身体が重い。

 私はヒマリの言葉を待つことしかできなくて、その時間がやけに長く感じた。虫の音一つ聞こえてこない沈黙のさ中、耳慣れた快活な声が、ようやく私の耳に飛び込む。


「アカネが言えないっていうなら、そういうコトなんだろうなって。お前は、なんていうか、変に真面目なところがあるっていうか、人に嘘ついたり、変にごまかしたりする奴じゃないから。お前なりに考えた結果、言えないんだろうなって。……付き合い長いんだから、俺にもそれくらい、わかるよ」


 いつもの、おちゃらけた空気で場をとりなすヒマリとは、まるで別人。彼はいつになく真剣な顔つきで、でも優しく口元をたゆませていて、どこか寂しそうに目を細めていた。


 ……コイツは、ホント、びっくりするくらい、いいやつだよな。

 ヒマリから視線を逸らした私は「ありがとう」と、か細く漏らした。私の声がコンクリートに地面にポツンと落ちて、その音が緩やかに波紋を広げる。私はそれ以上何も言わず、ヒマリもしばらく黙っていて、行き処を失った空気感が私たちの間を漂う。

 しばらくして、「あのさっ」とヒマリがつっかえるような声をあげた。


「これだけは、教えてくれよ。お前って、月代のコト、好きなんだよな? 好きだから、付き合ってるんだよな?」

「……えっ?」


 視線を地面に落としていた私は、その言葉に思わず顔をあげる。私が彼の顔を見ると、ヒマリは懇願するような目つきで、食い入るように私の目を見つめ返していた。私の返事次第では、彼はこの場で泣き出してしまうかもしれない。そんな想像がよぎってしまうほどに、ヒマリは必死な顔をしていた。

 なぜ彼が、その問いにここまで固執しているのかはわからない。でも私は、彼の全力に対して、やはり全力で対応するべきなのだろう。私は、自分自身でさえ棚上げしていたその『疑問』、――私は果たして、月代蒼汰のコトが好きなのだろうか――、と相対して、本腰を入れて取り組む必要があると感じた。


 いつの間にか、せき止めてしまった呼吸を思いっきり吐き出した私は、ゆっくりと目を瞑る。



 最初、月代くんが私に告白してきた時、私が彼に抱いた印象は、ぶっちゃけあんまりよくなかった。何を考えているのかわからないし、怖かったから。

 だけど、私が彼を『好きになるコトにしよう』と決めた時から、彼のコトを知ろうとして、月代くんと色んなコトを喋って、月代くんとたくさんの時間を過ごしてみて――、気づいたら私は、彼と過ごす時間を存外気に入っていた。


 月代くんは一見クールに見えるけど、すぐに照れるし、実は結構天然、いわゆる残念イケメンってやつだ。でも、私がいくらからかっても月代くんは絶対に怒らない。私が本気でバカにしているワケではないのを彼も知っているし、知った上で、からかわれているのを愉しんでいる節さえある。月代くんは、そういう優しさを持っている。


 月代くんは、ずっと一人ぼっちだった。でも彼は、私との時間を楽しいと言ってくれている。私は、私でよければ、月代くんが今まで寂しいと感じていた時間、丸ごと全部取り返すまで、二人で一緒に過ごしたいって、本気でそう考えている。


 そういう感情を、好きと言っていいのかは、私にはわからない。「月代くんのために、死ねますか?」とか、いじわるな質問されたら、即答できる自信はない。……というか、「いや、それはできません」って言う。

 ……ただね。


 『恋愛しない宣言』を掲げていた私が、人を好きになるって感覚、本気でわからなかった私が、月代くんと恋人同士になってから、色んな発見があったんだ。

 明日またどうせ会えるのに、別れ際、妙に寂しくなってる自分とか、眠そうに目をトロンとさせている月代くんの髪を、ふいに触りたくなったりしている自分とか、野良猫とたわむれている月代くんの笑顔を、ずっと見ていたいと感じている自分とか――


 一人の個人を、月代蒼汰という人間を、私はもう、『特別な存在』として認識してしまっているんだと思う。彼のなんでもない一挙一動が、私の感情を、大きく揺さぶってくるんだ。

 ……たぶんもうそれって、そういうコト、なんだろうな。


 「よしっ」と心の中で呟いた私は、パチリと目を開けた。どれくらいの時間が経過していたのかはわからないが、先ほどと同様、目の前のヒマリは真剣な顔で、エグるような目つきで私を見ていた。そして、私はというと。


「うん、私は月代くんが好きだよ。好きだから付き合ってるんだよ」


 淡々と、流暢に、世間話でも振る様に。

 ヒマリの目をまっすぐに捉えながら、私はそう言った。



 ヒマリはジッと、相変わらず野犬みたいに目を細めて、でもどこか泣きそうな顔つきで、私の目を瞬き一つせずに見つめている。

 ……いや、長くないか? ――と私が思った矢先、ヒマリがしなだれるように、ガクッと肩を落とした。文字通り首を垂れながら「ふぅ~っ!」と、声なのか息なのかわからない勢いで二酸化炭素を吐き出した。何事かと、ギョッと顔をひきつらせたのは私で、両膝に手を乗せているヒマリはユラリと頭を上げて、ヘラリと、空気が抜けた風船のように顔をたゆませた。


「……ウソじゃ、ないんだな。その言葉。……よかった――」


 何を以て『よかった』なのか、わかるはずもない私は首をかしげるばかりで、ヒマリは一人勝手に、まるで憑き物が落ちたようにサッパリとした様子で、私に背を向けながら、グッと空に向かって背伸びなんかしている。

 「えっ、今の一連のくだり、何だったの?」と八の字眉を作った私がヒマリに声をかけるも、彼は「アハハッ、なんでもないよ、お幸せにっ」と私を煙に巻きはじめた。「っていうか、もう五限目始まってるんじゃね?」などと宣いながら、彼は私に背を向けたまま早々に屋上の舞台から退場しようとする。「いや、ちょ、待てよ」と私が往年の国民的アイドルばりのイケボでヒマリを呼び止めようとするも、彼が足を止める気配はない。


 心の中に幾ばくかのモヤを残らせたまま。「何なんだっつーの!」と私はヒマリの後を慌てて追いかけたら、何故かヒマリは、「なんでもねーよ!」と駆け足で逃げはじめた。

 ……何なんだっつーの!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る