07.Hate

 大理石が敷き詰められた、白くて長い廊下を渡る。私は昔から、この廊下が大嫌いだった。

 いや、廊下だけじゃない。玄関も階段も、ところどころに飾られているガーベラの香りさえ、私は嫌いで嫌いでしょうがなかった。

 郊外の広い敷地に建てられた、悪趣味な白い豪邸。ロジーの屋敷に、私は今運びたくもない足を運んでいた。


 突き当りの、けばけばしい白いドアまでたどり着く。その両サイドに、豚みたいに太った厚化粧女のリドーと、ゴリラみたいな女のレックスが偉そうにふんぞり返っている。ドアの向こうにいる『ババア』の護衛だ。


「ババアに報告だ。どけろよ、豚ゴリラ」


 私がそう言うと、じろりと、豚女の方だけがこっちを見て、ニタニタと笑いながら言った。


「あぁら、誰かと思ったら、イト『坊や』じゃなぁい。随分とまた生意気な口を利くようになっちゃって。また昔みたいに、ハイにして可愛がってあげようかぁ?」


 クソ豚リドーが、見るな気持ち悪い。男が手に入らないからって、近場の子どもまで見境なく食い散らかしたペド女が。

 ああ、嫌だ。コイツを見るだけで『思い出しちまう』。コイツが近くにいると思っただけで吐き気を催す。だが、ここで吐きでもしたら、かえってこの豚を悦ばせちまうことになる。それだけは勘弁だ。


「ああ、なんだよリドー、まだ豚がヤらせてくれないのか? 残念だなぁ、きっと相性最高なのによ」


「……なんだとこのクソガキ!」


「やめろ」


 リドーのやつがわかりやすくキレたところに、レックスが横やりを入れてきた。


 リドーとレックス。私たちストリートキッズを使い走りにしてるマフィア……すなわちロジーの側近をしている二人組だ。

 最も、腕が立つのはレックスの方だけだ。


 リドーについては、私達みたいな、なんにでも使えて好きに使い捨てられるストリートキッズを拾ってきて、ロジーに提供するための、いわゆる『調達屋』だ。そのおこぼれで子供を自分の『趣味』に使っている、下衆な豚女でもある。

 こんな奴が側近になれているのは、単純にその方が渡す時に煩わしくなくていいかららしい。


「イト、ここでは言葉遣いに気をつけろと、何度も言ってるはずだぞ」


「わかった、わかったよ。ママ・ロザリアに報告だ、入れてくれ」


 レックスは、露骨に渋い顔をしながらも、面倒事は御免だったのだろう。私の言うことを素直に聞いて、目の前のドアをノックした。


「……ママ、イトが来ていますが」


「入りなさい」


 中から大嫌いな声が聞こえた。ドアが大仰に開かれ、私はその中に足を踏み入れる。

 その部屋にあるものは、普段と特段変わらない。カクテル用の酒が置かれた棚に、悪趣味な調度品の数々と、変わり映えのない観葉植物、ガーベラの香り。普段通り、吐き気がするような場所だ。


「おはよう、イト。思ったより来るのが早かったわね」


 ママ・ロザリア、通称ロジー。一代で世界有数規模の麻薬カルテルをつくった張本人で、その巨万の富で若い男を何人もコレクションしているらしい。

 ……最近じゃ、その男たちを使って、軍の高官や政治家相手に商売も始めたんだとか。当然、あいつ自身も倒錯するほどに使っているのだろう。反吐が出る。

 赤黒い血のような色の長髪と、50、60のババアとは到底思えない、どう見ても20代にしか見えないその不気味なほど若い見た目と相まって、コイツと話す時は、化物の腹の中にいるような気分になる。


「急がないと、アンタが老衰でぽっくり逝くかもって思ったらね」


「フフ……いい茶葉が届いてね、今ちょうど、アールグレイを入れていたのよ。貴方も飲まない?」


「紅茶はティーバッグの以外嫌いでね。それよりほら、これ……」


「イト?」


 薬をポケットから出そうとしたその瞬間、底冷えするような声が私に向けられた。


「前も言ったわね? 私と話す時は、ジャケットを脱ぐか、ポケットのものを全部出してからにしなさいって。覚えてないかしら?」


「……そんなビビんなよ、心配しなくったって、ほら、ご注文通りのモンだよ」


 私はそう言いながら、なるべくゆっくりと、ポケットから例の『錠剤』を取り出し、それをロジーに見せつけた。


「あらあら、そう言うことではないのよ。礼儀と作法のお話、わかるでしょ?」


 そんなロジーの言葉を無視して、私は黙って袋を渡す。ロジーは袋の中を見て、確認できたのか、私の方を見て微笑んできた。相変わらず、ぞっとするような笑顔だ。いつまでたってもこれには慣れない。


「確かに、注文通りの品物ね。ご苦労様」


「これで手打ちでいいよな? 私んとこのやつがアンタの男にしたことは」


「ええ、約束を守る子は好きよ。せっかくだし、貴女も見ていかない? 私の可愛い『コレクション』」


「ヒッピーのライブでも見てたほうがマシだね」


 ロジーの『コレクション』とは、言わずもがな奴がせっせと汚い手で集めた『男娼』だ。若いブロンドから妙齢のプラチナシルバーまで、およそオークションで手に入る種類は全部揃えたと、前に酔っぱらって自慢していたのを聞いたことがある。さすがに黒髪黒瞳はいないようだったが。

 一度だけそいつらを見たことがある。私を見たときのあの目、程度の差さえあれ、あれはまさしく、ケダモノでも見るような、そんな目だった。


 ……考えてみれば、ハリはそんな目で私を見てなかった。私をただ、そこらへんにいるティーンエイジャーが友達に向けるような目で、私を見ていた。

 ……なんだろう、変な奴だな、アイツ。


 そんなことを私が考えている間も、ロジーは先程からずっと、目の前にある、宝石のような青いバラの錠剤から目を離さない。私はそれが気になって、思い切って聞いてみることにした。


「……なあ、結局それ、何の薬なんだ」


「……知りたいのかしら?」


 途端、ロジーは低い声でそう答えた。『お前が知る必要はない』。それは言外にそう言っていた。


「別に。ただの世間話さ」


「あらそう、ならいいわ」


 ……結局、収穫は何もなしか。まあいいさ、借りを返しただけでも良しとしよう。


「何も無いなら、私はもう行くぜ」


「あら残念ね、朝食でも一緒にと思っていたのに」


「犬の餌でも食ってな」


 私はそう言って、ドアノブに手をかけた。



「他に何か、手に入らなかったの?」



「……」


 私はその言葉を聞いて、ドアノブに伸ばした手を止めた。

 束の間の静寂

 私はロジーに振り向いて、言った。


「他ぁ? 連中が持ってたのって、薬だけじゃないのか?」


「……いえ、何もないならいいのよ、ゴメンナサイね。ごきげんよう」


 ロジーのその言葉に返事をせず、私はドアを開ける。


「じゃあな豚ゴリラ、ご苦労さん」


 そう言うと睨んでくる豚女とゴリラ女の視線を背中に浴びながら、私は屋敷の外へと出た。


 ……ひとまず、ハリとルーラに合流して、あの薬局に行かなければいけない。

 『ベル』なら何か知っているはずだ。


 私は内ポケットにしまった、ひとつだけくすねた『青いバラの錠剤』の存在を意識して、そんなことを考えた。

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