03.Fixer

 ホテルの部屋に入ったイトは、ほぼ半裸にまで衣服を脱がされた緑郎を見て、少し……いや、かなり動揺した。もちろん、それが周りに悟られないように、ではあるが。


「……で?」


「あ、ああ……コイツは、買ったんだよ」


 イトの高圧的な態度にややたじろいだ中年女性は、バツが悪いようにそう言った。


「買ったぁ? 黒髪黒瞳の若い男を?」


 イトはそう言いながら緑郎をじっと見つめる。

 見れば見るほど、濡れガラスのような見事な髪に、黒曜石のような瞳だと、彼女は素直にそう感じた。

 イトたちのいる世界では、男はただでさえ希少な愛玩動物だが、その上容姿が優れているとなると、それこそセレブたちのオークションで、億では効かないほどの値段で競りに出されるレベルになる。

 その中でもとりわけ黒髪と黒瞳は、世界中からかき集めても、両手の指で数えられる程の希少さを持つ、トップレベルにレアな『品種』なのだ。

 それを『買った』などと言うものだから、イトは思わず鼻で笑ってしまった。


「ルーラ聞いた? とんでもないセレブだぜこいつら。買ったんだとさ、黒髪黒瞳を。世界に10人もいない激レアを」


「すっごいね~! そんなにみすぼらしいナリしてるくせに。西海岸にデカい別荘でも持ってんの?」


 ルーラは部屋の奥の窓がある方に行っており、いつの間にか、二人が出口を全て塞いだ形になった。


「そ、そんなのどうだっていい! 何しに来たんだ!」


「焦んなって、今話すからさぁ」


 いかにも焦っている女性とは違い、イトは一貫して落ち着いた様子で部屋を見回し、そして、老婆が座っているテーブルの、朝食に目をつけた。


「……なあ、何喰ってんの、それ?」


 イトは抑揚のない声で、老婆に聞く。


「あ、ああ……モーニングセットさ。デリバリーの」


「どこのデリバリーだって聞いてんだよ」


「その……『ラ・シャルティエ』だよ」


「『ラ・シャルティエ』! ここら辺じゃ一番の高級レストランじゃないの! あそこ、シフォンケーキも絶品だろ?」


「あ、ああ……美味かったよ」


「へえぇ、そうなんだ。まあ、私は高くて食ったことないから知らないけど」


 上っ面は楽しそうに、友達とでも喋るかのように、イトは老婆にそう言った。よく見ると、その薄緑の瞳は全く笑っておらず、それが老婆と女性には不気味でしょうがなかった。


「なあ、実はさぁ朝飯抜いて今ここにきてるんだよ。せっかくだし味見してもいい?」


「ああ……どうぞ」


「どうも……うん、美味い! ルーラ、アンタも食えよ。スモークサーモンってやつだぜ、これ」


「悪いけど、そいつが使ったフォークで食べたくない」


 ルーラの返答を聞く間もなく、実にリラックスしているかのように、イトは老婆の対面に立ち、2枚目のスモークサーモンにフォークを刺した。

 そこへ、いい加減しびれを切らしたのか、中年女性がイトに近づく。


「アンタ、誰だか知らないけどいい加減に……」



「『ロジー』は知ってるだろ?」



 女性の言葉に被せるように、イトは自分たちのパトロンの名を口にした。それを聞いた瞬間、女性と老婆はみるみるうちに顔が青ざめていった。


「私たちはロジーの身内のモンだ。アンタら、一週間ほど前にあいつに高い『錠剤』を売ったんだよな。忘れたか? あ?」


「あ、ああ。覚えてるとも、もちろん」


 イトの問いに、老婆は目を合わせないでそう答えた。


「じゃあ話は早い。ロジーが言うにゃな、金を振り込んだのに未だにブツが届かねえって言うんだよぉ」


 それを聞きながら、老婆はゆっくりと手をテーブルの下にやる。中年女性も同様に、物音一つ立てずに、備え付けの棚へと近づく。


「なんかさぁ、私も面倒くさいしさあ、気も進まないけど、朝飯も食わしてもらったわけだし、ここらで穏便に済まさない?」


「ほう……穏便って、具体的には?」


 ゴト、酷く小さく、重いものを持ったような音が二つ。それに覆いかぶせるように、老婆はイトにそう聞く。





「殺す」





 セリフ後コンマ1秒足らず、老婆はイトに、女性はルーラにそれぞれ銃を向ける。


 イトは机を蹴り上げた。辺りに食器と料理が散らばる。


 彼女は身をかがめる。

 頭のあった場所に、銃弾が通った。

 ルーラも同様、一瞬で身を低くし、女性の銃の一発目を逃れた。


「コイツら『錠剤』を飲んでるよ!」


「ヤク中共がァッ!!」


 老婆と女性がそれぞれ叫び、2発目の照準を合わせる。

 女性がルーラに向けて、引き金を引く。


 寸前



「よく狙えよ」



 イトが女性に向けて撃った。イトが呆れた声でそう言い終わる前に、女性の側頭部に赤黒い穴が開いた。


「ガキどもがァ!」


 そう言い放ち銃を振り回す老婆に、イトはすかさず銃口を向ける。しかし、それはルーラも一緒だった。


「イト!」


「ッ! まだ殺すな!」


 イトがそう叫ぶも、もう遅かった。

 甲高い発砲音。

 ルーラが老婆に放ったそれは、見事にその左胸を打ち抜いていた。


「イト、大丈夫!?」


 ルーラはイトを心配して、彼女に近づく。しかしそんなルーラの心情とは逆に、イトは彼女の胸ぐらを掴んだ。


「なんで殺した!? まだ『錠剤』の場所を聞き出してないんだぞ!」


「なッ……助けてやったのに何さ、その言い草!」


「ブツがなきゃ、どっちみちロジーに殺されるんだぞ! 私だけじゃなくアンタまでッ!」


「ああそう、ああそう! 死んでまでババアに気に入られたいんなら、勝手にすれば!」


「……クソ!」


 それを最後に、イトはルーラを離した。


「……それにさ、他に考えなくちゃいけないこと、あるんじゃない?」


 ルーラはそう言って、部屋の隅で憔悴しきった顔をした男、緑郎を見た。


「あいつ、どうする?」


「……わからない、このままってわけにもいかないだろ」


 イトは緑郎に近づき、口に突っ込まれたタオルをとってやる。


「アンタ大丈夫? 名前は?」


「はっ……はあ……梁木、梁木……緑郎」


「ハリ……長いな、ハリでいいや」


 イトは勝手にそう決めるが緑郎……ハリはそんなことに突っ込む気はないし、そもそもそんな気力もなかった。


「私の名前はイト。ハリ、アンタ、あの女どもが錠剤か何か持ってたの、見てない」


「そ、それなら、あの婆さんの方が、ジャンパーの内ポケットに、そんな感じの袋を持ってるのを見たよ」


「ありがとう」


「な、なあ……俺逃げていい?」


「ダメ、逃げようとしたら後ろから撃つ」


 黒髪黒瞳の貴重な男、そもそも殺人現場の目撃者とあっては、絶対に逃がすわけにはいかない。

 イトのその答えを聞くと、ハリは夢も希望もないという具合に、ぐったりとうなだれた。


「ルーラ」


「探してるよ」


 ルーラはすでに、老婆の着ているジャンパーをまさぐっている。するとハリの言っていた通り、内ポケットに『錠剤』がいくつか入った透明袋があった。

 中には、青いバラを模した、宝石のような『錠剤』が入っていた。


「きれい……」


 ルーラは、まるで魅せられたかのように、まじまじとその『錠剤』を見つめる。




 そんな彼女の腕を、斃れていた老婆がいきなりつかんだ。




「わあぁッ!」


「ルーラ!」


 ルーラが思わず悲鳴をあげる

 イトは拳銃を構えるが、引き金を引く寸前のところで、老婆が何かぼそぼそと喋っているのが聞こえた。


「―――……」


「……なんだ?」




「……これ、で、逃げれ……る……『クリーピーローズ』。あとはあの男さえいれば、こんな生活、から……」





 それを最後に、老婆はルーラから手を離し、そして、今度こそこと切れた。

 あの男。そう言った時、老婆はハリを見ていた。


「イト……今の……」


「……とにかくもう、帰ろう。疲れたよ」


 イトはルーラにそう言いながら、ハリの拘束を解いた。


「ああそうだ、ハリ。腹へってる?」


「……まあ」


「くどいベーグルは好き?」


 そう言った彼女の腹から、空腹を示す音が聞こえた。

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