0x05 春季体育大会
「それじゃ、体育祭の競技決めるぞー」
四月末のホームルームの時間、担任はそう言うと黒板にチョークで競技を並べ始める。そういえば、五月中旬が体育祭だっけ。親を呼ぶとかそういうことと無縁だったし、すっかりその存在を忘れていた。
黒板に並んだのは、二百五十メートル走や綱引き、二人三脚や障害物走に騎馬戦といった定番種目たち。
「はいっ!」
「お、杉島なんだ。めずらしくやる気だな」
「騎馬戦参加します! 柳洞と鷲流も一緒に!」
「おい!?」
「は!?」
「騎馬戦は四人一組だぞ?」
こういう時にやる気を出すのが宏だ、普段の授業もそのやる気の半分でもあれば怒られずに済むだろうに。ってか二人で騎馬を組むつもりか?
「あ、じゃあ俺やるわ」
「おい待て、柳洞のケツを預かるのは俺だ」
「は? お前に任せられるかよ」
だけど、このクラスの男子も大概なのを忘れていた。なぜかあと一人に手を上げた男子十人程がジャンケンを始めている。重さ的に悠が上なのはほぼ確定してるけど、それでいいのかお前らは。悠だぞ。
そんな様子を女子たちは微妙な目で、先生は呆れたように見ている。なんならちょっと視線がこっちに来てるのもやめて欲しい。僕は本当に悪くないんです。
「うっしゃ! よろしくな、柳洞、杉島、鷲流」
「おう、頼んだぜ岡島」
「よろしくな~」
「はあ……じゃあその四人で一組目ですね。あともう二組欲しいんですが」
結局勝ったのはクラスでも陽キャの部類に入る奴だった。お前、結構顔もいいのによりにもよって悠でいいのかよ。
とはいえ、一波乱あったのはそれくらい。後は適当に出たい種目に手を上げていく感じですんなりと決まっていった。
「意外と大した競技はないよな」
「ま、体育の授業も数回しかないし」
「デカい予行みたいなのもやんないし、面白くねえよなあ」
「お前基準で面白い競技なんかやったらえらいことになるだろ」
ホームルームの後、いつものように悠と宏がやってくる。悠の言う通り、この時期の体育祭だから練習もそこそこにしか出来ない。クラスの団結を高める的な目的が強いんだろう。
「結局俺らが揃うのは騎馬戦だけか」
「ま、個人種目も多いしな」
他の種目といえば、僕と悠は二百五十メートル走、宏が障害物走くらい。変な動きとしては悠と宏がなぜか二人三脚に特攻したくらいだろう。身長が違いすぎて間違いなく走りづらいと思うんだけどな。
運動は出来ないわけでもないけど、凄く得意というわけでもないしこれくらいが丁度いいだろう。クラス対抗リレーは運動部の連中にお任せだ。
結論としては、今年もまったりできそうだな。
◇
一方、部活の方も順調だ。四月の二十五日に完成したチップの修正はあっという間に終わって四月三十日には二度目の試作を始め、五月の六日には完成した。
細かい修正が入ったのでA‒1ステッピング、と番号が振られたそのチップは、試した限りでも問題なく動いている。これを本番に持って行ってもいいように、と気合が入った作りなだけはあるな。
「ってわけで、A‒1は機能的にはオッケーだね。ちょっとクロックも伸びたし」
「ええ。性能的にも十分なはずよ」
ゴールデンウイークもばっちり明けた五月の十日、A‒1ステッピングのチップが完成してから四日後。僕たちはA会議室に集まって、チップのテスト結果を確認していた。
「安定性試験もパスしましたし、ばっちりでしたね」
「四十八時間負荷を掛けても問題は出なかったしねー」
「ってことは、もう完成か? あと二週間あるし、思ったより余裕が出たな」
「いいことだよ、直前にじたばたしなくても済むんだもん」
「ま、それもそうだな。大体完璧に動くものが出来たんだし」
もちろん、完全に問題が無いわけでもない。でも、全部の挙動が百パーセント問題がないチップを作るのは現実的には不可能に近いことを知った。
何しろ、IPを除いたとしてもかなり複雑な構成をしている。それを蒼一人で動くものに仕上げてる時点で既に凄いことだ、ということはようやくわかってきた。
だから、今は大会での動作に関わる問題がないことだけを重点的にチェックして、そこに問題が無ければ良しとしている。合理的な考えだ。
「……もう一回、試作がしたい」
「時間的にも予算的にもまだ大丈夫だけど、何をするのかしら」
「まだ、クロックが上がるはず」
でも、狼谷さんはそれだけで満足していないらしい。何か秘策があるのかな。
「確かに、今は電力のせいで1.9GHzくらいで限界を迎えちゃってますもんね」
「そりゃ、クロックが上がれば嬉しいけど……正直難しくない? こっちでも無駄がないロジックを検討してはみるけど」
「消費電力の問題となると、厳しいわね」
道香ちゃんが言った通り、問題はクロックを上げるとそれに伴って上がる消費電力だ。
二度目の試作に向けて仕上げた蒼の論理設計と砂橋さんの物理設計は、狼谷さんから貰った最新のデータを反映させると3GHz以上で動かしても問題ないという凄い結果を叩き出した。
だけど、それを実際のチップで達成するには壁がある。クロックを上げれば上げるほど消費電力が増えるのだが、そのボードが十分な電力を供給できないのだ。
「このIPのボード、なんでこんなにVRをケチってるんですかね」
「言いたいことは判るけど、あんまり大電流を扱わせると危ないからねえ」
「ぶいあーるって、あの眼鏡みたいな奴が関係あるのか?」
「あー、仮想現実の方じゃないです。ボルテージレギュレータ、電源回路のことですよ」
略すと同じだけど、略す元の言葉が違ったらしい。コンピュータの世界は略すと同じになる言葉が多すぎるんだよなあ、ちょっと恥ずかしいぞ。
確かに、IPのボードに搭載されている電源回路、つまり十二ボルトからCPUの使う一ボルト強の電圧に変換する回路は百二十ワット程度しか出力できなかったはず。
……普通のパソコンで言ったら、百二十ワットもCPUだけで食ったらえらいことなんだけどなあ。
「そういうことなら納得だ。もっと電気を使えればもっと性能は上がるはずなんだもんな」
「氷湖には、何か策があるの?」
「『歪みシリコン』技術を使いたい」
「あー、確かに。歪みシリコン使えたらちょっとはマシになるかもだけど……」
「歪みシリコンのウエハー、JCRAで扱ってたかしら?」
「大丈夫。作れる」
「作れるって、確かに装置的にはできるかもしれませんが」
「高純度なシリコンゲルマニウムとか窒化ケイ素って、それこそ扱いあったっけ?」
「カタログを見たら、あった。URLを送っておく」
「そんなものまで扱ってるのね、JCRAの購買は」
「確かに、今はもはや枯れ果てたくらいにメジャーですけど……」
その秘策は、ひずみしりこん、と言うらしい。ウエハーを歪ませでもするのか? そんなことしたら割れておしまいな気がするけど。
「ウエハーを歪ませて大丈夫なのか?」
「……多分、勘違い」
「歪ませるのはウエハーと言えばウエハーなんですが……シリコンの単結晶の格子を広げるんですよ」
「待て待て、結晶の中の格子ってどういうことだ?」
「シリコンの単結晶は、珪素原子が一定の間隔で整列している。この状態だと原子の間が狭すぎて、電子が流れづらい」
「つまり、えーっと、抵抗が高い? ってことになるのか」
「そう。それに、電子移動度が低い」
「電子移動度?」
「簡単に言えば、電子の流れが遅くなる」
「つまりは、クロックが伸びにくくなるってことだよ。満員電車の中を歩いても、早くは移動できないでしょ?」
「満員電車って、あの東京のアレか」
残念ながら、僕は満員電車の洗礼を浴びる前に関東を離れてしまったから満員電車に対して想像しかできない。でも、テレビとかでよく見るあのぎゅうぎゅうな通勤電車を想像してみる。
「……確かに、そうだな」
「そこに、外から引っ張ったり、縮めたりする力を掛けてあげることでトランジスタの原子の間隔をよりトランジスタ向きにする」
「引っ張ったり、縮めたり? だって数十ナノメートルとかの世界だろ?」
「そう。そこで、応力を使う」
「応力って?」
「んー、ゴムを考えてみようか。のびーるゴムの板を考えてみて?」
「ゴムの板、ねえ」
びよーん、と伸びるゴムの板を想像してみた。手を離したら痛そうだ。
「このゴムの板を、ぎゅーっと押した状態で肌にくっつけます」
「お、おう。いい予感はしねえな」
「手を離すと?」
「そりゃ、元に戻ろうとして伸びるよな」
「肌は?」
「死ぬほど引っ張られるだろ」
「そういうことだよ」
「だから、どういうことなんだ?」
やっぱり砂橋さんの例えはよくわからない。蒼と道香、それに狼谷さんに助けを求める目を向けると、救いの手が差し伸べられた。助かった。
「つまり、ケイ素の上か下に、ケイ素よりも微妙に結晶の間隔が広い物質の膜を作ってあげるのよ」
「そうすると、接しているケイ素の結晶がその膜の広い間隔の原子に引っ張られたり、押されたりする。これは、原子同士が引き合うから」
「つまりは、ゴムに接した皮膚みたいにケイ素の結晶を伸ばしたり、縮めたりする力が働くってことか?」
「そういうことですっ」
「元素レベルでそんなことやってんのかよ……」
そんな原子レベルの戦いを繰り広げていることに驚きだ。結晶の原子の間隔なんて、気にしたこともなかったぞ。
言われてみれば確かにできそうな気がするけど、それを現実にやってのけてる人たちがいるってことだもんな。
「えっ、待って。ってことはプロセスに手が入るってことだよね?」
「そう」
「それはキツいよ、だって検証の手間を考えると来週の……遅くても水曜にはテープインでしょ? 五日で歪シリコンのプロセス作って、ルール作って、アタシがもう一回物理設計やるってことでしょ?」
「……難しい」
「そうねえ、ちょっと非現実的ね」
当然、新しい製造工程が増えるだろうから砂橋さんの設計もやり直しだ。今からプロセスを全部作り直すのは、僕が考えても難しいのがわかる。
「でもまた、なんでそんな?」
「……電工研の最新プロセスでは、この歪シリコン技術を使おうとしていた」
狼谷さんはちょっとためらうようにしてから、その言葉を口にする。なるほど、もし電工研と当たるなら必要な技術ってわけか。
「なるほど。この先電工研と当たるならこっちも作れないとまずいってことね」
「プロセスで負けてると厳しいからねえ、密度には関係ないとはいえクロックも大事だし」
「私が追い出された時には、まだ歩留まりどころか試作すらうまく行っていなかった。とはいえ、対策は必要」
電工研でもまだ試作レベルらしいし、大会のレベル的にも電工研はIP大会に出てこないのだという。であれば、ここでそこまで冒険する必要はない、と思うけど。
それは蒼たちも同じ考えだったようで、難しい表情を崩さずに言った。
「理由はわかった。対策も必要なのはわかるけど……さすがに今からはやめておいた方がいいと思うわ。あまりにもリスクが高すぎる」
「だなあ。動くものが出来たとはいえ」
「わたしも賛成です。今からそこまでのチャレンジをするのはちょっとまずいかと」
「ん。勇み足だった、あと五日は厳しい」
狼谷さんも、さすがに納得してくれたらしい。結局、歪シリコンを使うのは次に先送りすることになった。
「少なくとも次のプロセスで使えるように、部材だけ発注しておいてほしい」
「わかったわ。それはやっておく」
「今回は、電圧を落としてもクロックを上げられるようにプロセスを調整する」
「ま、それでどこまで行けるかだね」
「マスクはどうする?」
「アタシももうちょい粘ってみるよ、もちろんエラッタ出さないようにしながらだけど」
「じゃあ氷湖、無理のない範囲でプロセスの改良をして頂戴。今の感じで行けば検証に三日あれば足りるから、最後の試作は十五日にはテープインするわ、氷湖、結凪、よろしくね」
「わかった」
残っているのは物理設計と製造の仕事だけ。僕も、次の試作が終わるまではゆっくり勉強できそうだ。
「あとは、何か話しておかなきゃいけないことあったかしら……」
蒼がそう言ってパソコンをいじり始める。ついでに、皆への連絡事項が無いかを確認しているんだろう。
「あっ」
聞こえてきたのはできれば聞きたくない言葉。主である蒼の方を見ると、珍しくしまった、という顔をしていた。
「体育祭、完全に忘れてたわ……」
「げ、そういや来週じゃん」
「十八日でしたよね? 日本式の体育祭、というか運動会はすごい久々なので楽しみですっ!」
「そうだけど、何で体育祭?」
ゴールデンウイークも明けて、体育祭は来週だ。でも、ここでわざわざ話をする必要があるとは思えない。
「午後一発目の目玉競技は?」
「部活動対抗リレーだけど……え、嘘だよな?」
「あれ、全部の部活が強制参加なのよ」
前言撤回。これは確かに話しておかないとまずかった奴だ。
確かに盛り上がるんだよな、部活対抗リレー。スコアどうこうじゃないエキシビジョンってのもあるかもしれない。
去年はのんきに見ている側だったけど、まさか走ることになるとは。
「えっ、嘘でしょ」
「嘘じゃないわ、去年だって先輩方走ってたじゃない」
「そ、そういやそんなこともあったかも……」
「メンバーは四人よ、誰が外れる?」
「そりゃもう、アタシに決まってるでしょ」
「それでいいのか、砂橋さんは」
「いーのいーの」
そういって手をひらひらと振る砂橋さん。まあ、そう言うならいいか。
「じゃ、これで決まりですねっ」
「電工研と同じ組にならないことを、祈るだけ」
確かに、ライバル部活である電工研と当たると勝ち負けが気になってしまいそうだ。それはちょっと嫌だな。
「走る順番を出さなきゃいけないんだけど、この中で運動できる! って自信がある人は?」
「……」
沈黙の帳が降りる。まあ、そりゃ運動部じゃないし居ないよな。蒼はうーん、と数秒悩んでから再度口を開いた。
「じゃ、シュウがアンカーね。道香が先頭で、氷湖、私でいいかしら」
「わたしは大丈夫ですっ」
「私も、大丈夫」
「僕もそれでいいよ」
「了解、出しておくわね」
思わぬ形で出る競技が増えてしまった。不安しかないけど、大丈夫かな。
「じゃあ、これで今日の会議は終わりね。まずは来週水曜のテープインに向けて頑張るわよ!」
◇
迎えた五月十八日、土曜日。
チップの方は、狼谷さんと砂橋さんの努力もあってなんとか予定通りの製造開始を迎えていた。そっちの心配は、まあ大丈夫だろう。
今日一日向き合わなければいけない心配は、どちらかと言えば体育祭のほうだ。
「やっほー、体育着姿は新鮮だねえ」
「お、砂橋さんおはよ。この姿で会うことないもんねえ」
朝から着替えを済ませてグラウンドに向かっていると、ばったり砂橋さんと出会った。
砂橋さんも当然ながら体育着姿だ。体育の授業は男女別な上に、時間も普通科と計算機工学科で別だから見る機会は本当にないんだよな。
制服の印象そのままにすらっとした姿にどこか安心さえ覚えていると。
「シュウも準備ばっちりじゃない」
「おう、蒼もばっちりだな」
砂橋さん居る所に蒼ありなのだろうか、蒼もやってきた。体育着姿を見るのも久々だな、中学校の時以来かな。
とはいえ、着てるものが違うだけでいつもの蒼だ。
「うーん、ここまで無反応だと清々しいね」
「ま、今更よ。グラウンドに行きましょ」
「だな。そういや蒼と砂橋さんは何に出るんだ?」
「私はクラス対抗リレーと棒引きね」
「アタシは玉入れと綱引きだよ」
「蒼、クラス対抗リレーなんか出るのか」
「計算機工学科のクラス対抗リレーなんてお遊びみたいなものよ、運動部の子なんてほとんど居ないし」
「それもそうか。まあ頑張れよ」
「ケガしない程度に頑張るわ」
「砂橋さんは、……」
「絶句しないで貰える? アタシが足引っ張らない競技ってこれくらいしか無いの」
「コメントは控えるよ」
そうか、蒼も意外と運動出来るんだな。走ってる姿なんてほとんど見ないから、全然気にしてなかった。砂橋さんはまあ、自己評価が正しく出来てそうで何よりだ。
そんな三人でグラウンドに向かい、途中で別れてクラスごとの集合場所へと向かう。そこには、既に悪友どもの姿もあった。
「よう、悠、宏」
「いいか、弘治」
「なんだよ急に」
「今日はな、オレ達勝つぞ」
「何にだ」
「自分自身に」
「そんなキメて言うことか? それ」
「こいつはテンション上がりすぎてるだけだろ。ま、ほどほどに頑張ろうぜシュウ」
「だな」
宏のおかしいテンションと、いつも通りの悠。今日は朝の時点で暖かいから、半袖短パンな悠の姿に色々な視線が集まってる気がするのは気のせいではないだろう。
クラスで点呼を取って、列になってグラウンドの中央に並んだら開会式だ。
「今日は幸いにも晴天で、気温も上がるとのことです。熱中症には気を付けて――」
そんな校長の話を聞き流し、今年の体育祭は始まった。
「くっそ、出番早いんだよな」
「あ、もう二百五十メートル走は集合か。行くかあ」
始まってから一時間も経たないうちに、僕と悠は集合時間を迎えた。今は一年生の百メートル走が始まってるから、もう次だな。
入場門に二人で向かい、ぱらぱらと集まり始めている出場選手に混じって競技を見守る。その中に、見慣れた姿を見つけた。
「ちょっと待ってろ」
「ん、いてら」
悠を置いて、見慣れた長い髪に声を掛けにいく。
「狼谷さん」
「っ!? ……鷲流くん」
「ごめん、驚かせちゃったな」
後ろから声を掛けたら、びくんと飛び上がらせてしまった。申し訳ない。
「狼谷さんも二百五十メートル走なんだね」
「種目は、二つしか出ないから」
「そっか、そっちは少なくていいんだな」
「元々の人数も少ないから、枠も小さい」
「それにしても、二百五十メートルって中途半端だよなあ」
「グラウンドの一周がそれくらいだから、仕方ない」
そう、二百メートルでも、百メートルでもない理由はそこにある。グラウンドに引かれたトラックの長さは最内で二百四十メートルくらい、だから十メートルくらい被らせて二百五十メートルにしたんだとか。
一年生は途中からスタートの百メートル走だけど、二年生からはもっと駆け引きが欲しいとのことでこの距離になったそうだ。駆け引きってなんだよ。
「まあ、ケガだけしないように頑張ろうぜ」
「鷲流くんも。頑張って」
お互いに健闘を祈る言葉を交わして別れると、集合場所に戻る。もう隊列を組み始めていてすぐに入場になるんだろう。
グラウンドの中に列を作って待つ。女子からスタートで、男子は後だ。パアン、という軽快なスターターの音とともに、必死にグラウンドを一周していく姿。そしてその姿に掛けられる声援は、やっぱりどこかテンションが上がってくる。
「お、狼谷さんだ」
ふとスタートラインを見ると、そこには風にたなびく見慣れた長い髪。狼谷さんだ。次の組で走るらしく、スタートラインに並んでいる。
「ん、蒼以外の女子に知り合いが居るのか?」
「僕を何だと思ってるんだ? 部活の友達だよ」
「どの子だ?」
「あの髪が長い子。クールな感じの」
「ああ、あの子か」
ナチュラルに失礼な悠に眉を顰めつつどの子かを教えている間に、スターターの音が再び響く。次の瞬間、狼谷さんは一気に加速した。
「うおっ、めっちゃ速いじゃん」
「おお、すげえ!」
同じタイミングで走り出した子たちを後ろに置き去りにして、いつもの静かな顔で、それでも力いっぱい走っていく狼谷さん。陸上部かと見まがうほどの綺麗なフォームで、後ろの子たちを寄せ付けない走りを見せている。
「頑張れ、狼谷さーん!」
待機列の近くを通り抜けた時には、思わず声が出てしまった。思えば、悠と宏が走ってるとき以外に声を出したのは初めてかもな。
結局、そんな狼谷さんは大声援の中あっさりと一位を取った。すごいな、陸上部とかからオファーが来てもおかしくないように素人目には見えるぞ。
その後僕たちにも順番が回ってくるけど、僕は二着、悠と宏は三着とほどほどの結果。
「うーん、このコメントに困る感じが俺らっぽいよな」
「正直同意したくはないけど、わかる」
「ま、俺らみたいなもやしがビリを回避しただけでも十分だよ」
「悠の言う通りなのがな」
競技が終わって引き上げていく途中、悠と適当な話をしながらも狼谷さんを探していた。せっかくだし、一言掛けてあげようと思ったからだ。
一人で歩いてクラスの場所に戻ろうとしていた狼谷さんを見つけ、その背中に声を掛ける。
「お疲れ様狼谷さん、一位おめでとう。かっこよかったよ」
「ありがとう。鷲流くんもお疲れ様、二位でもすごい」
「おお、ちゃんと見ててくれたんだな」
「もちろん」
そう言う狼谷さんは、どこか嬉しそうに見えた。もしかしたら、まだ誰にも褒めてもらってなかったのかも。
「いた! 氷湖すごいじゃーんっ、なんであんなに速く走れるの?」
聞こえてきたのは、砂橋さんの声。見れば、興奮した様子の砂橋さんがとてとてと走ってきていた。その後ろには、蒼と道香ちゃんの姿もある。
「いや、結凪と比べちゃ駄目でしょ……おめでとう氷湖、さすがね」
「氷湖先輩、凄いです! 私も負けてはいられませんねっ」
「あり、がとう?」
みんなに褒められて、声色的に困惑しているんだろうか。もしかしたらこうやって皆に褒められるようなことには慣れていないのかも。
「いいのよ、それだけ凄いんだから。全部受け取っておきなさい」
同じことを察したのかもしれない、蒼が優しく声を掛ける。それを聞いた狼谷さんは、静かに口角を上げて微かな笑顔を見せてくれた。
「ありがとう」
相変わらず言葉は短いけど、それだけでとても喜んでいることはわかる。その笑顔が見れて、声を掛けにきて良かった、と思った。
「あ、そろそろわたし行かなきゃですっ」
「頑張ってちょうだい、次の競技とすると……障害物走ね」
「はいっ! 氷湖先輩に続いて金星を取ってきますね!」
そう言って、集合場所に意気揚々と走っていった道香ちゃん。
数十分後に訪れたその活躍を、そのまま四人で見守っていた僕たちはただあんぐりと見ているしかできなかった。
「なんというか……軍隊の訓練?」
「動きが、精密で素早い」
「走る速度自体はそんなに速くないように見えるけど、障害の速度が段違いね」
スタートの走る速度は、蒼も言う通りそんなに速くもない。三、四番手くらいだ。だけど、とにかく障害を超えていく速度が半端じゃなかった。
ハードルや平均台で減速なしで突っ込んでいくのは、まだわからなくもない。でも、網くぐりでは引っかからないよう器用に網を操りながら姿勢を低くしているはずなのに普通に歩くのと同じペースで進んでいて、途中にあるクイズゾーンもさすが入学時の主席なだけあって瞬殺。
極めつけはタイヤ引きで、いくら女子用に軽めのタイヤにしているとはいえ小走りくらいの速度で走り始めた時にはグラウンドがざわめきに包まれた。
大差を付けてゴールしたのは当然として、審判をしている諸先生方も驚いたような顔で固まっていたのが印象的だ。
「先輩方、やりましたよっ!」
笑顔で僕たちの所へ戻ってくると、ブイサインを見せる道香ちゃん。僕たちはもちろん温かい拍手で迎えた。
「おめでとう。道香、凄い」
「どこであんなの覚えたの?」
「へへんっ! 内緒ですっ」
楽しそうに笑う道香ちゃんの姿は、朧げな過去の記憶を刺激する。
どこか軽い頭痛がしてきたから――思い出すのをやめた。
「次の種目はなんだっけ?」
だから、なんてことない話題で意識を逸らす。これ以上は、何かよくないことが起きる気がしてならない。
「えーっと、次が一年男子の百メートル走ね。その後はクラス対抗の棒倒し、って、私そろそろ行かないとだわ」
それを拾ってくれたのは蒼だった。スマホをいじると競技の内容がぱっと出てくるあたり、多分競技一覧を撮ってたんだろうな。
「お、頑張れー」
「頑張って」
「恥ずかしくないくらいには頑張ってくるわ」
僕たちの声援に苦笑を返すと、蒼は待機場所へと向かっていった。
◇
午前の競技は、つつがなく終わった。
砂橋さんの見せ場は各色対抗の玉入れ、もちろんみんなで応援した。頑張ってぴょんぴょんと跳ねながら頭上のカゴを目指して玉を投げ入れる砂橋さんは微笑ましかった。保護者の気持ちってああなんだろうなあ。
そして、もう一つの目玉競技は蒼が出場した午前最後の競技、クラス対抗リレーの予選だ。普通科六組を学年ごとで対抗、さらには計算機工学科の二クラス三学年をまとめた競争の四走で、最終種目の決勝へ進出するクラスを決めるらしい。
普通科の三年生と計算機工学科が上位二クラス、それ以外は一クラスずつが決勝に上がれるとあって大盛り上がりだった。大声援が各クラス、各色の陣営から叫ばれる中で走るのはプレッシャーがあっただろう。
「……っ!」
その中を、クラス代表として駆け抜ける蒼。
その表情は、見たことがないくらい真剣だった。そうだよな、蒼は程々で、って言っても全力を出すもんな。
その輝く姿は、心に深い傷を負ったことを言い訳にし続けた結果、いつしか本気の出し方を忘れてしまった僕の心に深く刺さった。
「いけーっ、蒼ーっ!」
とはいえ、できることなんてやってきた蒼を精一杯応援することくらいだ。僕たちの方を一瞬見た気がするのは、多分気のせいだよな。
皆の期待を背負った蒼の走りは、順位を一つ上げる堂々たるものだった。もっとも、クラス全体としては四位で決勝を逃してしまったのだけど。
「いや、決勝に行こうだなんておこがましいわよ」
僕たちのところに戻ってきた蒼は、苦笑いでそう言った。
「全力でやれることをやれただけで、十分楽しかったわ」
そんな蒼が、やっぱりまぶしいな、と思う。
その後はクラスの集まりに戻ってお昼を食べて、いよいよ部活動対抗リレーの時間を迎えつつある。今日の大一番と言ってもいい。
「お、シュウも走んのか」
「そらな、部員が最低限しかいない弱小部ですから」
「オレたちも応援してるからな、手は振らなくていいぞ」
「当たり前だよ」
腰を上げると、悠と宏が声を掛けてくる。宏の素直じゃない言葉で程よく緊張が抜けたな、あいつらしい。
一方の悠は、真面目な表情を作ると改まって見つめてきた。
「やれること、限界までやってこい。お前はお前が思っている以上にできること多いと思うぜ、シュウ」
「……そう言われてもな」
考えていたことが判り切っているような悠の言葉に、素直に頷けなくて目をそらした。僕の姿をずっと見てきている悠に言われてしまったら、冗談とも思えないじゃないか。
そんな心もお見通しなんだろう、悠は表情を一変させてへらへらと笑う。
「ま、俺たちのためだと思ってよ」
「ったく……ありがとよ。ま、やれるだけな」
そんな幼馴染のありがたい気遣いは素直に受け取って、集合場所へと向かう。ちょっとストレッチをして、体を動かす遊びも好きだった時の体の使い方をゆっくりと、おぼろげながらに思い出しながら。
◇
今回は運動部と文化部でご丁寧に分けてくれたらしく、僕たちが走るのも同じような文化部達。しかも電工研とも別ブロックと来た。
既に運動部は続々と走っている。僕たちの出番は、次の次だ。
「さあサッカー部の大橋が迫っている!第三コーナー、第四コーナーへ向かってその差を三メートル、二メートルと縮めているぞ!」
「みんな、集まってちょうだい」
放送委員のどこかで聞いたことがあるような口調での実況を聞きながらその様子を見ていた僕たちに、蒼が集合を掛けた。
走らない砂橋さんも入れて、僕たち五人はトラックの中だ。改めて皆の方に向き直る。
「ま、私たちは運動部でもないし、ケガすると色々とまずい時期でもあるわ」
そんな僕たちに声を掛けられたのは、非常にもっともらしい言葉。それはそうだ、大会はもう来週末。こんなところでケガをしたら大変だ。
でも、次の言葉もとても蒼らしい言葉だった。
「でも、手を抜くってこともしないわ。全力でやりましょ」
「負けたくはないですもんねっ」
「そりゃそうだ。できるだけのことはやるよ」
「負けない」
「アタシも、頑張って応援するよ」
その言葉で、皆が一つになった。二つ前のチームがゴールしたのか、大歓声が観客席の方から上がる。そろそろランナーは決められた場所に移動しないといけない。
「こういう時、円陣ってのを組むんですよね!?」
「それもそうね。さ、みんな円になって」
「五人で円陣って」
「いいのよ、こういうのは気分なんだから」
ほどよく間隔を空けて、全員で中央を向く。蒼の出した手に、皆の手が重なった。
部員全員でもたった五人だから、円陣さえ格好つかない。それでも、道香の提案は改めてこの部を一つにしてくれた気がする。
この不格好な円陣が、僕たちの始まりなのだ。
「いい? 今週も、来週も、勝利は私たちの物よ!」
「「おおーっ!」」
全員で声を合わせて手を上げると、いよいよ待機場所へ。前の組の走りを見学しながら、僕たちも走る準備を整えた。
「ちょっと緊張しますね」
「頑張って、結果はともかく全力を出し切るのが重要よ」
「はい、行ってきますっ!」
どこかで聞いたことのあるファンファーレが鳴り響くと、放送部員の実況が改めて始まった。
「さあ本日の第六レース、文科系部活二組目、一千メートル四人リレー。出走各選手がレーンに収まっていきます。一枠は去年最下位の雪辱を晴らすか理科部、第一走者は一年の高城。計算機工学系の部活だって負けられない、二枠は電子計算機技術部、第一走者は今年の主席入学者、桜桃。三枠――」
その呼び上げに合わせて第一走者が続々とレーンに入っていく。
「……なんかちょっと、恥ずかしいわね」
「わかるな、スポットライトを当てなくてもいいのに」
「でも、みんな注目してくれる」
見れば、スタートラインで準備をする道香もちょっと恥ずかしそうだ。それでも、全員の読み上げが終わり、スタートの準備が整う。一瞬の静寂を、スターターの音が破った。
「さあスタートしました!揃った飛び出し、少しだけ吹奏楽部が前に出たか」
歓声と実況の放送が再びグラウンドを揺らす。懸命に走る道香だけどやっぱりトップスピードではとても速いわけではなく、四番手でグラウンドを半周。
「頑張れ、道香」
「いけーっ、そのままよ!」
「いい感じだぞ道香ちゃーん!」
応援の声にも力が入る。そのまま三位の走者からはじわじわと離されつつも、僕たちの所へ戻ってきた。息も上がっているし、かなり苦しそうだ。二百五十メートルとはいえ、全力で走るとかなり苦しいのはさっき経験してるしな。
「お願いしますっ」
「任せてっ」
「一メートル後方三番手はなんと図書部、三年の吉田が飛び出していった。その後ろ三メートルほど四番手でコン部が今バトンを渡す、二年の狼谷だっ」
レーンには既に狼谷さんが準備している。道香ちゃんに合わせて助走を付けて、バトンを受け取った狼谷さんは直後にぎゅん、と加速。走れば走るだけ前の人との間隔がどんどんと縮んでいく、男子なんだけどな前の走者。
そんな白熱した展開になっているからか、三位の人に追いついて、抜かした瞬間には大きな歓声が上がった。
「おっとコン部が図書部を捉える! 並ばない並ばない! その先も捉えることができるか、距離をどんどん詰めていく!」
「いいわよ、その調子その調子!」
「本当に速いな、このまま前まで行けるか……?」
「きっと大丈夫よ。私もそろそろね、行ってくるわ」
「頑張れ、蒼」
「任せて頂戴」
蒼もレーンへと向かっていった。僕自身もちょっとずつ緊張が高まってくるのを感じる。
すました顔で走り続ける狼谷さんはそのままぐいぐいと二位の人の背中までつけるけど、さすがに抜き去るほどのスピード差はなさそうだ。
「さあ二周目を終えて一番手は相変わらず吹奏楽部、三番手は二年の松山。一メートル半後ろでは将棋部とコン部がほぼ並んでいる、次の走者はそれぞれ三年の徳井と二年の早瀬、さらにその後ろ――」
結局、蒼にはほぼ並んで二位グループでバトンが渡る。並んだ三年生の男子を無視するようにぐいっと前に出ると、一位の猛追を始めた。
「おーっとここでコン部が二番手に上がる! こんなに足が速い人たちが所属していたとはまさにダークホース!」
実況のボルテージもどんどん高まっている。そんな熱狂の中、レーンへ向かうと歓声がひときわ大きくなった。反対側の直線で、蒼が徐々に先頭との距離を詰めている。
改めて軽く体をほぐすと、思ったよりも体は錆びついていなかったらしい。熱を取り戻した体に自分でも驚きながら、トラックへと向かう。。
「コン部ですね、二枠に入ってください」
「はいっ」
他の走者の連中と一緒にトラックに入ると、アンカーなだけあってそれだけで注目が集まっているのを痛いくらいに感じた。
「四コーナーを回って正面の直線へ、コン部の早瀬は追いつけない!」
「っ……!」
必死の表情で、前の走者に追いすがる蒼がどんどん大きくなってくる。
「蒼!ここだ!」
「シュウっ!」
声をかけてから、蒼の速度を見計らって助走を始めた。隣のチームのバトンパスを視界の端で捉えながら、手を後ろに伸ばす。
金属の筒の硬い感覚が手に伝わってきたのを確認すると、それを握りしめて前の奴を追いかけ始める。距離は二、三メートルだろう、これならあるいは。
「縮まらねえ……っ」
でも、最初のカーブまで走ってわかった。走力は今の僕と同じくらいなんだろう、差は開きもしないが縮まらない。数メートルの差が、何十メートルにさえ感じる程。
「二コーナーを回って向こう正面へ、一位の吹奏楽部と二位のコン部の差は詰まらない! このまま吹奏楽部の逃げ切りが叶うのか!?」
大歓声の中、一方で僕の心はやけに冷静だった。放送部の実況も、聞こえてはいるけど曖昧だ。息は上がってきているけど、体の芯が冷えていくような感覚。
――みんなのためにしてあげられることなんて、あるわけ無いよな。
そんな自分の心の声が聞こえてくる。膝をついてしまったあの日から無為に過ごしてしまった時間の壁は、とてつもなく大きい。
だから、何かをしようだなんておこがましい。そんな僕がここで走ってるなんて――
そう思った瞬間。歓声の中から、一つの聞きなれた声だけが耳に飛び込んできた。
「頑張って、シュウ! いけるわ!」
それは、蒼の声。
次の瞬間フラッシュバックしてきたのは、曖昧な昔の記憶。
まだ母さんが生きていたころ、蒼の手を引いて走ったことが何度もあった。いつの間にか薄れて消えていたその数年前の景色が、熱として心に宿る。
今の僕でもまだ、そんなことが出来るんだろうか。
もし出来ないとしても、「やろうとすらしない」のは違うよな。
だから。
「やってやる、っ!」
歯を食いしばって、思い切り地面を蹴り飛ばす。体が少しだけ加速したのを感じた。
ぼんやりと取り戻した温度を原動力に、前の奴との距離を詰めていく。
「三コーナー四コーナーへ、コン部が最後の追い上げを見せる! 吹奏楽部との距離を徐々に詰めて、さあいよいよ最後の直線だ! あと残りは三十メートル!」
その差は、あと数十メートルを残してほぼゼロ。カーブを活かして外側に並びかけると、直線に向いた瞬間ほぼ並んだのがわかった。
あとは、一歩でも先に。少しでも先にあのゴールラインを踏み越えれば勝ちだ。
息が苦しい。体はバラバラになりそうだ。
「勝負だ……!」
小さく心の中で呟くと、もう一段熱量が上がった気がする。それは、何年も忘れていた、本気を出す、という感覚。
その熱量全てで、さらに踏み込む。
「いけっ……!」
「あとちょっと!」
みんなの声も、耳に届いた。ゴールまで、あと数メートル。
「吹奏か、コン部か、コン部か、コン部の夢か、吹奏の意地か、どっちだーっ!」
実況の叫び声と共に、ゴールラインに飛び込んだ。隣には、ほぼ同時に飛び込んだ吹奏楽部の最終走者。間に合ったんだろうか。
それから数十メートル流して、止まる。息を整えてる間に続々とほかのチームの最終走者がゴールに辿り着くけど、実況はどっちが勝ったとは言わない。審判の先生も判断がつかないんだろう。
全チームがゴールしたのを確認してから、実況に代わって体育教師がマイクを取った。
「えー、ただいまの競争ですが、電子計算機技術部と吹奏楽部の順位に関して、写真部の決勝写真を使用した写真判定を行います。しばらくお待ちください」
写真判定って、普通の競技じゃやらないのにな。全校生徒からの注目が高い競技だから写真部が乗ったのかもしれないけど。
ようやく息が整ってきて、軽く走って皆の元へ戻る。順位が確定していないから、皆はトラックのすぐ横に居た。
「お疲れ様、シュウ。頑張ったわね」
「頑張った。結果はついてくる」
「凄いじゃん、みんなやるねえ」
「あとは結果ですけど、二位でも十分凄いですよっ」
「ありがとう、皆のおかげだよ」
本当に、そう思う。一位だったにしても二位だったにしても、これだけ頑張れたのは皆のおかげだ。
「それにしても写真判定って、だからあんないいところに写真部が陣取ってたのね」
「確かにゴールライン直上ですもんね」
「明らかに高そうなカメラ持ってるなあって思ったけど、聞いたら納得だわ」
「ま、ゴールの瞬間の写真なんてそれこそ校内新聞で使えるしな」
「あっ、先生出てきましたよ」
数分もしないうちに、体育教師はグラウンドに戻ってきた。運命の結果発表だ。
今までざわざわとしていた観客席も、水を打ったように静まり返っている。
「写真判定の結果、一着電子計算機技術部――」
「やったわっ!」
体育教師がその名前を読み上げた瞬間、蒼が飛びついてきた。蒼にしては珍しく喜びを隠さないその行為に心臓が止まりかけた。何しろ体育着だから、その、なんというか蒼の感覚が直接伝わってくる。運動したあとの火照った体温とか、そう言うのがダイレクトに伝わってきてしまう。
「ちょっ、蒼!?」
「おに――センパイっ!」
「やったっ!」
「おわっ、皆!?」
さらには、みんなも飛びついてくる。ここまで来るともうめちゃくちゃで、意識しかけた蒼の感覚もどこかへ消えてしまった。
でも。
「本当に……僕でも、いいんだな」
だからこそ、実感が湧いてきた。
五年間全てに対して正面からぶつかるのを避け続けていたけれど、ようやく。今更ではあるけれど、本気になる、という感覚を、うっすらと取り戻した。その実感がある。
こんな僕でも、頑張れば部のためにできることはあるのかもしれない。
今更になって、僕も部の一員なんだと実感が湧いた。
「ほーら、いつまでそうしてんのさ。邪魔になっちゃうし動くよ」
砂橋さんの言葉で我に返る。そうだ、ずっとこうしてるわけにはいかない。
それに、我に返ると色々と問題が出てくる。蒼以上に豊かな道香ちゃんの感覚とか、ぺったりとくっつく狼谷さんの温かさとか、そう、色々と。
「っと、そうそう。ほら、そろそろその、視線が」
さらには射貫くような冷たい視線さえも感じる。これ以上は本当に闇討ちされかねないぞ。
「ん。とにかく、おめでとう」
「なんというか色々と、ありがとう。狼谷さんもかっこよかったよ」
「ほーら、蒼も道香も。鷲流くんが死んじゃうって」
「そ、それもそうね」
「ううーっ、仕方ないです」
砂橋さんの手助けもあり、なんとか三人を剥がすことに成功。
蒼の顔は、自分でも恥ずかしくなってきたのだろう赤く染まって目は伏せられていた。恥ずかしいならやらなければよかったのに、とは思うけど、テンションが上がってこういうことをしちゃうのは仕方ないよな。珍しいものが見れた、ということにしておこう。
一方の道香ちゃんは、ちょっと不満そうにしていた。野郎にくっついても楽しいことなんて何もないと思うんだけどなあ。
ともかく、僕たちは一位と書かれた待機所へと向かった。
「お、幸せ野郎が帰ってきたぞ」
「見せつけてきやがって、ハーレムか?」
「うるせえよ、違えって」
全部の競争が終わって、飲み物を取りにクラスの待機所に戻ると野郎二人に絡まれる。こいつらよりは確かに部の皆といたほうがよかったな、とちょっと後悔。さすがに華が違うのは僕でもわかる。
「ラストの追い込み、イケてたぜ」
「お、おう。ありがとよ」
「んじゃ、オレは行こうかな」
「どこ行くんだよ」
「お手洗い」
「最悪だ」
「ずっと我慢してたんだよ」
「あーあー、詳細は要らないからとっとと行ってこい」
珍しくシンプルな言葉で宏が褒めてきたと思ったらこれだよ。その落差に苦笑いしていると、ポン、と肩を叩かれる。悠だ。
「言ったろ? 今のお前でも、やる気を出せば出来ることは意外と多いって」
「……ああ。お前の言ってくれた通りかもしれないな」
「本気の出し方、思い出したか?」
「なんとなく、はな」
「そうか。久々に本気のお前が見れて、俺は嬉しかったぜ」
「ありがとよ」
本当に、ふだんのふざけた様子からは想像もできない落ち着いた声で話す悠。本当に、コイツは僕のことをよく見ている。僕自身よりも、僕の一面に関しては詳しいのかもな。
もしかしたら、普段ゲームに狂って口汚いワードが飛び出したり、適当な調子で話すのもこいつなりに気を遣った結果だったりするんだろうか。
……いや、ないな。こいつに限っては。どっちかと言えばそっちが素だろう。
「さ、俺らは行こうぜ。次の次が騎馬戦だ」
「そうだった、行くかあ。宏もま、僕たちが居なければ入場門に来るだろ」
そんな真剣な話は、この場で長くするものでもない。そう思ったのは僕だけでもないんだろう、普段通りの適当な感じに戻った悠の言葉に頷くと、次の競技へと向かうことにした。
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