第二章 八夜~小さな二人の小さな不安~
もうすぐ12才になる六太と与一は最年少のまま「先輩」になった。
去年の秋にやってきた後輩はほんの少し…数か月だけ年上だが、やってることは大して変らない。遊び仲間が増えたのは嬉しくて仕方ないらしい。
後で聞いた話だと、六太と与一の舞はあの若手芝居の日の一番人気だったらしい。
それに味を染めた座頭はその後の指導も青藍の仕事と決めたようだ。それにはふたりからの師匠は青藍じゃなきゃ嫌だという懸命な主張も理由に入っていた。
座頭から有無を言わさず押し付けられた青藍は「そんな話聞いてねーし。なんでオレが子守りを…」としばらく不平を言い続けていたらしいが、秋に加わった年少の新人たちも引き受けることになり、小さな弟子は5人に増えた。
新人たちもすぐに青藍に懐き、先輩面をするようになった六太たちが主導して悪戯を仕掛けては、師匠も併せて6人まとめて各所から叱られる日々になっている。
「ほんっと勘弁してほしいよ。だいたい、下らない事件があると、お前が仕掛けたんだろってオレが怒られる。」
「…それは日頃の青藍さんが悪いんじゃないのか?」
「どういう意味だよ…オレはいつも品行方正だぞ。」
「…品行方正な人はオイラ達を毎日揶揄って遊んだりしないよーだ!」
舌を出してそう言った六太を青藍は睨み付けたが、いつものことで慣れっ子になっているのかニヤっと悪い笑いをして横を向いた。
「なんだか、師匠そっくりだね。」
八広が笑いながら言うと八広のそばに座った与一が同意して笑った。
「でしょ。六太は特に似てるんだよ。」
「なんだよ!お前らも似てるよな。そのスカしたツッコミ気質がさぁ。」
六太と青藍が同時に返すと二人は声を出して笑い出した。
「本当にそっくりだ。」
4人は同時に言うとひとしきり笑って、笑いすぎで少し苦しくなったところで、思い出したように八広は青藍に声かけた。
「なぁ、青藍さん…座頭に呼ばれてたんじゃなかったか?」
青藍も、あ、という顔をしてやべぇ、忘れてた、と言って頭を搔きながら立ち上がった。
「八広、助かったよ。本気で怒られるとこだった。」
「そうか。それは良かった。…じゃ、私はそろそろ…。」
「…いや。待っててくれないか。この時間じゃ木戸もそろそろ閉まる。深川まで遠くないとはいえ、物騒だしな。しばらく、こいつらの相手をしててくれ。」
有無を言わさず、青藍は桟敷を出て行ってしまった。
残された3人は顔を見合わせた。
すると、さっきまで元気いっぱいだった六太と与一は急に不安そうな顔をして、八広にくっついてきた。
「どうした?」
「多分、秋からの話だと思うんだ。」
「師匠は一座の所属じゃないでしょ。客演の手打ちは芝居毎だけど、一座の舞や楽の指導役の仕事の話は1年ごとに決めてるらしいんだ。前に座長が言ってた。」
「ふぅん。でも、それがどうして心配の種になるんだい?」
「…師匠、一座を離れたいのかな、と思って。」
「え?どうしてそう思うの?」
「うーん。直接聞いたわけでもないし、誰かに聞いた訳でもないんだよ。ただ、師匠にオイラ達が秋から先の話をするとなんだかはぐらかすんだ。」
「それにね、オレらの舞の指導も少し急いでる気がするんだよね。後輩に舞の基本を短期間で徹底的に仕込むのはオレたちの時と変らないんだけど…あの時は大部屋芝居の日までにあの時のオレらじゃ難しい舞を完成させなきゃいけないって目標があった。でも今はそういうのじゃないし。そこまで急がなきゃいけない理由って無いと思うんだけど。」
与一の観察に八広も六太も思わず感心した顔をした。
「…与一、君は賢いね。確かにそうだね…。」
与一は頷くと、なぜか、八広の膝の上に座った。
「オレらの師匠は傾城君しかいない、と思ってるんだ。特にオレと六太にとっては傾城君は舞の神様で、大事な兄貴で。いなくなるなんて、考えたくもないんだ。」
「うん。」
六太もしょんぼりと八広にもたれてきた。
「ふたりとも、本当に師匠が大好きなんだね。」
「うん…。だからね、八広さんからも師匠に言ってほしいんだ。行かないでって。」
「一座のみんな、行かないでほしいって思ってるよ。やんちゃして、悪戯仕掛けて座頭と座長を怒らせてばかりだけどね。」
八広は自然と微笑んでいた。
「…傾城君は君らのやんちゃと悪戯の師匠でもあるんだ。ね、いつもどんなことしてるの?」
二人は顔を見合わせて、しんみりした顔からいつもの悪戯っ子の顔にもどった。
「うーん。芝居の最中に稽古しないでそこの大川で魚採ったな。あ、もちろん師匠も一緒だよ。」
「うん。確か、デカい鯉とナマズ捕まえた。あと鴨も捕まえたな。」
「それ、魚じゃない、鳥…あ…他所から逃げてきた鶏も捕まえたっけ。」
「…それ、どうしたの?」
「全部晩御飯のおかずにして食べた。」
「…あ、そうなんだ…。」
「後は…よくケンカしてる。前に来た道場やってる、とか言ってたおっさん、師匠が棒の一撃で倒してたよね。」
「うん。門番が手を出せなかった、刀持ってぞろぞろ来た連中も女装したままやっぱり棒で一人で倒してたし。」
「…強いんだね…。」
「うん。そこまではスゲェって思ったけど。その後、ただ働きなんざしない、酒くらい寄こせって騒いでて。なんかカッコ悪かった…。」
「…こら、師匠に対して何てこと言うんだよ、お前ら…。」
「ししょー!!」「青藍さん!」
三人は同時に振り向くと、そこに渋い顔をした青藍が立っていた。
「八広まで一緒になって…いったい、オレを何だと思ってるんだか。」
「この子たちのヤンチャと悪戯の師匠、でしょ?」
「はぁ?」
目を釣り上げたが、しがみついてきた六太と与一の真剣な顔を見た青藍はそれ以上言い返さなかった。
「あの…さ、師匠…。」
「秋からいなくなったり、しないよね?」
青藍は不思議そうな顔をして二人を眺めた。
「なんだぁ?何言ってんだお前らは…。」
「だって。だってさぁ。」
「秋からの話になると渋い顔するし…踊りの稽古もなんか急いでるし……。」
青藍は苦笑いを浮かべた。
「なに勘ぐってんだよ。お前らの子守りを正式な仕事に組み込まれるのが嫌だったんだよ。次の師匠になるやつに引き継ぐために急いで仕上げてただけさ。残念なことにさぁ、とうとう、オレの仕事に入れられちまったけど…。ガキは嫌いだって散々言ってるのに。酷くねーか?」
八広は苦笑いし、六太と与一は安心した顔をしつつも師匠を軽く睨んだ。
「酷い、ってどっちが酷いんだよ。本当にひでぇ師匠だよな。」
「オイラたちガキじゃねーし。」
「ハイハイ、そう言ってるからガキなんだよ、お前らは。…あ、そうそう。お前ら、座長が呼んでるから行ってこい。」
「はぁい。」
渋々、という顔で二人は桟敷を出て行った。
廊下を歩く足音が遠のいたところで、青藍は八広の方を向いた。
「八広、お前あいつらに随分懐かれたなぁ。」
「うん。なんだかね。」
「ところでさ。オレ…本当は、この秋で一座を出るつもりでいたんだよ。お前を一座の絵師に引き込んでおいて悪い、とは思ったんだけどな。」
「え…と。」
「オレはさ、ずっとある人を探してる。その人のために各所を回れる芸妓をしている、と言ってもいい。だから、芸妓に戻りたい、って言ったんだ。そしたら、座頭が今年は巡業をするから、それにオレも行けと。それなら色んな地に行けるだろうから、探し人の話もきけるだろう…って。一人で無闇に動くより、一座にいた方がもっと沢山の種を集められる、そう言われたら何も言えなくなった。それで手を打ったんだ。」
「…うん。でも、どうして私にそのことを?」
「お前さ、あいつらにオレを引き留めろって頼まれたろ?」
「うん。」
「そちらでも巻き込んじまってるから、聞く権利はあると思ってな。」
「…じゃ、あの子たちは?」
「そんな話は言えねぇだろ。実際抜ける訳じゃないし。あいつらが心配じゃない訳じゃないが、あいつらはあいつらで逞しいからな。放っておいても大丈夫だろうし。それに何よりあいつらは一座の人間だから、オレがいなくても一座が面倒を見るだろう。
けど、お前を何かと巻き込んでおいて、明烏の件も含めて世話になってるのに二度も放り出す方が申し訳ないと思ったんだ。」
「…なんだよ、それ…。青藍さんが殊勝だとなんか居心地が悪いな…」
「なんだよそれ、ってオレが言いたい。お前も酷いなぁ…。本当にオレを何だと思ってるんだ。」
「そりゃ、青藍さんは青藍さんでしょ。会うと私をとんでもない目に遭わせてくれる人だと思ってますよ。」
八広は笑った。青藍も口の端を上げた。
「あぁ、そうかい。…実際、お前のことそういう目にあわせてるし。否定はできねぇよな、八広。にしても、お前さ、本当におもしれーな。あのガキども以上に面白いよ。」
「はぁ?」
「なぁ、今から、また一緒に呑むか?」
「…無理だろ。」
「あぁ、小屋の外では無理だが。お、来た来た。」
八広が桟敷の入口を見ると、六太と与一が走ってきた。
「座長が一緒にごはんにしようって。」
「八広さんも一緒にって。」
青藍は八広の方を向いて笑って言った。
「な?今夜はここでお泊りな。」
八広はちょっとしかめ面を作ったが、座長の好意は素直に受けることにしたのだった。
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