第20話 惚れ薬検証の件(3)
「アリス、ここまで言えばもうわかると思うんだけど。被験者になってくれる気はある?」
エイルの声に呼び戻され、アリスは生真面目な態度を崩さずに返事をした。
「二人必要ですよね? 私と……」
そこで言葉に詰まる。
自分が並べた「倫理的な問題を最小限に押さえられそうな被験者要件」を思い出して、固まる。
(私が選ばれたのはわからなくは無いです。職務に関することなので口外する心配はありません。ある程度、薬に対して耐性もあるので「効き過ぎる」可能性も一般の方よりは低い。検証に必要そうな経過報告も、専門職としてポイントを押さえたものができるはず。私が室長の立場でも、選ぶと思いますが)
必要な被験者は二人。それも、自分で何かとんでもない要件を口にした覚えがある。
アリスはうつむいた。被験者になるということは、自分が薬を服用したとして、そこから心身に起きた変化をできるだけ冷静に観察して報告することになるわけで……。
そのアリスの横で、黙って話を聞いていたラファエロが口を挟んだ。
「そもそも人道的ではないものを、人道的な装いで検証をしようとしても無理がある。解毒薬はあるんだよな? 不測の事態が起きたときにすぐに中断できるような」
「そんなものは無い。これは毒ではないし、『危険な使い方を想定しない特殊な状況に向けて』高度な技術を持つ薬師が作り出した一級品だ。検証は高貴な方に使用する前に、『念の為』人間の体で試した証が欲しいというだけ。とんでもないことは……まぁ、起きないと、良いなぁ」
「室長。いま、最後の方濁しましたよね?」
「世の中、絶対なんかないからね。断言できないことは、しない」
(食わせ者……!)
のらりくらりとかわすエイルを前に、ラファエロとアリスは攻めあぐねて口をつぐむ。
そもそも、エイルの言っていることは一応筋が通っている。もちろん、二人がかりで矛盾や論の脆弱性を指摘して惚れ薬実験を中止に追い込むか、被験者回避はやろうと思えばできるかもしれない。
問題は、そこまでしてこの提案を潰したいか否か、だ。
何しろ、提示されているのは世の人々が欲してやまない禁忌の薬。
(薬師として、触れる機会があるなら試してみたいのはやまやまですし……。自分が被験者を辞退して、他の人に押し付けるというのも)
「副作用とか、体への影響が無いことはたしかなんですよね?」
覚悟を決めるべくアリスが確認をすると、エイルは力強く頷いた。
「そこは大丈夫だ。毒性のある薬草は使っていない上に、回復薬をベースにして作っている。薬師本人が特殊な魔法をいくつか持っていて、『魅了』属性付与が成功しているだけ。アリスの特効薬と原理は同じだ」
「わかりました。服用します。同意のサインをする書類があれば」
「それは大丈夫。内々に処理する予定だから」
軽い調子で請け負って、エイルは小瓶をアリスに差し出してきた。
受け取って、アリスは手の平にのせたその瓶を眺める。
「それじゃ、使うのは自分の部屋に帰ってからで良いよ。持続時間は一昼夜程度らしい。明日は仕事を休んで『恋人』と過ごして。今日の仕事はおしまい」
言うなり、エイルは立ち上がった。
ほんの一瞬考えてから、アリスはエイルを見た。
「恋人……」
「その薬を飲んだ状態で、最初に触れた相手に、心を奪われる効果がある。間違えた相手に触らないように気をつけなよ。二人になってから使ったほうが良いんじゃない?」
ちらりとエイルがラファエロを見た。
(途中から薄々そんな気はしていましたけど……、つまりこれは……!!)
「アリスは引き受けたものを投げ出すことはしないだろうし、効果は確かめなければならないから、誰かに触れる必要がある。べつに僕が良いって言うなら止めないけど? どうするの? 僕に惚れちゃう?」
完全に、エイルはラファエロを煽っていた。煽られたラファエロはといえば、一歩進み出てエイルに詰め寄った。
「それなら俺が飲んでも良いだろう。俺も昔から毒薬に対する耐性は高めている。第一、アリスの体に、そんな得体の知れないものを入れるわけには」
「毒じゃないんだって。それに、ラファエロが飲んでも、飲む前との違いがよくわからないと思うんだよね。こういうのは、使用の前後でわかりやすく効果が確認できるひとが飲んだ方が良い」
しかし、とラファエロがさらにエイルに言い募る。
その光景を見ながら、アリスは薬師としてなすべきことはもうひとつだと腹をくくって、小瓶の蓋をあけて、ひといきに飲み干した。
飲んだ、とエイルが呟き、ラファエロが勢いよく振り返る。
「アリス、やめるんだ」
すでに空になってしまった瓶に手を伸ばして、奪い取ろうとする。
そのラファエロの手が、アリスの手に触れた。
流れを見守っていたエイルは、にこりと人の悪そうな笑みを浮かべる。
さっさと歩き出して、ドアへと向かう。
「ごゆっくり」
言い残して、部屋を出て行った。外側から、がしゃんと鍵をかける音が響いた。
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