11 日蝕の儀、北国にて
※
気づけば柔らかな寝台の中で、心地よい朝の陽射しを浴びていた。どうやら昨晩はあのままソファーで眠りについてしまったらしい。普段は気づかず眠ってしまうことなんてほとんどないのだが、酔いが回っていたからだろうか。
侍女が慌ただしくカーテンを開き、置いたままになっていたティーカップを片付けている。ヴァンの姿はなかったのできっと、眠ってしまった主を寝台に落ち着かせてから、扉の外に戻ったのだろう。
「おはようございます、エレナ様」
メリッサが優しい微笑みでこちらを覗き込む。開け放たれたばかりの窓から差し込む朝日を受け、彼女の美貌は神々しさすら感じさせる。さながら慈愛の女神。彼女の方がよっぽど神の御子のようだと、我ながらどうでも良いことを考えた。
「おはよう、メリッサ」
つられて微笑みを返し、手足を大きく伸ばす。夜更かしのせいでまだ眠り足りない心地だったが、そうも言ってはいられない。昼過ぎから、この訪問の最重要目的である、日蝕の儀の前祭を行うからだ。
本来は日蝕の最中に行うものであるが、この大本命の祭祀はサシャの聖都で行う。本日行うものは言うなれば、
俗人としてではなく、
天候は晴れ。軽く汗ばむような陽気の中、王宮の外れに位置するバルコニーから見下ろす広場は、民衆で溢れ返っていた。十年前の戦争の傷は、癒えるには早すぎる。彼らは何を思って、南方からやってきた
これが形式的には日蝕の儀の一部であるだなんて、滑稽にもほどがある蒼天。月どころか、微かに浮かぶ雲でさえ、陽光を遮ろうとはしないのだった。それでも儀式は厳かに始まる。
控えの部屋で大きく息を吸い込み、胸を張る。左後ろを見上げ、小さく声をかけた。
「ヴァン、行きましょう」
「うん」
この一帯は星、波、岩の三神が信奉される地域であり、多神教の体を成しているが、民はそれぞれ、三神の中で一番に信ずる神を定めている。
約八十年前のオウレア紛争のずっと前から、北方は波の民、南方は星の民と呼ばれ、地域によって信仰に差があった。中でも南の文化は独特で、
そう考えると、北方オウレアスはほとんど一神教に近い印象を覚えるが、それでも
儀式は滞りなく進む。時間にして、半刻程度だろうか。退屈な
日蝕の儀を、蒼天の下で行っても神は気分を害さない。逆に、御子の祈りを受けても、何の感動も表さない。つまるところ、お隠れになった神は、人間のことなんてもう、気に留めないどころか、その視界にすら入っていないのだ。その職務に命を削ってきた歴代の
そう思えども、エレナは笛を奏でることを止めない。神事の実態がどうあれ、これはエレナの責務であり、存在意義である。忠実に、役目を全うするまでだ。
異国に訪れた疲労もあった上に、眼前の民衆が
と、その腕を、予期せぬところで不意に強く引かれ、笛は甲高い外れ調子な音を上げた。
何事か、と思う間もなく、急に引かれた衝撃でよろけながら見上げると、銀の閃光が、何かを叩き落としたところだった。否、
「
鋭い指示が飛び、紫波騎士の一人がエレナを守護するように脇に立ったが、黒岩騎士に追いやられてしまう。矢を射られた。誰の犯行かわからない。王宮の騎士とはいえ、異国の者に
「
顔見知りの騎士のやや上ずった声に、こちらまで緊張する。室内に避難しつつも肩越しに振り返ると、広場は騒然としてるようだった。後ほど聞いたことだが、その時民衆らの間には、旧敵国からの来賓とはいえなんと野蛮な、と襲撃を批判する声がある一方、これまでの不満をこれを機にと声を大にして主張する輩も現れ、混沌と化したらしい。
聖サシャ王国の統治を善としない反体制派が潜伏していると聞いてはいたが、あと少し
第一幕 終
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