第7話 ヤスジ川

 ふたりが学校裏の池に着いたとき、すでに大人が3人、釣りをしていた。全員がブラックバス狙いだった。

「あーあ、この池、穴場だったのにな」と美沙希がつぶやいた。

 小さな池なので、もう美沙希とカズミが釣り場に割り込む余地がない。

「どうする?」

「バスがいるのはここだけじゃない。別の場所へ行こう。ついてきて」

 美沙希が軽快に自転車を走らせる。その荷台にはバスロッドが載せてある。カズミがそのあとを追う。


 美沙希は小川と農業用水路が交差するポイントにカズミを連れて来た。

「ここはヤスジ川っていうの。あっちの水路でも釣れるから。釣り具をセットして」

 美沙希はすばやくノーシンカーリグをつくった。

 カズミが慣れない手つきでダウンショットリグをつくろうとしている。彼女がラインと針を結ぼうとしているとき、「ストップ」と美沙希が言った。

「待って。クリンチノットを教えるから」

「くりんち……のっと?」

「基本的なラインと針の結び方。簡単で強度のあるやり方だから、覚えておいて損はないよ」


「まずこのフックアイにラインを通して……」

 美沙希はカズミにクリンチノットをていねいに教えた。ついでにそのままダウンショットリグを完成させてしまった。

「バスは岸際や杭のそばや人工構造物のそばなんかに潜んでいることが多いの。そんな障害物のあるポイントを狙って釣ってみて。反応がなかったら、別の場所に移って釣りつづけて」とアドバイス。

「わかった。やってみる」

 ふたりは釣りをはじめた。


 数分後、カズミが叫んだ。

「根がかったー。はずれないよー」

「竿を借して」

 美沙希がロッドをぷるぷると震わせ、右に左にと動かしているうちに、根がかりがはずれた。

「はい、取れたよ。こんな感じではずせるときがある。どうしてもはずせないときもあるから、そのときは仕方ないから、糸を切るしかないわね。バスは根がかりがあるところにいることが多いから、怖れないで攻めてみて」

 カズミは、学校ではクールな美沙希が、釣り場では面倒見がよく、やさしいことにとまどい、感動すらしていた。

「川村さん、やさしいね」

「やさしくなんかない」

「やさしいよ、川村さんは。絶対!」

 カズミは美沙希の目をまっすぐに見つめた。


「私ね、小さいときにお母さんから釣りを教えてもらったの。幼かったから下手だったんだけど、お母さんはやさしくていねいに教えてくれた。それがすごくうれしかったの」

 美沙希はきらめく水面を見ながら言った。

「だから琵琶さんにもていねいに教えているだけ。それでもし琵琶さんが釣りを好きになってくれたらうれしいし」

 カズミは釣りも好きになれそうだと思っていたが、それ以上に美沙希に好感を持った。もともとあった好感度がアップした感じだ。


「でも釣りに別の人を誘ったりしないでね。私、軽く対人恐怖症だから」

「人が怖いの?」

「うん、お母さんが死んでから、うまく人付き合いができなくなっちゃった」

 カズミはショックを受けた。やさしく釣りを教えてくれたという美沙希の母親はもうこの世にいないのか……。不憫すぎる。

「あたしは怖くないの?」

「琵琶さんはなんか平気。垂れ目だし、やさしそうだから」

 美沙希はそう言って、とびきりの笑顔になった。

 カズミは衝動的に美沙希を抱きしめそうになったが、かろうじて思いとどまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る