第百四話「軽視」

「嫌……」


 哀れに、みっともなく。

 少女は転ぶ。


「ここは」


 転移。

 ホロは、あたりを見渡す。


 転移の指輪は指定した先に一度だけ転移させる。

 この場所は、ポリヴィティではなく。


 ヴァン国

 オンズの街。


「ふ、」


 魔王戦で危ないことがあれば、転移させるつもりだった?


 そうではない。

 そうであれば指定先はここではない。


「ふざけ」


 ホロは、全てを理解した。

 その上で、言うべきことがある。


「ふざけんなあああああああああああ!!」


 往来の人間が驚いて自分を見るのも気に留めず。

 ホロは大声で怒鳴る。


 今までに感じたどんな怒りよりも強烈に。

 膨らんだ怒りが、破裂したような。


 感情が爆発するような感覚。


 だからだろうか。

 顔面をかきむしり、叫び、蹲り髪を引きちぎり。

 血が滲むほど、食いしばった歯から、ゆっくり力が抜けるに比例し。


 時間をかけて、その行為はいつもよりもホロの心を冷ます。


「私が」


 虚無。絶望。

 全てを失ったと言う感覚。


 それにしばらく、呆然と立ち尽くし、涙を流していたホロは、ふと呟いた。


 落ち着いた、のではない。

 ホロの堪えられない怒りは、ホロの心に大きな変質をもたらした。


 ゆっくりと、歩を進める。

 同時に、青い甲冑を身に纏った軍団が現れる。

 

 雌鶏の騎士団。

 このオンズの街の騎士団。


「魔王が魔王城を出た!」


 騎士団は魔王が魔王城より飛び出したことを。

 そして3国に向かう可能性が極めて高いことを。


 家から出ないことを指示する。


「魔王討伐にはベインテの勇者が当たる!安心してほしい!」


 そしてこの街は私たちが守ると。

 騎士団の団長らしき人間が街中に聞こえるよう魔道具で拡散しながら話す。


「ご主人様」


 ホロはそれをどう思ったか。

 それでも足取りを止めることはない。


 街中が、ざわめきで埋まる。

 パニックという程度ではない。魔王という存在はこの街でなくともあまり身近な恐怖として抱くものではなかった。


 生きた魔物に出会ったことがない者も多い。


 しかし、騒ぎは騒ぎ。

 急いで帰るものや、店を閉めるもの、騎士団に駆け寄る者。


「おい」


 ごった返す街の中、ゆっくりと歩くホロは浮いており。

 目についたのか、声をかけられる。


「嬢ちゃんも早く家に帰んな。どうにも大した速度じゃねえみたいだが、この街に魔王が来ないとも」


 そう、声をかけた男は、驚きで目を開く。


「じょ、嬢ちゃん。ホロちゃんじゃねえか!」


 街の冒険者。

 カーマはここにいるはずのない少女に戸惑う。


「どうなってんだ!スクイのやつも帰ってきてんのか?」


 そう言いながら、そんなはずがないともどこかわかっていた。

 スクイであれば、このような状態のホロを1人にしない。


「あいつは」


「カーマさん!」


 言葉を続けようとしたカーマに、走り寄ってくる。

 冒険者ギルドの経営者、フリップ。


「よかったまだ近くにいて。魔王の話は聞きましたね。そこで」


 早口で捲し立てるフリップは、カーマの隣のホロを見て、同じように仰天する。


「スクイさんは」


「帰ってませんのね」


 フリップの言葉を奪うように、さらに声が重なる。

 上品な、声をあげてもいないのに街の喧騒にも一切邪魔されない。


 綺麗な声。


「全く、どこまで想定していたのか」


 領主の娘。

 公爵令嬢フランソワは、ホロを見て、そこにスクイがいないことを確認する。


「あなたは」


 急に現れたフランソワに、フリップが声をかけようと考え。


「私はフランソワ・マイエンヌ。そこにいる少女の姉です」


 またも、遮られ。

 その言葉に、困惑する。


「ホロさんの?」


 フリップはホロの出自を知らない。

 しかしフランソワとは似ても似つかない上に、ホロはスクイとずっと共にいた。


「ええ。そういうことになるの」


 フランソワは、少し嫌悪感を滲ませる。


「スクイ・ケンセイは私との賭けに勝ち、私に望みを1つ言う権利を得た」


 そしてオンズの街を出る前。

 牢の中でフランソワにその望みを伝えた。


「自分がホロ・ローカを1人にした場合、その身元を預かり妹として公爵家に迎え入れること」


 それはつまり。

 ホロの側に自分がいられなくなることを予期したものであり。


「ある程度、あの男は自分の行く末を理解していた」


 ずっとは一緒にいられない。

 いつかはホロは自分の元を離れなければならない。

 

 ポリヴィティに行くことになった時、スクイはさらにそのいつかが、近づくのを感じ取っていた。


 だから、指輪の転移先はオンズの街で。

 初めからスクイは、自分に何かあればホロをここに返し。


 フランソワに任せるつもりだったのだ。


「それはつまり、自分がいつか死ぬということ」


 長生きはできないだろう。

 それはスクイを知る誰もが思うことではあったが。


「でも状況は、少し違うみたいね」


 フランソワは、ホロを見据える。


「あの魔王、彼なのでしょう?」


 公爵の、国家の。

 魔王に対するセキュリティの数々。


 魔王城の破壊だけでなく、周辺状況等、様々なことを把握できるようになっており。

 フランソワにはそれを見る術がある。


「それって、どういうことですか?」


 彼。

 それがスクイを指すことは、フリップにも文脈から把握できる。


 しかし、その意味はまるでわからない。


「さあ」


 フランソワは、気の抜けたように、しかしそれ以外返答を持たないと言わんばかりに返した。

 魔王の情報からはそれが魔物でなく、変質しているが人間であることがわかっていた。


 その一部特徴もわかっておりその特徴、そしてそんな状況になるのは彼くらいだろうという推測から。

 フランソワはスクイが魔王になったと考えたに過ぎないのだ。


「魔王討伐に赴くくらいはしてそうだと思っていたけれど、魔王になっているなんて」


 そして、世界を滅ぼそうとしている。

 魔王は魔王城を破壊し、死の泥を撒き散らしながら、こちらに向かっているのだ。


「スクイさんが、魔王に」


 フリップはスクイのことを思い出す。

 確かに、狂気に溢れ、残虐と言える部分もあった。


 しかし、関わりを持った人間であればわかる。

 彼は。


「スクイは、自分から魔王になんざならねえ」


 呆然とするフリップの横で、カーマが毅然と言い放った。


「あいつはおかしいし、人でなしと言われても文句は言えねえ。世界なんざ滅ぼしてやろうと思ったこともあるかもしれん」


 だが、しない。


「あいつは、優しいやつだ」


 きっと、何かの間違いでそうなっちまったんだろ。

 そう、カーマは笑う。


「いやにお人好しで、クールぶっておいて困ってるやつをそのままにできねえ奴だった」


「そう、そうです!」


 フリップは嬉しそうに声を上げる。


「あの人は誰かを見捨てたりなんかできない人だった。だからいつだって」


 フリップは、言葉を切る。

 いつだって。


 苦しんでいた。

 それを、見捨てられなかった誰かが。


 自分が、何かできたのか。


「フランソワさんの話がどこまで正確かわかりませんが、魔王がスクイさんだというのなら尚更です」


 不思議そうにフリップを見るカーマに、フリップは提案する。


「魔王討伐は完全にベインテの勇者頼み。騎士団は街を守ることに集中しています」


 しかし、現状勇者の動向は不明。

 魔王が来るのだから、こちらに着く前になんとかしてくれるだろう。


 それが前提となっている。


「オンズの街はポリヴィティに最も近い街の1つです。勇者の動き次第では魔王討伐前にこの街が滅ぶ可能性だってあり得ます」


 そこで、有志の冒険者を募っている。


「カーマさんも一緒に来てください。街中のギルドから他のパイプも使って、実力者を集めています」


 フランソワに、雌鶏の騎士団の助力を頼むことも考えたが、騎士団は街を守るべきだろう。

 フリップは、そう考えた。


「もし魔王がスクイさんなのであればなおのことです」


 それは、覚悟を決めた目。

 かつての恩を返す。


 その目に、カーマは断るはずもない。


「ああ、なんせ俺はあいつを一回両断してんだぜ?」


 もう一回ぶった斬ってやるよ。

 そう、余裕たっぷりに笑うカーマに。


「そう、では私の私兵もつけましょう」


 フランソワが提案する。


「素性はともかく、騎士団よりも腕は立ちますわ。100人程度いますし」


 高価な魔道具も持たせてある。

 邪魔にはならないだろうと、ぽかんとするフリップに告げる。


「私も、あの男にはいてもらわないと困りますの」


 連れ帰ってくださる?

 そう問いかけるフランソワに。


「もちろん!」


 フリップは即答する。


 ここにいる者たちだけではない。

 冒険者ギルド、商人、領主、一部スクイを非難しなかった貴族も含めスクイへを好いている者は多い。


 スクイはそれだけこの街と関わり。

 本人は思ってもみないことに、愛されていたのだ。


「僕たちで、スクイさんを止めましょう!」


 そう意気込むフリップに、賛同する人間は、きっと少なくない。

 必ずや、自分たちでスクイを。


「はあ?」


 その声は、黒かった。

 その場にいた3人が、同時に思い浮かべる。


 今まで思い返したのとは別のスクイの闇。

 それに限りなく近い。


 狂気。


 その声が、先程から押し黙っていた少女から発されたと、信じられない。


 3人に誤算があるとすれば、スクイがその街に愛されていたとしても。

 その多大な想いを全て集めても。


 目の前の小さな女の子1人の。

 狂気と呼べる愛に匹敵しうることがないということだった。



【5月3日本作完結まで毎日更新となります】

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