第二話「理解という枠組み」

 光のない世界から消え、男は再び目を覚ます。体の上にある布を見て、起き上がるとどうにも自分がベッドに横たわっていたことに気づいた。

 辺りを見渡すとそこは狭い部屋のようで、ベッドの他には何もない。ベッドも建物も年季の入った木製であり、お世辞にも良い住み心地とは言えそうになかった。


 全身を確認したが、死んだ時に着ていた服とは違い一般的な私服になっており、持ち物もひとつしかない。肉体のデータと魂とその他を送ったとのことで、とりあえず全裸スタートは免れたようである。


 色々疑問に思うところではあるがとりあえず動かないことには始めらないと悟ったのか、男はベッドを出ると扉を抜けた。

 そこは2階だったようで階段を降りるとカウンターといくつかの机とテーブルがあった。テーブルと机は食事処だろうか、男はどうやら安宿の一室に転送されたようである。時間はわからないが誰も食事を取っておらず、2階で物音がしないことを考えるとあまり繁盛した宿ではないようだった。


 もっとも建物の古臭い黴びた木の匂いを嗅げば誰もこの宿が繁盛しているとは思わなかったろう。

 カウンターでは小柄な女性が少し退屈そうに頬杖をついていたが、男が降りてきたのに気づくと笑顔で手を振ってきた。


「あ、旦那さん!随分と遅いお目覚めっすね!」


 まるで見知った顔のように話しかけてくる女性は、男が階段を降りるのを待たず隣にまで登ってきて話しかけてくる。年は14、5くらいだろうか。肩甲骨ほどにまで伸びた髪をひとつにくくった茶髪。好奇心の強そうな大きな目、話好きな大きな口を開けるたびに八重歯が見え隠れする。


 男の記憶の中にこのような人物は存在しない。そもそもこの建物どころか世界に来たことがないのだから当然のはずである。


「もう日もてっぺん超えてるってのになかなかお寝坊さんっすよね。ま、これも大物の器ってやつですか。お腹空いてますよね?ご飯は朝食だけなんですが旦那は特別です。お昼ご飯用意しちゃいますからね!」


 まるで病人に連れ添うようにピッタリと横につきながら席に案内する。ご飯を作りにいくのかと思いきやドアに向かって「お昼ご飯二つ!旦那さんはらぺこだよ!」と叫んで隣に座った。

 男は状況を把握しようといくつか質問を用意したが、とりあえずどうでもよさそうな質問から尋ねることにした。


「すみません店員さん、この宿では宿泊客を旦那と呼ぶのですか?」


「呼ばないっす!」


 とても良い返事だった。小学校の発表なら内容問わず先生に褒めてもらえたろう。さらに少女は「旦那は旦那だけっす」と言葉を続ける。


「いやあびっくりしましたよ。私もこの宿、モーテルの館の一人娘として宿を支え続けて数年。まさか30日前払いで宿を取りに来る人が現れるとはちっとも思いませんでした!だって30日連泊っすよ?いっそ部屋借りた方が安いところをこんな安宿借りるとはこの酔狂さは旦那と呼ぶしかありませんよ」


 宿名に少し疑問を抱いた男だったが、どうやら今の状況は転送のおまけのようだと解釈した。あの天使たちが転送に当たって30日分宿を用意したということらしい。未開の地に放り出されたあとをいくつか想定していたが、住むところがあり、どうやら言語も通じるなら基盤は安心だと思われる。


「ちなみに店員さん。私の名前は須杭すくい謙生けんせいというんですけど」


「スクイ?ふーん旦那変わった名前っすね。あ、あと店員さんじゃなくていいっすよ。私のことはメイちゃんって呼んでください」


 スクイは人好きのする穏やかなトーンで諭すように名乗ったが、それでも呼び名は変わらなかった。彼も特段呼び名にこだわりがあるわけではなかったが、今年18歳という年齢で旦那呼びは違和感を拭えなかったろう。

 とりあえず状況把握ということでスクイはメイに質問を行う。


「ところでメイさん。私昨日のことをちゃんと覚えてなくて、何か言ってました?」


「んー特に何も言ってなかったような……確か30日泊まりたいって大金を……いやでも」


 どうやら不鮮明らしい。天使は記憶をある程度改変したようだが、完全ではないようである。そこだけ理解するとスクイはとりあえず質問の方向を変えることにする。


「いやあというのも私も旅の途中で疲れ果ててここに来たものでこの街のことを何もわかってないんです。昨日の記憶もあやふやなものでここどんなところなんですか?」


「へえ、旦那は旅人さんだったっすか。最近の旅人さんは儲かるんすね」


 適当な会話だったが、大して人を疑うということを知らないのだろうメイは納得したように頷いた。


「旅にしては大きなところに来ましたね。ここはヴァン国3つの都市の1つオンズの街っす。」


 いくつか質問をしたところ、どうにもこの世界には三つの国があるらしい。

 国名はそれぞれ、ヴァン、ベインテ、ヴェンティで、それぞれが国王のいる王下街おうかがいとその他いくつかの街で成り立っているとのことである。

 ヴァン国は特別大きな国ではないがオンズの街はとても大きな街で、領主は国王と同等の権力を握っているとも言われるほどらしい。

 その他旅人の収入源をクイズにして出してみたところ、持ち物なしでできるのは魔物狩りくらいかと言われたため、とりあえず路銀稼ぎの選択肢として加えることにした。


「旦那は魔物の狩りとか売り買いで生計立ててるってわけっすね。となるとどんな魔法を使うんすか?」


「大した魔法は使えませんよ。火を使える程度で。火の魔法はどうやって使うか知ってます?」


「もちろんっす!私も使えますからね。大抵魔法は魔法で出すもの、使うものを魔法抜きで扱うことで習得するっすから、私は料理とか風呂焚きしてたら習得したっす」


 まだまだ弱火もいいところっすけどねと照れるように笑う。魔法は使いたい魔法のもとに触れ続けることで習得できるらしい。もっとも、いくらでも例外はありちゃんとした法則は解明されていないため、スクイがどんな魔法を持っていても驚かないとのことだ。


 とりあえず今後は魔法を習得して魔物狩りで生計を立てる形になりそうだとある程度予測を立てているとカウンターの裏からガタイのいい無愛想な男が料理を持って歩いてきた。


「おとーさん遅いっすよ旦那待ちくたびれてるんすから。はやくはやく」


 そう娘に急かされながら男はゆっくりとした動きで料理をテーブルに置く。サラダ、パン、切り分けた数切れの肉と大層なものではなかったが、サラダの野菜は出来が良く、鮮度も高い。


「この野菜は私が育ててますからね!」


 とスクイの心を読んだかのようにメイは自慢げに食事を摂り始めた。

 裏に農園でもあるのだろうかとスクイは考えながら食事を摂り、終わると席を立った。


「じゃあ街の散策でもしてきます。魔物素材の買取場所とか知っておきたいですからね」


「仕事熱心っすね!わかったっす。私が寝ちゃうとここ入れないんで早めに帰るっすよ」


 と宿屋としてどうなのかという発言に微笑みスクイは宿を出た。

 宿の外は人通りの少ない通りのようだったが、すぐ近くから人々の喧騒が聞こえる。大通りが近いのだろうと察しとりあえずそちらへ向かおうとするが、逆側の裏路地方向から大声が聞こえそちらを振り向いた。

 大通りと逆方向は宿前以上に人通りが少なく、近寄り難い雰囲気を醸し出している。

 声はどうにも喧嘩のようであり、スクイは躊躇いなくそちら側へ歩き始めた。


「だから俺の分け前が少ねえんだよ!誰が奪ってきたと思ってんだ!」


「知るか脳筋やろう!お前だけじゃ何もできなかったくせに偉そうな口を聞きやがって。計画したのは俺だぞ!」


 聞くと金銭トラブルのようで、奪ってきた金の分配で二人の男が揉めていた。


「こんにちは」


 そこにスクイが声をかけた。穏やかにも関わらずやけに通る声、聞き心地の良い話口調は、しかし目の前のこの二人には効果があるようには思えなかった。


「揉めているようなので話しかけにきたんです。どうかしました?」


 スクイの言葉に二人は顔を見合わせる。面倒な奴が来た、大声を上げすぎたという思考が二人の間を行き来した。

 二人の見た目は対照的で、一人は身長190もあろうかという巨躯、筋肉隆々の体に刺青。なにより血染めの袖口が彼の人柄を雄弁に語っている。


 もう一人は小柄な男だったが決して弱そうでない。眼光は鋭く、腰につけたナイフは誰がみても使い込んだものだとわかるだろう。

 小柄な男は少し戸惑った風だったが、一歩スクイに近づくと吐き捨てるように話しかけた。


「あんたにゃ関係のねえことだ。さっさと失せろ」


 そう言いながら腰のナイフをチラつかせる。それが単なる脅しでなく、使うためのものだとスクイは察しにっこりと微笑んだ。


「強盗ですか?」


 端的に質問するスクイの言葉に、後方で黙っていた男が反応する。小柄な男は強盗に気づかれていると悟っていたが、ガタイのいい男は今気づかれたと知ったのだろう。


「残念ですね。手を汚さないと生きられない苦しみ、よくわかります。飢えて苦しむか奪って苦しむか、肥えて苦しめ、奪われて苦しみ、世界のなんと理不尽で苦痛を要求することか。きっとそれは」


 拘束が長くなる、そう気づいたのかもしれない。強盗二人はこの場に長く居座れなかった。この男は口が回るタイプだ。無視して移動しても追ってきて、誰かにベラベラ話回る可能性がある。何より見たことのない服装と佇まいが男の警戒を強くした。だから小柄な男は端的にこう言った。


「殺せ」


 現代日本では聞くことはあっても意味を伴わないはずの言葉、その言葉がひどく簡単に明確な殺意を伴ってスクイに発されると同時に、後方の男がスクイ向けて飛びかかる。

 ただの飛びかかりではないとスクイはみて気づく。先程まで布切れしか着ていなかった男は全身に鉄の鎧を纏っていた。にも関わらず男のスピードは全く衰えないどころか急加速してスクイにぶつかろうとする。


 スクイは動こうともしなかった。この巨躯がこのスピードでぶつかれば、トラックとの交通事故のようにスクイの身体は粉微塵となるだろう。彼はまだなんの魔法も使えず、天使のような女性からも何も得られなかったのだから。


 二人の距離が縮まった途端、スクイは大男の方へただ歩を進めた。ゆっくりとした動きで歩きながら彼はズボンの内側に隠れた、ただ唯一の持ち物に手をやる。

 小柄な男は大男を加速させながらその様子を見ていた。何かを隠し持っているのだとしても何もできない。そう確信し気にも止めなかったが、次の瞬間、スクイのいた場所を通り過ぎた大男は噴水のような血を流しその場に倒れた。


「は……?」


 小柄な男はしっかりと見ていた。簡単な話だった。大男が飛びかかる寸前、スクイは歩くように大男の横を通り過ぎ、おそらくナイフで頸動脈を掻き切ったのである。

 恐ろしいのは、歩く姿が見えたこと、そしてナイフの動きが見えなかったことである。

 まるで歩くような速度に見えたが、それで加速の魔法を受けた大男を避けられるはずがない。 


 同時に彼は思い出していた。あれはベインテの武道大会だ。魔法抜きの大会で優勝したのは寿命も間近というジジイだった。

 けっして動きが早いわけでないのにどこか癖のある歩法と動きで素早い猛攻を捌ききる。

 そしてナイフ使い、いや小柄な男にはナイフどころかズボンから出した手すら見えてはいなかった。

 自分、否、今まで見てきたナイフの動きが児戯にも満たないと感じるほどの素早さ。


 格が違う。

 それは武道や格闘術といった括りの格でないと、何人も殺し、多くを奪い、そしてそんな人間の中で生きてきたからこそ理解する。

 違うのは技術でも経験でもない。純粋な、

 殺しの数に他ならない。


「あんた、何もんだよ」


 声も手も震え、立ち続けることも難しい中彼は聞いた。

 それに対して、返り血を一滴も浴びず、表情すら変えないままスクイは答える。


「私は死を信奉しています。この世界は生に支配されている。人々は格差に苦しみ、思考に苦しみ、時に苦しみ、場所に苦しめられるのです。その全てが生の与える苦痛。死こそが全ての平等であり、救いであり、信仰すべき尊い存在なのです」


 死には何もあってはならない。死は無でなければならない。だからこそ老若男女問わず死は等しく平等であり、救いである。

 死後と思われた場所で人の声がすればその存在は死への冒涜である。


「悪人は特に救うべき存在です。生に固執するゆえに罪を犯し、生の苦しみを人にすら与え、苦しみ続ける。なんと恐ろしい存在か。でも安心してください」


 小柄な男の前に立つ彼は単に優しげな好青年にしか見えない。

 しかし彼は自分と同じような人間ではないと、小柄な男は理解した。


「悪も善も、正義も優しさも悪徳も全て、死の前では平等なのですから」


 小柄な男は死に際に気づいたのだ。本当に恐ろしい人間は自分たちのようなわかりやすい悪党ではないと。

 本当に恐ろしい人間は目の前の人間のように、理解という枠組みから外れた何かなのだと。

 最後に気づいたのだった。

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