第17話 「俺の完全な黒歴史」

「ああ、聞いてる。大丈夫、保護した」

 電話をしている彼もかっこいいなどと的外れなことを思いながら、敵対する美里から視線を外した。

「君の同棲相手?」

「そうです」

 警察官は息を呑む。男ふたりで同棲だ。友達にしては年齢が離れているし、そういう深い仲だと勘ぐるしかないだろう。

「美里、今日は泊まっていけ。明日、父さんが迎えにくることになった」

「ひとりで帰れる」

「ここまで来たんだからそりゃあ帰れるだろ。けどそういう問題じゃない。未成年ひとりを放り出すわけにはいかないんだ」

「子供って不都合なことばっかり」

「法に守られてるだけだ。何かあっても、お前は責任取らなくていい場合が多い」

 千秋は手帳を出し、素性と簡単に自己紹介をした。

 不思議なもので、法律に関わる人間だと分かると警察官は訝しんでいた態度が一変した。

 気味が悪いほどご丁寧に見送り、千秋は美里の背中を押す。

「まずはご飯だな」

「誰が作るの?」

「僕だよ」

 途端に美里の顔が歪む。

「大地の料理は美味いぞ」

「美里ちゃんは何が好き?」

「ゆっくりおとなしく食べられるならなんでも」

 好きな食べ物を聞いたが、彼女は好む雰囲気を話した。

 あれだけ落ち着かない毎日では、年頃であれば一人になりたいときもあるだろう。

「大皿に分けるより、それぞれ食べられるようにしよっか」

「うん」

 千秋の実家である紅野家では、大皿に大量のおかずが乗り、子供たちがこぞって箸を伸ばす。取れない大地に代わり、千秋が皿に乗せてくれた。

 キッチンに立つと、ふたりはソファーの上で寄り添いながら何か話をしている。真剣な表情の千秋と、悲痛な顔で俯く美里。

 ふと、大地は考える。今までは兄を取られたという自分への憎しみの態度だと思っていたが、それにしては度が過ぎている。もしかしたら、他にも何かあるんじゃないのか。

 千秋の好きな野菜たっぷりのカレーと、漬けてあった鶏肉で唐揚げにした。

「店で食べるカレーに、グリーンピースが入ってるのあるだろ?」

「うん」

「あれって何のため入れてるんだろうな」

「彩りじゃない?」

「カレーに緑を求めるのか? わざわざ?」

「隣にサラダとか寄り添えば解決するよね」

「だろう」

 子供がテストで満点を取ったみたいに得意げだ。

「そもそも、人参を入れるのも理解できん」

「彩りっていうには目立たないしね。大人が子供に食べさせたいから入れたんじゃない?」

「無理に食べなくても、大人になれば食べられるようになる……多分。美味しいか?」

 美里は何も言わないが、小さく頷いた。

「こんなに平和な食事は初めて。お兄ちゃんが羨ましい」

 口数は少ないが、美里は全部平らげた。

「この前、裕樹さんが訪ねてきたの」

 千秋の手が止まる。

 裕樹。初めて聞いた名前だ。

「アキはいるかって。私、小さかったからあんまり覚えてないけど、笑った顔を見て思い出したの。よく遊んでくれてたなって。前は仲良いんだくらいにしか思わなかったけど、もしかして、そういう関係だったんじゃないの」

 千秋は大地を見つめ、そうだ、と漏らした。

「大地と付き合う前に、恋仲になった関係の人だ。仕事で島に何度かきて、俺は好きになった。島の人間じゃないから、離れないといけなくて、結局すぐに別れた。元気そうだったか?」

「うん。島でまた仕事で来て、半年くらいいるって。会わないの?」

「会わない」

 千秋はきっぱりと言う。

「もし、俺がまだ島にいると仮定して、あんな小さな島だ。いずれどこかでばったり会う。だから挨拶くらいはしに行ったと思う。今はわざわざ会いに戻るつもりもない」

 美里はそれっきり、何も言わなくなってしまった。

 場の空気に耐えられず、シャワーをすすめてみた。美里は荷物を持って席を立つ。

「すまないな。部屋に入れてしまって」

「千秋さんの家族じゃん。あのままほうっておけないし」

「それはそうだけど、お前に対しての態度がなってない。それについてはさっききつく言っておいたから。裕樹の件とは別の事情があったんだ」

「別の?」

 大地は首を傾げる。

「先輩に振られたらしい。しかも、女性に興味が持てないって理由で。男性が好きだってはっきり言われたんだとよ」

「その先輩は、正直で誠実な人だね。わざわざ言う必要なんてなかったのに」

「ああ、俺もそう思う。でも美里からしたら、振られた事実は残る。同性愛者の人に偏見とトラウマを持ってしまっているんだ」

「恋愛は美里ちゃんの問題だから、僕が立ち入ったらだめだね。聞かなかったことにするよ」

「そうしてもらえると助かる。それと……」

 千秋の視線は宙にさまよう。

「裕樹のことだ。はー、頭が痛い」

「僕はもっと痛い」

「俺の完全な黒歴史」

「千秋さんにもあったんだ」

「ある。お前が北海道のド田舎でご近所様に恋愛の件を知られたみたいだが、俺は裕樹と付き合って、あっけなく振られた」

「千秋さんが? うわあ、もったいない」

「あちらからすれば、俺みたいな子供は遊び相手にちょうど良かったんだろ」

「でもさっき、付き合ってたって」

「美里の前だからかっこつけて言ったが、本当は俺が一方的に好きで、身体の関係を持った。俺は好きだと言われるたびに何もかもを許してしまったんだ。なおかつ、同性愛だったから誰にも相談できなかった。実にはばれてしまって仕方なく話したら、呆れられた」

 美里の話では、実家にわざわざ顔を出したと言っていた。

 彼の言う通りに遊びであれば、相手の親に会いにくいはずだ。

 もしかしたら、遊びだと思い込んでいたのは千秋だけで、相手は本気だったのではないか。

 嫌な感情がたまるだけたまり、流す術が見当たらない。

「僕が一番だよね……?」

 最悪なことに、世界一重い言葉を浴びせてしまった。仕事と私はどっちが大事、くらいに言ってならない。

 けれど千秋は機嫌が悪くなることもなく、

「お前に決まってるだろ」

 少し怒ったように言った。それから頬を緩ませ、眼鏡をテーブルに置く。

 後頭部に置かれた手を合図に、大地も彼の二の腕を掴む。背中に回したかったが、狭いソファーで叶わない。

「嫌な予感がずっとしてて」

「それで不安になっているのか。確かに、最近は立て続けにいろんなことが起こりすぎた。北海道で家族に認めてもらえなかったこと、美里の家出、裕樹の話。変化を求めるためには仕方ないとも思うがな。ああ、北海道といえば……」

 物音がして振り返ると、美里が立っていた。

 離れようともがくが、千秋は力を込めて離そうとしない。

「どうした?」

「なんでも。おやすみなさい」

「おやすみ」

 美里は今夜、千秋の部屋で寝ることになった。事前におもちゃは大地の部屋へ移動してある。

「……キス、見られたかな?」

「問題ないだろ。俺たちも風呂に入ろう」

「ん?」

「入ろう」

 悪戯っぽく笑い、千秋は大地の腕を掴んだ。

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