第5話 「またね」
「それじゃあ、また今度ね」
「はい。ごちそうさまでした」
またねと言われ、つい対応するセリフで返してしまったが、果たしてまたねはあるのだろうか。
後ろを振り返ると、達彦は優しく微笑んで見つめていた。アキとは大違いだ。彼は一切振り返らず、早歩きでさっさと帰る。
居心地が悪くなり、大地は少し足を速めた。
学校が休みの日はいつも昼頃まで寝ていて、朝食と昼食を一緒に取る。
勉強の前に端末を弄ると、アキからメッセージが届いていた。
「……番号?」
おはようでもこんにちはでもなく、十一桁の番号のみ書かれている。
──かけて。
まさかとは思いつつ、一つ一つ確かめるようにタップしていく。
緊張で指が震え、何度か押し間違えてしまった。
ワンコールで出た声は、数か月ぶりに聞く低めの声だ。
「お、おはようございます……」
『おう、こんにちは』
期待通りに彼へと繋がる番号だった。
『お前、一体どういうことだよ』
「ん?」
『他の男と会ったのか?』
「え? んん?」
『Tって男と』
「なんでそれを?」
『やっぱりあれはお前だったのか』
心底がっかりしたと、深い深いため息だった。
「そんな言い方されたら傷つきます。でもどうして知ってるんです?」
『そいつのタイムラインにお前が載ってた』
「ええ?」
『一度切る』
無理やり切られてしまった。すぐに達彦のSNSを覗きにいく。
「嘘でしょ……」
カフェに来た書かれ、達彦が頼んだゼリーケーキの写真があった。それと胸元より下の写真で、特徴的なだぼだぼの袖とシフォンケーキも映ってしまっている。
今度はアキからかかってきた。
『匂わせ写真ってやつだな』
「なんでそんなに機嫌悪いんですか……僕だって映ってる写真なら止めました。勝手に投稿されちゃったんです」
ひどい間があった。
久しぶりの会話であり、もう少し愛のある会話がしたかった。
「じゃあ、今度どこか連れていって下さい。ホテル以外で」
『水族館に行こう。明日』
「水族館?」
『嫌いか?』
「好きですけど……でもなんで?」
『……………………』
「行きます! デートっぽく出かけましょう!」
『……ああ』
電話越しに、アキは微かに笑った。
もう一度ベッドに倒れ込み、サイクロンの如く布団を巻き込んでのたうち回った。
「デート、デート、ふふふ……」
追加のメッセージは、時間帯を知らせるメッセージだ。
──明日、十八時にいつもの駅で。
泣きたくなるような一文だった。
桜が散ると、風にはほのかに草花の香りが混じるようになる。アスファルトを敷きつめていた桜の花びらも、五月になれば跡形もない。
後ろから頭を撫でられ、大地は振り返る。
「……お久しぶりです」
「久しぶり。少し髪伸びたか?」
前髪に触れるついでに、触れるか触れないかくらいの弱さで唇を通り過ぎる。
「水族館!」
「はいはい。池袋でいいか? そこしか知らないんだよ」
「この辺りにまだいろいろあるのに?」
「池袋にある水族館は、テレビCMでやってたんだよ」
ほとんど遊びに出歩かない人らしい。
アキは電車よりもタクシーがいいと提案し、駅を出た。
連休だけあって、家族連れで賑わいを見せている。水族館も一時間待ちで、並んでいる間はかいつまんで学校の話をした。
「なんでそんなに魚が好きなんだ?」
「北海道出身なので、懐かしい気持ちになるというか。あんまり良い想い出はないですけど」
「悪い想い出って?」
「ケイちゃんって幼なじみがいるんですけど、高校生のときに何を思ったのか告白したんです。振られたあげくに言いふらされてしまって。病気扱いです」
「まあそんなもんだろうな。人間なんて、自分にない世界は排除したがる。自分に害を与えるかもしれないって恐れているんだ」
「アキさんは、もし僕と同じ立場ならどうしますか?」
「相手にしたって仕方ないだろ。やられたらやり返す、は日本では認められていない。自分の視野を広げるために、まずは勉学に励む。な? 学生」
校内放送が流れた。アシカのショーを行うようだ。あと十五分しかない。
手に暖かい感触が触れ見上げるが、アキは大地を見ていなかった。
引かれるままに屋上へ上がり、家族連れから一人分席を空けて座る。
目の前にいる子供は五歳くらいだろうか。いまだに離れない手と大地を交互に見つめる。
大地はいたたまれなくなりアキを見上げるが、彼は素知らぬふりを貫き通している。
「頭良いですね」
「そうだな。けどあちい」
屋根のない席で、日差しが降り注ぐ。
アキは袖で汗を拭うと、前髪が額に張りついた。
「あんまりフェロモン出さないでもらえます?」
「はあ?」
「むんむんしてる……」
「ジト目で見るな。襲うぞ、マジで」
「じゃあ泊まります? うちに」
「行く」
「嘘でしょ?」
「お前が言ったんだろう」
「でも……家には……」
子供や妻がいるのではないのか。
出そうになる言葉を呑み込んだ。
「親は北海道じゃ?」
「僕は一人暮らしですけど……」
「なら行く。カレー作ってくれ」
結局、欲望には勝てないのだ。
世の中のすべてに反した生き方で、愛する二人を引き裂く外道さは、どう転んでも地獄に落ちる未来しかない。
こめかみを流れる汗をハンカチで拭ってくれる彼は、何を思って会おうとするのだろう。
いつの間にかアシカショーは終わっていた。アイスクリームが食べたい、と漏らせば、アキは手を引いたまま立ち上がった。
「あの子供、ショー見に行くときもいたな」
アキの視線の先には、つばのある帽子を被った少年がいた。
辺りを見回すと、壁に寄りかかったままつまらなそうに俯く。
「どうした?」
アキは少年の元へ行くとしゃがみ、声をかける。
「……………………」
「お母さんやお父さんは?」
「…………、どっちもいない……」
「そうか。じゃあ、今日は誰と来たんだ?」
普段の無愛想な聞き方ではなく、新しい一面だ。
アキが視線を送るので、近くに寄った。
「ちょっとここにいてもらえるか? 迷子だわ、多分」
「ええ?」
「なんだよその声」
「僕が呼んできます」
「なんで」
「……苦手」
「なら頼む」
分かってくれたようだ。
人には得意分野、苦手分野がある。そもそも子供の前でしゃがんで視線を合わせるなんて芸当はできない。幼稚園の先生が行う理由もあるのだろう。大地には思いつきもしなかった。それが差だ。
迷子センターで事情を説明すると、すぐに駆けつけてくれた。
戻るとアキは仲良くアイスクリームを食べていて、少年は笑顔を見せていた。
「わざわざありがとうございました」
「いえ、僕は何も……子供の扱いは慣れていなくて、言われるがままに動いただけですから」
少年はアキだけではなく、大地にも手を振る。
ぎこちなく手を振り返して、見えなくなるまで見送った。
「やっぱり子供好きだったんですね」
「やっぱりってなんだ」
「扱いが慣れてるみたいですし」
「妹がいるからな」
「そうなんですか?」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「子供じゃなく妹」
「子供?」
アキは素っ頓狂な声を上げた。
「どこから子供が出てきたんだ。いたらお前の家に泊まれないだろ」
なら妻は、と言いかけるが、アキが手を引いたので何も言えなくなってしまった。
夢物語のようであり、けれど途中でスーパーによってカレーの材料を購入した際には、現実なんだと落ち着かなかった。
「狭いアパートですけど」
お決まり文句を口にするが、何を今さらと言いたげな視線を送るだけで、何も言わなかった。
アキは後ろ手に鍵を閉める。
スーパーの袋が落ち、野菜が転がっていく。
「……寝室は、」
「あっち」
息が上がっても許してくれず、唇ごと吸い込まれる。
この様子であれば、数時間コースだ。
大地は覚悟を決め、彼の首に腕を回した。
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