第3話 初めての狩り
バサリ!
突然の物音にシロはびくりと飛び起きました。窓から斜めに光がさしこみ、
「屋根から雪が落ちたんだよ」
すぐ目の前で、チュウ公が袋から流れ出た米粒を噛んでいました。
「そんなの知ってら」
シロは後ろをむいて強がりを言いました。これまでは、たとえ地面をゆるがす雷が鳴ろうと、知らん顔をして寝ていました。いつの間にか、ひどく敏感になっていたようです。
「さあて、朝メシにするか」
一度起きてしまったら、もう目が冴えて眠れませんでした。チュウ公の米粒をかじる音に誘われるように腹がグウーと鳴っています。さっそく、タンスの前のバケツに首をつっこみました。が、魚はいません。
そういえば、
『ああ、おいら気づいてなかった。あの日、源ジイは昼間から調子が悪かったんだ』
「これ食べる?」
うなだれたシロに気をつかって、チュウ公が米粒をさしだしました。
「ありがとうよ。けどそのままじゃ、スカスカしてて口に合わねえ。おいらにゃ、おいらの食いもんってやつがあるんだ」
シロはコソドロねずみのかわいい頭をそっとなでてから、昨日ほりこんだ穴に首を伸ばしました。
「おい、こりゃ…」
小屋の外には、息を飲むような美しい景色が広がっていました。
銀色に輝く山が、澄んだ空の下に気高く座っています。きらめく海と真っ白な海岸線がずっと先まで伸びています。
まるで、まだ誰も訪れたことのない神聖な世界。新しい生活をはじめるシロを迎えてくれているようです。
「ようし、いくぞ!」
キラキラと突き刺す光に目を細めながら、シロは走り出しました。
今日からは、自分の足と牙をつかって獲物をとらなければなりません。少しばかりの不安はありましたが、吹き上げる煙のような白い息が、いやがおうにもやる気をそそりました。
『さてこのあたりでと…』
荒い息づかいのまま首をまわせば、そこは、いつも源ジイが釣りをしていた岩場でした。知らぬまに、足はお決まりの道をたどっていました。
『しっかりせんと。おいらは釣りなんかしねえ』
苦笑いしながら、そこにさよならをして、波の静かな入り江にむかいました。
「おっ、しめしめ」
思わずニタつきました。泡だちながら雪をとかす波の先に、チュウ公の倍ほどもある魚が打ち上げられていました。酸っぱいような臭いがしていますが、腹の中に収まればみんな一緒です。
勢いこんで噛みつきました。
とたんにウッときました。それはドロリと腐っていました。慌ててはきだし、塩気まじりの雪でシャリシャリと口の中を掃除しました。
それから、太陽が空のてっぺんまで昇るまで海ぞいを歩きつづけました。
けれど、めぼしいものは何も見つけられませんでした。ついぞこのあいだまでは、ぞりぞりと歩くカニや、砂浜にニョキリと突き出す貝がいたというのに。
あたりは、氷の息のような風が吹きつけるばかりでした。
もはや季節は冬のまっただなか、風がぬるくなるまでは食べ物は現れないのです。
波の上には、黒っぽい鳥がのんきに揺れています。時折、ひっくり返っているところをみると魚がいるのです。目と鼻の先に獲物がいるというのに、残念ながらシロは魚とりなどできません。
「そもそも、こんなところで食べ物を探したのがまちがいだった。そうさ、おいらは陸を走る動物なのだ」
頭を切りかえて、クマザサのおい茂る山にわけいりました。
実のところ、シロはこれまで山に入ったことはありませんでした。
源ジイは時折、山菜や木の実をとりにいっていましたが、シロはもっぱら、海辺をほっつき歩いていたのです。
カサッ、カサカサッ
いく先々で茂みが揺れ、はらはらと雪が落ちました。かいだことのない動物たちの臭いが漂っています。シロの近づく音を聞きつけ、逃げだしているのにちがいません。あちらが
『まったく、おいらと
途中、開けた窪地に出たところで、シロは足をつっぱりました。
シロよりも二回りも大きな鹿が、雪に埋もれた草を食べていました。木の枝のような角の根元のとんがった耳はこちらをむいています。
鹿はシロが間近にいることを知っているのに、逃げようとはしませんでした。
正直、シロはびくつきましたが、最初に出会った獲物です。これを逃す手はありません。
『さて、どこに噛みついてやろう。腹か足か、それともあの肉づきのいいしりにか。よし、まずは首だ』
前足の上の筋の浮き出た首に狙いを定めました。
「やめておいたほうがいい」
唐突に鹿が話しました。
シロはガヂンと固まってしまいました。チュウ公は別として、島の動物が口をきくなど思ってもいなかったのです。
「おまえさんは、狩りというものを知らないらしい。むりに戦えば大怪我をする」
まったく落ちついた物言いでした。ゆったりと顔を上げ、高い所から見下ろしています。
…草をはむ牙のない動物に、そんなことを言われるなんて…
「くそう!」
悔しさが燃えたち、シロはしゃにむに突進しました。
パーンッ
鹿は、シロの頭上をはるかに超えて跳び、茂みの中に消えていきました。
『…』
体じゅうの毛が逆立ちました。
目の前にあった厚い平石が蹴り割られていました。もし、あのたくましい後ろ足で蹴られていたら、骨がバラバラに砕けていたにちがいません。
山には今のシロには歯が立たない動物がいるのです。
『これからおいらが相手にしていくのは、自分だけの力で生きているやつら。野生のケモノなのだ』
シロは気をひきしめて歩きはじめました。
しばらくいくと、茂みのはずれの雪の上に、コロコロとしたフンが落ちていました。ちっぽけな足あとも残っています。
さらに進むと、あちこちに探し物でもするように跳ねる動物がいました。耳が長くて丸い姿。町でも見たことがあるウサギです。
『あいつならいけそうだ』
幸いシロは風下にいました。ざわつく枯れ葉は雪の下に凍っています。
息をひそめてそっと近づきました。首を低く構え、後ろ足にぐっと力をためこみました。
小さくて弱そうな動物を襲うなど卑怯な気もしましたが、生きるためです。自分を奮い立たせ、雪を蹴って突進しました。
あっという間のこと、シロの牙は柔らかい背中に噛みついていました。
「痛い!」
ウサギが叫びました。
「ごめんよ。おいらの腹に入ってくれ」
「おねがい、放して」
その声を無視して、もう一度、ザクリと噛みなおそうとしました。けれどなぜか口は動きませんでした。
牙がゆるんだちょっとした隙に、からだをくねらせたウサギは地面に落ち、どこかに走っていきました。
「いったい、どうしちまったんだ」
夕方近く、だいぶ暗くなった小屋の中でシロはぼやきました。
「ウサギだけじゃねえ。木の根っこには、チュウ公よりもっと小さいやつだって眠っていた。けど口は、肝心なところでとまっちまう」
「ははあ、それはヤマネだね。けどさ、動物が話をするなんてあたりまえだよ。ほら、ぼくだってしゃべってるし。それにしても、狩りをしないなんて。君はまだ人間と暮らしているみたいだね」
米袋に顔をつっこんだまま、チュウ公が言いました。
「源ジイはもういない。そんなことはわかっている。おまえだって、おいらの腹に入っていいはずなんだ」
言ってはみましたが、歯が浮いているようで しっくりとはしませんでした。
「夜に出かけてみたらどうかな。噛みついた動物がしゃべっても、姿が見えなかったらそのまま食べられるかもよ」
「なあるほど」
小さなおつむながら、チュウ公の言葉は的を射ているようでした。シロはめずらしく素直にうなずきました。
とっぷりと日がくれるのを待ってから外に出ました。
空には丸い月が顔を出し、あたりの景色を浮きあがらせていましたが、山に一歩踏みこめば、暗闇そのものでした。
シロは、木の枝にからだじゅうを引っかかれながら、動物の臭いを追いかけました。
けれど、やっぱりだめでした。
毛皮に噛みつくまではいいのです。でもそれから先、牙を深く突き立てることはできませんでした。
「おいらは犬だ。腹が減れば狩りもする!」
山のてっぺんに突き出した大岩の上で叫びました。
町にいる時も夜中に大声を出したことがあります。あのときは、起き出した人間に、うるさい!とどなられましたが、ここでは遠慮はいりません。
空っぽの胃袋がひっくり返るほどに、さんざん叫びました。
叫びすぎて、頭がクラクラしてきました。自分の
『もういい、また明日、出直しだ』
と、
「道?」
山すそに照らつく海が二つに割れていました。よく見れば、ずっと遠くまで細い道が伸びています。先には黒い島影があるようです。
…おまえを待っている…
誰かが呼んでいるような気がしました。
シロは転がるように山を駆け下りました。ほとんどいったことのない磯辺から、海を割って伸びる道がはじまっていました。先ほどより幅が広がっています。
両脇には、飲みこむ獲物を待っているように波がさざめいています。
『いけるか?』
不安が走りましたが、胸の奥で燃えだした熱いものがそれを打ち消しました。
ザッザッ ザッザッ
シロは、水気たっぷりの荒砂に足をしずめながら走りはじめました。
からだにまとわりついていた何かが剥がれていくようです。前に進むほどに、足は軽くなっていきました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます